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精力旺盛君

精力旺盛君 創世記38章4節 

昨日はヤコブの育児が失敗し、兄弟がいがみ合い、父に偏愛されていた弟ヨセフが奴隷に売り飛ばされたと言う、兄弟達の犯罪をみました。今日は、その続きです。上記の箇所が今日読んだ創世記38章の内容を端的に表しています。早速、何時もの様に直訳をご紹介します。

創世記38章4節 ヘブル語原典直訳

04 ・ そして彼女は孕んだ 繰り返す そして彼女は子を産んだ 息子 そして彼女は呼んだ を その名彼 オナン(精力旺盛=英vigorous) 

創世記38章4節 70人訳ギリシャ語原典直訳

04 ・ そして 共に取っ(妊娠し)たは 尚 彼は子を産んだ 息子を そして 彼は呼んだ その 名 彼の アウナン。 

ヘブル語の方だけ翻訳にしてみます。

04・そして彼女は再び孕んで息子を産んだ。そして彼女はその子の名をオナン(精力旺盛)と名付けた。

何て言う親だろうと思います。よりによってこんな名前を次男につけるとは! しかし、今日の創世記38章の内容を端的に表す言葉と言わざるを得ません。説明します。

 創世記38章にはユダヤ民族の直接の祖,ユダ部族の先祖ユダについて記されています。1節を見て頂くと分かるのですが、彼は弟ヨセフを奴隷に売り飛ばす事の発案者(創世記37章27節28節)でした。その結果、父ヤコブの苦しみを見かねて兄弟達の目をさけて一人暮らしを始めるのです。そして、見初めたのが淫らなカナン人シュアの娘でした。彼女がユダに3人の男の子を生みます。そして長男の名がエルと言います。やがて彼が成人しタマルと言う名のカナンの女を嫁にします。そしてすぐに、エルが死んだのです。そして、ユダヤの掟によって問題のオナン(精力旺盛)君がタマルを娶り長男の家の跡取りを産む義務を課せられたのです。

  オナンはもしもタルマに自分の子が産まれてもユダヤ法的に兄の子となり兄の名を名乗り、父の財産を相続する事になるのを疎み、タマルの体内に射精する事を避けて地に流していたと言うのです。この故事から英語の「オナニー」と言う言葉が産まれたそうです。

  そして、神様はオナンも死ぬ様にしてしまわれたのです。さらに、その直後、ユダの妻も突然死ぬのです。何故、こんな不幸がユダの身に起きたのかは自明です。そう、自分の弟、ヨセフを奴隷に売り、父ヤコブには弟「ヨセフが獣に裂き先殺された。」と知らせ、父に愛する者を失わせる悲しみを味あわしたのと同じ苦しみを自分が経験させられたのです。

  しかし、これだけ神様に罪を自覚する様に仕向けられても、強情なユダは゛素直に自分の罪を認め、父に自分罪を告白して許しを乞うことはプライドが許しませんでした。

  そればかりか、ユダは妻の死の喪が開けると,遊女を買いに出かける始末です。その事が放置されていた嫁タマルに知らされ、彼女は顔をベールで多い、遊女を装って、自分の死んだ夫の父ユダに身を売りその子を孕むのです。

 興味深いのは、嫁タマルの売春がその本当の売春相手である義父のユダに知らされた時のユダの発言です。「タマルを焼き殺せ。」それは当時の掟に従った正当な判断でしたが、当然その相手となった自分も同時に「焼き殺される」べきだったのです。義父ユダの前に引き出されたタマルは売春の相手から確保しておいた品=ユダの「印形と杖」を差し出して、「相手があなたですよ。」と迫る準備をしていたのです。本当に人間は、人の罪は分かっても、身びいきで自分の成した悪行にはこれ程までに無頓着なものかとあきれさせられます。

  そして、タマルからユダの子=ユダヤ人の直接の先祖となる双子のペレツとゼラフが産まれるのです。

 お分かりでしょう、聖書は神様を信じている人々がどんなに罪深く、不道徳でその上大変淫らであるかを包み隠さず記しているのです。さらに、聖書はその中でも取り分け罪深いユダの赤裸々な私生活をことさらに記しているのです。彼こそ、弟を奴隷に売り飛ばした張本人でした。彼は、父の悲しみを見かねても自分の非を認めることができず、その場を逃れて、快楽三昧に明け暮れていたのです。

これはユダにとって安易な現実逃避でした。しかし、逃げても逃げてもその逃避は彼に何の慰めももたらさず、益々自分の悪行の報いを次から次へと自分の愛する家族の上に神様によって報復されたのです。そして、彼にはその行状に相応しい妻が与えられ、産まれた子供達もまたその嫁も、彼に相応しい人が与えられるのです。当然のこととしてそこに産まれる子供達も神様の祝福に預かるにはあまりに罪も欲も深い人たちばかりであったのです。

  そして次章の39章からは、奴隷に売られた弟ヨセフの苦難が連綿と綴られるのです。今日は、弟を売り飛ばしたユダが、最初はいかに罪の深い悪人であったかを記している聖書の記録のご紹介でした。

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偶然の必然

偶然の必然 創世記37章3節

偶然の必然とは随分ふざけたテーマです。しかし、聖書を読んでいるとこれが特別なことではなく普通の事であると言わざるを得ません。今日はその事を上記の聖書箇所から考えてみましょう。とりあえず何時も様に直訳を記します。

創世記37章3節 ヘブル語原典直訳

03 ・ そしてイスラエル 彼は愛した を ヨセフ から全ての 息子ら彼 として 息子の 老齢ら 彼 に彼 そして彼は作った に彼 上着の 長袖ら

創世記37章3節 70人訳ギリシャ語原典直訳

03 ・ ヤコブ も 彼は愛した その ヨセフを 側で 全てらの その 息子ら 彼の、 それは 息子は 老齢らを 彼が存在している 彼に。彼は作った も 彼に 長服 多色を。

今日の箇所の発端となったのがこの聖書箇所です。早速翻訳にして見ましょう。

創世記37章3節 ヘブル語原典翻訳

3節・イスラエル(ヤコブ)は他の11人の子供達以上にヨセフを愛した。それは年寄り子だったから、そしてイスラエルはヨセフに筒袖のローブを着せていた。

創世記37章3節 70人訳ギリシャ語聖書翻訳

03節・ヤコブは彼の他の息子達の目の前でヨセフを愛した。それは年寄り子であったから。そして、ヤコブはヨセフに多色織物の長着をつくってやった。

お父さんのヤコブにとってヨセフは特別の子供でした。それは愛するラケルの産んだ子である上に、年寄り子であった為です。そしてヤコブ(=別名イスラエル)はヨセフに筒袖のローブを着せたのです。その意味することは「跡取り息子」と言う事でした。そんな親の溺愛に10人の兄たちは黙っている事は出来ません。かといってヨセフを愛している父に物申せば、父に嫌われている母レアの息子や奴隷の息子達である自分達の立場が不味くなるのは自明でした。そして事も在ろうにヨセフは父の寵愛を良いことに、兄達のあること無いことを上手に父に告げ口して、さらに父の信頼を得ていたのです。

 つもり積もった憎しみが、ある日爆発するのは必然でした。ルベンとレビが中心になって虐殺したシケルの町の周囲にあった放牧地がその舞台となりました。おそらく熱い夏だったのでしょう。兄達は焼けるような熱さを耐えて放牧に出ていました。ヨセフは父に頼まれ兄たちの安否を尋ねに出かけた時のことでした。彼は兄達に捉えられ、筒袖のローブを剥がされ、裸で銀20シケルで奴隷に売り飛ばされたのです。そして父にはその跡取り息子の着る服を引き裂き山羊の血にひたして、弟は獣に引き裂かれて死んだ様に偽装して父を騙すのです。
  
 聖書で明確に命じられている相続の規定を無視して、ヨセフに財産を譲ろうとしたヤコブ、その寵愛をいいことに兄達を馬鹿にしたヨセフと、それを妬み、憎しみを行動にしてしまった10人も兄達の赤裸々な姿を聖書は包み隠さず記しています。

 これらの出来事は、一つ一つ偶然の様です。しかし、同時に起こるべくして起きてしまった必然の事件なのです。
 

死者の系譜

死者の系譜 創世記36章39節 

今日はイサクの子エサウの系図が記されている箇所をよみました。一カ所気になる箇所が在りましたのでご紹介しましょう。何時もの様に直訳です。

創世記36章39節 ヘブル語原典直訳

39 ・ そして彼が死んだ バアル ハナン 息子の アクボル そして彼は王した 下部彼 ハダル そして名の 城塞彼 パウ そして名の 女彼 メヒタベエル 娘の マトレド 娘の メ ザハブ 

創世記36章39節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

39 ・ 彼は離れ死んだ も  バラエノオン 息子の アコボル、 そして 彼は王した 対して 彼 アラド 息子は バラド、 そして 名 その 町に 彼の ヤオゴオル、 名 も その 女に彼の マイテベエル 娘 マトライテ 息子の マイゾオーブ。

翻訳にしても代わりばえしませんが、とりあえずヘブル語の方を翻訳にしてみます。

創世記36章39節 ヘブル語原典直訳

39節・そしてアクボルの息子のバアル・ハナンが死ぬと、彼の後にハダルが王になりました。彼の城はパウで、彼にはメヒタベエルと言う妻がいました。彼女の母はマトレドで、メザハフの娘でした。

聖書には不慣れな方には呪文の様な系図が随分と記されています。その様な箇所の一つが今日ご紹介する箇所です。今日の箇所で興味深い事は「彼が死ぬと」という表現が連続して7回用いられていることなのです。

大抵の系図では、「彼は生きて死んだ」と言う順で記されるのですか今日の箇所丈がおかしいのです。33節から39節にかけて連続して7回この言い方が使われているのです。

あたかも前の王が死ぬのを待っていて、別の物がその王位を奪ったようです。何故そんなことが分かるかと言うと、先程翻訳にした箇所のどこにも「彼の子」と言う言葉が無いからなのです。

そう、王位を奪い合って、いやむしろ先王をクーデターか暗殺で殺害して、次の王が起きたかのような記述なのです。その証拠に7人が7人とも出身地が違うのです。

その記述から、王と言う地位には魅力が在り、自分の力に物をいわせて人を殺して王となり、そしてやがて自分が先王を殺したと同じように、今度は自分が殺されていった事が繰り返されたと考えられます。

本当に、何故地位や財産を巡って人が争い続けるのか考えさせられる聖書の箇所でした。

死の連鎖

死の連鎖  創世記35章19節 

昨日はヤコブの一族がパレスチナの中心城塞都市シケムをデイナ強姦の報復として襲撃し全ての男子を殺戮し、婦女子を捕虜=奴隷にした箇所をみました。今日はその続きです。

早速中心箇所の直訳です。

創世記35章19節 ヘブル語原典直訳

19 ・ そして彼女は死んだ  ラケル そして彼女は埋葬された 中で道の エフラタ 彼女 ベス(家の) レヘム(パン)

創世記35章19節 70人訳ギリシャ語原典直訳

19 ・彼は死んだ も ラケル そして  彼は葬られた 中で その 道 エフラタ (彼女は 彼が存在し続けている ベツレヘム)。 

創世記35章19節 ヘブル語原典翻訳

19・ヤコブの妻ラケルは死に、エフラテ街道のベツレヘム(パンの家)に葬られた。

人は生き、そして皆死んで行きます。しかし、悲しいことは何時も団体でやって来るのが定めです。この直前には、ヤコブの母リベカの乳母デボラが死んでいます。(創世記35章8節) ヤコブにとって実の母の死以上に悲しい出来事であったでしょう。なぜなら双子の弟であったヤコブの実際に育ててくれたのはこの母の乳母デボラだったからです。そして、この最愛の妻ラケルの死はヤコブの生涯で最悪の出来事でした。何故ならヤコブはそのラケルの死から60年が経過して後、ラケルとの間に産まれた子のヨセフにその事を語っています。(創世記48章7節)。そして、その直後に、今度は愛する父イサクが死ぬのです。

愛する3人が次々と死んで行ってしまったのです。その時、おそらくヤコブの周囲にはシケムの町でヤコブ一族に夫や父を殺され、その挙げ句虜になり、奴隷や妾にされた女達が沢山いたことでしょう。彼らの味わった悲しみをヤコブも味あわされたことになります。

