FC2ブログ

ツインツエネット

ツインツエネット 出エジプト記16章33節 

今日ご紹介するのはエジプトを出たイスラエルの民が40年間荒野で養われたマナと言う不思議な食べ物を保存した容器のお話です。早速直訳を記します。

出エジプト記 16章33節ヘブル語原典直訳 

33 ・ そして 彼が言った モシエ に アロン あなたは取れ 貯蔵容器 1 そして あなたは与えろ そこへ彼 一杯 その オメル(2.3L) マン そして あなたは留まらせろ  を 彼 に (面)顔の ヤハウエ にから見守る に 世代らあなた方

出エジプト記 16章33節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

33 ・ そして 彼が言った モーセ 方に アロン あなたは取れ 土器壺を 金を 一 そして あなたは中へ取れ 中へ 彼 一杯の その ゴメル(オメル=2・.3L)  その マン そして あなたは確かに離れ置く 彼を 面前に その 神の 中へ 通し見守る 中へ その 世代 あなた方の。  

ヘブル語の原典では ツインツエネット と言う聖書に一回限りここだけで使われている言葉が使われています。そしてこれをギリシャ語に翻訳した人はスタムノンで「土器製の壺」と言う言葉を用いているのです。そして遙かに時代が後の新約聖書のヘブル人への手紙の9章4節には「マナの入った金の壺」と記されていますのでヘブル人への著者は普段70人訳聖書を読んでいたらしい事が判明します。

まあ一体このツインツエネットがどんなものであったのかは確定する事は困難だと思います。ヘブル語の語源はどうもバスケット =籠またはざる状の容器であったと思われます。とするとイエスキリストが5000人や4000人の給食で有名なマタイ14章13~21節と15章32節~39節の記録を彷彿とさせると言うことです。

と言うことで今日は「マナ」と言う不思議な食べ物を保存した容器のお話でした。

スポンサーサイト



シャム サム ロー ホク

シャム サム ロー ホク 出エジプト記 15章25節

今日は殆どが詩文=韻文の箇所でした。すこしだけご紹介しましょう。早速直訳です。

出エジプト記 15章25節ヘブル語原典直訳 

25 ・ そして彼は悲鳴した に ヤハウエ そして 彼は見さした彼 ヤハウエ 木 そして 彼は投げさした にその水 そして 彼は甘くなった その 水 そこ 彼が置いた に彼 規定 そして 判例 そしてそこ 彼が徹底的に試験した彼ら 

出エジプト記 15章25節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

25 ・彼はわめいた も モーセ 方に 主。 そして 彼は指し示した 彼に 主は 木を、そして 彼が中へ投げた 彼を 中へ その 水、そして 彼が甘くされた その 水。 

  詩文であることのご紹介に敢えて直訳を記したわけですが全く無意味の事なのです。それは詩文は美しい音の文章になっているのですから、翻訳やその言葉の意味を直訳にしてしまうと元のヘブル語の音は当然失われると言うことになり、全く詩文の紹介にはならないと言うことなのです。

  そこで今日はヘブル語の音の短いフレーズをご紹介しましょう。 

25節の終わりの方に在る以下の直訳の部分です。

「そこ 彼が置いた に彼 規定」というヘブル語4つの音が実は今日の表題にした物なのです。

ヘブル語の原典では「 シャム サム ロー ホク 」となっているのです。何となく原文のリズムがお分かり頂けるかと思います。そして、ヘブル語の文章は今日の様な詩文の多い箇所ばかりではなくその他の普通の文章=散文の部分でもかなり美しい音でリズミカルに記されているのです。

  これ以上はご紹介の方法がありませんが、古代の文章はヘブル語もまたギリシャ語も中々格調の高い音で綴られているのです。少しはお分かり頂けのるのではと思います。

神の嘘

神の嘘 出エジプト記14章5節ヘブル語原典直訳 

今日は神様が嘘をついてエジプトの王様ファラオが騙されたと言う箇所のご紹介です。早速何時もの様に直訳です。

出エジプト記14章5節ヘブル語原典直訳

05 ・ そして彼が布告した に追うの エジプト として 彼が逃れた その民 そして 彼が回転された 心 の ファラオ そして 奴隷ら彼の に その民  そして彼らは言った 何を これ 私達は作った として 私達が徹底的に送る事 を イスラエル から 奴隷する事私達

出エジプト記14章5節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

・ そして 彼が報告された その 王に その エジプトらの それは 逃れていた その 民。 そして彼は変わり戻された その 心 ファラオ そして その 奉仕するものらの 彼の 上に その 民、そして 彼らは言った 何故 この事 私達は行った その 外へ遣わした事 その 息子の イスラエル その 無い 奴隷させる事 私達に?

一体何が 「神様の嘘」かお分かりでしょうか? そう「彼=イスラエルがエジプトの奴隷から逃れた。」という聖書の記録が神様が嘘をついた紛れもない動かぬ証拠なのです。

神様は最初からイスラエルの民をエジプトから脱出させる予定でした。(出エジプト記3章10節) しかし、神様はモーセに対して「荒野に3日の旅をさせろ」とファラオに言う様に命じられたのです。3日の旅と言う事はすぐに家に戻ると言うことです。所が実際は永久にイスラエルはエジプトに戻らないのです。イスラエルはエジプトを脱出したのです。

これは明らかに神様の二枚舌、明白な嘘です。そして、エジプト王ファラオは見事にというか、沢山の災いに惑わされてイスラエル民族が3日の旅をする事を容認するのです。(出エジプト記12章31節)

そして、今日の箇所でイスラエルの民がエジプトの奴隷から脱出したことがファラオに知らされたのです。まあ、もし最初からファラオに「イスラエルの民をエジプトの奴隷から開放せよ」と話していれば嘘にはならないのですが、もしそうしていたらファラオはイスラエルの民の荒野への3日の旅を許可することはなかったでしょう。

簡単にこの顛末を正しく表現してみれば、「神様も目的の為に嘘も方便」というごく常識的な与え前のお話なのです。

しかし、こんなことをここに記すと、実はキリスト教会内では一大問題が生じてしまうのです。いったい何が問題かと言うと十戒の「第九戒め=あなたは隣人に対して偽りの証言をしてはならない。」を神自ら違反されたことになり、「神が罪人いや『罪神』」という結論を導き出してしまうのです。

というわけで一般のキリスト教会や神学者たちの間には絶対に言ってはならないタブーな発言をここに私は成したことになるのです。

しかし、誰が見ても明白です。これが神による嘘でなければ、一体「嘘とは何であるのか?」と言うことになってしまうでしょう。

私はこれは明白に神による嘘であり、エジプト王ファラオを神が騙したと言う事は紛れもない真実だと思うのです。

そして問題は何処に在るのかと言うことを見てみたいと思うのです。

そう、神様が十戒の第九戒めで命じているのは原文で見る限り「嘘」が禁じられているのでは無いのです。証拠に十戒の第九戒めの文章には「嘘」と言う文字は使われていません。十戒が明白に禁じているのは「偽りの証言」なのです。

「偽りの証言」は裁判で証人として召還された者しか出来ない行為ではないでしょうか。そして、そのような場で、人を有罪にする為にあるいは無罪にする為に、はたまた自分の利益の擁護の為に、自分がありもしない事や見もし無いことをあたかも見たかの様に証言することを禁じているのです。そして証言と言う言葉の詳しい意味は「目撃証言」という意味を示しているのです

そして、その偽り=真実ではない作り話や思い込みに加えて推測や希望など「=偽りの目撃証言」を語った結果、無実の人が犯人にされたり、真犯人が無罪とされてしまうのです。

そう、聖書=神様が禁じているのはこの「偽りの=真実ではない=証言」なのです。そしてこの事はもう一つの大変重要な意味を含んでいるのです。神様の願いはこの地上の人間に真実=実際に起きた現実を知らしめたいと願われているのです。

その意味で聖書は真理ではなく勿論心理でもなく、真実の記録なのです。そうして地上の教会には理想や絵空事の追求ではなく、一体何が真実であるのか。という現実が誠実に探求されることこそが神様の願いなのです。そして、残念なことに多くの地上の教会はこの神の聖書が大切にしている真実を真理という理屈に誤訳させて偽りの証言を弄し、うわべの聖さや立派さを開陳する虚飾の坩堝に堕している様に思うのです。

聖書の十戒の第九戒めでが教えているのは嘘ではなく偽りの証言、それも見ていないことを見たかのように装ったり、真実を覆い隠して虚飾を弄することの禁止なのです。ですからたとい神様がここで嘘をついてファラオを騙しても、それは矛盾でもなんでもないと言うことのご紹介でした。

戦闘国家

戦闘国家 出エジプト記13章18節 

 今日は出エジプト記の13章です。さて今日ご紹介するのは18節です。早速直訳を記します。

出エジプト記13章18節ヘブル語原典直訳 

18 ・ そして彼は巡らした 神ら を その 民 道の その 荒野 海の葦 そして 戦闘配備するら 彼らは登った 息子らの イスラエル から 地の エジプト

出エジプト記13章18節70人訳ギリシャ語原典直訳

18 ・ そして 彼は 彼は周りを回らせた その 神は その 民を 道を その 中へ その 荒野 中へ その 紅い 海を、 遣わしたに も 世代 彼らは登った その 息子らの イスラエル 出て 地の エジプト。

 特に翻訳する必要はないでしょう。エジプトから脱出したイスラエル人は最初から戦闘配備体制であったと聖書は記録しているのです。そして、建国以来イスラエルはこの戦闘配備体制を現在に至るまで保持しいるのです。

  そして、重要なのは聖書その物がこの戦闘配備を主目的として記されていると言うことなのです。この点に関してはきっと生かじりの聖書のご専門の方から手厳しい反論を頂きそうです。

