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黄金律 Golden Rule

 今日は皆様に聖書で一番大切な教えをご紹介しましょう。とりあえず以下をご覧ください。

1・そして あなた方は作る に彼 として 所の 彼が企んだ に作る事の に兄弟彼 
2・ そして あなた方は確かに作る 彼に する所を やり方を 彼が自分の為に邪悪した 作る事を 下に その 兄弟 彼の、
3・為に 彼らが行い続けている あなた方に その 人間らが、あなた方は行い続けろ 彼らに 同じように。

これはなにか分かりますか。

「1・」はへブル語旧約聖書申命記19章19節、
「2・」は70人訳ギリシャ語旧約聖書申命記19章19節 
「3・」は新約聖書のルカによる福音書の「6章の31節」

 のそれぞれの聖書原文をそのまま、順序を変えずに日本語に置き換えたものです。言うならば「直訳」です。これをいずれも日本語に訳してみましょう。

1・誰かがあなたになそうとしている事をその通りにその人に行いなさい。
2・その人があなたになそうとしている悪をあなたは全く同じようにその人に行い続けなさい。 
3・ある人があなたにしようとしている事をあなたは全く同じようにその人達に行い続けなさい。

 分かりますね、いずれも全く同じ事を言っています。そしてこれが大切なのは「3・」の新約聖書ルカによる福音書の6章の31節で、有名な「最高善」あるいは「黄金律=Golden Rule」として聖書の中で最も大切な教えとして世界中で認められている言葉なのです。しかし、皆様はお気づきでしょう。普通に手に入れる事の出来る新約聖書の英訳や邦訳と原文とは随分と様子が違うのです。

まあ、いろいろな方がいろいろな制約やご事情の中に訳されている文面に対しての批評はここでは控えましょう。大切な事は「誰がどう訳したか」ではなく「聖書がなんといっているか」では無いでしょうか。
  そしてこの言葉は旧約聖書のオバデヤ書の15節とも合致しているのです。あなたがしたように、あなたもされる。」そして 新約聖書ローマ人への手紙12章19節「復讐はわたしのすることである。私が報いをする。」とも完全に合致するのです。
 
そう、聖書の原典が教えている一番大切な事は、「人が誰かに成した行為はそのまま自分に返ってくる」と言う事なのです。人に善を行えばその人に善が帰り、悪を行えば悪が自分に返ってくると言うのです。

   ただし、注意して下さい。大切な事ですが聖書の原文は「行った行為が報いをもたらす。」と言っていない事です。「なそうとしている」と聖書の原文には在ります。と言う事はまだ思いだけで実際の行為に至っていない事が明白に記されています。
 
  そうなのです、聖書が問題にしているのは 「その人の行為」では無く、「なそうとしている = 意図」だというのです。聖書が教えているのは、確かに善行のようですが、へブル語やギリシャ語の聖書の原典がここで言っている事は、行為以上に大切な「心の動機や目的、意図」だと言う事です。そして神様が報われるのは、あくまでもその人の「心」に対してなのです。

参考URL http://bible.co.jp/bible/nt/goyaku.htm

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イソップ寓話と為政者

 前回は、モーセの奥様が「日焼け顔」であったことをお話ししましたが、今日は同じ言葉で親しまれている方をご紹介したいと思います。そう、ほかでもない、イソップ寓話で有名なあの「イソップ」さんです。

  英語のイソップ寓話をご覧になっ方は綴りが Aesop になっているのに気づかれれた事でしょう。フランス語でもEsopeとなっています。原文はギリシャ語で Aισωποs(アイソオポス)と綴ります。そうモーセの奥様に使われていたのと全く同じ言葉の男性形なのです。イソップは起源前6世紀にに実在した人物でサモス人イアドモンの奴隷であったそうです。(ヘロドドス2巻134章)、そのギリシャ名は黒人を意味する言葉なのです。もちろん伝承にも彼が黒人であったと言われていますので、おそらくそうだったのでしょう。