この地上には誰一人、死別の悲しみを味をあわない人間など無いのです。人はいずれ死ぬのです。
人は人が殺さなくともいずれ死に、殺した物も殺されたものと同様に死ぬ運命が待っているのです。

理不尽なこと、あり得ないことに満ちているこの地上ですが、しかし、神様は全ての人間に産まれることと死ぬことは公平に与えて下さるのです。その死が、好ましい物であるのか、また忌むべき物であるのかは個人差があります。しかし、概して地上で幸福に暮らした人間には死は忌むべきものであり、その逆に地上で不幸に暮らした人間には死が望ましいものである事を思う時に、それらを合算した、人間の一章の幸不幸は神の前にまさしく平等、公平であると言わざるを得ないのではないでしょうか。

今日は、愛する者の死の連鎖を記した聖書の箇所のご紹介でした。

二難去ってまた一難

二難去ってまた一難  創世記34章8節

昨日は、仲違いしていた兄エサウと漸くの事で仲直りした箇所のご紹介でした。今日はその続きです。早速問題の箇所をご紹介しましょう。

創世記34章8節 ヘブル語原典直訳

08 ・ そして彼は徹底的に話した ハモル 共に彼ら に言う事の シエケム 息子私の 彼女は結びつけられた 生活彼 中で娘あなた あなた方は与えろ どうか を彼女 に彼 に女 

創世記34章8節 70人訳ギリシャ語訳聖書原典直訳

08 ・ そして 彼は喋った エモル 彼らに 言っているは シュケム その 息子 私の 彼が前に取ったその 生活に その 娘を あなた方の。 あなたは与えろ そういうわけで 彼女を 彼に 女。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。

創世記34章8節 ヘブル語原典翻訳

そしてシエケムの父ハモルと息子と一緒にやって来てまくし立てた。「私の息子はお宅の娘に惚れ込んでしまいましてね。娘さんを嫁にもらえませんかなあ。」

この言葉はシケムの支配者であるハモルの申し出ですが、注意して周囲を見てみるととんでもないお話です。事の発端はヤコブの娘デイナがシケムの町に出かけたことが間違いでした。(創世記34章1節) その町の支配者のハモルの道楽息子のシケムが彼女を拉致して強姦し、それだけでは気が済まず、監禁した状態で結婚を迫ったのです(3節)。強姦した当のシケムは本人の意志はそっちのけで自分の父親を説得して、凌辱したデイナを自分の家に閉じ込めた儘で、被害者の家に親子でのこのこと出かけて来たのがこの箇所の背景です。

本来であれば、父のハモルは当然拉致し凌辱した娘さんを御実家にお連れして、親御さん(=ヤコブ)にお返しして、息子の行った強姦を本人とご家族に丁重にお詫びを入れ、許されたならその上に賠償金のお話をして、それが受け入れられて後に結婚話は切り出されるべきでした。

強姦しておいてその娘を人質にとって、何のお詫びも無く、親が出てきていきなり「お宅の娘が気に入ったから嫁にしたい。何か条件が在るか?」何て言うのはあり得ない非常識なお話です。

デイナの兄弟達が策略を巡らし、相手の男子全員に割礼(包皮を切り取る手術)する事を条件に、申し出を受け入れるふりをします。そして、驚くのはその後です。シケムの町の人々はこんな話を聞いて、それを当然のことであるかのように認め、割礼を受けるという話しに加わったのです。そして、その町の支配者ハモルとその息子の道楽息子シケムに説得されて割礼を了承するのです。

本来であれば、シケムの暴挙を諫め、諭すべきまともなシケムの町の人々の中には誰一人居なかった丈ではありません。町中の男がこんな連中に説得され割礼を受けたのです。こんな邪悪な町はその住民諸とも破滅させられるべきが当然の神様の御旨です。

彼らが割礼を受けてその傷が酷く痛んでいる3日目に妹デイナと母を同じくするルベンとユダが中心となり、この町を襲撃して町の男全員を殺戮し、その町に住んでいた女子供を虜にしてデイナの凌辱に対する復讐を果たした事が記されています。そして無事デイナを牢獄から開放したのです。

ものすごく血なまぐさい聖書の記録です。しかし、これらは聖書の中では度々こんな酷い殺戮が繰り返されています。

島国に住む日本人には目を覆いたくなる現実ですが、異民族と領地を共有している人々がその中で生き残る道の厳しさを教えられる聖書の記録のご紹介でした。

七度の土下座

七度の土下座 創世記33章3節4節 

今日は創世記の33章を原典で読みました。20年ぶりの兄弟エサウとヤコブの再会の場面です。早速何時ものように直訳を記します。

創世記33章3節 ヘブル語原典直訳

03 ・ そして彼 彼が越えた に顔(面)ら彼ら そして彼は自分自身を平伏さした 地へ 7 叩くら 迄 近寄る事彼 まで 兄弟彼
04 ・ そして彼は走った イシアウ に出会う事彼 そして彼は徹底的に抱きしめた彼 そして彼は落ちた 上 うなじ(首)ら彼 そして彼は接吻した彼 そして彼らは泣いた 

創世記33章3節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

03 ・ 彼は も 彼は前に来た 面前に 彼らの そして 彼は方に跪いた 上に その 地 7度 迄 その 近づく事 その 兄弟の 彼の。
04 ・ そして 彼は方に走った エサウ 中へ 共に合う 彼に そして 側に取ったは 彼の 彼は接吻した そして 彼は方に落ちた 上に その 首 彼の、そして 彼らは泣いた 両者らは。

今日の箇所は翻訳が必要ないかと思います。400人の強者を引き連れてやって来た兄エサウに再会した時、ヤコブは地面に七回土下座をしたと言うのです。その理由は明白です。20年前に兄を騙した悪行に対するお詫びです。

キリストが弟子のペテロに「兄弟が罪を犯した場合日に何度まで許すべきでしょうか? 七度まででしょうか?」と聞いた時キリストの答えは「七度を70倍=490回」と解答しましたが、両者の念頭に合ったのはこのヤコブの7度の土下座であったと思われます。」
親しい者程、互いに罪を犯し易い物であり、それ故に許し合う事の大切さ、また難しさが語られています。しかし、一番難しいのは、素直に非を認めてお詫びをする事かと思います。

ヤコブも、叔父であり妻の父ラバンと20年の間の様々な確執で、夜逃げをし、追われて漸くの事で和解した直後、今度は20年前に仲違いして憎み合った実の兄エサウの再会に直面して、夜も寝れずに徹夜祈願をして、兄が400人の強者達を引き連れて迫っているのを見て恐怖のどん底から、兄に謝る以外に生きる術が無いありさまに追い込まれ、漸く自分の非を認め、恥も外聞も棄て、家族の面前で恥をさらけ出し土下座に及んだのです。ヤコブは20年間苦労して60歳も過ぎ、追い詰められて漸く人間として「当たり前の事=悪い事をしたお詫び」が出来るように成長したのです。

このヤコブの姿から、自分の非を素直に認めて謝る事の難しさ、大切さを教えられます。

今日は、ヤコブが20年も放置していた兄への罪を、追い詰められ、逃げ場が無くなり、そうして後、その罪を漸く認めて土下座してお詫びし、兄がそのお詫びを受けて二人が20年来の憎しみから仲直りした箇所のご紹介でした。

神頼み

神頼み 創世記32章12節(邦訳では11節)

今日は、昨日に引き続き創世記の32章を読みました。今日は随分と面白い箇所が在りましたが、気になる12節をご紹介しましょう。

何時ものように直訳です。

創世記32章12節 ヘブル語原典直訳

12 ・ そしてあなたは略奪させろ 私 どうか から手の 兄弟私  から手の イシアウ として 恐れているは 私 を 彼  しない様に 彼が来る そして彼が撃ち殺さした私 母 上 息子ら 

創世記32章12節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

12 ・ あなたは外へ解け 私を 出て 手の その 兄弟の 私の エサウ、 それは 私は恐れ続けている 私が 彼を、 もはや決してない 来るは 彼が打つ(為) 私を そして 母ら 上に 実子ら。

ヘブル語の方を翻訳にします。

私の兄弟エサの手から、どうか私を奪い取ってください。 私は怖くて仕方がありません。兄を来させないでください。もし来たら彼は私を撃ち殺してその上、母子をも。

切羽詰まったヤコブの心境がありのまま記されています。ヤコブが20年前に父を騙し、兄の祝福を横取りした時に、兄エサウが言った言葉が気になって仕方がなかったのです。

そして、聖書はヤコブの恐れが妥当であった事を記しているのです。何故なら兄エサウは弟を迎えるのに国境まで400人の屈強な男たちを招集して近づいていたからです。

おそらく兄エサウにしてみれば、弟が横取りした「長男の権利と父の祝福=父の財産の所有権」を行使する為に帰ってきたと思ったからでした。

ヤコブは、追い詰められ、兄にお詫びの品を送って懐柔し、兄の怒りを宥め、沢山の家畜を示して父の財産(当時は殆どが家畜)が不要である事を兄に見せる為に手を尽くしたのです。そして彼の祈りは聞かれ、兄はその贈り物によって20年前の怒りを明日の箇所で納めるのです。

20年

20年 創世記31章41節

今日は、ヤコブが叔父ラバンの所から逃走した箇所です。気になる箇所をご紹介する事にいたしましょう。
 
創世記31章41節 ヘブル語原典直訳

41 ・ これ に私 20ら 年 中で家あなた 私は奴隷したあなた 4 10 年 中で2の 娘らあなた彼ら そして 6 年ら 中で 群れらあなた そして あなたは過ぎ去らした を 賃金私の 10 合計

創世記31章41節 70人訳ギリシャ語原典直訳

41 ・ これらを 私に 20 年 私が 私が存在した 中で その 家に あなたの。 私は奴隷した あなたに 10 4年 対して その か 娘らの あなた そして 6 年 中で その 羊ら あなたの、そして あなたは側で勘定した(はぐらかした) その 報酬を 私の 10 不正に(or小羊)。

創世記31章41節 ヘブル語原典翻訳

41・私はこのために20年もあなたの家で奴隷のように仕えた。二人のあんたの娘の為に14年、群れの為に6年、よくもまあ10度も私の賃金を取り替えてくれたな。

 分かる事ですがこれはヤコブと叔父のラバンが喧嘩をしている所です。昔から喧嘩は両成敗が基本かと思いますが、まあそれぞれの言い分はそれぞれにとっての立場から正当と考えているのですから善悪の結論は控えましょう。

 ここで、注目したいのは20年と言う数字です。この数字が正しいとするとこの時のヤコブはほぼ60歳(様々勘案すると実際には70歳かも?。)そして昨日見たマンダラケを見つけた(2年程前になる)長男のルベンはこの時には13歳になっていたと言う事になります。

 さて、この20年の間に本当であればヤコブの母リベカからの知らせが来るはずでした。しかし、知らせは来なかったのです。ヤコブがカナンの地(=パレスチナ)に戻った後の記録に彼の母に関する消息は一切記されていません。唯一手がかりとなるのはヤコブが帰還直後にリベカの乳母デボラの死が35章の8節に記されているのみです。その直後にベンヤミンを出産したヤコブの最愛の妻ラケルは死に(創世記35章19節)、そして父イサクも死ぬのです(35章28節)。

  しかし、肝心のヤコブとエサウの母 「リベカの消息」はどこにも記されていないのです。

  唯一、考えられる事はヤコブがハランの叔父ナホルの許に滞在している20年の間に母リベカは死んだと言う事なのです。その原因は聖書に記されていませんが、おそらく、最愛の息子ヤコブを手ぶらで実家に送り返し、その苦労を思い、また、家庭では夫を騙した一件で窮地に立ち、さらには当然の事としてヤコブに出し抜かさせた長男のエサウとも折り合いが悪くなり、もともと困っていたエサウの妻達との関係は最悪となっていた事を思うと、その苦労に憔悴し、死期を早める事になり、ヤコブの帰還時には帰らぬ人となっていたと考えるのが妥当かと思います。