  おそらくその様な方々は著書や教会のお説教で「聖書は愛の書、平和の書」などという教会的プロパガンダを信奉しておられることかと存じます。しかし、聖書は何処を読んでも「戦争のこと」ばかり記されていることは認めなければならない事実なのです。勿論の事として新約聖書も含めます。

  いちいちご紹介するのも面倒なぐらい聖書には戦争の事が質量共に多く記録されています。勿論、聖書が戦争を勧めていると言うのではありません。現実としてイスラエルと言う国は建国以来戦争に継ぐ戦争のなかに生き抜いてきた国家であり、今日も戦争とは何かを熟知し、そして滅法戦争には強い国家であることは万人の認める所ではないでしょうか。そして、その戦争に強い秘訣はやはり聖書にあると言うことを私は言いたいのです。

  そして、この出エジプト記の13章の18節にエジプト出立の最初からその様な戦闘配備体制が取られていたことに注目したいのです。モーセはエジプトの宮廷で育ち、帝王学を学んだ中で戦闘や戦争の指導者としての素養を身につけていました。それが証拠に彼の生涯の随所に、その片鱗が見て取れます。彼が出エジプト記の2章12節でエジプト人を撃ち殺した箇所ではナカッハと言う言葉が使われており、この言葉は武器「=おそらく剣」によって殺害した事がわかるのです。

  そして、今日のキリスト教国がいずこも軍備に大変熱心な国家であると言う現実からも、聖書が何を教えているかを見なければならないかと思います。勿論、何れのキリスト国も他国に対しては「聖書は平和を教えている」と説く宣教師を送りますが自国の安全保障に軍備の拡張を怠るような愚かな国家はありません。

 聖書が教えているのは確かに「平和が尊い」と言うことなのですがそれはそのまま「平和は現実の世界には殆ど存在しない。」と言うことであるのです。勿論「愛も」同じです。 

  と言うことで、今日は聖書に記されているイスラエルと言う国家の建国の初めから「戦闘配備」とうい国家のあり方が記されている聖書箇所のご紹介でした。

略奪

略奪 出エジプト記12章36節 

今日は有名な最初の過越の箇所です。早速気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記12章36節 ヘブル語原典直訳

36 ・ そしてヤハウエ 彼が与えた を 無料の その民 中で 目らの エジプト そして 彼らは要求さした 彼ら そして彼らは徹底的に略奪した を エジプト 

出エジプト記12章36節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

36 ・ そして 主は 彼は引き渡した その 恵みを その 民に 彼の 面前で その エジプトらの、 そして 彼らは必要した 彼らに。そして 彼らははぎ取った その エジプトらの。

 今日の箇所は翻訳にしない方がきっと理解し易いでしょう。そうイスラエルがエジプトを脱出する時に、エジフト人の家の家財を略奪したと言うことが記されているのです。 

   確かにこれは犯罪行為ですが、考え方を変えると今迄の大変長い期間奴隷としてただ働きされられてきたイスラエル民族が当然エジプトに要求するべき労働の対価であったのです。しかし、立場を変えてエジフト人達にしてみれば立派な犯罪行為で、イスラエル民族は邪悪な盗賊集団となるのです。
  
   「盗人にも3分の理」と昔から言いますが本当ですね。ようく考えてみると人間の様々な判決も何が正義でどちらが正しいのかは本当の所は定かで無い様な気がします。善悪を一部の表面だけしか見えていない人間が判断するのは難しいと言うことになります。そして、この盗んだ金銀宝石によってイスラエルの神様の移動式神殿=幕屋が建設されたのです。 
幕屋の詳細はこちらをご覧下さい→ http://bible.co.jp/tabernacle/

  今日は、考えさせられるイスラエル民族がエジプトを脱出する時に起こした大略奪の聖書の記述のご紹介でした。 

眼中の大男

眼中の大男 出エジプト記 11章3節 

今日読んだ出エジプト記の11章は大変短い箇所でしたが気になる箇所をご紹介します。

出エジプト記11章3節 ヘブル語原典 直訳 

03 ・ そして彼が与えた ヤハウエ を ひいき その民 中で 目らの エジプト その上 その男 モシエ 大きい 非常に 中で 地の エジプト 中で目らの 奴隷らの ファラオ そして 中で 目らの その 民

出エジプト記11章3節 70人訳ギリシャ語原典 直訳

03 ・ 主は も 彼が引き渡した その 恵みを その 民に 彼の 面前で その エジプトらの、そして 彼らが不可欠した 彼らに。そして その 人は モーセ 巨大 彼がされた 非常に 面前で その エジプトら そして 面前で ファラオ そして 面前で 全てらの その  奉仕する者らの 彼の。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。

出エジプト記11章3節 ヘブル語原典 翻訳

03・ヤハウエはエジプトの民の目にひいきを与えた。それでファラオの奴隷達の眼にはモーセは非常に大きく見えた。

問題点は「民」と言う言葉です。アムと言うヘブル語で一般には神様の民をさして使われます。しかし、往々にエジプトの王に対してはエジプトの民族がこの民という言葉で示されることが良く在るのです。

そしてイスラエル民族が時にはヘブル語のゴイーム=異邦人という言葉で呼ばれることがあります。そういうわけで翻訳にはこの箇所で使われている民がエジフト人を指すのか、あるいはイスラエル民族を指すのかを決定しなければ成りません。

そういうわけで、今日の箇所には二通りの翻訳が成り立ちえるのです。どちらが正しいのかは一寸分からないと言うのが実際です。

まあ、この聖書箇所で言われているのはモーセ個人がエジフトの民の目に大きく見えたと言う事はどちらにしても違わないので、あまり細かいことは気にせずに聖書を読むことが大切かと思います。

今日は翻訳にするのが大変に難しい箇所のご紹介でした。

報復の原則

報復の原則 出エジプト記10章28節 

 今日は一連の災害の最後の部分です。気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記10章28節 ヘブル語原典 直訳 

28 ・ そして彼が言った に彼ら フアラオ あなた方は行け  から上私  あなたは見守られた に あなた 見る事 顔私の として 中で日の 見る事あなた 顔私の あなたは死ぬ 

出エジプト記10章28節 70人訳ギリシャ語聖書原典 直訳 

28 ・ そして 彼が言った フアラオ あなた方は去れ から 私、あなたは方に持て あなた方自身に 迄 方に置く事 見る事 私 その 顔。そのに も もし 日に あなたが見られた(為) 私に、彼が死なされた(為)

今日はエジプト王ファラオが怒ってモーセに言った最期のことばです。翻訳にします。

出エジプト記10章28節 ヘブル語原典 翻訳

28節 ファラオはモーセに言った。お前は私の前から去れ、もし今度私の前に現れたらその日にお前は死ぬことになる。

大変かっこいいエジプトの王の捨てぜりふです。しかし、現実は全く反対の事が起きました。そうモーセの前に現れたのはファラオで彼はその日に死ぬことになったのです。(出エジプト記14章28節)

これは、面白いこと聖書全体を通じて幾度も繰り返される原則なのです。

「神様がおられるので人間が成した行為(正確には人に成そうとした行為)は必ずその事を成そうとした人の身の上にふりかかる。」と言うことなのです。

しかし、人はこれを認めようとしません。特に聖書の神様を信じていると言っている人々にその傾向が顕著です。そのように思っている人は一点を忘れているのです。それは神様の成される復讐は大抵20年後50年後と成るからです。しかも、神様の復讐は手が込んでいます。ある人が成した悪がその人自身に帰ることよりは、その人が最も愛している孫や曾孫などの人々の上にその人が他者に行った行為が帰るからです。

勿論、良いことをした人にはその人の最も愛する人に神様から良いことが帰りますのでご安心ください。しかし、悪は必ずその成した人の上に戻ると聖書の原典は教えているのです。そして時にはこのバロの様に言ってすぐにその言葉が自分の上に実現することも少なくありません。

今日は、人間が一番認めたくない聖書の基本原則の中から一つをご紹介しました。

腺ペスト

腺ペスト 出エシプト記9章10節

今日も、昨日の続きで第6番目の災害をご紹介しましょう。早速何時もの様に直訳です。

出エジプト記9章10節 ヘブル語原典 直訳 

10 ・ そして 彼らは取った を 煤 その 炉 そして 彼れらは立った に 顔の フアラオ そして彼は撒き散らした 彼ら モシエ  その天ら  そしてかれが在った 腫瘍 水膨れ 噴出するらは 中で人 そして中で家畜   

出エジプト記9章10節 70人訳ギリシャ語聖書原典 直訳 

10 ・ そして 彼が取った その 煤を その 炉の 面前で フアラオ そして 彼は撒き散らした 彼女を も 中へ その 不可視、そして 彼が起きた 悪性膿腫、膿疱らが 上に沸騰した事、中で その 人間ら そして 中で その 四つ足ら

もう一度簡単にモーセによって引き起こされた10の災害を記します。

ナイルの水が血→蛙の洪水→ブヨの大発生→アブの大発生→家畜疫病→人の腫物→36㎏の雹→蝗の大発生→暗黒→長男の死

ナイル川の水位の低下が引き起こした蛙の大発生が引き金となってその大量の蛙の死骸に湧いたブヨや虻によって媒介された家畜の伝染病はやがて人間に感染し始めたのです。

象徴的なのはカマドの黒い煤をモーセがパロの前で撒き散らして始まったこの疫病は当然この地方で最も恐ろしい黒死病=ペストだと思われます。

この病気はもともと土中菌が地中に生息する鼠や兎等を感染させます。するとその動物が死亡して寄生している蚤が宿主を捜して家畜等に寄生しその家畜から人間に伝染するものです。