  さて、今日はあまり知られていないイソップの寓話を皆様にご紹介しましょう。

  イソップ寓話は戦国時代にキリスト教の宣教師によって伊曾保物語として紹介され、すっかり日本語になってしまっています。しかし、原文はギリシャ語で記されておりプラトンがBC300年頃に口伝から編纂したと言われています。しかもこのギリシャ語は聖書と全く同じギリシャ語で記されているのです。

   岩波文庫には山本光雄氏や中務哲朗氏の全訳が在りますがどうも、ギリシャ語の原文に明記されている事が正確に訳出されていない様です。しかも、御両人とも子供向けの寓話と考えておられる為か、随分と短く、しかも意訳になっています。原文は決して子供の為に記された文章ではありません。立派な大人、しかも王や為政者、高級官僚、当時のギリシャポリスの職業軍人をいさめる為にかなり手厳しい批判を記しています。
 
   まあ、能書きはこれくらいにして日本にはあまり紹介されていない養蜂者(中勤氏の72、山本氏の235)をご紹介させて頂きます。
原文は以下の通りです。
  
ειs μελισσυργου τιs εισελθων, εκινου αποντοs, το τε μελι και τα κηρια υψειλετο. ο δε επανελθων, επειδη ηθεασατο ερημουs ταs κυψελαs, ειsτηκει ταυταs διερευνων. αι δε μελισσαι επανελθουσαι απο τηs νομηs, ωs κατελαβον αυτν, παιουσαι τοιs κεντροιs, τα πανδεινα διετιθεσαν. κακεινοs εψη προs αυταs ω κακιστα ζωα ,υμεισ τον μεν κλεψαντα υμων τα κηρια αθωον αψηκατε, εμε δε τον επιμελουμενον υμων δεινωs τυπτετε. ουτωs ενιοι των ανθρωπων δι αγνοιαν τουs εχθρουs μη ψυλαττομενοι, τουs ψιλουs ωs επιβουνται.

出来るだけこのギリシャ語の原文が意味している事を正確に翻訳して見ました。

「養蜂場を見つけた盗人が そこに置かれていた美味しそうな蜂蜜を蜂の巣毎盗んで行った。そうとは知らずに山の養蜂場へ昇ってきた養蜂者は空になった巣箱と蜂蜜がすっかり無くなっているのを見て驚きと落胆のあまり暫しその場に立ち尽くしていた。ようやく気を取り直して盗人の足跡を見定めていると丁度蜜蜂達が花々から集蜜を終えて次々と帰ってきた。蜜蜂たちは自分たちの家と折角蓄えた密がすっかり無くなっているのに気がついて動転し、そこにいた養蜂者が犯人だと決めつけて、次から次へとしつこくしかも集団で針を刺した。 あまりの痛さにたまりかねた養蜂者は、蜜蜂に向かって言い捨てた。『此の悪い畜生め お前らは 泥ボウ それもお前たちの家ごと盗んで行ったやつに復讐することを捨ておいて、こんなにお前らの事を案じているこの俺様をこんなにひどい仕打ちをしくさるのか!!』これと同じように、多くの人間は真実を知ろうとしないし、真に憎む者を監視しないで 愛してくれる者を悪者の様に思い込んで拒絶する。」