 確かに、母リベカはヤコブに父の祝福を横取りさせました。一見すると祝福を横取りした事によってその祝福がヤコブを裕福にした様に思われます。私はそうではないと思うのです。神様はヤコブが産まれる前から、兄エサウでは無く弟のヤコブを祝福する事を語っておられました(創世記25章23節)。そして、ヤコブは結果的に父イサクからは何一つ受け継ぐ事も無いままで、そして叔父ラバンもヤコブに何一つ与えたくなかったにも関わらず、ヤコブは裕福になって行ったのです。

そう、聖書が教えているのは人間の恣意がその人の人生の幸不幸を左右している様に見えます。しかし、聖書が本当に言いたい事はむしろ反対ではないのでしょうか。そして、リベカの成した事は結局自分の不幸を増し加え、た丈なのでは無いのでしょうか。勿論その事がリベカの苦難を増し、その死期を早めるたのでしょう。だからといって神様のご計画が微塵だに変化する事はなかったのです。彼女は自分の成すべき事を終えて、地上の苦難の生涯に辟易して天国を望むようになり、その念願がかなって神様の元に集められたのです

  その事を思う時に、もしリベカが兄エサウを出し抜き、夫イサクを騙す様な事をしていなかったら、彼女は自分の死期を早めるような窮地お陥る必要がなかったのではと思うのです。勿論、歴史に「もしも~しなかったら」と言う仮定は存在しえませんが、人間の画策が神様の御心を左右する事は無いと言う事を知っていればと思います。

  今日も、聖書に登場する全ての人が如何に間違った人生を歩んだかと言う一例を20年と言う数字から考えてみました。

マンダラケ



マンダラケ 創世記30章14節から18節 

 今日は創世記の30章です。昨日に引き続いてヤコブが2人の妻とそれぞれの女奴隷達との間に続々と12人の子供達が産まれる箇所です。さらに、次章では家畜の繁殖の様が記されています。そして、この文脈を象徴する箇所が今日ご紹介する箇所なのです。

今日は長いのでヘブル語の直訳の方だけをご紹介します。

創世記30章14-18節 ヘブル語原典直訳

14 ・ そして彼は行った ルベン 中で日らの 刈り入れの 小麦 そして そして彼は見つけた ドディーム(毒茄子ら=マンダラケ) 中でその野 そして彼は来さした を彼ら に  レア 母彼 そして 彼女は言った ラケル に レア あなたは与えろ どうか に私 から ドダエー(毒茄子=マンダラケ) 息子あなた 
15 ・ そして 彼女は言った に彼女  何故少ない とる事の彼女 を 夫私の そしてあなたは取る 更に を ドダエー(毒茄子=マンダラケ)らの 息子私 そして彼女は言った ラケル にそう 彼が寝る 共にあなた その 夜 下部らの ドダエー(毒茄子=マンダラケ)の 息子あなた 
16 ・ そして彼が来た ヤコブ から その野 中で夕方 そして彼女は言った レア に会う事の彼 そして彼女は言った に私 あなたは来る として 雇われる事 私は雇ったあなた 中で ドダエー(毒茄子=マンダラケ)らの 息子私 そして彼は寝た 共に彼女 中でその夜 彼 
17 ・ そして彼は聞いた 神ら にレア そして 彼女は孕んだ そして彼女は子を産んだ にヤコブ 息子 5 
18 ・ そして彼女は言った レア 彼が与えた 神ら 給料 所は 私が与えた 雑役女中私の に 男私 そして 彼女は呼んだ 名彼 イッサカル(賃金)

15節を翻訳にしてみます。

姉のレアは妹に言った。 「一体何が不足なの。あなたは私の夫を横取りした上に、私の子のマンダラケまで取る気」。すると妹のラケルは姉に言った。「そうね! アンタの伜のマンダラケの代わりに、今晩はアンタが旦那と寝たら! 」

お分かりの様に、ヤコブの妻達のものすごいやりとりです。ここでご説明しておきますがマンダラケとは別名「恋茄子」と言われるか催淫性の「毒茄子」の事で媚薬として知られています。

こんな物を取り合う母に育てられたヤコブの長男、ルベンが野で見つけて来て、その使い道を知っていて事も在ろうにそれを母親に渡し、その報告を受けたラケルとの恋茄子の争奪戦が今日の箇所なのです。

「この親にして、この子在り」とはよく言った物です。親がこんな浅はかなやりとりを子供の前でしているのですからその子ども達の将来に大きな影響を与えるのは仕方がありません。その影響のために長男のルベンはかなり淫らな息子に育ちました。彼は、淫らな事に感心が強く恋茄子を見つけただけではなく、父の妾ビルハと寝床を共にしていた事も聖書にははっきりと記されています。(創世記35章22節、49章4節)

お分かりでしょう、聖書は浅ましいヤコブの家庭のいざこざを包み隠さず記録しているのです。そう、神様の前に上辺や、他人にはきれいごとを開陳していても、真実はいずこの家庭も大差なのない、罪人の巣窟でしか無い事を教えているのです。

今日は、ヤコブの家庭の内部のものすごいもめごとの真実な記録のご紹介でした。

脚注 「マンダラケ」又は「 マンドラゴラ」(別名:マンドレーク、アルラウネ、恋茄子)

以下は関連リンク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF

http://www.nippon-shinyaku.co.jp/herb/flower/05_01/

http://www.drugsinfo.jp/2007/11/29-213211

重い足

重い足 創世記29章1節

今日は創世記の29章を読みました。様々に考えさせられる記述が沢山在りましたが、その中で冒頭の最初の節をご紹介しましょう。早速何時もの様に直訳です。

創世記29章1節 ヘブル語原典直訳

01 ・そして彼は担ぎ出した ヤコブ 両足ら彼 そして彼は歩いた 地への 息子らの 東 

創世記29章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳

01 ・そして 外に取ったは ヤコブ その 足らを  彼が来た 中へ 地 東らの 方に ラバン その 息子を バスエル その スル 兄弟を も リベカ 母の ヤコブ そして エサウ。

何時もの様にヘブル語の方を翻訳にしてみます。
創世記29章1節 ヘブル語原典翻訳
1節ヤコブは漸くの事で重い足を押し出して東の人々の地へ足を踏み入れました。

今日のポイントは一番最初に使われているナシャーと言うヘブル語なのです。この語は様々に訳出される言葉なのです。旧約聖書中にこの語丈で動詞形が655回、名詞が128回、派生語がナシヤ=上げられたもの=指導者、マシャア=年貢、マシヤー=神託、マシエット=重荷or担ぎ棒、シエット=昇進or腫れ物=内圧で膨らむ等と言う単語に翻訳されています。

ここまで書けば大体皆様にもこの語の本来の意味がお判りになるでしょう。そう、「重量物を両手で担ぎ出す」場合に用いられるのがこの単語ナシヤーの本来の意味なのです。

と言う事で、ヤコブの足がこのとき大変重かった事が判明するのです。

生まれ育った家族と土地を追い出され、無一文で危険な旅を千キロも続け、見知らぬ親戚を頼って出かけるのは誰が考えても不安に苛まれ、いくら「神様が守る」とお告げが有っても、ヤコブにはそんな事は殆ど気休めにもならず、かといって自分の生命を狙っている兄の元には帰れず、ヤコブは気の進まない旅を重い足を引きずりながら前に進むより他に道がなかったのです。本当に聖書は人間の罪や弱さを見事に描き出して正直に記していることに驚きます。

永遠の掟

永遠の掟 創世記28章13節 

今日は創世記の28章を読みました。イスラエル民族の祖ヤコブがベテルで見る夢の箇所で大変有名な箇所です。今日はこの箇所で気になる箇所をご紹介しましょう。

創世記28章13節 ヘブル語原典直訳

13 ・ そして見よ ヤハウエ 自立させられているは 上彼 そして彼は言った 私が ヤハウエ 神らの アブラハム 父あなた そして神らの イツハク  その地は するところの あなたが 寝ている 上彼女  にあなた 私は与えた 彼女 そして に子孫あなた 

創世記28章13節 70人訳ギリシャ語原典直訳

13 ・ その も 主は 彼が上に立てられてしまっていた 上に 彼女 そして 彼は言った 私が  主 その 神 アブラハム その 父 あなたの そして その 神 イサク。 無い あなたが恐れろ。 その 地、 上に する所は あなたが あなたが寝ている 上に 彼女、 あなたに 私は確かに引き渡す 彼女を そして その 子孫に あなたの。


ヘブル語の方を翻訳にします。

そして見よ、ヤハウエが立っているではないか。そして神は言われた。「私が、ヤハウエだ、あなたの祖父アブラハムの神であり、イサクの神だ。あなたは何も心配する必要はない。今あなたが寝ているこの地をあなたとその子孫に与えよう。」

なにげない聖書の言葉ですが、聖書の基本原則を記している箇所なのです。それを知って頂くために先ず背景をご紹介しましょう。

この時、アブラハムの孫ヤコブはただ一人で所持品の杖一本を持って、一千キロ程離れたお母さんの実家に向かう途上でした。その目的は嫁をもらう為でした。

しかし、注意してください。普通はその様な場合従者を引き連れ、結納の品を持ち、ラクダに乗って威儀を整えて出かけるのが当時の常識でした。実際に彼の父イサクの嫁はその様にして迎えられてたのです。しかし、その子ヤコブの場合は全く状況が違います。

お父さんのイサクは確かに下の息子ヤコブを祝福し、妻リベカの実家に嫁取りに向かわせたのですが、しかし、言っている事とやっている事には大きな乖離が存在するではありませんか。

聖書を読む原則ですが、言われている言葉を真に受けていては正しく聖書を読み解く事は不可能です。言っている事が、真実に現実となっているかを必ず照合する事が肝要です。

この箇所もその様な基本原則を摘要すると真実が見えてくる箇所ナノです。

前回、見たように、事の発端は父が長男のエサウに全財産を譲ろうとした所に在りました。それを聞いた母リベカが自分の偏愛する弟のヤコブをそそのかし、父を欺き兄エサウを出し抜き弟のヤコブにそれを横取りさせたのです。

その結果兄が、弟のヤコブを殺害する事を計画したので母の画策で弟のヤコブを自分の実家へ避難させようとした事がじつはヤコブが母の実家へ行く目的であったのです。

父、イサクは口では祝福しておきながら、ヤコブを裸一貫で妻の実家へ使わしたのです。勘当も同然の酷い仕打ちです。当然の事ですが、長い旅の旅費も与えられた様子がありません。妻を受け取る為に必要な結納の品もまた、自分の滞在中の旅費もなかったようです。

そう、父イサクは定の良く、自分を騙した弟のヤコブを放逐したのです。彼が一千キロ離れた母の実家ハランに行き着く保証は全くありません。道案内も護衛も乗り物もそれに帰宅を命ずる言葉も無いのです。

ヤコブには徒歩で、テントも無く、石を枕に野宿していたのです。兄は早3人の妻を娶り、狩猟と言うスポーツに明け暮れていた事と比べるとあまりの酷い弟に対する差別に愕然とします。

この、弟に母が入れ知恵して、父と兄を騙したのですから、当然の報いが=父の復讐がこれだったのです。兄のエサウも溜飲が下がったでしょう。これどでもう、弟は二度と自宅に帰宅する可能性は無いでしょう。安心して父の財産を相続する事が出来たのです。

しかし、神様はその様なイサクと兄エサウの弟ヤコブに対する仕打ちに対して、今日の言葉が語られるのです。

そう、人間の思惑とは反対の結果です。何も持たない惨めで文無しのヤコブに神様が妻を与え、子孫を増やさせ、その上にアブラハムに与えると約束されたバレスチナの地を与えると約束がヤコブに実現する事を示されたのです。どの様な人間の思惑も、また悪意も神様の御旨の実現に支障をきたすような重大な影響は持ちえないのです。

その意味で、この聖書箇所は大切な原則を記しているのです。人間、それも親が、子供に成したあからさまな差別が反対に真実の祝福となる事をこの聖書の言葉は明白に記しているのです。

今生の別れ

今生の別れ 創世記27章46節 

今日は昨日に引き続いて創世記の26章を原文で読みました。沢山考えさせられる箇所が在りましたが一番気になるのは上記の箇所です。早速直訳を記します。

創世記27章46節 ヘブル語原典直訳

46 ・ そして彼女は言った リベカ に イツハク 私はむかつく(憎悪) 中でいる地私 ら顔(面)らの 娘らの ヘト もし 取ったは ヤコブ 女 から娘この ヘト として これら から娘らの その地 に何故 に私 生きるら

創世記27章46節 70人訳ギリシャ語原典直訳

46 ・ 彼は言った も リベカ 方に イサク 私が方に去っていた その 生命 私の 通して その 娘らの その 息子らの ヘテ。 もし 彼が確かに取る ヤコブ 女ら から その 娘らの その 地の この、為に 何 私 生命?