その仕組みは恐ろしい物があります。蚤がペストに感染している動物の血を吸うと蚤の十二指腸にペスト菌のコロニー(群落)が出来ます。このコロニーはゼリー状ですから腸管を完全に閉塞します。その結果、蚤のすったペスト菌入りの動物の血液が腸に送られません。すると蚤は渇水状態なります。すると蚤益々喉が渇くので手当たり次第に動物に寄生し吸血します。しかし、折角すった動物の血液がペスト菌のコロニーに塞がれて全く蚤の腸に流れて来ません。そうすると蚤の胃袋は吸血した血液が一杯になります。しかし渇きが激しいので必死になって蚤は重ねて吸血するのです。すると恐ろしいことに蚤の吸管からペスト菌入りの血液が反対に吸血しようとしている動物に注射されてしまうのです。そして、蚤は気が狂った様になってこの注射を手当たり次第に死ぬまで繰り返すのです。

そしてこの蚤にかまれた人や動物は見事にペスト菌に感染し先ずリンパ腺が腫れ上がります。そして感染して数日後には全身のリンパ腺が腫れて手足の付け根や顎のリンパ腺は破裂し猛烈な痛みを伴って膿が吹き出すのです。

そして、治療しても大半の人は全身が煤の様に赤黒くなって死に果てるのです。十字軍が聖地パレスチナから持ち帰ったペストでヨーロッパの人口が1/2から酷い国では1/10に激減し、その流行は地球を一回りして人類の総人口は半部にしたと言われています。そして、このペストの流行で恐ろしいのは腺ペストが肺ペストに移行することです。

肺ペストは空気感染を引き起し、肺ペストの患者から吐き出された吐息を吸った人に感染を広めます。その感染力は強靱で腺ペスト患者を隔離した病棟の窓から漏れた空気によってその病棟の上下の階の一般病棟の患者に感染を広めた事が知られています。しかも肺ペストはほぼ24時間で新たな感染者を発病させるだけではなくほぼ全員を死亡させる強力な感染力を備えているのです。

このような恐ろしい伝染病に襲われたエジプトの人々の恐怖はさぞ大変な物であったかと思います。勿論それが神様によって成されたと言う事はエジプト人達には受容できない現実であったことでしょう。

今日は、聖書に度々登場するパレスチナの土中に潜むペストという恐ろしい感染症のご紹介でした。

蛙の洪水

蛙の洪水 出エジプト記8章3節(ヘブル語、70人訳ギリシャ語原典では7章28節)

今日は昨日に引き続いてモーセによって成された奇跡のご紹介です。早速今日の箇所の直訳です。

出エジプト記8章3節(原典では7章28節)直訳 

28・ そして彼は群れる その 水路 蛙ら そして彼らは登る そして彼らは来る 中で家あなたの そして中で寝室の  寝床あなたの そして上 寝台あなたの そして中で家の 奴隷らあなたの そして中で民あなたの そして中で 天火あなたの そして中で捏鉢らあなたの 


出エジプト記8章3節(原典では7章28節)直訳

28 ・ そして 彼らは確かに外へゲップ(声)を出す その 川は 蛙らを、そして 登って来るらは 彼らは確かに中へ来る 中へ その 家らあなたの そして 中へ その 宝物倉 その 寝室の あなたの そして 上に その 寝床らの あなたの そして 中へ その家 その 奉仕するらの あなたの そして その 民の あなたの そして 中で こねた者らに あなたの そして 中で その 竈ら あなたの。  

ヘブル語の方を翻訳にします。

28節そして水路に満ちた蛙はそこから陸に来て、あなたの家の中に迄来る。そして寝室に入りさらにあなたのベッドの上の布団の中にまでくる。もちろんあなたに仕える奴隷のパン焼きオーブンや麦をこねるお鉢に入る。

  今日の箇所はさながら「蛙の洪水」と言うわけです。そして、その「蛙の洪水」の様が如実に記されて居ます。道も、布団の中も、台所にまでナイル川から蛙が上ってくるなんて、想像するだけでゾットしませんか?
  さて、この出エジプト記の7章から12章に記されている一連のモーセによって成された奇跡をあなたは一体どうご覧になるでしょう?

 これらのモーセが神に命じられて起こした10の災害(出エジプト記7章から12章)を順に記してみます。

ナイルの水が血→蛙の洪水→ブヨの大発生→アブの大発生→家畜疫病→人の腫物→36㎏の雹→蝗の大発生→暗黒→長男の死

これらは普通によむと最後の災害以外他の9つは何の不思議も無い自然現象です。エジプトでは初夏にナイル川の大増水があります。しかし時々増水しない年があるのです。それはナイル上流のアフリカ東部に雨季がこない年にナイル下流には水量の増加が殆ど見られません。例年であれば大量の水によって押し流されるナイル上流の腐葉土や動物の排泄物が滞留します。当然のこととしてその年度はナイルの水が富栄養化します。すると下流のエジプトでは赤潮が発生して酸素不足になり水中生物がことごとく死滅します。するとどうなるでしょう。例年であれば蛙が産卵した卵は魚に食べられて生態系のバランスが整っているのにそれが崩れます。

そう、蛙の大発生が起きるのです。蛙は肺を持っているので赤潮になっても生き残り個体数が増えた上に産卵した卵がほぼ全数オタマジャクシになりそのオタマジャクシを食べる魚が無いので大発生してその上に餌が豊富で蛙の洪水となるからです。

当然蛙は陸にまで溢れます。すると干からびて死に絶えます。すると先ずブヨが発生し次ぎに虻が発生します。その様な害虫の大発生は先ず家畜の伝染病となりそれは生態系の頂点に居る人間の流行病となります。おそらくそれが秋になるでしょう。そして天候不順は地中海世界特有の冬の嵐(ユーラクロン)となり巨大な積乱雲を発生させ雹が降ります。その冬の嵐が収まるころにはアフリカのサバンナ等に天候異変の結果大発生した蝗が偏西風の影響でエジプトに来襲します。偏西風の衰える春の終わり頃には黄砂の元となるサハラ砂漠の砂嵐がエジプトにまで到達するのです。その結果太陽光を完全に遮り真暗闇が砂嵐の収まるまで一週間二週間と続くのです。

と言うことでこのモーセによって引き起こされたエジプトの災害は最後の「長男の死」以外は極普通のエジプトの自然現象なのです。ただ不思議なのは、モーセの言葉が先行したと言う事と普段の年では考えられない酷い状態であったと言うことだけなのです。

ですからこれも昨日と同様なのです。極当たり前の自然現象をモーセが予報したのか、あるいは聖書が記している様に神様がモーセに命じてこの一連の奇跡を成されたのか? それは、これを読まれているあなたが判断する事なのです。

今日はモーセの言葉によって引き起こされた酷いエジプト災害の意味することのご紹介でした。

呪術師と対決

呪術師と対決 出エジプト記7章11節 

今日は、言ってみれば魔法の他流試合の様な箇所でした。神の人モーセとエジプトの呪術師たちの対決の場面です。早速、何時もの様に直訳です。

旧約聖書出エジプト記7章11節ヘブル語原典直訳 

11 ・ そして彼は公表した その上 ファラオ に 賢いら そして に 徹底的に魔法するら そして 彼らは作った その上 だけれども 占い師らのエジプト 中で 秘密ら彼らの この様に

旧約聖書出エジプト記7章11節70人訳ギリシャ語原典直訳 

11 ・ 彼は共に呼んだ も ファラオは その 学者らを(ソフイア) エジプトの そして その 呪術者らを(ファルマコス) そして 彼らは行った そして その 上に歌う(エバオイドイ→魔法にかける)らは その エジプトの その 呪術者らに(ファルマコス) 彼らの それと同じ様に。

  今日は70人訳の方を翻訳にしてみます。

旧約聖書出エジプト記7章11節170人訳ギリシャ語聖書原典翻訳
 
11・王ファラオは、エジプトの智者と錬金術師を呼んだ、すると彼らは魔法によってモーセのした事と全く同じ事を錬金術師達も行った。

 大変面白い箇所です。余分ですがファルマコイは現在の英語の薬剤師ファルマシイの語源です。まあ中世ヨーロッパの錬金術師が一体どんな者であったかを分からせる記述では無いかと思います。これも余分ですか私の母の実家は薬剤師の一族でした。興味在るのは家長の叔父は生前には著名な製薬会社の専務理事をしていました。この叔父は生涯自分と家族、親族には薬を一切飲ませませんでした。まあそれが何を意味するのかは各自でお考え頂くことにして本論に戻りましょう。

  神様のなさる奇跡と人間の技術が行う事が同質であるということが今日のポイントなのです。そこで考えなければならないのは「神様なんていない。」と言うことなのか、あるいは科学や技術は単に「神様のなさる事のまね。」と言うことなのか二者択一の問題を提供することになります。

  この問題も、あなたが自分で結論を出して頂くのが良いかと思います。

今日は、大変面白いモーセと彼の時代のエジプトの最新のファルマコス=薬剤師=魔術師=錬金術師=科学者=技術者の対決のお話でした。

四面楚歌

四面楚歌 出エジプト記6章30節

今日もモーセの苦しんだ事が記されいている箇所です。早速直訳をご紹介します。

旧約聖書 出エジプト記6章30節 ヘブル語原典直訳 

30 ・ そして彼は言った モシエ に 顔の ヤハウエ 見よ 私は 包皮の 両唇らの そして どうして 彼らが聞く に私 フアラオ

旧約聖書 出エジプト記6章30節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

30 ・そして 彼は言った モーセ 対面して 主の 見よ 私が 力ある声 私は存在し続けている 、そして どうして 彼が確かに中へ聞く 私の フアラオ?