日焼け顔

十戒でよく知られたあのモーセの奥さんの顔が黒かったってご存じでしょうか? いずれの日本語訳にもクシュ人(民数記12章1節)と記されていますがこの箇所を紀元前3世紀にギリシャ語に翻訳したいわゆる70人訳ギリシャ語旧約聖書ではギリシャ語アイシオピセースとなっていて文字通り「日焼け顔」で褐色または黒色の皮膚を指しています。また聖書の別の箇所には「クシュ(=エチオピア)人がその皮膚の色を変える事が出来ようか」エレミヤ13章23節となっておいることから見ても間違いなさそうです。
そして、この事が原因でモーセが実の姉ミリヤム(英訳マリヤ)と実兄アロンに批判されて大問題になった様子が前述の旧約聖書民数記の12章に詳細に記されています。そしてその批判は単にモーセ婦人の事だけではなくモーセ当人の職業である「預言者」をも否定される結果を招きました。
洋の東西を問わずまた過去現在を問わず人種問題が在った事を教えられます。人が人を差別する。そしてそれを自分の価値観で行い、自分やその周りの人たちと違っている事が批判されると言う問題の本質はいつの時代も変わりません。
そしてこの解決は神様の直接の介入で皮肉な形で決着が着きました。姉ミリヤムに怒られたヤーウエの神が批判した姉のミリアムの皮膚全部を「雪の様に真っ白」にされると言う物でした。(民数記12章10節)それはこのパレスチナ地方の風土病である像皮病の一種で非常に強い伝染性をもち、しかも皮膚がかさぶたになって崩れ落ちそのあとが赤黒く醜いあばたと成る物でした。(民数記12章10節=へブル語の原文では「打たれた」と言う単語でギリシャ訳はレプラとなり此れが後代にライ病と訳されているが実際は別の病気です。) 人の顔が黒いからと批判した人が今度は自分が真っ白にされて人に忌み嫌われるという報復を受けたのです。
これは自分の価値観で人を評価し、自分を身びいきに過大評価している人に対する神様の警告では無いでしょうか。このミリヤムが本位とした顔の色による人間評価が間違っていたのは自明です。しかし此れが他の物になっても結果は同じではないでしょうか。たとえば、お金等の経済力や資産、教養や学歴、はたまた実績や実力などという自分の得意とする同類の他の価値観にすりかわっていてもその本位とする価値観が問題である事に何ら変わりは無いのではないでしょうか。この出来事はどのような物であっても、自己の価値観による他人や他社の評価が如何にでたらめな物であるのかを教えているかと思います。
あなたは一体どんな価値観で自分と他者を比較評価していますか? あなたはそんな評価のしかで世の中に通用すると思っていますか。まして、神様の前にそんな物が何程の意味を持っているのか考えた事が在りますか?

はじめまして!

21歳の春に聖書を読み始め、面白くってとうとう35年間毎日読み続けてしまいました。いろいろな翻訳も読んでみましたが、やはり原典が一番です。ためしに翻訳との違いを一カ所ご紹介しましょう。

「真理がわれらを自由にする」

これは、国立国会図書館の目録ホール入り口に記されている言葉だそうです。出典は新約聖書ヨハネの福音書 8章32節で、そこにはキリストの言葉として記されています。この言葉は英訳もそのようになっているのですが、ギリシャ語の原文とは随分と様子が違うのです。(原文;Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)
原文を正確に翻訳すると、「その真実があなた方を奴隷開放する。」となっているのです。読み進めれば分かる事なのですが「真実」とはキリストご自身を指しており、「あなた方」はその時にエルサレムの神殿にいた信仰熱心なユダヤ人たちです。献金箱のある場所(ヨハネ8章20節)で語られていますので、平行記事にあたるルカの福音書(21章1節)の前後を見ると、その時の聴衆の中には、ユダヤ最高議会(当時のイスラエル国会)の議員達もいたことがわかります。するとこの言葉は、30歳そこそこのキリストが、現職の国会議員らを前にして「あなた方は奴隷だから私が奴隷解放してあげる」と言った事になります。ユダヤの信仰深い人々や現職国会議員にしてみれば「大変な侮辱」にあたる発言なのです。当然の事としてこのすぐ後、キリストは彼らによって処刑(十字架刑)される結果となるのです。
 皮肉な事に、この言葉が2000年後の日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣であった初代館長金森徳次郎の筆跡で、国立国会図書館の玄関に刻まれているのです。本当に、この聖書の言葉が意味する事が正しく理解されて、その上で国会図書館の玄関に掲示されているならば良いのですが、実際どうなのでしょう? もし、何らかの誤解や無理解があって記されているなら大変お恥ずかしい事になるのでは無いでしょうか?

参考URL http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/shinri.html

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