どちらも良く似ていますので、ヘブル語の方を翻訳(相当意訳)してみます。

・母リベカは 夫イサクに言った。「あなた、むかつく事ばかりよ、エサウが嫁にしたここの女連中には。この上ヤコブの嫁まで、ここでもらったら、私は死んだ方がましよ。」

この一言で事は決まります。夫イサクは次男を妻の実家に送る決断をするのです。そして明日の箇所でリベカの最愛の息子ヤコブちゃんは、自分の実家に向かう事になるのです。

このとき、母リベカはこれが息子ヤコブとの最後のお別れになるとは夢にも思いませんでした。このとき息子はまだ40才、嫁取りには少しは遅かったでしょうが、必ず良い嫁を連れた息子との再会に微塵の疑問を持つ事もありませんでした。

事の発端は、夫イサクが長男のエサウを偏愛して全財産を譲ろうとした事に在りました。それを聞いた母リベカは自分が偏愛する弟のヤコブがそれを横取りする事をそそのかすのです。共謀して夫に一杯食わせ、兄を出し抜きました。怒った兄エサウは弟の殺害を決意するのです。
それを知った、母リベカは画策して、弟のヤコブを実家に非難させようと夫に働きかけたのです。その時のリベカの言葉が今日ご紹介した言葉です。

リベカは夫に対して、本当の事はおくびにも出さず、上手に夫を操縦したのです。おそらく彼女の才能は実家でその母がしていた事を、そのまま成したのに違いありません。

何故なら、本来アブラハムが相続するべき財産を横取りしたアブラハムの弟ナホル(創世記11章31節)とその妻ミルカ(創世記22章20節)の孫娘であったからです。そしてナホルとミルカの財産はその8番目の末っ子であるベトエルがすっかり頂戴していた事(創世記22章22節)が分かるのです。

本当に聖書は面白い書物です。親の欲や罪がそのまま子や孫に継承され、その人々の時代に、骨肉の争いを巻き起こしているのです。

そして、これら全ての事は聖書が明確に禁じている事ばかりなのです。それを行っているアブラハムやその家族の失敗の記録が聖書であると言う事なのです。

今日は、自分の偏愛する子に良かれと思ってやった行為が、自分と愛するものを引き裂き、自分の死期を早める悲しみの発端となった言葉を記録している箇所のご紹介でした。

善い女

善い女 創世記26章7節 

今日は創世記の26章を読みました。すこし気になる箇所が在りましたのでご紹介しましょう。何時ものように直訳です。

創世記26章7節 ヘブル語原典直訳

07 ・ そして彼らが尋ねた 男らの その場所 に女彼 そして彼は言った 姉妹私の 彼女 として 彼が恐れた に言う事の 女私 しない様に 彼らが殺害する私 男らの その場所 上 リベカ として 善い 見た目は 彼女 


創世記26章7節 70人訳ギリシャ語原典直訳

07 ・ 彼らが尋ねた も その 男ら その所の 関して リベカ その 女の 彼、 そして 彼は言った 姉妹 私の 彼が存在し続けている。 彼は恐れさせられた そして 言う事 それは  女 私の 彼が存在し続けている、 決して無い 彼らが殺しつづける(為) 彼を その 男らは その 所の 関して リベカ、 それは きれいな その 顔に 彼が存在していた。

翻訳にします。

ヘブル語 原典翻訳

07・そしてその地の男達がリベカについて尋ねたので、イサクは「あれは私の妹さ。」と答えた。それは「俺の女だ。」と言ってしまうと、その地の男達に殺されはしないかと恐れた。リベカは見た目が善かった。

70人訳ギリシャ語原典翻訳

07・その土地の男達が彼の女リベカの事を尋ねた、そこでイサクは「俺の妹だ。」と言った。それは彼が「俺の女だ。」と言うのが怖かった。それはその地の男たちが殺す気を起こす様な事にならないためであった。彼女は美人だった。

ヘブル語の原典と70人訳は随分とニュアンスが違います。イサクの妻リベカが美人であったと言うのですが、

原文で読んでみるとすこし違うのです。良い女ではなく、美人でも無く、善い女なのです。しかも、気になるのは「見た目に」と言う事ですから「内面は違う」と言う事が暗にほのめかされているのです。

意外な真実です。聖書の中には随分と美人が登場するのですが原文ではそれぞれに使われている言葉が微妙に変えられています。順を追って幾人かを見る事にしましょう。

1・一番最初の美人と言われるアブラハムの妻サラ(女王=創世記12章11節)の場合は、ヤフエーでずばり美人です。

2・次がこのイサクの妻リベカ(雌牛=創世記26章7節)でトーブ=善い女となっています。

3・次はイサクの子ヤコブの妻ラケル(雌羊=創世記29章17節)で、「外形もヤフエー」そして「見た目ものヤフエ」の美人となっています。

4・続く美人は 士師記カレブの娘アクサ(足輪=士師記1章13節)です。聖書には美人と書いてありませんが、オテニエルが命懸けで妻にした所から見てかなりの美人であったと思われます。因みにアクサと言うのは「足輪」で「リンリン鳴る」と言う意味もあり、姿や顔だちに加えて声も相当美しかった様です。

5・続く美人はエルカナの妻ハンナ(恵み=Ⅰサムエル記1章5節)です。他の美人に習ってこのかたも不妊に苦しめられましたが念願の男子出産に喜び記した讃歌(Ⅰサムエル記2章1-10節)は見事な出来で、かなりの文才があった事が分かります。才色兼備の女性でした。

6・続く美人は、ダビデ王に夫を殺ウリヤを殺害されたバテシエバ(誓いの娘=Ⅱサムエル記11章2節)です。「善の 見る目 非常に 」となっていてイサクの妻リベカと同じトーブ=善と言う 言葉が強調されています。

7・続く美女はⅠ列王記1章4節に登場する年老いたダビデ王の妾で、「美しい まで 非常に」でヤフエーです。

まあ、分かる事ですが誰一人同じ表現の美人は無いと言う事です。それぞれに異なった美しさがあった事を聖書は記録しているのです。

と言う事で今日はイサクの妻、リベカの美しさは「善なる美しさであった」と言うお話です。

レンズ豆の煮物

レンズ豆の煮物 創世記25章34節 

今日は創世記の25章を原文で読みました。アブラハムが天寿を全うして死に、その子のイサクとその妻リベカに双子が産まれた事が記されている箇所です。その中で以前から気になっている箇所をご紹介しましょう。以下にその気になる箇所を記します。

創世記25章34節 ヘブル語原典直訳

34 ・ そして ヤコブ 彼は与えた にイシャウ パン そして 煮物の レンズ豆 そして彼は食べた そして彼は飲んだ そして彼は立った して彼は歩いた そして彼は軽蔑した イシャウ を その長子 

創世記25章34節 ヘブル語原典直訳

34 ・ ヤコブは も 彼は引き渡した その ウサウに パンを そして 煮物を レンズ豆スープ、 そして 彼は食べた そして 彼は飲んだ そして 立ったは 彼は去った。 そして 彼は無価値した エサウ その 長子らを。

翻訳(かなり意訳)にしてみます。

創世記25章34節 ヘブル語原典翻訳

34 ・ヤコブは兄のエサウにレンズ豆の煮物を与えた。そして彼は食べて立ち去った。エサウは長子であることを軽視した。

創世記25章34節 ヘブル語原典直訳

34 ・ヤコブは兄のエサウにパンとレンズ豆のスープを差し出した。彼はそれらを食べた。飲み食いが終わると彼は立ち去った。彼は長子の権利と引き換えたのであった。

兄弟が財産で争うのは世の常、聖書の中に登場する人々も例外なく、その争いに巻き込まれています。さて、今日は兄エサウの長子の権利を弟のヤコブは一杯のレンズ豆のスープと引き換えで手に入れました。ヤコブは相当料理の腕が良かったようです。勿論お母さんのリベカの仕込みだったと思われます。

今日は、このレンズ豆のスープのレシピをご紹介する事にしましょう。是非一度お試しください。レンズ豆はネットで捜せばすぐに手に入るかと思います。

レンズ豆

世界各地で栽培されている栄養価の高い豆で赤や茶や緑等の種類がある。栄養価に優れ特に鉄分とリンが豊富でレンティル豆、ヒラマメとも呼ばれます。小粒なので水に戻す必要がなく調理できるのが特徴で、スープ・カレー・サラダ・煮込み料理等、様々な料理に使われます。

レンズ豆の価格はキロあたり千円程度です。入手先の一例 http://arcturus-star.com/?pid=1509682

レンズ豆のスープのレシピ

★材料 2人分 [調理時間目安30分 350kcal(1人分)]
・レンズ豆…………………1/2カップ(生か乾燥)
・ベーコン(塊)……………100グラム 1㎝角切り
・キャベツ…………………2枚 2-3㎝角切り
・オリーブオイル…………大さじ2
・水…………………………3カップ
・コンソメ…………………1個
・塩・こしょう……………少々

★調理方法
1・鍋にオリーブオイルを熱し、ベーコンと、キャベツを炒める。
2・ キャベツに火を通し、水とコンソメを入れ煮立てる。
3・レンズ豆を入れ、弱火でやわらかく煮る。
4・仕上げに塩・胡椒で味を調える

花嫁衣裳

花嫁衣裳 創世記24章65節 

今日は昨日ご紹介したサラの死から一転息子イサクの嫁取りが記されている箇所です。早速気になる箇所をご紹介します。

創世記24章65節 ヘブル語原典直訳

65 ・ そして彼女は言った にその奴隷 誰 その 男 これ(ハラゼー) その歩いているは(ハホレック) 中でその野 に呼ぶ事の私たち そして彼は言った その奴隷 彼 主人私 そして彼女は取った その二重する(肩掛け? 参照38:14) そして彼女は自分自身を隠さした 

創世記24章65節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

65 ・ そして 彼は言った その 子供に 誰 彼が存在し続けている その 人 あの その 方に来るは 中で その 平地 中へ 共に合う 私達に? 彼は言った も その 子供 これは 彼が存在し続けている その 主 私の。 その も 取った(女)は  その 軽い夏ドレスを 彼は纏った。

創世記24章65節 ヘブル語原典翻訳

65・そしてリベカはしもべに言った。「誰かしら、あの男は、 私たちを呼ぶために野を歩いているのは?」そのしもべ入った。「彼が、私のご主人様です。」そしてリベカは上に被いを被って身を覆った。

創世記24章65節 70人訳ギリシャ語聖書原典翻訳

65・そしてリベカはしもべに言った。「誰かしら? こちらへ向かっているあの人は、私たちにあうために原を通っているのは?」 しもべは言った。あの人が私のご主人様です。リベカは薄手のドレスで身を覆った。

気になるのは「被い」と訳出したヘブル語の「ツアツイーフ=二重にする」と言う言葉です。一体どんな衣裳だったのでしょうか? 旧約聖書にこのツアツイーフは3回しか使われていません。その箇所は、創世記の38章14節と19節です。そこではヤコブの嫁タマルが義父ヤコブを誘惑するため遊女の振りをするために纏ったのがその衣裳でした。
簡単にその箇所を説明すましょう。アブラハムの息子がイサクです。そのイサクの息子がヤコブです。ヤコブの12人の息子で結果的に一番中心になる息子がユダ(ユダヤ人の直接の先祖)とういいます。そしてこのユダの息子オナン(オナニーの語源で新妻を残して死んだ)の嫁のタマルがその問題の女性です。彼女が訳あって義父のユダを誘惑するために着た衣裳もこの 「ツアツイーフ=二重にする」と言う言葉なのです。
この言葉はこれ以上聖書に登場しません。この言葉はギリシャ語に訳出される時には「セルストリオン=軽い夏様ドレス」 と言う言葉にされます。こちらは70人訳聖書では6回用いられています。この言葉の意味は「透き通ったレースの様な布地の涼しい夏ドレス=レースのベール」と考えられます。