 翻訳は不要でしょう。年老いた羊飼いのモーセが日焼けししわだらけの労働者の顔に貧粗なみなりの上、貧しい羊飼いの職業を示す杖を持ってどんなに当時の世界の最高権力者のエジプト王のファラオに命令しても、そんな話しにファラオが耳を全く貸さないのは自明でした。

 勿論イスラエル人達も同様でした。本当にかわいそうなのはモーセです。神様には「ファラオに言え」と言われるのですが、誰一人モーセの語る神様の言葉に耳を貸す者はいなかったのです。 

 ここで結論を記しておきましょう。もし本当に神様の言葉を語ったなら、今日でもおそらく誰一人その人の言っている言葉に耳を貸す人は誰一人現れないでしょう。

  この結論、あなたはどう思われますか? 30年間牧師をしてきて、私はこの聖書の言っている事「もし本当に『神様の言葉=聖書原典の主張』を語ると、それを聞く人はいなくなる。」という仮説は正しいと本当に思います。

  嘘だと思われたら、あなたもギリシャ語やヘブル語で聖書の原典を正しく理解してそれを正確にしかも理解できる様に神様を信じている人々にお話して見られると、私の今言っていることが正しいか、あるいは間違っているのか、簡単に分かりますよ!!

しかし、人によって語られたその言葉が神の言葉であればその言葉自身が働いて20年後、30年後になって、それを聞いてその言葉を否定し無視した当のご本人の心の内にその神の言葉が働いて、神様がその事を語られていたことを分からせるのです。その様にして語られた言葉が集められたものが聖書なのです。

  今日は、神様の言葉を語ったモーセがイスラエル人にも、またパロにも一切聞いて貰えなかった事の意味することのご紹介でした。

神の御心は悪

神の御心は悪 出エジプト記5章22節

 今日はすごい主題です。早速その箇所をご説明することにしましょう。何時もの様に聖書原典の直訳です。

旧約聖書 出エジプト記5章22節 ヘブル語原典直訳 

22 ・ そして 彼は戻った モシエ に ヤハウエ そして彼は言った 神私の に何故  あなたは悪にさした に 民 この に 何故 今 あなたは遣わした私 

旧約聖書 出エジプト記5章22節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

22 ・彼らは 上に戻った も モーセ 方に 主 そして 彼は言った 主よ 、通して 何 あなたは悪くした その 民を このを? そして 為に 何 あなたは遣わしている 私を?

翻訳にしなくとも分かり易い箇所ですがヘブル語の方の翻訳も記しておきましょう。

旧約聖書 出エジプト記5章22節 ヘブル語原典翻訳

22節 モーセはヤハウエの元に戻って彼は言った。「主よ何故あなたは悪を成した。この民に? 一体何の為に私を遣わしたのです。」

  モーセは「神様は必ずイスラエル民族にとって良いことをされる」と信じていた様ですが、事実は反対であった事を記しています。

  神様がなさったことは、エジプトの王パロから見ても、またイスラエルの民自身の判断も、さらにモーセの認識も全く同様でした。「神様が悪を成した。」という事です。しかし、それは全ての人間の目の前にであって、神様のお考えでは「それで良かった」と言う事を聖書は教えているのです。

  分かりますか! そう、聖書が言っているのは人間の全的堕落なのです。と言うことは堕落している人間には神の善は悪に見え、認識され、判断されると言うことなのです。たといモーセの眼力をもってしてもなのです。少なくともそう聖書には記されているのが今日のこの箇所の意味している事なのです。

  そればかりではありません。聖書全体が言っているのも全く同じ事なのです。 原罪に支配され、その影響から抜け出すことの出来ない人間には(勿論立派な信者と思い込んでいるキリスト者さんも含めます。)神様が悪をされていると言うのがその結論なのです。

 単純な分かりやすいお話にして説明しましょう。「人が死ぬことは善か悪かどちらですか。」勿論悪いことに決まっています。しかし、神様は間違いなく全ての人間を殺されます。そしてこの事は神様にとって当然良いことなのです。しかし、人間にはこれ以上の悪い事は存在しないのでは無いでしょうか。

  そしてこれ=全ての人間を死滅させることが神様にとって正しい事の根拠も明白です。なぜならば全ての人間は全的に堕落しきり、神様に敵対した思いと言葉と行いに明け暮れているからなのです。

  もし、神様が今までの多くの人間を殺さないで、いつまでも生きていたら、世の中がはどうなったでしょう? おそらく食料や土地を巡ってとっくに殺し合いが世界中で起きて人類は遅かれ、早かれ自滅してしまっていたことでしょう。これだけでも、人間が考えている善と神様が聖書に記しておられる「神様の善」には相当の隔たりがあることがお分かりでしょう。

  そんなわけでモーセは神様の働きを始めた最初、当然全ての人が神様のなさることを善と認識してくれると言う楽観論が間違っていることを先ず教えられなければならなかったのです。

  今日は、面白い神様と人間の善悪の逆転現象のご紹介でした。 

モーセ殺害未遂

モーセ殺害未遂 出エジプト記4章24節 

今日は出エジプト記の4章です。気になる箇所をさっそく記します。

旧約聖書 出エジプト記4章24節 ヘブル語原典直訳  

24 ・そして彼が起きた 中でその道 中でその宿泊場所 そして彼は 出会った彼 ヤハウエ そして彼は徹底的に要求した 殺さした事彼  

旧約聖書 出エジプト記4章24節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

24 ・ 彼が起きた も 中で その 道 中で その 宿泊所 彼が共に会った 彼に 使者が 主の そして 彼が要求した 彼を 殺す事。

ヘブル語を翻訳にします。

旧約聖書 出エジプト記4章24節 ヘブル語原典翻訳

24・丁度エジプトに向かう道中の宿泊場所で、モーセはヤハウエに出あった。すると神は、モーセを殺すことを要求した。

  サッパリ分からないのがこの箇所です。「神様がモーセをエジプトに遣わされたその道中で、神様ご自身が現れてそのモーセを殺そうとされた」事が記されてあるからです。

  一体なぜ、何の為にこんなことが起きたのかは全くどこにも理由が記されていません。しかしよく似た箇所が聖書にもう一カ所だけあります。それは、民数記の22章にはバラムにイスラエルを呪う為に招かれたバラムがその旅立ちの途中で神様の使いに殺されかけています。(民数記22章33節)

  分かることはどちらも神様は本当に殺す気は無く、未遂に終わりました。しかし、その事が起きた目的は明確だと思うのです。それは神様の言っていないことをあたかも言ったかの様に偽装して自分の利益を計ろうとする誘惑を封じる為であったと思われるのです。

  そして、バラムはその誘惑に負けてイスラエルに敵対し神の命によって処刑されました。(民数記31章8節)と言うことでたといモーセであってもその様な神様を語って、自分の為に悪用する危険があったので神様は遣わす前に、このようなモーセ殺害未遂をなされたのだと思われます。

  他にも、何かモーセが完全な人であってその様な警告は神の人モーセには必要ないという考えの人を良く見かけますが、それは当人の解釈の自由だと思います。

今日は、なかなか理解しにくい箇所のご紹介でした。

モーセの無能

モーセの無能  出エジプト記3章1節 

今日は有名な出エジプト記の3章を原典で読みました。重要な箇所が沢山在るのですが一カ所だけご紹介する事にします。早速直訳です。

出エジプト記3章1節 旧約聖書 ヘブル語原典直訳 

01 ・そして モシエ 彼が存在した 放牧している を その 群れの エテロ 義父彼の その 祭司の ミデアン そして 彼は追った を その 群れを 後 その 荒野 そして 彼は来た に 山の その 神ら ホレブ 

出エジプト記3章1節 旧約聖書 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

01・そして モーセは 彼が存在し続けていた 羊飼う その 羊ら ヨトル その 婚姻の 彼の その 祭司の マデイアン そして 彼は導いた その 羊らを 下に その 荒野 そして 彼が来た 中へ その 山 ホレブ。

出エジプト記3章1節 旧約聖書 ヘブル語原典直訳 

01:そしてモーセは未だに、彼の義父のミデヤン人の祭司であるエテロの羊の放牧に明け暮れていた。彼は荒野で群れを追い立てて神々の山ホレブに来た。

いったい何か問題かお気づきでしょうか? そう、モーセがエジプトで殺人事件を起こしてパロ王の追ってから逃げたのが40才のときでした。あれからもう40年の歳月が流れていたのです。そして、その間ずっと羊を買ってきたモーセは未だに自分の群れを持つ事すら出来なかったのです。

その原因は明白です。エジプト人は牧羊業を蔑んでいました(創世記46章34節)。当然、モーセはその職業に対する教育も、知識もまた意欲ももちえなかった事でしょう。特に宮廷で帝王学を学んだモーセにとっては熱い炎天下と寒い深夜のきつく汚物の処理などの仕事はまさしく3K(危険、汚い、きつい)で彼には全く不向きであったと思われます。

その上ネイテイブの羊飼いなら誰でも知っている羊の状態を見分ける資質もありませんでした。所詮モーセには羊飼いは向かなかったのです。その結果当然の帰結として、彼の羊の放牧が良い結果を得る事はあり得ない事は当然であったのです。

と言う事で今日は、モーセの半生が如何に不遇であったかのご紹介でした。

葦の棺桶

葦の棺桶 出エジプト記2章4節 

今日はモーセの棺桶のお話です。早速何時もの様に直訳です。 

 出エジプト記2章3節 旧約聖書 ヘブル語原典直訳 

03 ・ そして無い 彼女が持続した 続ける 覆い隠す事彼 そして彼女は使った に彼 柩(or櫃)の 葦 そして彼女は接合材した 中でアスフアルト そして歴青 そして彼女は位置さした 中にそれ をその子供 そして彼女は位置さした 中で葦 上に 縁 その 流れ 

出エジプト記2章3節 70人訳ギリシャ語旧約聖書原典直訳 

03 ・ のち も 無い 彼らは内在力していた 彼を 尚 隠す事、 彼は取った 彼に その 母 彼の箱を そして 彼は下に油を塗った 彼女を アスフアルト歴青に そして 彼らは中に取った その 子供を 中へ彼女 そして 彼は置いた 彼女を 中へ その 川辺低地 傍に その 川。

出エジプト記2章3節 旧約聖書 ヘブル語原典翻訳

その母はその子を出来る限り隠していたがとうとう彼女はその赤子に葦の茎で柩をつくり、アスファルトとピッチで隙間を充填して、そこに赤ん坊を安置した。そして彼女自らナイル川の縁の葦の茂みにその柩を固定した。

面白いのはまだ名もない嬰児モーセは早々と棺桶に入れられたと言う事なのです。新約聖書ではキリストが死に装束の赤ん坊であった事を以前ご紹介しました。詳細は以下リンク参照。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/3554984.html
URL http://www.ny.airnet.ne.jp/bible/bible/KBC/christmas/setukiyo.htm

そして今日は旧約聖書の最重要人物のモーセがやはり棺桶に入れられていた事が記されているのです。そしてモーセは約束の地カナンを目前にしてピスガ山で息絶えて死に、墓も無く葬儀すらも成されなかったのです。

申命記34章6節 直訳。
06 ・ そして彼は埋葬した を彼 中でその谷  中で地の モアブ 正面 ベス(家) ペオル そして無い 彼が知る 男 を 埋葬所彼 までその日 そのこの 

モーセはその生涯で見える業績は何一つ残せませんでした。ただ民をエジプトか導きそして約束の地の希望を与えただけに止まったのです。それ故に彼が埋葬されたピスガ山の麓の場所には何の墓標も建てられなかった様なのです。モーセが棺桶に入れられたのはおそらくこの嬰児のときだけであったと言う事なのです。

さて、もう一点今日はご紹介しなければなりません。それはモーセが新旧両約聖書を通じて最大の業績を成した原因もご紹介したいのです。それは、10節です。

出エジプト記2章10節 旧約聖書 ヘブル語原典直訳 

10 ・ そして彼は成長した その 子は そして彼が来さした 彼 に 娘 フアラオ そして 彼はなった に 彼女 に 息子 そして 彼女は呼んだ 名られ モシエー(引き出す) そして 彼女は言った として から その水 私が引いた彼

モーセがイスラエル民族の真の神様について教育を受けたのは此処に記されている母の元にいた乳児期のみなのです。

聖書のなかで大きな働きをした最大の人物はモーセである事には誰も異存はないでしょう。そして、その次はサムエルでは無いかと思うのです。両者の共通点が一つある事にお気づきでしょうか。いずれも「乳児期のみ母に育てられた」と言う事なのです。そして両者ともそれ以後の教育環境はお世辞にも良いとは言えない環境に置かれました。モーセはエジプトの多神教と権力闘争の狭間で、サムエルは不道徳な祭司エリの子供達と一緒に育てられたからです。しかし、モーセもサムエルも高い道徳水準を維持し、しかも能力的に抜群の力を発揮しています。私はこの事を若い青年時代から疑念を抱いていました。それは幼児教育ではなく、嬰児教育、乳児教育こそが教育の中で最も大切であると言う仮説を見いだしていたのです。

そして、その育児を自分の子供に施してみたのです。その結果はまだ出でいませんが、気になる方は以下のリンクをご覧ください。

http://bible.ne.jp/ikuji/

座分娩

座分娩 出エジプト記1章16節 

今日から毎朝のデボーションの聖書箇所が出エジプト記になりました。早速気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記1章16節 ヘブル語聖書原典直訳。

16 ・そして彼は言った  中でその徹底的に生み出す女ら をそのヒブル女 そしてあなた方は見る 上 その回転ら もし 息子 彼 そしてあなた方は殺す を彼 そしてもし 娘 彼女 そして彼は存在する 

出エジプト記1章16節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳。

16 ・ そして 彼は言った その時 あなた方が確かに助産する その ヘブルらを そして 彼らが存在した(為) 方に その 子を産む事、 もし 一方 男を 彼が存在した(為)、 あなた方は殺せ 彼を、もし も 女の、 あなた方は保護しろ 彼女を。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。
出エジプト記1章16節 ヘブル語聖書原典翻訳。

16 : そしてエジプト王ファラオは助産婦たちに言った。ヒブル女が出産した時、その回転台の上をみて、もし男児のときはあなた方が殺せ。そしてそれが女児のときはそのままにしろ。

注目したいのは出産用の回転台と言う言葉なのです。ヘブル語の言葉では「オベン」と言います。これは石と言う意味の「エベン」の最初の母音がオになった言葉で別の箇所では陶器師の使う「ろくろ」(エレミヤ18章3節)と訳出されている言葉です。おそらくこの出エジプト記も同様の構造の装置を表していると思われるのです。双数で用いられるので粉引き用の石臼で上石と下石に似た構造になっていた様です。

おそらく出産する妊婦さんはこの回転台の上に椅子の様な腰掛け分娩座がありそこに座って分娩し、この石の回転台の上に赤ちゃんを産み落とした様です。産婆さんはその赤ちゃんを回転さしてへその緒を切ったり後産を処置したと思われます。

そして、興味深いのは産婆さん達の19節の言葉です。

出エジプト記1章19節 ヘブル語聖書原典直訳

19 ・ そして彼女らは言った その 徹底的に生み出す女ら にフアラオ として 無い として女ら そのエジプト その ヘブル女ら として  生活女ら 彼らは 中で以前に 彼女らが来る に彼女ら その 徹底的に生み出す女ら そして 彼らは子を産む

これも翻訳にします。

出エジプト記1章19節 ヘブル語聖書原典翻訳

産婆たちはファラオに答えた。エジプト女と違ってヘブルの女は逞しいので産婆が到着する前にもう子を産んででしまっているのです。

おそらくこの言葉は本当であったと思われます。と言う事でイスラエルの女性の出産は大変簡単に出来た様なのです。その理由は単純明解です。そう座分娩で在る為赤ちゃんは自分の体重で自然に産道を下り、破水と同時にもう一気に産み落とされていたのです。

最近の出産は病院が多く、医師が処置しやすい様に妊婦さんを横に寝かせます。すると当然の事として出産はいきむ力が数十倍必要となり、赤ちゃんの負担も、また所要時間も数十倍になって難産と成るのです。

日本も西洋医学が普及する前は座分娩で一人の女性が10名以上もの赤ちゃんを家族だけで助産婦がいなくとも産み落としていました。しかし、戦後に病院で医師の儲けの為に出産が利用される様になって、医師の都合で妊婦と胎児に不都合な良くない分娩方式が広まったようです。

まあ人の商売の邪魔はしたくありませんが、聖書には本当に大切な事が記されていると思います。

悪を善にする神

悪を善にする神 創世記50章20節

今日は、創世記の最終章です。大変感動的な言葉が在りましたのでご紹介します。

創世記50章20節 ヘブル語原典直訳

20 ・そして あなた方 あなた方は実行(or勘定) した に私 邪悪(=不幸) 神ら 彼実行(勘定)した彼女(=邪悪) に善(=幸) に故に 作る事の として 日 そのこの に 生かす事の 民 多い 

創世記50章20節 70 人訳ギリシャ語聖書原典直訳

20 ・ あなた方は あなた方は企てた 下に 私 中へ 邪悪、 その も 神 彼は企てた 関して 私 中へ 善、 のために ともかく 彼が起きさせられた(為) 様に 今日、 為に 彼が通し養った(為) 民を 多くの。

翻訳にします。創世記50章20節 ヘブル語原典翻訳

あなた方は私を不幸した。しかし、神はその不幸によって多くの人を生かし幸福にした。

70人訳ギリシャ語原典翻訳

あなた方は私に災いを企てた。しかし、それは神が企てられた善となった。そして、神は多くの民族を養われた。

短く、人間の本質(=全的堕落した状態)を宣言し、同時に神の本質(=全知全能)によって神の意志が実現する事を語っている箇所です。

と言う事で、聖書の記された目的を如実に記しています。即ち、全人間の堕落と悲惨と邪悪の告発し、同時に神の人間の罪をさえ用いてご自身の聖く義しい愛の実現をされる偉大な神を人間に明示しているのです。

この聖書の主張の全く反対の聖書の読み方がありますが、それはとんでもない無知を暴露しています。

・その間違った読み方とは、「神様を信じた人間が善を行い、その結果神様の御心が現実になる」というユートピア思想です。

リベカの葬儀

リベカの葬儀 創世記49章31節 

 36年間一日として欠かす事なく、聖書を読んできました。3年間は社会人として、その後の約7年と少しは3つの神学校の在学中に、そしてその後の25年は牧師をしながら読み続けてきました。全巻を通読した回数は全く気にしなかったので明白ではありませんが、おそらく120回程度だと思います。これ以外に牧師の仕事として説教準備に読んだ物も相当ありますが、こんなに何回も読むのは単に「面白いから! 」というだけの理由なのです。今日ご紹介する箇所もその様な箇所です。早速直訳です。
 
創世記49章31節 ヘブル語原典直訳

31 ・ そこへ 彼らは埋葬した を アブラハム そしてを シャラー 女彼 そこへ 彼らが葬った を イサク そしてを リベカ 女彼 そしてそこへ 私が葬った を レア 

創世記49章31節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳
 
31 ・ そこに 彼らは葬った アブラハム そして サラを その 女を 彼の、 そこに 彼らは葬った イサク そして リベカ その 女 彼の、 そして そこに 私は葬った レア