と言う事で、今日、キリスト教式の結婚式で用いられる花嫁衣装であるウエデイングドレスの様な透き通った薄い薄い生地のベールで身を覆って、初対面のイサクの前にリベカが立ったことが分かります。

今日は、イサクの嫁取りで登場するリベカの花嫁衣裳のお話でした。

リベカの事に関しては以下のリンクも参照にしてください。 

 エレク  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1727823.html

サラの孤独死

サラの孤独死 創世記23章2節 

「人は生きたように死ぬ」とかねがね実感してきました。職業柄様々な人の結婚式や葬儀を執り行ってきた結果の偽らざる感想です。そして、やはり聖書の中に登場する人々も全く同様なのです。今日はアブラハムの妻、サラの死んだ時の事を見る事に致しましょう。早速何時ものように直訳です。

創世記23章2節 ヘブル語原典直訳 

02 ・ そして彼女は死んだ サラー 中で キルヤテ(城塞) アルバー(4重) 彼 ヘブロン(喧嘩or同盟) 中で地の カナアーン そして彼は来た アブラハム に嘆き悲しむ事の にサラー そしてに泣く事の彼女 

創世記23章2節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

02 ・ そして 彼は離れ死んだ サラは 中で 町 アルボク、 するところは 彼が存在し続けている 中で その 洞穴 (彼女は 彼が存在し続けている ヘブロン) 中で 地 カナン。 彼は来た も アブラハム 自分のために打った(悲嘆する)事 サラー そして 服喪した事。

この、ご夫妻の別居の原因はおそらく育児に関する行き違いであった様です。サラは自分の子イサク可愛さに、長男イシマエルを殺害するつもりで自分の奴隷であったその母共々放逐しました。それほど大事に育てたイサクでしたが、おそらくその甘やかしぶりはきっと大変なものであったでしょう。大事に育てられたイサクは生涯自分で物を獲得したり、自分の権利を侵害する者に対して抗議するような事をしませんでした。

彼の生涯を見ると、イサクが自分から努力する事は無く、常に人から与えられたもの(妻も含む)で生活し、誰かになにかを要求する事はありませんでした。おそらく、至れり尽くせりの過干渉によって人格的な欠損が生じた様です。特に、その父アブラハムがその子を母親から引き離し連れだして、モリヤ山上で縛りあげ、父が剣を抜くまで自分の身に危険が迫っている事を察知することもありませんでした。こんな性質が素晴らしいのか、問題なのかは判断を避けますが、父アブラハムは昨日見たこの出来事以来、母親からイサクを引き離すため彼を連れてベリエルシバに居をうつし、しかも別の女性と重婚(?)し子供にも恵まれて幸福そうな生活をしていたようです。(創世記25章1節から6節参照)

最愛の子イサクを連れて夫アブラハムは別居し、自分の身の回りの世話をしてくれていたハガルは孕ませて産ませたイシマエル共々何の補償も与えず裸一貫で放逐してしまったが故に、ひとりぼっちにならざるを得なかったのではないでしょか。

勿論、裕福な家庭でしたからかわりのヘルパーさんがいたかかも分かりませんが、どうひいき目に見ても、昔なじみや縁の人は身辺には皆無であった事は否めません。

そして、サラは誰一人家族に見取られることもないく孤独な死を迎えたのです。おそらく危篤の知らせはアブラハムに伝えられていたでしょう。しかし彼は一歩も足を向けなかったのです。勿論、その子イサクも危篤の母の元には向かわず父アブラハムと共にいて放牧の仕事を平然と続けていたのです。

本当にサラの最後の生活の現実を見る時、「人は生きたように死ぬ」と言う現実に戦慄させられます。そして人生で本当に大切な事が何であるのかを考えさせられます。

この後、アブラハムは自分の実の妹であり、妻でもあったサラの為に立派なお墓を法外な価格(相場の約10倍)で買ってそこに立派な葬儀をして埋葬してくれました。しかし、それは一体誰の為であったのかを思うと疑問が残ります。本当で在ればアブラハムはサラがまだ地上に生きている間に縒りを戻して、家族で過ごそうとするべきではなかったのでしょうか? これは大きな疑問です。おそらくそうする事が出来ない心のしこりがアブラハムの心の底深くにあったからなのでしょう。

子殺し未遂

子殺し未遂 創世記22章10節 

今日は昨日のアブラハム夫妻よによる、ハガルとその子イシマエル殺害未遂事件の続きです。一番ポイントとなる箇所を、何時ものように原典の直訳でご紹介します。

創世記22章10節 旧約聖書ヘブル語原典直訳 

10 ・ そして彼は送った アブラハム を 手彼 そして彼は取った を その小刀 に畜殺する事 を 息子彼

創世記22章10節 旧約聖書70人訳ギリシャ語原典直訳 

10 ・ そして彼は外に伸ばした アブラハム その 手を 彼の 取る事 その 剣を 屠殺した事 その 息子を 彼の。

創世記の22章では昨日とうってかわって、アブラハムによるイサク殺害未遂事件となります。もうその背景はおわりでしょう。神様の立場に立ってみるとよくわかります。説明のため、まず簡単に今までの経緯を紹介しましょう。

アブラハムと妻のサラには、お世継ぎが産まれ無かったため失脚し流浪の身となります。夫が90才となり、まさかもう子供は出来ないだろうと知りつつあえて妻は自分の若い女奴隷ハガルを夫に与えます。老人だからと見くびったのが仇となり、たちまちハガルは妊娠、ハガルは夫に念願の跡取り息子を産み落としてしまうのです。サラは一転窮地に陥ります。そうして14年ほどして自分に年寄り子が与えられたのです。名前はイサク(彼は笑った)その弟の誕生を見てイシマエルが笑った事をきっかけにイシマエル自身に災難が及んだのです。サラはイシマエルが笑った事を口実にして財産を譲りたく無いために夫を説得し、邪魔な女奴隷ハガルと長男のイシマエルを当然、のたれ死んでくれるであろう事を期待して荒野に追放てしまうのです。

そして、今日の箇所となります。おそらくあの長男イシマエル殺害未遂から14年が過ぎていたと思われます。そう、アブラハムとサラがイシマエルを無き者にするために、水筒ひとつと一食をもたせて炎天下の荒野に放逐した時のイシマエルと同じ年頃にイサクが成長した時でした。

当時の、子供はほぼ13才で成人と成りましたので同じ年頃です。神様は今日の箇所アブラハムにイシマエルにした事がイサクに出来るかどうか試されるのです。

アブラハムはその事を神様に言われたとき、ピンと来たでしょう。「ああ、あの時平然とイシマエルを死ぬと分かっている荒野へ追放した。同じ自分の子供だから、神様はこの子にもそうするように神様が要求されるのは神様として、当然の要求だ」と認識出来たようです。

10節ヘブル語 翻訳 ・ そしてアブラハムは彼の手を伸ばして小刀を握った。自分の息子を屠殺するために。

10節ギリシャ語翻訳・そしてアブラハムは彼の手を伸ばして剣を握った。彼の息子を屠殺するために。

分かる事ですが、聖書が記しているのはそこまでなのです。原文には「手を振り降ろそうとした。」等とは記されていません。おそらくアブラハムには出来なかったでしょう。しかし、神様はそれで満足されたのです。

興味ある事ですが、これと全く同じ場所(モリヤ山山上)がイエスキリストの十字架刑の場所であるとされています。おそらくそうでしょう。アブラハムが住んでいたのはシケムという場所でしたからそこから3日ほど歩いたと言うのですから丁度70キロ程 南下したことになりますからその伝承は妥当です。

そして、まったく同じ場所で2000年後に神の一人子イエスキリストが十字架上で処刑されたのです。

少年の誤算

少年の誤算 創世記21章9節 

今日も創世記で昨日の続きです。今日の所も大変考えさせられる所です。気になる箇所を先ず直訳でご紹介しましょう。

創世記21章9節 旧約聖書ヘブル語原典直訳 
 

09 ・ そして 彼女は見た サラー を 息子の ハガル そのエジプト(女) 所は 彼女が子を産んだ にアブラハム 徹底的に笑っている (ミツアフエク=笑うツハクの強意分詞形)

創世記21章9節 旧約聖書70人訳ギリシャ語原典直訳

09 ・ 見たは も サラー その 息子を ハガル その エジプトの、 するところは 彼が起きた その アブラハム、 子供している (ヘブル語はミツフエク 強意分詞→徹底的に笑っている、比較創26:8) 共に イサク その 息子の 彼女の

先ず、ヘブル語の方を翻訳にします。

創世記21章9節 翻訳

09節・サラーはエジプト女がアブラハムに産んだ子が、笑っているのを見た。

次に70人訳の方を翻訳にします。

09節・サラはエジプト女の息子を見た。紛れもないアブラハムの子だ。あの女の息子はイサクを小馬鹿にしていた。

 70人訳はかなり解釈を加えて「エジプト女の子イシマエルがサラーの産んだイサク(笑う君)を小馬鹿にしていた」(ギリシャ語はパイデウオー=キリストが処刑直前にローマ兵によってパイデウオーされたと言う箇所でも使われている。)となっています。

 しかし、ヘブル語の原典はイサクとは無関係に、14歳になったエジプト女の息子が明るく笑っていた丈である事を記しています。 当然、ヘブル語の方が原典ですから、こちらが事実の記録と言う事で良いかと思います。

14歳の少年イシマエルにはその母の女主人の前でうっかり幸福そうに笑った丈で自分の人生にとんでもない災難がふりかかるとは夢にも考える事が出来なかったのです。

  ただ、自分は弟の誕生が嬉しく、御馳走も食べれて笑った丈であったのです。それが聖書の原典か記しているイシマエルの唯一の行為なのです。決して幼い弟を苛めたり、虐待した分けでは決してなかったのです。

  この事を踏まえると、このあと聖書に記されている出来事の意味する事が大きく変化します。

そう、一昨日に見たようにアブラハムの妻、サラーはエジプトから売られてきた自分の不幸な女奴隷ハガルを老いた夫にあてがえて孕ませたのでした。

  そして、エジプト女の産んだ子はアブラハムの長子ですから、当然アブラハムの財産の長子の相続分※
(脚注※当時の財産分けは親の財産を子供の数+1で割って長子に他のこの所領の二倍を与えた。アブラハムには実際8人の子があったが実際にはイサクが全て相続し、他の子供には何も与えなかった。)

 が与えられるはずでした。しかし、正妻のサラーはそれを惜しんだのです。そして自分の奴隷であった母のハガルと14歳の少年イシマエルを革袋に入れた水と一食のお弁当を与えて炎天下の荒野に放逐したのです。

 勿論、こんな強欲な行為は聖書で明確に禁じられています。(申命記21章16節17節)このサラーはその様な夫の財産を自分の子だけに相続させる事だけでは満足できず、当然、行き倒れになって死ぬ事を熟知しながら、母と14歳の息子を追い出したのです。

  勿論、神様がその追い出されたハガルとその息子イシマエルを守り、水と食料を備えて、立派に成人させて下さいました。

  しかし、アブラハムとその妻サラーはなんとも欲深く、その上にものすごく残忍で本当に酷い夫婦でした。そして、そして神様が何故こんな最低の人間を選ばれたのか理解に苦しむのが偽らざる思いです。

 さてその解答は明日のお楽しみと致します。今日は本当に酷い人間を神様が好んで選ばれ信仰者としておられる現実の姿を見ました。

兄弟結婚

兄弟結婚 創世記20章 

今日は昨日に引き続いて創世記の20章を読みました。やはり今日の聖書の箇所にも驚くべき事が記されています。早速直訳を記しましょう。

創世記20章12節 ヘブル語原典直訳 

12 ・ そして更に 真実 姉妹私の 娘の 父私 彼女 確かに 無い 息子の 母私の そして彼女が存在する に私 に女 

創世記20章12節 70人訳ギリシャ語訳原典直訳 

12 ・ そして また 真実に 姉妹 私の 彼が存在し続けている 出て 父、 反対に 無い 出て 母。彼が成させられた も 私に 中へ 女。 

翻訳にしてみます。

創世記20章12節 翻訳

 本当にサラ(妻は)私の妹なのです。但し私の実の父の娘ですが、母の娘ではありません。この異母の妹が私の妻になったのです。

古代の事ですから、こんな事が許された訳ではありません。聖書のレビ記20章の17節には明確に父の娘との結婚は「有ってはならない」と明記されています。

 ここから分かる事ですが、「聖書に登場する全ての人間は、聖書に照らし合わせてみると、徹頭徹尾罪ばかり行っているひとばかりだ。」と言う事なのです。

 そして、そこかしこで「罪人でない人間は存在しない。」と連呼しているものが聖書の主張なのです。

残念な事に、何をどう勘違いしたのか、「聖書には立派な正しい人間が登場し、そこには人間の在るべき幸福な生活の模範が記されている。」と思い込んでいる人が殆どです。

  特にその傾向はクリスチャンとか、聖職者や、神学者に顕著です。と言う事で、まともに聖書を読んでみると自明の事ナノですが、「聖書の中には誰一人として、まともな信仰者は登場しない」と言う事が分かるのです。
  ですから゛このような内容の聖書をどう血迷ったのか、人間の在るべき姿や理想を求めて読む人には、おそらく聖書の主張は理解不可能でしょう。

  聖書に記されているのは、神様を信じている人々が如何に、道を外れて、罪に耽り神様を悲しませたかと言う事が告発されているのです。

  そして、聖書はこんな酷い人々で有っても、神様の主張をそのまま受け入れ、自分の罪を認めて、神様を正しいとした事が記録されています。彼らは神様を正しいとした当然の帰結として、自分の罪を認め、神様が罪ある儘の人を義と勘定して下さった事の目撃証人となったのです。

  だから、こんな罪深いアブラハムやその妻サラも神様を信頼して生きる事が出来たのです。

近親相姦

近親相姦 創世記19章36節 

 今日は昨日に引き「ソドムの滅亡」の箇所を読みました。凄まじい箇所です。何が凄まじいかと言うと「ソドムの町の性の乱れ。」です。さっそくその典型的な箇所を記しましょう。

創世記19章36節 ヘブル語原典直訳 

36 ・ そして彼女らは孕んだ 2の 娘らの ロト から父彼女ら 

創世記19章36節 70人訳ギリシャ語訳原典直訳 

36 ・そして 彼らは共に取った その 2 娘ら ロト 出て その 父 彼らの。

翻訳にする必要は無いと思います。一点70人訳の「共に取った」とはギリシャ語の「スネラボン」で一般に妊娠したと言う意味を表します。

 この、言葉に、ソドムの町が滅ぼされた原因が判明するかと思います。前後関係を見ると安っぽい週刊誌以上に克明に相姦の様子が記されています。二人の娘が共謀して、父を泥酔させ、女性上位になって性交したのです。興味深い事に、同じ旧約聖書のルツ記と言う箇所にも全く同じ状況が記されています。それは、この姉が父と相姦して産み落としたモアブと言う息子の約700年程後の子孫でルツと言う名の女性です。彼女が泥酔したボアズの寝床をまくって性交している様子が原典には、それと分かるように記されています。(ルツ記3章7節8節)

  実に驚かされるのは、このような不道徳は時代を越えて母親から娘へそして孫、曾孫へと確実に伝承させられていくという、聖書の記述です。

  だから、神様はソドムの町を滅ぼす決断をされたのです。 

勿論、この町で成された不道徳は近親相姦だけではありません。豊かに繁栄していた同時のヨルダン渓谷の年ソドムの町全体に性の混迷が在りました。同性愛、そして強姦、しかもそれらが公然と行われていた事を聖書は記しています。それゆえにこの二つの古代都市は神様の裁きによって破滅させられたのです。

  その詳細は現在は殆ど解明されていません。 死海の湖底に沈んでしまった廃墟の場所はほぼ確定されています。そして、発掘もなされていましたが、例のパレスチナ紛争で国境が混乱し現在は停滞しているのが残念です。しかし、いつの日かこの地も調査が進み創世記の記すソドムとゴモラの滅亡の全貌が解明される事でしょう。この場所は、地質的にアフリカプレートとューラシアプレートの境界に位置します。必然的に地殻変動に伴う火山性噴出物(溶岩や軽石、火山性有毒ガス)によって滅亡させられた分けですが、今日の世界も徐々にソドムとゴモラような道徳的頽廃に向かっている様に思えて成りません。

10人と世界

10人と世界 創世記18章32節

今日は神様が邪悪な町ソドムを視察するために地上に降りて来られたと言われている箇所を読みました。早速気になる箇所をご紹介しましょう。

創世記18章32節 旧約聖書ヘブル語原典直訳 

32・ そして彼は言った 無い どうか 彼が燃える怒りする に主人ら私 そして私が徹底的に言葉する 確かに その叩く たぶん 彼らが見出される そこ 10 そして彼は言った 無い 私がつくらせる 中でその為 その10
 
創世記18章32節 旧約聖書70人訳ギリシャ語原典直訳 

32 ・ そして 彼は言った 無い 何故、主よ、もし 私が確かに喋る 尚 一度。もし も 彼らが見出された(為) そこに 10? そして 彼は言った 無い 決して 私は確かに滅ぼす の故に その 10。

ヘブル語の物を翻訳にします。

32節・そして、アブラハムが神様に言った。どうか憤慨しないでください。私が神様にまた言葉を加える事を。きっとあの町に(義人が)10名なら見つかるかもしれません。すると「いいだろう、もし10名いたら。」

今日の箇所は、神様とアブラハムとの対話になっています。お話の内容は、「ソドムの抹殺」でした。その事を知ったアブラハムが町に義人がいたらその町を滅ぼさないで欲しいと嘆願している箇所です。最初50名と言った物の、自信がなくなり、45名、40名、30名、20名と要求を下げて、とうとう最後に10名と言った箇所が今日ご紹介する聖書の箇所なのです。

  明日、そのソドムとゴモラの滅亡をみますが、結果から言うと3名しかいませんでした。その三名とも、とてもでは無いが、義人とは言えない人々だったのです。アブラハムの甥ロトとその二人の娘でした。アブラハムが嘆願した最低人数にも達せず、神様によっソドムの町は破滅させられ死海の底に沈んでしまったのです。そしてその後、かろうじて助け出されたこの三人は、ソドムで育った習慣が抜けず娘達は深酒と父親との近親相姦に明け暮れるのです。

  神様が地上の人間の心と行いをご覧になってがっかりされ怒られたのは此処だけではありません。ノアの時代に神様の目から見て「義」とされたのはノア一人でした。神様の憐れみによってその妻と3組の息子夫妻がかろうじて滅びを免れたと聖書は記しています。

 さて、その様な現実を踏まえて、聖書が全ての人間に対して要求している「義」の基準にかなう人間が一体今日世界に何人居るのかが気になる所です。

 注意しなければならないのは、今日の聖書の箇所が教訓としている事です。それは、その僅かな義人が地上に存在する事の故に、神様は今日の世界を消滅させる事を留保しておられると言う事を認識する必要が在ると思うのです。

  注意してください。正しい、良い事をする。人がここで言われている義人ではありません。聖書に記されている神様の基準を熟知して、神様の言われている事が正しいと認識している人の事なのです。
  
  聖書が言っている事は、世の初めから世界の終わりまで、一人として神様の前に正しい事をする人間はいないと記されているからです。ここで言われている「義人」とは神様の言葉である聖書を認め、聖書の主張が正当である事を容認し、それ以外の思考を拒絶する事です。それは、結果的に自分を含めた全ての人間を否定する事になります。それが聖書の要求している神様を義とすると言う事なのです。

  この正しい神様を信頼する人が信頼によって義認された義人と言う事なのです。

笑われた神

笑われた神 創世記17章17節 

今日は創世記の17章を読みました。考えさせられたのは上記の17節です。早速直訳を記しましょう。

創世記17章17節 旧約聖書ヘブル語原典直訳 


17 ・ そして彼が落ちた アブラハム 上に 顔(面)ら彼 そして彼は笑った そして彼は言った 中で心彼 何故に息子の 100年 彼が子を産まされる そしてもし サラー 何故娘の 90ら 年 彼女が子を産む

創世記17章17節 旧約聖書70人訳ギリシャ語原典直訳 

17 ・ そして 彼は落ちた アブラハム 上に 顔 そして 彼は笑った そして 彼は言った 中で その 通し理解(思考) 彼の 言っているは もし その 100年に 彼が確かに起きる、 そして もし サラー 90 年らの 存在している(女)は 彼が確かに子を産む? 

どちらもほぼ同じ意味なのでヘブル語の方を翻訳にしてみます。

創世記17章17節 旧約聖書ヘブル語原典直訳

・アブラハムは地面に平伏して笑いました。そして心の中でこう言ったのです。100歳になって子供が出来るか。その上90歳のサラーが子が産めるか。

昔、と言っても35年ほど前の事ですが、たしか岩波文庫でマルセーニヨ・パニヨルと言う喜劇作家の書かれた「笑い」と言う本を読みました。何でも「笑い、には積極的笑いと消極的笑いがあり、彷彿として感じられる自己の優越性=他者の劣等性、または劣等性=他者の優越性が笑いを生じさせる。」という内容が大変具体的に記されていました。

 今日ご紹介した聖書箇所には、100歳になったアブラハムが神様に「あなたの妻サラーとの間に一年の間に実子が産まれる」と言われた時にアブラハムが神様を笑ったと言う事が記されています。

 「いくら神様でもそんな不可能な事が出来るはずが無い。神様は何を馬鹿な事を言っているのか?」と彼は心の中で考えたようです。

  まあ昨日の箇所で見たように、アブラハムは何処から見ても信仰者として立派な振る舞いはろくに出来ていないようですから、神様の言葉に対して嘲るのは当然の反応だったのでしょう。

  そして、考えさせられるのはこの、「彼が笑った。」と言うのが原文のヘブル語で「イツハク=彼は笑った」という言葉なのです。そう、此れがアブラハムとサラーの間に産まれた子の名前にするように神は定められたのです。
   ですから「イサク」と言うのはあまり、良い名前とは決して言えない意味深な言葉なのです。そして、明日の箇所には、繰り返された神様のこの話しを盗み聞きしたアブラハムの妻サラーも同じ様に笑います。ヘブル語では「テイツハーク=彼女は笑った」となります。

  夫婦して「あり得ない」とあざ笑った、当のご両親から、神様の言葉通り「イサク=彼は笑った君」が産まれてくる事になるのです。こんな名前をつけられた当の本人=イツハク=彼は笑った君にしてみれば「とてもじゃないが笑えないお話」と言う事になります。

  今日は「笑えない」笑ったと言うお話でした。

酷い苛め

酷い苛め 創世記16章6節

聖書には読んでいてびっくりするような記録が沢山あります。今日ご紹介する箇所もその様な、驚きをもって見る箇所の一つです。まず直訳を記します。

創世記16章6節旧約聖書ヘブル語原典直訳 

06 ・ そして彼は言った アブラム に サラ 見よ 雑役女中あなたの 中で 手あなた(女) あなたはしろ に彼女 その良い 中で 目らあなた そして 彼女は徹底的に苦しめた彼女 サラ そして 彼女は逃れた から顔(面)ら彼女

創世記16章6節旧約聖書70人ギリシャ語訳原典直訳

06 ・ 彼は言った も アブラム 方 サラ 見よ その 若い女 あなたの 中で その 手ら あなたの。 あなたが使え 彼女に、 する所は ともかく あなたに 喜ばれる 彼が存在し続けている(為)。そして 彼は悪した 彼女を サラ、 そして 彼は離れ走った から 顔の 彼女の。

とりあえずヘブル語の方を意訳翻訳します。

アブラハムは妻のサラに言った。「あなたの雑役女中はあなたの手の中に居るじゃない。好きな様にしたら。」すると妻は女中を徹底的に虐待した。その結果その(妊娠させられた)女中は逃亡した。

 本当に酷い夫婦です。ほかでも無いアブラハムとその妻サラの事です。妻はエジプトで買った若い女奴隷を主人にあてがったのです。その目的は自分達に子供が無いのは妻だけの問題ではなく、旦那にも子を産ませる能力の無い事を証明するためでした。

彼らがカルデヤのウルにいたころに、そうしていれば本当に跡取り息子が欲しかったから、その目的が本当だったことになります。しかし、もうアブラムも90近い老人で子供が出来る可能性は少ない事が自明でした。この年になって始めて妻サラの側から若い女をあてがったのは他の目的があったと考えるのが妥当でしょう。その目的とは、「自分達に子が与えられないのは主人の側に原因があったのかも?」という石女と言う自分に対する非難をさけせる事が目的であったと見るのが妥当と思われます。
  
  しかし、妻のそのもくろみは見事に外れます。若い奴隷女はたちまち、年取った主人の子を腹に宿して日に日にお腹が膨れてくるではありませんか。妻サラは気が狂わんばかり嫉妬します。自分で夫に奴隷をあてがって起きながら自分の意にそぐわない結果が出た為です。

  美しく、そして何不自由なく育ち、良い夫に恵まれたにも関わらず、年老いてもう、夫にも子供を作る能力が無いと見くびり、奴隷を夫にあてがったのが大失敗だったのです。

  問題はそれだけではありません。自分の女としての能力の無い事を証明したこの奴隷女に自分が石女として見下されているのが、二重の苦しみとなって我が身にふりかかりました。彼女はこのような屈辱に到底堪えられなかったのです。そして夫に当たり散らしたのでした。

  その時の夫アブラハムの言葉が今日の箇所です。妻が妻なら、夫も夫です。自分で、一人の女を孕ませ、そしてその事が原因で妻との諍いとなり、その問題を解決するために「好きにしたら。」と夫のアブラハムは言ってのけたのです。
  
  一体、何という理不尽、無責任、人間を動物以下にあしらう酷い差別であり、苛めです。こんな許されざる行為がアブラハムとその妻サラによって成された事を聖書は何一つ隠し立てせずに、赤裸々に記しているのです。

  そして、此れが神様に選ばれ、神様を信頼する事によって義と見なされたアブラハム夫妻の神様に信頼した生活の結果であったのです。

  はっきりと分かる事、それは人間はいくら神様を信じても何一つ変わらず、罪深い存在であり続けると言う事なのです。

  そして、大切な事はこんな酷い人間、そして夫婦であっても神様にはその人達を救う力を持っておられる事を記しているのです。

  そう、人間には出来ないし、不可能な事でも、神様には可能なのです。

信仰義勘定

信仰義勘定 創世記14章6節

今日は創世記の14章と15章を読みました。いくつか大切な箇所が在りましたがその中でも一番有名な箇所を今日はご紹介しましょう。さっそく直訳です。 

創世記15章6節ヘブル語原典直訳  
06 ・そして彼は信頼した 中で ヤハウエ そして 彼は技巧(勘定)した彼女 に彼 義

創世記15章6節70人訳ギリシャ語原典直訳 
06 ・そして 彼は信頼した アブラム その 神に、 そして 彼は勘定された 彼に 中へ 義。 

創世記15章6節ヘブル語原典翻訳
・そして彼らヤハウエに信頼した。彼はその信頼によって彼を義と勘定した。

創世記15章6節70人訳ギリシャ語原典翻訳
・そしてアブラハムはその神に信頼した。そして神は彼を義の中に勘定した。

どちらも全く同じ意味の言葉が注意深く用いられています。大切な事は会計用語の「勘定」と言う言葉です。ヘブル語カシヤーブ(技巧or勘定) ギリシャ語にはロギゾマイ(勘定)が使われています。とちらも本来の意味は「実際はそうではないものを、そうだと勘定する。」という意味です。

と言う事は、新約聖書で使われている「義認」言葉も同じ「ロギゾマイ=義認」ですから、新約聖書が言っている義認は旧約聖書の義認と全く同じ意味になります。

聖書が言っている救い=義認とは「正しくない人を実際は正しくないのに正しいと勘定する。」と言う意味になります。大切な点はここです。「実際は正しくないけれども、正しいとしてあげる。」という事で救われたと言っているキリスト者は相変わらず罪人で、世の中の普通の人と全く同じか、あるいはそれ以下の人にすぎないと言う事です。

と言う事は、「私は神様に正しいとされた信仰による義人です。」などと言うのはとんでもない思い上がりで、あたかも自分が正しい人間であると勘違い、そんな基本も知らないで他の人に正しい事を要求しているようなキリスト者は単なる偽善者で普通の人以下の人間であると言う事が分かるのです。

今日は、聖書が教えている極当たり前の常識以前の基本のお話でした。

聖書の問題箇所

聖書の問題箇所 創世記13章15節 

今日の原典通読は創世記の13章でした。読む度に、考えさせられるのが上記の聖書箇所です。何時もの様に直訳を記しましょう。

創世記13章15節 ヘブル語原典直訳 

15 ・ として を 全ての その地 所は をあなた 見ているは にあなた 私が与える彼女 そして に子孫あなた まで永遠

創世記13章15節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

15 ・ それは 全てを その 地を、する所を あなたは 見ているは、 あなたに 私は確かに引き渡す 彼女を そして その 子孫に あなたの 迄 その 永遠。

翻訳 あなたが見ているその土地は 私があなたとあなたの子孫に永遠に与える。

ものすごい言葉です。今日の世界の火薬庫と言われる紛争の地パレスチナを「アブラハムの子孫に永遠に与える。」と言うことが記されている聖書箇所です。当時そこには他の民族が住んでいましたが、「その先住民を皆殺しにして、そこにいつまでも住め。」と言う意味なのです。植民地にするのではなく、「住民を殺戮し家も畑も井戸も道路も町も横取りしていまえ。」と言う意味です。

 そして、この時から約600年の後モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエル民族は、その言葉を現実の物としたのです。 

  この事の是非、評価はさておき、あまりに凄惨な聖書の記述が、さも当然の如く記されていることに戦慄します。あの、ノアの洪水の記録もそうでした。さらに紀元前608年のネブカデネザルによるエルサレム陥落の記述も実に残忍です。また新約聖書に記されたマタイ24章のローマテトウス軍によるエルサレム陥落の予告も実に凄まじいものです。そればかりではありません、ヨハネの黙示録に記された当時のローマ帝国によるキリスト教迫害も、文字通り殺戮の連続です。

  日本人が今までに経験した戦国時代の戦争や、明治維新の戦いや日清日露に加えて先の太平洋戦争も悲惨では在りましたが、民族皆殺のようなおぞましい戦争ではありませんでした。

  しかし、聖書が記す「神様の御心」はどうもその様な尋常な戦争の有り様ではなく、「住民全員の殺戮」と言うことが「さもあたりまえ」の事として記されている事に注目する必要が在るようです。

 自然の豊かな温帯の照葉樹林帯、降水量も気温も恵まれた地域では、たとい住処を追われても、山や森に逃れて川や海や山の幸で飢えをしのぎ、生活を維持出来ます。 しかし、中東の乾燥地帯では、その土地が支持する事の出来る人口には自ずから限界が在りました。その様な自然の厳しい条件では、自分が生きるためには、多民族は殺戮しなければならず、もし殺戮を躊躇すれば、自分が殺戮されるか餓死するかの二者択一を余儀なくされたのです。

  そして、こちらの思考=「自民族が生きるためには他民族を殺戮しなければならない。」と言うことが世界の常識であると言うことを日本人は認識する必要があると思います。

  「仏教は戦争をしない唯一平和な宗教だ。」などというお話を良く聞きますが、平和惚けして世界の常識を知らない、無知で間の抜けた間違った歴史認識だと思います。キリスト教国が派手に戦争をしていますが、仏教国の日本もキリスト教国を全て敵に回して戦争をした事も記憶しなければならないかと思います。

  聖書が記しているのは、平和や愛ではありません。聖書は創世記の初めから黙示録の最後まで、憎しみや殺戮に満ちています。そして、平和や愛がいかに欠如しているかを教えているのです。

  その意味で、今日の聖書の箇所は戦争によって先住民を殺戮しその土地を自分の物にしろという意味であり、大変考えさせられる聖書の問題箇所なのです。

65才の美人妻

65才の美人妻 創世記12章11節 

 今日は有名なアブラハムの召命の箇所を読みました。今日のクエートに当たる古代都市ウルで王族として生まれ育ったアブラハム(当時はアブラム)と、彼の異母姉妹の美人妻サラが不妊であったため、後継者の産まれる可能性が完全に無くなった年になった時に、弟にクーデターを起こされ先王共々シリアの辺境に逃れ、さらにそこも弟に追われて地の果てに等しいカナンの地に流浪して来た箇所です。そしてその地に大飢饉が起きて、やむなくエジプトに難を逃れる為に向かった時の出来事です。その箇所から今日は上記の箇所をご紹介しましょう。 

旧約聖書ヘブル語原典創世記12章11節直訳  

11 ・ そして彼が存在した として 所の 彼が近づかした に 来る事の エジプト そして彼は言ったに サラ 女彼 見よ どうか 私は知っている として 女 美しいの 見目 あなたは 

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典創世記12章11節直訳

11 ・ 彼が起きた も 時に 彼が近づいた アブラム 中に来る事 中へ エジプト、彼は言った アブラム サラ その 女に 彼の 私は知り続けている 私が それは 女は 良い顔 あなたが存在し続けている。

上記の聖書箇所を何時もの様に翻訳にしてみます。

ヘブル語からの翻訳

・彼(アブラム)がエジプトの近くに来た時の事であった。アブラムは彼の妻サラに言った。「あなたはいくつになっても顔が本当に奇麗だね。」

ギリシャ語からの翻訳

・アブラムがエジフトの近くに来た時のことであった。アブハムは彼の妻サラに言った。私が知っているのはあなたは本当に良い顔の女であり続けているね。

これは紛れもない、聖書の中の言葉です。しかも75才になったアブラハムが65才の妻サラに言った言葉なのです。

この言葉は今から、40年程前、私がまだ青年であった時代には考えられない言葉でした。戦争直後のあの当時には50才と言うと随分年寄りだと感じるのが普通でした。まして、「65才のおばあちゃんの顔が美しいと言うなんてあり得ない」と言う感覚でした

その当時の常識からか、随分とこの聖書箇所を馬鹿にする表現を聞いたものです。しかし、あれらから40年近くなった今、別に65才の美人がいても驚かない時代となりました。何しろ平和が続き、苦労も少なくその上化粧や美容成形などで、もっと年寄りでも素晴らしい美人女優が沢山おられるからです。

まあ、その様な老いても尚美しい女性の一人が、アブラムの妻 サラであったと言うことなのです。
原典でのヘブル語の表現は 「見目美しい女」ギリシャ語は 「良い顔の女」となっています。しかし、そこで大切なことを見逃してはならないと思います。これから何回かアブラハムとサラの夫婦関係をご紹介する事になります。この出来事や続く聖書の記述から分かる事なのですが、アブラハムとサラの夫婦関係は破綻していたと見た方が良いかと思います。

今日の箇所でもそうですが、夫は妻を平気で、エジフト王の妾に差し出します。この後、妻は自分が不妊なのは夫の側に原因があることを証明するために、エジプト奴隷の女を夫にあてがいます。皮肉なことに、すぐに若いエジプト奴隷は妊娠しアブラハムに長男を出産してしまいます。夫の失脚や今まで認めようとして来なかった自分の長男の妻としての跡取りを産む能力の無さの原因が自分にあった事を思い知らされるのです。
やがて、彼女は稀なる高齢出産によって90才にして初子のイサクを授かります。しかし、エジフト奴隷に産ませた子が邪魔で、その親子を殺害するために荒野に追放してしまうのです。(創世記21章10-14節)その もくろみ が失敗し、その結果夫との関係は完全に破壊されて別居となります。そして夫は第三婦人のケトラと生活を共にするようになり6人の子を設けるのです。(創世記25章1-2節)

アブラムの妻サラは、確かにお顔は大変美しかったのですが、心は随分と醜かったのです。気位が高く、自分勝手なわがまま娘(老婆)で嫉妬深く、その上残忍さを兼ね備えていたがゆえに、結局、夫に棄てられ、最愛の子に疎まれるようになり、孤独死によって地上の生涯を閉じるのです。(創世記23章1-2節)