翻訳は不要だと思います。一体何が面白いかお分かりでしょうか? そう 「埋葬した」と言う動詞の人称なのです。最初は2回とも3人称両性複数、そして3回目が1人称両性単数なのです。そこで注目しなければならないのは2回目の3人称両性複数です。「彼らが埋葬した。」と言う事なのですが埋葬されたのが自分の父と母なのです。 ヤコブの父イサクは創世記35章29節に「兄エサウとヤコブが葬った」事が記されていますが、母リベカの埋葬の記録は聖書の中に一切存在しないのです。唯一35章8節に母リベカの乳母デボラの埋葬が記されているのみです。

分かる事ですがヤコブが兄エサウの難を逃れて母リベカの指示によって母の実家のハラン滞在中に母は他界したらしい事が分かります。母リベカが「私があなたを呼び戻すから。」という約束は反故になった事が分かるのです。

さて、もう一つ興味の在るのはこの由緒あるアブララムの墓に埋葬されたのがヤコブの愛した妻ラケルでは無く、ヤコブに嫌われていた最初の妻レア(創世記29章31節)である点です。レアの死は聖書のどこにも知るさ来れていませんが唯一此の箇所でヤコブの正妻としての地位を得てイスラエル部族の母として由緒ある祖父アブラハムやサラと同じお墓にヤコブの手によって埋葬されたと言う事なのです。

聖書にはレアとその夫ヤコブその不幸なかかわりが多く記されていますが、夫の最愛の妻である自分の妹ラケルの死後(創世記35章19節)は目障りな妹もそしてその子ヨセフも失踪して、その間に正妻としての地位を確立した様子が偲ばれるのです。

本当に、聖書の記述は詳細で、読めば読むほど面白みが増すのです。

今日は、聖書に唯一残されているヤコブの母リベカの葬儀の手がかりの記述のご紹介でした。

略取した地

略取した地 創世記48章22節

聖書は良く読むと面白い書物です。それは何かと言うと、必ずどこかに反対の事が書かれているからです。今日の箇所もその様な典型的な箇所なのです。早速直訳を記します。

創世記48章22節ヘブル語原典直訳

22 ・ そして私 私は与えた にあなた 肩掛け(シケム=尾根?) 一 上 兄弟あなた 所は 私が取った から手の そのアモリ 中で 剣私の そして 中で弓私 

創世記48章22節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

22 ・ 私が も 私が与える あなたに シケム (ヘブル語シケム=肩掛け) 外に取ったを (ヘブル語は 一 )  超えて(上方) その 兄弟ら あなたの、 する所を 彼らは取った 出て 手 アモリらの 中で 剣 そして 短刀 そして 弓。 

一体どこが反対なのかお分かりでしょうか? 聖書を良く読まれている方には自明の事なのですが今日ご紹介した箇所と創世記の34章を比較して頂くと問題が判明するのです。そう創世記の34章ではハランの地からパレスチナ(カナンの地)に帰還したヤコブの娘デイナがシエケムによって監禁強姦された時謀略でその復讐をしてシエケムの町の男を殲滅したのでした。あの時、父ヤコブはその事に反対であった様な発言をしています。(創世記34章30節)しかし、今日の箇所では、反対にヤコブ自らが、剣と弓を使って漸くの事でシケムの町を略取したと言っているのです。

確かにあれから、今日の事が記されている時代までには40年近い歳月が流れているのですが 、だからといって ヤコブが老齢で思い違いをしている様子はありません。むしろヨセフの権勢があって始めて真実を言っても良い状況が起きている様な気がします。

所で、実は聖書にはこの他にも相反すると思われる、記述が多く見られます。例を上げればきりがないのですが民数記13章の一節にある「神様がカナンの地を偵察しろ」と言われたと記されている記述と申命記1章の22節にある「イスラエルの民の発案による約束の地偵察」の経緯は相反する様に見えるのです。いずれその箇所を読んだ時にお話ししますが、このような「一見すると矛盾」は殆どの重要な場面や教えにいずれも共通して存在しているのです。そして大抵の場合後から述べられている箇所の方がより真実を正確に表しているのも共通しています。

まあ簡単にその理由を説明しておきますと、こう言う事です。話す人、または見た人の立場が関係しているのです。在る出来事を右の人が見たとき左側に在る物は、その反対側に居る人からは左では無く右に見えます。これとよく似た状況が事実には存在する為、聖書はあえて相反する記述を正直に記しているのです。

今日は聖書を読む時に気をつけるポイントの一つのご紹介でした。

良い地と地震

良い地と地震 創世記47章11節 

今日ばエジプトに下ったヤコブとその子供達が移住したラメセスと言う土地について記した聖書箇所をご紹介したいと思います。早速直訳です。

創世記47章11節ヘブル語原典直訳

11 ・ そして彼は仮住まいさした ヨセフ を 父彼 そしてを 兄弟ら彼  そして彼は与えた に彼ら 所有地 中で地の エジプト 中で最も良いの その地 中で地の ラメセス(雷or振動?) として 所の 彼が徹底的に命じた フアラオ 

創世記47章11節70人訳ギリシャ語原典直訳

11 ・そして 彼は下に住んだ ヨセフ その 父を そして その 兄弟らを  彼の そして 彼は渡した 彼らに  下に持つを 中で 地 エジプト 中で その 最良 地 中で 地 ラメセス、丁度通りに 彼が方に命じた フアラオ。


創世記47章11節ヘブル語原典翻訳

11節・そしてヨセフは、その父と兄弟達に仮住まいさせた。彼らが所有したのはエジプトで最も良い地として知られるラメセスであった。エジプト王のファラオの命令があったからであった。

今日の箇所で気になるのはラメセスと言う言葉の意味です。どうもこれは「振動する」と言う意味があるらしいのです。ご存じの通り同じナイルデルタのアレキサンドリアの町のフアロス島には世界の七不思議と言われる高さ150mに及ぶ灯台が在りましが、14世紀に地震で瓦解したそうです。

と言う事でこの地域には時々地震が起きる場所なのです。その事を考えるともしかしたらこのラメセスと言う名が「揺れる地」だと言うことも納得が行きます。それゆえに良い地であったけれどももし地震が頻発する場所ならば当然当時は一帯が空き地になっていたことでしょう。そしてイスラエル民族がその地に住んでも、彼らは当時は遊牧民で天幕住まいでしたから、たとい地震が起きてもテントですから倒壊の心配はないし、たとい天幕が倒れても怪我の心配も全く必要なかったことでしょう。

今日はラメセスと言う土地のご紹介でした。注:このラメセスは「ra'meses」でエジプトの有名な大都市 「r'-ms-sw=ラメセス」と言う名の太陽の町とは別字。 

第二の車

第二の車 創世記46章28節29節 

今日はエジプトに奴隷として売られたヨセフが約20年ぶりに父ヤコブと再会する場所です。その時のありさまを見てみましょう。

創世記46章28節29節ヘブル語原典直訳
 
28 ・ そしてを イエフダー 彼は送った に顔(面)ら彼 に ヨセフ に 投げ込ました事の に顔(面)ら彼  ゴシエンへ そして 彼らは来た  地のへ ゴシエン 
29 ・ そして 彼は結んだ(or 投獄した) ヨセフ 戦車彼 彼は登った に出会う事の イスラエル 父彼 ゴシエンへ そして彼は見られた に彼 そして彼は落ちた 上首ら彼 そして彼は泣いた 上 首ら彼 尚 

創世記46章28節29節70人訳ギリシャ語原典直訳

28 ・ その も ユダを 彼は遣わした 面前に 彼の 方に ヨセフ 共に会う事 彼に 下に ホロオーン 町を 中へ 地 ラメセス。
29 ・ 轡したは(ヘブル語は彼は投獄する) も ヨセフ その 戦車らを 彼の 彼は登った 中へ 共に会う イスラエル その 父に 彼の 下に ヘルモオーン 町に そして 見たは 彼に 彼は上に落ちた 上に その 首 彼の そして 彼は泣いた 泣くに より多量に。

今日ご紹介するのは大変感動的な場面なのですがその様子をまず簡単にご説明しましょう。老いた父ヤコブとその妻や女達はヨセフの送った幌つき馬車でエジプトの軍用路「戦車道」をバレスチナの地からおそらく地中海沿(高低差の激しい中部のシュルへの道では無くおそらくより平坦なペリシテへの道で)いにエジプトへ南下します。父がエジプトの目的地ゴシエンの地にの直前に来たので、ヨセフに知らしたのはあのヨセフを奴隷に売り飛ばしたユダでした。

兄の報告を受けたヨセフはパロから支給された例の第二の戦車(41章43節)に威儀をととのえて正装して出迎えたのが今日の箇所の背景です。

今から4千年も前にエジプトには舗装された戦車道(軍用路)があり、しかも道を通る戦車はその乗る人の身分や地位によって戦車の格=ランクが決まっていたと言う聖書の記述に本当に驚かされます。

今日はヨセフが利用していたエジプトで第二の地位を表す戦車と当時の舗装道路のご紹介でした。

嘘の報告

嘘の報告 創世記45章26節 

今日は、エジプトに穀物を買いに行ったヨセフの兄弟らが、エジプトの支配者がヨセフであった事をしり、父の元に帰ってその報告をした箇所のご紹介です。さっそく何時もの様に直訳です。

旧約聖書創世記45章26節 ヘブル語原典直訳

26 ・ そして彼らは布告さした に彼 に言う事の 尚 ヨセフ 生きる そして とこし 彼 支配している 中で全ての 地の エジプト そして彼は途絶え(麻痺し)た 心彼 として 無い 彼が信頼さしたに彼ら 

旧約聖書創世記45章26節 70人訳ギリシャ語原典直訳

26 ・ そして 彼らは上に知らせた 彼に 言っているは それはと その 息子 あなたの ヨセフ 彼が生き続けている(ヘブル語は生きる)、そして 彼が 彼が支配し続けている  全ての 地の エジプト。 そして 彼は外に立っ(忘我し)た  その 通し理性 ヤコブ。 無い そして 彼が上に信頼した 彼らに。

ヘブルの方を翻訳にしてみます。

旧約聖書創世記45章26節 ヘブル語原典翻訳

彼の兄弟達が父に報告したのはこうである。「お父さん 何とヨセフは生きています。エジプトを支配しているのは実はヨセフだったのです。これを聞いた父ヤコブは唖然として、彼らの言う事を信じなかった。」

何か、変だと思いませんか。そう、自分達がヨセフをエジプトに向かうシシマエル人達に銀貨20枚で売り飛ばした事は一切話していないのです。言わなければならない事を隠して自分の責任をはぐらかし都合良く人を誤解に導いているヤコブの10人の兄弟達の浅はかな姿が見えてきます。勿論その中に首謀者で悔い改めたはずのユダも含まれています。

そりゃあ言えるはずが無いでしょう。自分の罪や失敗は相当追い詰められない限り、決して話そうとしないのが人間の自然の姿なのです。かなり後にこの事はヤコブに知らされますが、どうもそれはヨセフから父に話された様です。まあ、そういうわけで、人間とは何処までも嘘つきであるという事を此処から教えられたいと思います。

今日は、事ここに至っても真実を言わず、自分の成した悪行を取り繕うユダとその兄弟達の姿のご紹介でした。

ユダの改心

ユダの改心 創世記44章33節34節

といっても、イエスキリストを裏切ったイスカリオテのユダの事ではありません。ユダヤ民族の祖ヤコブの子のユダのお話です。早速直訳を見てみましょう。

旧約聖書創世記44章33節34節 ヘブル語原典直訳

33 ・ そして今 彼が仮住まいする どうか 奴隷あなた 下 その少年 奴隷 に主私 そしてその 少年 彼が登る 共に兄弟ら彼 
34 ・ として どこへ私 私が登る に 父私 そして その少年 無い彼 共に私 しない様に 私が見る 中で邪悪 所は 彼が見つける を父私 

旧約聖書創世記44章33節34節 ヘブル語原典直訳

33 ・ 今 そういうわけで 私が確かに側に留まる あなたに 子供(奴隷)は 対して その 子供(奴隷)の、 家奴隷 その 主の。 そのも 子供(奴隷)を あなたは上に行かせろ 共に その 兄弟ら。
34 ・ どうして そして 私が確かに上に行く 方に その 父、 その子供(奴隷) 無い 存在する 共に 私達? 為に 無い 私が見た(為) その 悪、 する所は 彼が確かに見つけた その 父を 私の。

旧約聖書創世記44章33節34節 ヘブル語原典翻訳。

33・どうかその子供の代わりにあなたの奴隷に私を留めてください。そして彼を兄弟たちと一緒に帰らしてやってください。
34・そうでなければ、私が何処に帰れるでしょう。この子無しに父の元に返ることは出来ません。私の父が苦しむのを見ることは私には出来ません。

おそらく20年程前になるでしょう。あの時ヨセフを奴隷として売り飛ばした張本人のユダが自ら進んでベニヤミンの代わりに私が「奴隷になる」と申し出たのです。彼は自分が話している相手がまさか自分が売り飛ばしたヨセフだとは知らずに申し出たのです。

売り飛ばされて苦しんだヨセフにとって、この言葉はヨセフを売った兄達も自分の罪の為に苦しんでいたことを納得させる言葉でした。ユダは自分自身がその報いとして二人の子と愛する妻を失い、自分が悲しませた自分の父ヤコブと同じ立場に追い込まれていたのです。そして、もし自分にたった一人残された子がいなくなったらどれ程悲しいかを同じ立場に追い込まれていたのです。そしてまして、老いた父にそんな悲しみを味合わせるならと思うと、自分から進んで「ナントカこのいい年の私をごの子供の身代わりにしてもらえないか。」と本心から申し出たのでした。

イスラエルの12部族の中で一番神様に祝福されるのはユダ部族なのですが、その原因がここに在るのです。そう、「兄弟の中で一番の悪」でしたが、しかし、神様に懲らしめられ、追い込まれて如何に自分が罪深い物であるかを知らされたからなのです。

聖書の基本原則です。何時も一番悪い人が神様に用いられるので。勿論、自分の悪行を自分の身の上に返されて、致し方無く自分の罪を認め、たという改心に追い込まれたからです。そう神様が正しかった事を人々に知らせる為に酷い罪人だけが神さまの意にかない神様にのお役に立つ事が出来るのです。

聖書が教えている基本はこれなのです。今日は、ヤコブの12人の子供達の中で何故ユダが今日も神様を信じる民として残されて行ったのかという原因となる聖書箇所のご紹介でした。

ユダの無責任

ユダの無責任 創世記43章8節9節 

 今日は創世記の43章で、飢饉のなか再び備品を持ってエジプトに行きそこで穀物に交換する箇所です。早速気になる箇所の直訳です。

旧約聖書創世記43章8節9節 ヘブル語原典直訳

08 ・ そして彼が言った イエフダー にイスラエル 父彼 あなたは送れ その少年 共に私たち 私達は立てよう そして私達は歩こう そして私たちは生きよう そして無い 私たちが死ぬ 更に 私たち 更に あなた方 さらに 子供(すばしっこい)ら私たち 
09 ・ 私が 私が抵当する彼 から手私の あなたが徹底的に探す彼 もし無い 私が行かせる彼 にあなた そして私が位置させる彼 に顔(面)らあなた そして私が罪する にあなた 全ての その日ら 
旧約聖書創世記43章8節9節 70人訳ギリシャ語原典直訳

08 ・ 彼は言った も ユダ 方に イスラエル その 父 彼の あなたは遣わせ その 子供を 共に 私、 そして 私たちは上に立つらは 私たちは確かに行く、 為に 私たちが生きる そして 無い 私たちが死ぬ そして私たちは そして あなた そして その 離れ備品は(ヘブル語はすばしっこい=子供) 私たちの。
09 ・ 私が も 私が外に受ける 彼を、 出て 手 私の あなたは生かせ 彼を。 もし 無い 私が導き続けている 彼を 方にあなた そして 私は確かに立たせる 彼を 面前に あなた、罪していたは 私が確かに罪する 方に あなた 全てらを  その 日らを。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。
旧約聖書創世記43章8節9節 ヘブル語原典翻訳

8節・その時、ユダは父のイスラエルに言った。お父さんある子供も私達と一緒に生かせてください。そうすれば私たちが生きれます。死ななくて済みます。あの子供も。
9節・私の体を担保にしますよ。私の手からあなたがそれを取れば良いでしょう。 もしも私が彼をあなたの顔の真ん前に戻せないなら、私が生きる限り罪お犯しま(有罪で)す。

今日の、ヨセフの弟ベニヤミンを行かそうとしない父ヤコブに、ベニヤミンの兄ヨセフを奴隷に売ったユダが二度も父を説得する為に話しています。

何故かお分かりでしょうか。そう、他の兄弟達の冷たい視線がユダに向けられていたからです。「飢饉で食料を買いにいけないのは、お前が弟を奴隷に売り飛ばす発案をしたからだ。」と父以外の兄弟達が思っていたからです。彼はその責任を免れる為に、父を説得する為にあの手この手を使っているのです。

という事で分かる事は、この場になってもユダは自分の非を素直に認める事が出来ず、あたかも自分が善人であるかの様な発言を弄して、場当たり的に穀物を得る為の条件闘争を展開しているのです。

彼=ユダが自分の非を認める為にはまだまだ追い込まれる事が必要であったのです。次回はその所を見る事にします。今日は、一見大変立派な人の様に見えるユダの発言の裏に画し込まれている自己欺瞞のご紹介でした。

穀物購入

穀物購入 創世記42章5節

今日原典で読んだ聖書箇所は昨日に引き続いた創世記の42章です。早速、気になる箇所をご紹介しましょう。

旧約聖書創世記42章5節 ヘブル語原典直訳

05 ・ そして彼らは来た 息子らの イスラエル に穀粒購入(販売)する事の その中で真ん中の その来るらは として 彼が存在した その飢饉 中で地の カナン

旧約聖書創世記42章5節 70人訳ギリシャ語原典直訳

05 ・ 彼らは来た も その 息子らは イスラエルの 買う事 共に その 来ているらの 彼らが存在している そして その 飢饉 中で 地 カナン。

旧約聖書創世記42章5節 ヘブル語原典翻訳

5・イスラエルの息子達は穀物販売に来た それは彼らが住んでいたカナンの地が飢饉の真っ只中であったからだ。

この箇所の翻訳には変な箇所がある事にお気づきでしょうか? そう 「穀物販売」と言う言葉です。ヘブル語ではシャバールと言う語で名詞では穀物となり、これが動詞になると「穀物を買う」という名詞から派生した動詞になります。ですから「穀物購入」と訳されますが、本当の意味は「穀物にする」と言う意味になります。

70人ギリシャ語訳には アゴラゾーと言う動詞に訳出されています。これはギリシャ語では本来「広場」を表す名詞アゴラの動詞形でこちらは「広場する」と言う意味になります。

と言う事でどちらの訳も本来売り買いの意味の無い言葉が用いられているのです。しかし、これらの言葉から面白い事が分かります。 まず時代的に新しいギリシャ語の時代にはかなり貨幣経済が広がっていましたが、やはりまだ物々交換も存在していました。その物々交換の場が「広場」であったのです。ですから「広場する」という意味のアゴラゾーは貨幣経済の発達した現代用語では「購入する」と訳出する事が適切なのです。

しかし、原文が言っているのは私達が考えている貨幣による購入ではなく、当時の当然の事としての家畜やその他の家財や地域の特産品などの物品をより必要な他の物品=食料に「物々交換」する意味であった事は自明です。