大切なことはお顔お見目麗しさではなく、やはり、心の美しさなのだと思わされるのが、今日のこの言葉によって考えられ、また考えさせられます。

バベルの塔の皮肉

バベルの塔の皮肉 創世記11章5節 

今日はあの有名なバベルの塔の箇所をよみました、面白い箇所なのでご紹介しましょう。何時ものように直訳を記します。

創世記11章5節ヘブル語原典直訳  
04 ・ そして彼らは言った あなたは与えろ 私たちはたてる に私たち 城塞 そして 櫓 そして頭彼 中で その 空ら そして私たちは作ろう に私たち 名 しないように 私たちが分散する 上 顔らの 全ての その 地
05 ・ そして彼は下った ヤハウエ に見る事の を その 城塞 そしてを その 櫓 所は彼らが築いた 息子らの その 人

創世記11章5節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

04 ・そして 彼らは言った  さああなた方はしなさい  私達は家を建てる(為) 私達自身に 町を そして 塔を、 する所の その 頭 彼が確かに存在する 迄 その 不可視、 そして 彼らは作った(為) 自分自身に 名は 前に その 通し散らされる事 上に 顔 全て その 地。 
05 ・そして 彼は下に来た 主は 見ること その 町を そして その 塔を、する所を 彼らが建てた その 息子らの その 人間らの。 

とりあえずヘブル語の方を翻訳にしてみます。

4節 彼らはこう言った。さあ私たちは私たち自身の為に要塞を建て、その頂きに見張りやぐらを天に向かって建てよう。私たちはしなければならない。私たちの名誉のためにそして私たちが地に分散させられない為に。
5節 ヤハウエは天から降りて来てその要塞を見る事が出来た。そしてその櫓も、人間らが築き上げた。

 皮肉がお判りになりますか?そう、「人間が神様を監視して人間を意のままにさせることを阻もうとして大変な努力をして建設したバベルの塔を、神様は天から見ようとしたが見えなかったので天を出て地上に降りてくる必要があった。」と言うことなのです。

当然のことですが、ノアの洪水によって「神がその意に添わない人類を抹殺されたこと」の再来を恐れて、このバベルの塔が建てられたようです。ノアの洪水は人類に対する神の脅威であるとして、全人類が一致団結して神様に歯向かおうとした記録で、バベルの塔は対神防衛戦の拠点と言うことになります。
 その対神=宇宙要塞では、人類が神様が宇宙から人類を攻撃(隕石や彗星の衝突)するのを観測し、対策を講じる構想と考えて良いかと思います。あのシューメーカーレビ彗星の木星衝突(1994年4月17日から22日夜に及び20個に核が分裂して木星に衝突、最大の彗星核破片は直径4キロあり1000万メガトン以上の威力=廣島原発の5億倍以上あったと言われる)直後に米航空宇宙局(NASA)を中心にして天体からの地球防衛構想提唱された)ことににているのでは無いでしょうか? 

 所詮、人間がどんなに技術を得て、どんな物を生み出そうと、それは所詮地にへばりついた低い次元のもので、神様がおられる天(不可視)の世界には何の影響も与えることが無く、また同時に「何の対策も構じられない」と言うことなのです。

 そして、多くの人間はこんな基本的なことも知らないで神様に対して豪壮な認識を持っているのにあきれます。
  たとえば、遺伝子組み替えで、「人間が神の領域に立ち入ってはならない。」「原子核物理学や素粒子の研究が進んで神の創造の仕組みを解明した」「人類は遂に神の領域である月に偉大な一歩を記した。」これらに類似した人間の思い上がった発言をマスコミや書物でよく見受けます。そう此れは人間の無知がさせているお粗末な自然界認識が暴露されているだけで、神様からしてみれば「どこが俺の領域を侵害したのか?」と「あきれておられること」がこのバベルの塔の出来事で人間に教えられている事なのです。

  所詮人間が、たといこの地球を粉砕しえたとしても、神様にとって何程の意味が在るのか考えてみると良いかと思います。確かに人類全体は自滅するのですが、太陽系では惑星が一つ消えた丈ですし、宇宙全体ではたとい太陽系全体を含む銀河系宇宙(ギャラクシー)全てが消失しても微塵の影響も無いでしょう。

 このバベル(混乱)の塔の出来事は人類全体の神に対する無知を如実に表現しているようです。人間全体の知識を総合したとしてたかが知れているのです。まして、個人の知識や能力など無以下と認識したいものです。それを知らないで、神様に対して人間と対等に神を見下していたり、あるいは御利益信仰の対象程度に認識している人は、太平洋の水を自分の家のプールに貯めて、「俺は太平洋を自分の物にした!」と喜んでいる太平洋の巨大さを理解することも出来ない「無知な愚か者の奢りにすぎない」のではないでしょうか? 

Table of The Nation

Table of The Nation 創世記10章31節

今日は創世記の10章を読みました。有名な Table of The Nation と言われる箇所です。世界の民族を大まかに分類したもので、現在の人類学や言語学そして民俗学等の基礎を成している聖書箇所です。その中から今日は31節をご紹介する事にします。

創世記10章31節ヘブル語原典直訳

31 ・ これらは 息子らの セム に氏族らの彼ら に国語(舌)は彼ら 中で地ら彼ら に国ら彼ら

創世記10章31節70人訳ギリシャ語原典直訳

31・ これらは 息子らは セム 中で その 部族ら 彼らの 下に 舌(or言語)ら  彼らの 中で その 地方ら 彼らの そして 中で そして 異邦人ら 彼らの。

ヘブル語の方を翻訳にしてみますと。

これらはセムの息子らの彼らの氏族名で、彼らの国語は、彼らの地方の国の中で話されています。

そして、同じ表現が 5節と20節に登場しています。それぞれはそれ以前の箇所のまとめで1節から5節はヤペテ族、6節から19節はハム族 さらに21節から29節がセム族のそれぞれの氏族名を列挙してあります。

先ず最初に登場したヤペテ族はもうお判りでしょう。インドヨーロピーアン系の人々で一般的に北方に移住した人々で日照の関係で目や毛や皮膚のメラニン色素が沈着が少ないためにほぼ青い目や、金髪等の白人と考えて良いかと思います。頭が前後に細長く目鼻だちがはっきりしている特徴があります。たとえば節に登場するメセクは引きずるという言葉でモスクワを意味するようです。ただ現在のモスコーは、ロシア貴族がコンスタンチノープルからギリシャ語を導入した結果でギリシャ語の子牛(モスコー)と言う説もあり定かではありません。

次に登場するのがハム族です。クシュ(エチオピア)ミツライム(エジプト)、カナン(貿易商)=地中海東南地帯 や今日のアラブの民族の住む地域が此れにあたります。頭は丸く、日照の関係でメラニン色素の沈着が顕著で殆どが黒人系でや一部はヨーロッパにも住んだ様でラテン民族系がそうだと言われる説が有力です。

最後に登場するのがセム族です。この人々は一般に方舟の漂着した地域からほぼ同じ緯度で東に展開しており、中央アジアからネパール東南アジアを経て極東地域が此れに該当します。当然日本人もこのセム語族に入り、イスラエル人もこのセム語族になります。

聖書の原典であるヘブル語や古代のギリシャ語には随分と日本語によく似た言葉があります。たとえばアンタという大阪弁等はそのままイスラエルで通用します。全く同じ意味です。ギリシャ語でも周囲を表す日本語の縁(へり)と ギリシャ語のペリは良く似ていますし、円とギリシャ語の円(領域)の中をあらわすエン等、それに日本古来の祭りや掛け声等が日本語では無意味なのに、ヘブル語にすると意味が出るものなどを見かけます。聖書の記されているギリシャ語やヘブル語は3000年以上の昔から殆ど変化無く現在まで存在しているのですから、きっと調べると世界の様々な言語とよく似た表現が出てきて、その語の本来の意味合いを理解するのに大変役にたつと思います。

と言うことで今日は、世界の民族や言語が聖書のこの創世記の10章に従って大まかに分類されていると言うお話でした。

虹(弓)の契約

虹(弓)の契約 創世記9章13節

今日は創世記の9章を読みました。ノアと家畜が方舟から出て生活が始まる箇所です。一番気になった箇所をご紹介しましょう。

創世記9章13節ヘブル語原典直訳

13 ・ を 弓(虹)私の 私が置く 中でその黒雲 そして彼女が存在する に印の 契約 間私 そして 間その 地
創世記9章13節70人訳ギリシャ語原典直訳
13 ・ その 弓(or虹)を 私の 私は置く 中で その 雲、 そして 彼が確かに存在する 中へ その 印で 契約の 上に 真ん中 私の そして  その 地。

どちらもほぼ同じなので纏めて翻訳してみます。

創世記9章13節 翻訳

私が黒雲の中に弓(虹)を置く、そしてそれは私と地との間の契約の印にする。

 ノアの大洪水後の世界は洪水前の世界とかなり様相が違ったようです。昨日読んだ箇所の創世記8章の22節には四季が生じた事が記され、今日の箇所には虹が見られるようになったと記されています。

 その記述が示していることは、ノアの大洪水(巨大隕石または大彗星と地球の衝突)によって地球環境が激変したと言うことのようです。それ以前の地球には虹と四季がなかったと言う事なのです。簡単に説明するとシベリアの永久凍土で発見されたマンモスの死体が端的にその理解を助けてくれるでしょう。

 永久凍土に冷凍保存されたマンモスの胃からは温暖な地域に生える植物が見つけられたそうです。と言うことはマンモスが死滅するその瞬間まで、シベリアは温暖な地域であったと言うことです。何故なら、食べられた植物が消化される以前の数時間に、突然気温が低下し大量の水が押し寄せ冷凍されてそれ以来現在までその冷凍状態は継続されたからです。

おそらく、ノアの大洪水でそれ以前の地球に存在した大気の大半が地球の引力圏外に霧散した結果でしょう。その結果大気が薄くなり、地球全体の保温力が失われた結果四季が生じ、同時に、それ以前は厚い大気によって地上にはやさしい光しか届かなかったのが、ギラギラとした直射日光が地面に届く様になった結果と考えると合理的です。

当然のこととして以前は大量の大気の循環によって全地球が平均的に温暖であったものが消失します。同時に酸素濃度も気圧も低下し、人体や動植物の免疫能力は著しく低下した上に、劣悪な環境により有利に適応しやすい細菌や微生物が猛威をふるって地表の生態系を破壊したでしょう。

 その結果、 洪水以前の世界に繁殖していたシダ植物や爬虫類(恐竜)は死滅あるいは矮小化してしまい、有害な紫外線や宇宙線によって植物や動物、人類の遺伝子は破壊され寿命の極端な減少を招き、今日の様な貧粗な環境が生じたと思われます。(この様に考えると、化石で発見される生物種が現生生物種の数百倍以上も存在し得た事や、創世記や他の古文書に記された大昔の人類の長寿もうまく説明できます。)

  詳細は以下を参照 http://bible.co.jp/noah.

天国の動物(動物の救い)

天国の動物(動物の救い)  創世記7章9節 

今日は創世記の7章を読みました。ノアの洪水の箇所です。気になった箇所をご紹介しましょう。

何時もの様にまず直訳です。

創世記7章9節ヘブル語原典直訳 
09・ 2ら 2ら 彼らは来た に ノア に その 柩(or櫃)  雄 そして 雌 として 所は 彼が徹底的に命じた 神ら を ノア 

創世記7章9節70人訳ギリシャ語原典直訳 

09 ・ 2 2 彼らが中へ来た 方に ノア 中へ その 櫃、雄を そして 雌を、丁度通りに 彼が命じた 彼に その 神。

どちらもほぼ同じ意味なので纏めて翻訳にします。

創世記7章9節翻訳

神がノアに命じた通りにその柩(=方舟)に雄雌二匹が来た。

 「いぬ畜生」等と言う酷い言葉がありますが、聖書を見る限り動物に対するその様な蔑んだ発言は無いのではと思います。特に神様は大変動物を大切にしておられることに驚きを覚えます。たとえば、神様がアッシリヤ帝国の首都ニネベに対する滅びの宣告をされた時に、それを思い止まられたと言うことが預言者ヨナの書に記されています。 その箇所に、ニネベを滅ぼすことを思い止まった根拠として「人間の人口12万」と同等の扱いで」「数多くの家畜」がいると記されています。

  という事で神様が人間を救われるのと同等に家畜や生物も救いの対象となっていることは確実です。
そして、天国の描写と言われているイザヤ書の65章17節から25節に動物や家畜が記されていることからも明白です。

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