さらに古い時代のヘブル語の旧約聖書ではこれが「穀物する」となっているわけです。もうお分かりでしょう。そう、当時はまだ穀物は何処でも豊富にあった為、流通せず、商品として売買されることは殆どなかったのです。しかし、ヨセフの時代の大飢饉で、食料が枯渇してしまい、始めて他物と穀物を交換する必要が産まれたのです。

エジプトで穀物を販売するヨセフの元に来た兄達は、銀貨では無く、銀の食器や水差しといった日用品を運んできてエジフトで穀物に交換していたのです。そうなのです。当時のこのような売買の実際のありさまから、この、「銀の備品を穀物に変える」と言う意味で銀や他の物品を「穀物する」と言うこの言葉によって正確に記録されているのです。その意味で聖書のこの箇所の記録が相当時代を遡りった物である事が分かります。おそらく紀元前20世紀の時代にしか書きえない内在的証拠であり、後代には記しえない記述となっています。

貨幣経済の未発達な時代の常識ではありますが、私達の感覚からはほど遠い面白い表現がここに言葉がここに当てはめられているのです。

今日は、旧約聖書が如何に古い時代のことが、そのままその時代の普通の表現方法で記されている書物であるか、と言う原文の表現のご紹介でした。

ヨセフの妻

ヨセフの妻 創世記41章45節 

今日は昨日に引き続いて創世記の41章を読ました。様々に面白い事が記されている箇所ですが一カ所だけご紹介する事ににしましょう。

創世記41章45節 ヘブル語原典直訳

45 ・ そして彼は呼んだ ファラオ 名の ヨセフ ツァフナテ(その神が語り) パネアッハ(そして彼が生きる) 祭司の オン(太陽町=エジプトの主神) に 女 そして彼は出て来た ヨセフ に 地の エジプト 

創世記41章45節 70人訳ギリシャ語原典直訳

45 ・ そして彼は呼んだ ファラオ その 名 ヨセフ プソンソメファネク。 そして 彼は与えた 彼に その アセネト 娘を ペテフレ 祭司の 太陽の 町 彼に 女を。

創世記41章45節 ヘブル語原典翻訳

エジプト王のファラオはヨセフに「ツァフナテ パネアッハ」(神が語っても彼が生きた)と言う称号を与え、エジプトの主神であるオンの祭司の娘と結婚させて、神々と成し ヨセフはエジプトに出現させられた。

今日の箇所では宦官の妻への強姦未遂罪と言う冤罪で服役していたヨセフがエジプト王パロの夢を解きあかした結果、いきなりエジプトの最高権力者に抜擢される箇所です。まあお話しなければ理解いただけない記述が山程在るのですが、一カ所だけご紹介します。

上記の箇所です。翻訳はかなり意訳にしましたが大切なのは太陽神オンの祭司との結婚です。エジプトでは為政者は神と決まっていましたので、祭司と言う神に最も近い人の血を分けた妻を娶ると同時にヨセフはエジプトで神の位に位置づけられたのです。と言う事で神の霊の宿った人として支配階級に列せられたのです。

それはヨセフの様な外国人丈ではありません。王族その物も、神にならないと王には成れない仕組みだったのです。ですから、ヨセフが位の高い神となれば当然権力者としてエジプトの国では何の問題も無く認証されたのです。

今日は、ヨセフの結婚が意味した事のご紹介でした。

邪悪な顔

邪悪な顔 創世記40章7節 

今日は昨日に引き続いてエジプト王フアラオの宦官のお話です。早速気になる箇所の直訳を記します。

創世記40章7節 ヘブル語原典直訳

07 ・ 彼は尋ねた を 宦官らの フアラオ 所は を(or共に)彼 中で 見守りの 家の 主人ら彼 に言う事の 何故 顔(面)らあなた方 邪悪ら その日 

創世記40章7節 70人訳ギリシャ語原典直訳

07 ・そして 彼は尋ねている その 宦官らを  フアラオの、その 彼らが存在している 共に 彼 中で その 牢屋 側で その主 彼の、 言っているは 何 それは その 顔ら あなた方の 怒って見える 今日? 

創世記40章7節 ヘブル語原典翻訳 ・ 基本的に大差が無いのでヘブル語の方を翻訳にしてみます。

ヨセフは管理を任されている、フアラオの宦官達にいった。「どうして今日は、あなた方の顔が邪悪なのですか?」

今日の箇所に奴隷に売られたヨセフが何故に主人に重用されるかの、秘訣が記されています。そう、彼は人の顔色を見る事に長けていたのです。簡単な秘訣です。しかも、彼は的確に人の表情からその意味する事を察知する才能があったのです。勿論、その素質は、彼が少年時代からお父さんのヤコブに取り入ってきた事に原因が見いだされます。しかも、兄達の顔色は全く伺いませんでした。そう、権力在るものの顔だけをうかがう、如才なさがヨセフの最大の才能だったのです。

そして、もう一つは夢を解きあかす資質でした。そう自分が見た夢を得意になって兄達や父に話したように、彼には夢占いの才能があった様です。夢が深層心理の現れなのか、あるいは神様による未来の啓示なのか、はたまた、単なる過去の記憶の回想なのか、まあ様々な考え方はそれぞれ専門の方にお任せするとして、ヨセフにはその様な夢の意味を解説する才能があった事は確かな様です。

今日は、簡単にヨセフが持っていた才能をご紹介しました。

宦官の妻とヨセフ

宦官の妻とヨセフ 創世39章1節

題をご覧になれば今日の聖書箇所の展開はお分かりでしょう。そう奴隷にされたヨセフはエジプトの奴隷市場でエジプトの王フアラオの側近中の側近料理長に落札されたのです。早速その聖書箇所を見てみましょう。何時も様に直訳です。

創世記39章1節 ヘブル語原典直訳

01 ・ そしてヨセフ 彼は下らされた エジプトへ そして彼は獲得した彼 ポテイフアル 宦官の フアラオ 司の その調理(or護衛) 男の エジプト から手の その イシマエリテら 所は 彼らが下らさした彼 そこへ 

創世記39章1節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

01 ・ ヨセフは も 彼は下に導かれた 中へ エジプト、 そして 彼が獲得した 彼を ペテフレ その 宦官 パラオ、司料理、男 エジプト、 出て 手 イスマエルらの、 その 彼らは下に導いた 彼を そこに。  

今日は翻訳は不要でしょう。ユダの発案によって奴隷になったヨセフのその後が記されている箇所です。イシュマエル人達はヨセフを銀貨20枚で仕入れましたが、今日の箇所でヨセフはエジプトで相当に高く売れた様です。獲得と訳されたカナーは相当の対価を支払ってしかも競争相手があって漸く落札した事を示しています。ギリシャ語もクテーマイを当てており、この語は財産として獲得すると言う意味です。
  ヨセフは他の兄弟達とは違って父が手塩にかけて育てただけに、大都市エジプトでは高値で売れて、イシマエル人は大変な儲けを得た事が分かります。おそらく跡取り息子として他の兄弟達が家畜の世話に明け暮れている間にヨセフは両親や教養在る奴隷達から読み書き算盤を教えられ、しかも美味しい物を食べていたから体格も良く立ち居振る舞いも良かったためでしょう。

  当然、奴隷としての最高価格がつけられて、その様な財力を持った人に買われたのはとうぜんの成り行きでした。買ったのはエジプト王の料理長官ポテイフアルでした。

当然、高いお金を払って手に入れた奴隷ですから、その価格に見合った仕事が要求されます。そして、ヨセフはその期待通りの能力を発揮したのです。見事に主人の期待に応え主人は大変満足していた様です。

主人の思惑通り、ヨセフに自分の家の管理を任せきる事が出来、ポテイフアルは自分の仕事、王様パロの食事づくりに専念する事が出来るようになったのです。

さて、エジプトの常識ですが、王の食事の責任者は宦官と決まっていました。なにしろ跡取り息子の居る人間に料理の責任をもたせると良く王を暗殺する事件が多発したものですから、当然去勢されたものしかこの地位につく事は出来なかったからです。

しかし、驚くのはこの宦官には妻が存在していたと言う事実です。おそらくその地位に相応しく、教養も在り、その上美しく健康で魅力に溢れた女性であった事でしょう。しかし、夫婦関係は望みえない事であったのです。なぜならば夫は宦官で会ったからです。

彼女の前に登場したのが、若く、そして教養も在り体格も良い美男子ヨセフでした。彼女がヨセフに目をつけるのは避けられない事であったのです。7節には「そして彼女が担ぎ出した 女の 主人ら彼 を 目ら彼女 上 ヨセフ そして彼女は言った あなたは寝ろ 共に私 」と記されています。


おそらく、避けようとしても宦官の妻は若くて教養も体格も良い美男子のヨセフに目が向いてしまい、夫との間には望見えない性的な不満足がヨセフに向かって暴走してしまったのです。

いくら言い寄っても袖にされた妻はとうとう堪えられなくなり、家中の者を払い、ヨセフに言い寄ったのです。しかしヨセフはそれを拒みました。その結果は主人の妻が欲求不満からヒステリー状態になり、望みの叶わない事がヨセフに託する憎しみとなり復讐心に取り代わってしまったのです。

そして、ヨセフは主人の妻に対する強姦未遂罪で告発され、この種の告発に付き物の、被疑者には身の潔白を示す証拠もまた、証人も無く、有罪が確定してヨセフは獄屋に投じられてしまうのです。

しかし、本当の問題は、宦官が妻をもらい、しかもそれと分かって結婚していながら、その境遇に堪えられなかった主人の妻に最大の非が在ることは自明です。しかし、かといってその宦官の妻を責める事もあまりに酷である事も実際です。

今日は、ヨセフが売られて行った先のお屋敷で宦官の妻に言い寄られたヨセフにふりかかった災難のご紹介でした。

プロフィール

油食林間

Author:油食林間
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR