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謝肉祭

謝肉祭 レビ記7章15節16節

今日は焼き肉のお話です。早速直訳を記しましょう。

レビ記7章15節、16節 ヘブル語原典直訳 

15 ・ そして肉の 屠殺の 感謝祭の 平和祭 中で日の 奉納彼 彼は食べられる 無い 彼が留まらした から出てくる彼 まで 明け方 
16 ・ そして もし 誓い祭 又は 任意祭 屠殺するの 近づく(奉納)彼 中で日の その近づかした事彼 を屠殺彼 彼は食べられる そしてから 明日 そしてその止められた から出てくる彼 彼は食べられる

レビ記7章15節、16節 ヘブル語原典直訳 

15 ・ そして その 肉 犠牲の 賛美の 救いの 彼に 彼が確かに存在する そして 中で する所に 日に 賜物らは 彼は確かに食される。 無い 彼らが確かに下に残される から 彼 中へ 朝。
16 ・ そしてもし 祈り、 それとも 自発的を 彼が献げる(為) その 賜物を 彼の、 する所に ともかく 日に 彼が方に導く(為) その犠牲を 彼の、彼は確かに食される そして その 翌日。

  今日の聖書箇所は翻訳にしないで簡単に解説してみましょう。

  聖書が定めていた神様に献げる生贄には幾種類かあります。その中で 感謝祭(献げ物の意味)や誓祭、任意祭等が今日の箇所に該当します。全焼の生贄だけは全て焼いて煙にしてしまいます。しかしそれ以外の生贄は全く違ったのです。今日ご紹介ずく生贄は「神様の聖所で動物を屠殺して皆で食べる。」と言うのが今日の箇所なのです。 それが一体どういう意味を持っていたのかを端的に示しています。

 献げる動物は貧乏な人は鳩、すこし裕福な人は羊や山羊でお金持ちは大抵牛に決まっていました。献げる人はその動物を家(=と言っても当時は遊牧民族でテント)から幕屋の在る所まで家畜を連れてきます。そして屠殺します。当然の事として殺した動物は解体されます。一番美味しい箇所の胸肉は祭司にお礼としてプレゼントします。次に骨や皮や汚物等は決まりにしたがってそれぞれの部分がア処理されます。在るものは焼却され、また別の部分は祭壇の下働きをするレビ人に与えられます。そして美味しい肉はささげた当人が受け取るのです。

  考えてみて下さい。もし牛一匹を屠殺したら一体どれぐらいの枝肉が出来るでしょうか?雄牛は一頭400Kgはありますので少なく見積もっても200㌔は下らない大量の牛肉がささげた人の元に届きます。当然これは一緒に宮にお参りした家族や親戚一同で食べたのです。ある部分は焼き肉にされ(参考・第一サムエル記2章15節)、またある部分はしゃぶしゃぶに(参考・第二サムエル記2章13節)なります。しかし200キロを超える大量のお肉は50人で一人が1㎏食べたとしても4日以上かかります。おそらくどんなに頑張っても肉を日に1キロ異常は食べれないでしょう。しかし、今日の聖書箇所はそれを2日以内に食べる様に規定しているのです。

 と言う事は食べきれない肉がどうしても生じると言う事なのです。もし3日目まで残れば焼却処分=廃棄する事が決まっていました。と言う事は、そのお肉は誰かに無償であげたでしょう。

  そうナノです。イスラエルの国では神様の宮に行けば貧乏人でも誰でも美味しいお肉を只で振る舞って貰えたのです。しかも、穀物=最良の小麦粉=セミダリオンで焼かれたパンも一緒に食べれました。

  これは古代の大変優れた公共福祉事業となっていたのです。新約聖書の時代にもヨハネの福音書の5章2節に登場するベテスダの池のほとりの柱廊(=屋根つき施設)には沢山の病人が臥せっていたことが記されています。これらの人々もやはり宮にささげられる美味しい食料品らのお下がりに預かって生計を維持していたのです。 

  裕福な人々が感謝して神様に献げる献げ物が、貧しい人々や病人に惜しげも無く分け与えられ、しかも何の負い目も感じず、栄養満点の食事を十分に食べて満腹する事が出来たのです。

 それも、今から3千400年もの大昔の事なのです。イスラエルの国が聖書に従っている期間は何時もこの聖書の規定によって、富める者も、また貧しく、病めるものも感謝をもって生きる仕組みがモーセによって定められた律法(原文は法律)によって実現していたのです。今日は大変優れた旧約聖書の最も素晴らしい規定のご紹介でした。

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劫火

劫火 レビ記6章6節(邦訳レビ記6章13節)

今日はレビ記の6章を読みました。出エジプトの時の祭壇に燃やされた火のお話です。早速直訳です。

レビ記6章6節(邦訳レビ記6章13節)ヘブル語原典直訳 
06 ・大火災 常に 彼女は炉燃される 上 その祭壇 無い 彼女が消火する 

レビ記6章6節(邦訳レビ記6章13節)70人訳ギリシャ語原典直訳 
06 ・ そして 火は 通して 全て 彼は確かに燃やされる 上に その 祭壇、無い 彼が確かに火を消される。

 昔比叡山の根本中堂を見学した時に最澄が建立して以来1200年間もの不滅の法灯がありました。何でも信長を初めとする3度の焼き討ちにも耐えて今に至っているそうです。

 今日の聖書の箇所は比叡山よりもさらに2200年前の紀元前1440年の不滅の祭壇の劫火のお話です。こちらの火は残な事に、第一サムエル記4章に記されている戦争の結果消えてしまった様です。この時、紀元前1100年頃のペリシテ人との戦いでイスラエルが敗北し、その結果不滅の祭壇の劫火も消えてしまい結局300年程しか燃え続けなかったのです。 

 この炎は最初は移動式神殿=幕屋の祭壇の炎でした。移動式の事ですから、どんなふうにして移動中に炎を守ったのか気になる所です。おそらく携帯式の香炉の中に炭火の火種として保存し、そこから火を起こして祭壇に写し変えていた様です。

  天台宗の法灯は「一隅を照らす」という大変素晴らしい意義で昨年の5月20日に全国行脚が成された様です。 http://homepage3.nifty.com/gunmatendaiseinenkai/060520houtouangya.html 

  しかし、聖書の祭壇の炎はその様な世を照らす灯火というほのぼのとした概念ではなくもっと別の意味を持っていました。

  それは、この祭壇の炎が消されてはならないのはある事を人間に教えるためでした。それは、罪在る人間が死後に受ける不滅の地獄の劫火を表す物であったのです。

 今日は聖書に記された祭壇の炎を消してはならないと言われている意味のご紹介でした。

非証罪

非証罪  レビ記5章1節 

今日はレビ記の5章を原典で読みました。早速気になる箇所を御紹介しましょう。

レビ記5章1節 ヘブル語原典直訳 

05 01 ・ そして 生活 として 彼が罪した そして 彼が聞いた 声の 誓約 そして 彼は 証言 それとも 彼が見た それとも 彼が知った もし 無い 彼が布告させる そして彼が担ぎ出す 刑罰彼

レビ記5章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

05 01 ・ もし も 生活が 彼が罪した(為) そして 彼が聞いた(為) 声を 誓いの そして これは 目撃証言 (それとも  彼が見ていた それとも  彼が共に知っていた=共謀)、 もし 無い 彼が知らされた(為)、彼が確かに受け取る その 罪を。

レビ記5章1節 ヘブル語原典翻訳

・誰かが罪を犯した時、その裁判で誓約して証言に立った人がもし、自分の見た事や、知っている事を証言しないならその人は自分の上に被告が受けるべき刑罰を背負わされる。

 「犯罪人を匿ったり、証言する立場に在る人が、証言を拒否すると、犯人に課せられる刑罰を背負う。」という神様の掟が記されている箇所です。今日の様々な事件や事象(意味深い言葉です。=本当は犯罪や事件事故なのに誰も証言する人が起きてこない為に表面に出てこない犯罪)に人々の心が冷えきっている時代に、今日の聖書の箇所は警告を与えているのです。
 神様はこの地上で悪人が犯罪を犯しても捕まらないで逃げ徳をする様な事が無い様に、証言をしない人に対して厳罰を課す様に定められたのです。
 
  本当に考えさせられる聖書の主張のご紹介でした。

集団罪

集団罪 レビ記4章13節 

今日は罪を犯した物が献げる罪祭についての箇所でした。早速気になる箇所の直訳です。

レビ記4章13節 ヘブル語原典直訳  

13 ・ そして もし 全ての 会合の イスラエル 彼らが間違う そして彼が隠される 言葉 から目らの その集会 そして彼らが作る 一の から 全ての 十戒らの ヤハウエ 所は無い 彼女らが行わされる そして彼らは罪に定めた

レビ記4章13節 70人訳ギリシャ語原典直訳  

13 ・ もし も 全てら  会衆が イスラエル 彼が知らないで罪した(為) 非自主的の そして 彼が隠れていた(為) 話が 出て 目らの その 会衆の そして 彼らが行った(為) 一 から 全てらの その 戒めらの 主の、する所に 無い 彼が確かに行わされた、そして 彼らが調子を外した(為) 

  今日の箇所は大変意味深い聖書箇所です。何故ならレビ記の4章の3節~12節は罪を贖う祭司が罪を犯した場合、13節~21節はイスラエルの全会衆=国家=民族が罪を犯した場合、そうして22節から25節は上に立つ者=王や高級官僚か罪を犯した場合の罪が赦されるための規定なのです。

  今日の聖書の箇所には大変重要な事が言われています。それは人々を指導し、取り締まる者が罪を犯すと言う事が初めから想定されているのです。その意味する事は、「聖書は全人類の性悪説を前提にしている。」と言う紛れもない事実なのです。

  当然此の箇所から判明する事は、国家や官僚機構、医療、司法、警察の腐敗と言う事です。勿論、地上の全教会や宗教指導者が罪を犯す事が当然の事として、世界の秩序は構築されなければならないと言う事を教えているのです。

  しかし、現実にはこんな事を前提にして社会の制度を構築するのは本当に大変です。何故なら、何一つこの世界には根拠となる拠り所は存在しないと言う事を意味しているからなのです。

  当然、その様な「宗教的指導者達によって翻訳された聖書も間違いだらけ。」と言う事が前提になっているからなのです。

そればかりではありません。今日の聖書の箇所を翻訳にしてみると問題が如何に深刻であるかが判明します。

レビ記4章13節 ヘブル語原典翻訳

4章13節・もしも、イスラエルの会衆(=国会)が認識出来ない罪を犯し、この事が会衆(=国会)の目に隠されていても、また、逆に神様の10の戒めが命じている事を彼ら(国会)が行わなかった場合にも、会衆(=国会)は罪に定められる。

  と言う事で、問題は神様の命令に違反した場合だけではなく、それを意識、無意識の区別無く行わなかった場合も罪に定められる事が規定されているのです。と言う事は、悪を行った場合は勿論、「成すべき善をしない」事も罪(新約聖書のヤコブ4章17節)であると言う事なのです。

 ・蛇足ですが、聖書が正しく翻訳出来てない事実があればそれ自体が当事者に対して罪であることは自明なのです。

※注:ヤコブ4章17節直訳 
17 ・知られていることに そういうわけで 良いを 行うこと  そして 無い 行われるに 罪 彼に 彼があり続ける。 
翻訳にします。→「行われるべき善を行わない罪」が彼に存在し続けている事が知られている。   
 
 と言う事で、今日は誰もがしっかりと考えなければならない聖書の大前提をご紹介しました。

脂身と血の飲食禁止

脂身と血の飲食禁止 レビ記3章17節

 今日はレビ記の3章を原典で読みました。早速気になる箇所をご紹介しましょう。

旧約聖書 ヘブル語原典レビ記3章17節直訳
17 ・ 法令の 永遠 に世代ら彼ら 中で全ての 居住地らあなた方 全て 油肉 そして全ての 血 無い あなた方が食べる  

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典レビ記3章17節直訳

17 ・ 習慣 中へ その 永遠 中へ その 世代 あなた方の 中で 全て 住んでいる あなた方の。 全て 獣脂 そして 全て 血 ない あなた方は確かに食べる。

簡単明瞭な聖書の記載です。一切の解釈や解説は不要かと思います。動物の油身と血液は絶対に食べてはならないと言う命令です。そして限定があります。それは、「あなた方の居住地」即ちパレスチナの地域限定の命令なのです。

 そして動物の血液は当然絞り出し、また肉に含まれる血液は良く煮てから食べる様に命じられています。その原因はおそらくこのバレスチナの風土病であるペスト=黒死病対策です。本来バレスチナの土中に生息するペスト菌は土中に生息する小動物に感染し、次にそれらを捕食する雑食動物に感染を広めます。ですからペスト菌は動物の血液中に生息し、食物連鎖を介して伝染を広めるのです。特に蚤が感染獣から吸血すると胃でペスト菌のコロニーができ胃の出口を塞ぐため、蚤は吸血した血が腸に来なくなり、渇水状態となり手当たり次第に吸血を繰り返します。その時に、吸血した動物の血液が出口の無い胃袋でペスト菌と攪拌し吸血されている動物に逆流してペスト菌を注射して爆発的にペストが感染を広めるのです。聖書にはこのペスト菌によって幾度ものペストの流行が記されています。特にこの地域の風土病に無知な諸外国の軍隊はこの地に野宿して後の壊滅が聖書に幾度と無く記されています。

  ペストの拳著な感染の記録はサムエル記5章6章に記されたペリシテの侵略軍と彼らの植民地の壊滅。イザヤ37章36節から38節=第2列王記19章36節のBC721年アッシリャ侵略軍の壊滅。特に後者は凄まじい空気感染を引き起こす肺ペストの発生があった様です。そして最大の被害は聖書を全く学ばない中世のヨーロッパキリスト教国の十字軍によってもたらされたヨーロッパのペスト大流行です。

さて、もう一つの獣脂が禁じられている理由はおそらく肥満の予防による成人病予防かと思われます。これは今日の飽食の時代丈ではなくいつの時代にも人類の大敵で、おそらく今日でもペスト以上に多くの人を死に追いやっている原因ではないでしょうか。

今日は、聖書が記している宗教のタブーと言う形式での健康維持に対する命令のご紹介でした。

セミダリオン(良質小麦粉)

セミダリオン(良質小麦粉)レビ記2章1節 

 今日は穀物の献げ物が記された箇所のご紹介です。早速直訳を記します。

レビ記2章1節 ヘブル語原典直訳 
02 01 ・ そして 生活 として 彼女が近づかせる 近づく(奉納)の 献物 にヤハウエ 小麦粉 彼が存在する 奉納彼 そして彼は注ぐ 上に彼女 油 そして彼は当てえる 上に彼女  乳香

レビ記2章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳 
02 01 ・ もし も 生活は 方に運んだ(為) 賜物を 犠牲を その 主に、 小麦粉 彼が確かに存在する その 賜物 彼の、そして 彼は確かに上に注ぐ 上に 彼 オリーブ油 そして 彼は確かに上に置く 上に 彼 乳香。 犠牲 彼が存在し続けている。

 昨日紹介したのは牛や羊のコルバン(奉納)でした。今日はその次に登場する穀物の コルバン(奉納)の実際の物のご紹介です。 

 モーセがこのレビ記を記した当時の穀物には大麦や小麦でした。しかし、今日ご紹介する小麦はその中でも「最良の小麦」だけが神様に献げられるものでした。 ヘブル語では「ソレス」ギリシャ語では「セミダリオン」と言う言葉が使われています。 

 私のヤフーIDはこの“semidalion”にしています。ギリシャ語σεμιδαλιονで「最良の小麦粉」
(finest wheaten flower=σεμιδαλιsの対格単数=セミダリオン)です。 聖書の中ではパレスチナのゴラ
ン高原の隣にある肥沃なハウラン高地で栽培された小麦で作られた上等の小麦粉をさします。
 創世記の18章でアブラハムの天幕に神様が来られた折りに彼がこの小麦粉で作った種なしパンでもてなして以来、神様に献げる小麦粉やパンは全てこの粉で作られることになっています。

コルバン

コルバン レビ記1章 2節 

今日から毎朝のデボーションの聖書箇所がレビ記になりました。早速今日の聖書箇所から気になる箇所をご紹介しましょう。

レビ記1章 2節 ヘブル語原典直訳 

02 ・ あなたは徹底的に話せ に 息子らの イスラエル そして あなたは言う に彼ら 男は として 彼が近づかせる からあなた方 近づく(奉納) に ヤハウエ から その 家畜  から その 獣群 そしてから その 群れ あなた方は近づかせる を  近づく(奉納)あなた方 

レビ記1章 2節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

02 ・ あなたは言え その 息子らに イスラエルに そして あなたは確かに言う 方に 彼ら 人間は 出て あなた方の もし 彼が方に導く(為) 賜物らを その 主に から その 家畜ら、から その 雄牛ら そして から その 羊ら、 あなたがたは方に運べ その 賜物らを あなた方の。

特に翻訳は不要かと思います。気になる言葉はヘブル語で「コルバン」で直訳すると「近づく」一般の翻訳では「奉納」かあるいは「献げ物」となり、この語を70人訳は「ドーロン=無償の賜物」と訳出しています。 

 イエスキリストが新約聖書のマルコの福音書7章11節でパリサイ人との議論で「父母を尊ぶ品物をコルバン(=献げ物)にしてしまったと申し出れば父母には孝行しなくて良い。」と糾弾した箇所に登場する言葉です。

 この言葉の詳しい解説は止めておきますが、旧約聖書、特にレビ記には頻繁に登場する言葉です。そして、この献げ物を意味するコルバンと言うヘブル語の意味は神様に自分が「近づく」と言う事なのです。

  そして70人訳はこれをドーロンと訳出しています。こちらは「無償の賜物」=プレゼントと言う意味で。お礼ではなく、神様の恒日頃の恩恵に対する感謝を表す無代価の贈答品を表しています。と言う事で、献げ物=献金とは、神様に要求を通す為の代価でも無く、また何かをお願いするための寄付でもなく、感謝を表明する事と神様へのお近づきの印と言う事になります。 

引き抜き

引き抜き 出エジプト記40章36節 

今日で出エジプト記は最後の章です。早速、気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記40章36節ヘブル語原典直訳  
36 ・そして中で登らされた事 その黒雲 から上 その幕屋 彼が引き抜く(or旅する)  息子らの イスラエル 中で全て 引き抜く(or旅する)ら彼ら 

出エジプト記40章36節 70人訳ギリシャ語原典直訳 
36 ・の時に も ともかく 彼が登った その 雲 から その 天幕、 無い  彼らが上に軛(or進軍)する その 息子らの イスラエル 共に その 今からに 彼らの。

  今日ご紹介するのは「旅する」とか「出発する」と翻訳されているヘブル語の「ナシャー」=「引き抜く」と言う言葉です。この言葉には当時の時代背景が如実に反映されています。 そう天幕生活をしていた出エジプトの民にとって旅するとは文字通り天幕を支持している棒や止め釘を地面から引き抜く事を意味したからです。勿論天幕を張っているロープも引き抜く必要があります。

  と言う事で、このような記述は天幕生活をしていた人物以外は記しえない記録である事が分かります。

今日は、面白いヘブル語「ナシャー」=引き抜く(出発or旅する)と言う言葉のご紹介でした。

写本の損壊

写本の損壊 出エジプト記39章1節 

今日は出エジプト記の終わりの部分にさしかかりました。気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記39章1節 ヘブル語原典直訳 
39 01 ・ そして から その スミレ色 そして その紫色 そして 虫の その 緋色 彼らは作った 長い上着らの 織物 に 徹底的に奉仕する事 中でその聖 そして彼らは作った を 長い上着ら その聖 所は に アロン として 所は 彼が徹底的に命じた ヤハウエ を モシエ 

出エジプト記39章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳 
39 01 ・ 全てを  その 金を、所を 彼が下に仕事された なかへ その 仕事ら 下に 全てら その 仕事を その 聖らの、 彼が起きた 金の その  その 初穂の 9 そして 20 タラント(36Kg) そして 700 20 シケル(11.42g)ら 下に その シケル(11.42g)を その 聖を (ヘブル語38章24節相当)

  一目瞭然ですが、ヘブル語の原典とギリシャ語の70人訳の原典はこの当たりはものすごく相違しています。勿論70人訳の方に問題があります。実際に原典を読んでみると章と節に大きな食い違いが在るだけではなく、総節数も派手に異なっていて、驚くほどの違いが顕著です。

  勿論、問題の70人訳の方の相違している原因も明白なのです。ご存じの通り古代の聖書は羊皮紙に記された巻物でした。おそらくその相違の原因は70人訳の翻訳者が持っていたヘブル語の旧約聖書の巻物原本の外側のある部分が欠落していたようです。 

  欠落箇所の位置や分量がどうも保存されていた状態で巻物のおそらく下側の部分が虫が喰ったか、あるいは黴で判別不可能に陥っていたと思われます。

  そして、驚くのは欠落していた部分を想像や創作によって補わなかったことです。その理由は簡単です。70人訳の方がこの部分(35章から40章)の分量が少なく、順序がかなり入れ代わっています。その理由は以下のようなものと思われます。翻訳者が入手できた翻訳の底本となる旧約聖書の巻物の出エジフト記の終わり=外側のこのあたりがかなり酷く腐ったか、あるいは火祭等が原因と考えられる出来事で巻物のこの部分のかなりの分量が脱落、あるいは断片化して順序も不確定となったのが原因と思われます。

  そして、明らかに分かっている他の平行記事が在るにも関わらず、敢えて70人訳はその部分の翻訳をさけているのです。 それは、彼らが聖書原典に対して抱いていた聖書原文に対する慎重で人間の意志や想像が混入しない様に、最新の注意を払った事が判明するのです。 

   その意味で此の箇所のヘブル語原典と70人訳ギリシャ語訳原典の相違は、70人訳が翻訳されたであろう紀元前3世紀にも明白な聖書聖典の認識が存在していた事が分かるのです。

  というわけで、今日は、写本の損壊を敢えて修復させないで、そのまま訳出したことに隠されている重大な当時の聖書聖典にたいする畏怖の念をご紹介しました。

なめし革とジュゴン?

なめし革とジュゴン? 出エジプト記34章29節ヘブル語直訳

今日はジュゴンの皮にについての聖書箇所です。早速直訳です。 

出エジプト記35章7節ヘブル語直訳

07 ・ そして 皮らの 雄羊 徹底的に赤くされたら そして 皮らの なめされたら そして 木らの アカシヤら 

出エジプト記35章7節 70人訳ギリシャ語原典直訳

07 ・そして 皮らを 雄羊らの 赤くなめされたらを  そして 皮ら 濃青色ら そして 木ら 不朽(アカシヤ)ら 

今日の箇所も翻訳は不要でしょう。一般の翻訳ではいずれもジュゴンの皮になっているのですか原文にはそんな言葉はどこにも記されていないのです。

どうしそんなふうに翻訳できるのか摩訶不思議な翻訳のご紹介でした。

放射性顔

放射性顔 出エジプト記34章29節 

  今日は面白い箇所をご紹介しましょう。モーセの顔が放射性顔になった事を記した聖書の箇所のご紹介です。

出エジプト記34章29節ヘブル語直訳

29 ・ そして彼が在った 中で 下る事 モシエ から 山の シナ  そして 2ら 板らの その証言 中で手の モシエ 中で 下る事彼 から その山 そして モシエ 無い 彼が知った として 彼が放射 (角、 Lxxは栄光を現されていた)した 肌の 顔(面)ら彼 中で 徹底的に話す事彼 を彼

出エジプト記34章29節70人訳ギリシャ語直訳 

29 ・ の様に も 彼が下に来た(ヘブル語は不定法) モーセは 出て その 山 、そして その 2 平板らは 上に その 手らの モーセ。 下に来たは も 彼の 出て その 山 モーセは 無い 彼が知ってしまっていた それは 彼が栄光を現されていた その 容貌が その 肌の その 顔の 彼の 中で その 喋る事 彼を 彼に。 

出エジプト記34章29節ヘブル語翻訳

29・モーセがシナイ山から手に二枚の石の板を携えて下った時、神と話した為に彼の顔の肌が放射能を持っている事を知らなかった。

 放射能と言ってもいわゆるアルフアー線やガンマ線の様に人体に有害な放射のでは無く、可視光線を発したと言う意味の様です。しかし、いずれにしても人間の皮膚が発光するなんて言うお話は他にはお目にかかった事がありません。と言う事は説明できない超科学的現象と言う事になり、全く説明のしようがない出来事であったと言う事なのです。

  今日は大変興味在るモーセの顔が放射能(可視光線の)を持ったと言う聖書の記録のご紹介でした。

不可視神

不可視神 出エジプト記33章20節

 今日は出エジフト記の33章を読みました。早速気になる箇所をご紹介しましょう。

出エジプト記33章20節 ヘブル語原典直訳 

20 ・ そして 彼は言った 無い あなたが出来る に 見る事 を 顔(面)ら私 そして 無い 彼が見た私 その男 彼が存在する

出エジプト記33章20節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

20 ・ そして 彼は言った 無い あなたが確かに内在力する 見る事 私の その 顔を。無い そして決して あなたが確かに見る(or彼が見た(為)) 人間が その 顔を 私の そして 彼が確かに自分のために生きる。 

出エジプト記33章20節 ヘブル語原典翻訳

20・そして、神は言われた。あなたには私の顔を見る能力は無い。そして、そんなことが出来る人はいない。

 今日の箇所は実に簡単な箇所です。「人間の目では神様は見えない。」と言うのです。良く「神様を見せろ、そうすれば神様を信じてやる。」と言う人にお目にかかりますが、その人に対する解答は「あなたの目に見える様な神様はいないし、いたらそれは本当の神ではない。」と言う事なのです。

  人間の目で見えない物は、大抵顕微鏡や望遠鏡を使えば見えるのですが、残念なことにその様な装置を駆使しても人間の力では「神様は視界に入りきらない。」ほど大きい過ぎると言うことなのです。 

 まあ、人間の目に地球が見えないのと同じように宇宙をも作られた神様がそんな安物の目で見えるわけが無い。と言うことなのです。

 今日もたいへん簡単で明瞭な聖書の主張でした。

隣人を殺せ

隣人を殺せ 出エジプト記 32章27節 

 今日は普通の理解では理解不可能な聖書の箇所です。早速直訳です。  

出エジプト記 32章27節 ヘブル語原典直訳 

32・ そして彼は言った に彼ら こう 彼が言った ヤハウエ 神の イスラエル あなた方はおけ 男は 刀彼 上にの 腿彼 あなた方は通り過ごせ そして あなた方は戻れ から 門 に門 中で その宿営 そして あなた方は殺害しろ 男 を 兄弟ら彼 そして男 を  共にいる彼 そして男 を 近い彼

出エジプト記 32章27節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

・ そして 彼は言い続けている 彼らに 次の事 彼は言い続けている 主は その 神 イスラエル あなたは置け 各々 その 自分自身に 幅広長剣 上に その 腿 そして あなたは通し来い そして あなたは上に曲げろ から 入り口 上に 入り口 通して その 宿営 そして あなた方は殺せ 各々 その 兄弟を 彼の そして 各々 その近いを 彼の そして 各々 その 隣人を 彼の。

出エジプト記 32章27節 ヘブル語原典翻訳

 32・そして、モーセは同族のレビ部族に言った。イスラエルの神ヤハウエはこう言われる。あなた方は剣を帯びし、民の宿営の家々の門から門へと通り行き同族も、男も仲間も、隣人も、殺せ。

  いやはや神様の言葉を破ったイスラエルの人々に対してモーセは大変な剣幕です。モーセに従ったレビ部族の剣によって実際にこの日だけで「3千人を殺した」と聖書は記しています。

  まあ、こんなことが記された聖書の箇所は、普通の教会関係の書物や、牧師や神父様のお説教ではまともに取り扱わない典型的な聖書の箇所だと思います。

  しかし、聖書の中では良く見られる展開をしている箇所なのです。第一、モーセ自身もこの記事を記す40数年前には剣で無実のエジプト人を切り殺しているからです。(出エジプト記2章12節)

  そして、神様が神様の言葉従わない人々には明白にその人に対する断罪と報復をすると幾度も語られているのです。

  この事を通して私たちが知るべきことは唯一なのです。それは「人が人を殺しても殺さなくとも人は死んでいく」と言う事であり、それを人間が自分の意志で他人を殺害しても大勢に影響がないと言うことなのです。そして、その原因は続く30節に記されています。人間は全て罪人で、その罪を贖う=誰かが代価を払って買い戻さなければ神の前に誰一人立ち得ないと言うことなのです。

  今日は、随分と高飛車なお話でしたが、聖書が言っている基本的な事がはっきりする聖書箇所のご紹介でした。 

人術と神指

人術と神指 出エジプト記31章3節、18節

今日は大変対照的な事の記されている聖書箇所でした。神様の命じられたことをなし遂げる為に必要な全技術知識をもった一人の人間と神ご自身の指の業を記した聖書の箇所でした。早速その両者の原典を以下に記します。

出エジプト記31章3節、18節 ヘブル語原典直訳 

03 ・ そして 私は徹底的に満ちさせた を 彼 霊の 神ら 中で 賢い そして 中で識別 そして 中で情報 そして 中で全ての 占領
18 ・ そして 彼が与えた に モシエ として 徹底的に完成する事 に徹底的に言葉する事 を彼 中で山の シナ  両の 板らの その 証言 板らの 石 刻まれたら 中で 指の 神ら 

出エジプト記31章3節、18節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

03 ・ そして 私が中で満たした 彼を 霊を 神を 智恵の そして 理解力の そして 経験の 中で全て 仕事
18 ・ そして 彼は引き渡した モーセに、時に 彼が下に止めた 話すは 彼に 中で その 山 そのシナ、 その 2 平板らを その 目撃証言の、平板らを 石らを 書かれている その 指に その 神の。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。

出エジプト記31章3節、18節 ヘブル語原典翻訳

03・わたしは神の霊で彼(ベツアルエル)を満たす。その霊は賢明で物を識別し、情報と全ての専門に長けている。

18・そして、神はモーセに、神が話し終えた言葉である事の目撃証人として、神ご自身の指によって二枚の平石板に記録したその二枚の平石版を与えられた。

面白いですね、神様の命じられたことには、神様がその為に必要な知識と技術と専門の能力を備えられると言う床です。

また、神様の言葉その物は神様ご自身が書き記して保存しょうとされたと言うことです。これらを言い換えれば全ては神様の「自作自演」と言うことになるかと思います。

そして、この主張は歴史にも、また全ての世界の出来事にも当てはめられる基本原則であると聖書が言っているのです。そう 歴史は His+Story =historyと言うことです。

軟膏塗り=祭司の任職

軟膏塗り=祭司の任職 出エジプト記30章30節31節 

 最近は聖書をギリシャ語やヘブル語の原文丈で読んでいます。それでも以前は日本語などの翻訳も必ず平行して読んでいましたがつまらないので邦訳聖書を読むのは止めてしまいました。何故なら翻訳はやはり翻訳にすぎないからです。今日はその違いをご紹介しましょう。

早速、何時もの様に直訳です。

出エジプト記30章30節31節 ヘブル語原典直訳 

30 ・ そして を アロン そしてを 息子ら彼 あなたは塗り付ける そして あなたは徹底的に聖する を彼ら に祭司する事 に私 
31 ・ そしてを 息子らの イスラエル あなたは徹底的に言う に言う事 油の 軟膏の 聖 彼が存在する これ に私 に 世代ら あなた方 

出エジプト記30章30節31節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

30 ・ そして ヤハウエ そして その 息子らの 彼の あなたは確かに油を塗る そして あなたは確かに聖する 彼らを 祭司する事 私に。
31 ・そして その 息子らの イスラエル あなたは確かに話す 言っているは オリーブ油  塗り油 油を塗るの 聖を 彼らが確かに存在する この事  あなた方に 中で その 氏族 あなた方の。 

 面白いですね。今日の箇所は大祭司アロンの任職を記した箇所なのです。ヘブル語の原典では「軟膏を塗り付ける」となっているのです。70人訳は「油を塗り付ける。」なのです。この塗り付けるがヘブル語では「メシャア」でメシヤ=救世主とされ、また70人訳のギリシャ語では「クリセイス」でキリスト=メシヤと訳出されています。

  興味深いのは70人訳でも、25節ではそのオリー油を明白に「軟膏=ムレフー」と言う言葉で明示ているのですが、この30節、31節では単にオリーブ油としている為英訳を含めて殆どの翻訳は悉く「注ぐ」と訳出してしまっている様です。

  「液体を注ぎ流す」のと「軟膏をなすり付ける」のでは油の状態も随分と異なり、また軟膏を手にベットリと掴んで祭司の頭になすり付けるのでは現実は全く異なる様に思います。

  水様の油を注がれればやがて油は気化し見えなくなります。しかし両手に軟膏をたっぷり掴んで、祭司の頭に塗り付ければおそらく頭髪はポマードをベットリと塗り付けた状態となります。ですから聖書原典が教えている祭司の外見は異様でギラギラと脂ぎりお世辞にも素敵とは言えない「こてこての頭」になってしまうのです。

  ですから旧約聖書に明白に記されているこの現実を踏まえて一般の翻訳で、新約聖書に「神様の聖霊油注ぎ」という訳文も正しくは「聖霊の軟膏=ポマードの塗り付け」とするべきなのです。

  今日は、一般の理解と聖書原典の相違の分かりやすく簡単なご紹介でした。

肝臓(ネフロン)

肝臓(ネフロン) 出エジプト記 29章13節 

今日読んだのは昨日に引き続いて幕屋で奉仕する祭司の任職の箇所でした。気になる箇所をご紹介します。 

出エジプト記 29章13節 ヘブル語原典直訳 

13 ・ そして あなたは取る を 全て その 脂肪 そして その徹底的に覆われた を その 内臓 そしてを その 付属物 上に その 肝臓 そしてを 両 その 腎臓 そしてを その 脂肪 所は 上に彼女ら そして あなたは煙にした その祭壇

出エジプト記 29章13節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

13 ・その そして あなたは確かに取る 全て その 獣脂 その上に その 中空(又は腹)  そして その 葉 その 肝臓の そして その 2 腎臓らを そして その 獣脂を その 上に  彼らの そして あなたは確かに上に置く 上に その 祭壇。 

 出エジプト記 29章13節 70人訳ギリシャ語語原典翻訳

13・あなた(モーセ)は雄牛の腹部の脂肪を取り出す。その時に肝臓(ロボン)の葉部と二つの腎臓(ネフロース)も取り出して祭壇の炉床の上で焼け。

 今日の箇所は字面はそれほど酷くはありませんが良く良く考えてみるとなんとも凄惨な祭司の任職の様子が赤裸々に生々しく記されています。これを読むと40年程前に兄が遺跡の調査にでかけその時に近くの屠場で牛の解体の現場を目撃して暫く牛肉がだべれなかったのを思い出します。流れほとばしる大量の血に生肉から腸やアバラを鋸でばらして内臓を取り出す様子は実に残酷です。

  普通の人間が神様の前に立って人間を代表するためには七日間毎日雄牛一頭とその前後の朝晩に牡羊をそれぞれ一頭を解体して丸ごと焼き尽くすのです。 

  いくら人間の為とは言え牛や羊がかわいそうです。まあこれは如何に人間の罪が深いかを教える為に実に有効な実物教育となっている次第です。
  
  さて、その様な聖書の記述からご紹介したいのは腎臓と言うギリシャ語の単語なのでです。 ギリシャ語で腎臓はずばり「ネフロン」で格変化した形は「ネフローゼ」になります。どこかで聞いた名前です。そう腎臓病と全く同じ発音なのです。ネフローゼをもたらす病気にはいろいろあるので、まとめてネフローゼ症候群という言い方もする様です。ネフローゼはドイツ語で、英語ではネフローシス(nephrosis)といい、いずれもギリシャ語の腎臓=ネフロンの病気という意味です。と言うことで今日はギリシャ語がヨーロッパの言語に随分と影響を与えている事を考えさせられる箇所のご紹介でした。

聖書翻訳の真実(or現実)


聖書翻訳の真実(or現実) 出エジプト記28章17節から20節    

 今日は翻訳の真実が分かりやすい箇所のご紹介です。大変長いのですが直訳を記します。今日は祭司が袈裟のようにして肩からかけた「裁きの胸当に配列されたイスラエル12部族の名が刻み込まれた美しい宝石の名を確定する事」の難しさをご紹介します。早速直訳です。 

★出エジプト記28章17節から20節ヘブル語原典直訳  

17 ・ そして あなたは徹底的に満ちさせる 中で彼 取り付けの 石 4 横列ら 石 横列の  赤瑪瑙(カーネリアン) 黄玉(トパーズ)  そして エメラルド(orざくろ石)  その横列 その 一 
18 ・そしてその横列 その 第二 ツロ石(orルビー又はエメラルド)  青玉(サフアイヤ) そして 碧玉(=ヤスパーor縞瑪瑙=オニックスor金剛石=ダイヤモンド )
19 ・ そして横列のその 第三 ざくろ石or琥珀or青玉=ヒヤキント) シエブー(or瑪瑙)   そして 紫水晶(=アメジスト) 
20 ・そして その 横列 その 第四 タルシシ(=黄碧玉 イエローヤスパーor金石or黄縞瑪瑙 ) そして縞瑪瑙(=オニックス) そして 碧玉 (=碧玉)徹底的に網格子するらは 金 かれらが存在する 中で 取り付けら彼ら

★出エジプト記28章17節から20節70人訳ギリシャ語原典直訳

17 ・ そして あなたは下に織る 中で 彼 織られた長服 下に石を 4 行進を。 行進は 石らの 彼が確かに存在する 赤瑪瑙(サルデイオン)、 黄玉(トバーズイオン) そして 緑玉(スマラルドス=エメラルド、別解釈ざくろ石)、その 行進 その 一。 
18 ・そして その 行進は その 第二 炭(or濃灰色、アンスラクス、ヘブル語ツロ石= ルビー又はザクロ石) そして 青玉(サプフエイロス=サッピラ) そして 碧玉(ヤスピス ヘブル語縞瑪瑙? 別解釈 ダイヤモンド)
19 ・そして その 行進は その 第三 透明(リグリオン ヘブル語は 琥珀又はザクロ石) 、アカテエの (原意不明 ヘブル語 シエブー 原意不明) そして 紫水晶(アメジスト=酔わない )。
20 ・そして その 行進は その 第四 金石 (ヘブル語 BDB黄縞瑪瑙 別解釈 緑柱石) ベルーリオン(原意不明 ヘブル語 縞瑪瑙 又は緑柱石?) そして 縞瑪瑙(オニックス=鷲の鉤爪 ヘブル語は碧玉) 。周囲を頭覆いされているを 金に 、共に縛られているを 中で 金 彼らは存在しろ 下に  行進を 彼らの。

★新約聖書ヨハネの黙示録21章 19節から21節 ギリシャ語原典直訳(参考の為) 

19 ・ その  入り口通路らは  その 城壁の その 町の 全て 石に 価格に 整えられているらは。 その 入り口通路らは  その 第一は 碧玉(ヤスピス)、 その第二は サヤアイヤ(サルフイドス)、その 第三は 玉髄(硫酸銅カルケドン)、その 第四は エメラルド(スマラグドス)、
20 ・ その 第五は 縞瑪瑙(サルトニュクス)、その 第6は  赤瑪瑙(サルデス)、その 第7は 金緑石(アレクサンドル石→クルソリソス)、その 第8は 緑柱石(ベルーロス)、その 第9は 黄玉(トパージオン)、その 第10は 緑玉髄(クルッソプラトス→インド産)、 その 第11は  青玉(ヒュアキントス)、その 第12は  紫水晶(アメジストス)。 
21 ・ そして その 12 入り口通路らは  12 真珠らは(マルガリータ)、上に 一 各々 その入り口通路らの かれらは存在していた 出て 一 真珠。 そして その 入り口通路は その 町の 金を 清いを 様に ガラス 光が通過するの。

上記の胸当ての宝石の配列をそれぞれ纏めたものです。(新約聖書は天国土台石の12部族を象徴する宝石)
★ヘブル語原典の直訳 
赤瑪瑙、黄玉、エメラルド
ツロ石、青玉、碧玉
ざくろ石、シエブー、紫水晶
タルシシ、縞瑪瑙、碧玉
★70人訳ギリシャ語原典直訳
赤瑪瑙、黄玉、緑玉
炭、青玉、碧玉
透明、アカテエ、紫水晶
金石、ベルーリオン、縞瑪瑙
★新約聖書黙示録21章ギリシャ語直訳 
碧玉、サヤアイヤ、玉髄
エメラルド、縞瑪瑙、赤瑪瑙
金緑石、緑柱石、黄玉
緑玉髄、青玉、紫水晶

  何が言いたいかお分かりでしょうか。随分と宝石の名称が不確定なのです。これ以上は原文からは明確に出来ないのです。その理由は、新約聖書が2千年前の古典、70人訳ギリシャ語旧約聖書が2400年前の古典、そして旧約聖書が3400年前の古典であると言うことに起因しています。

  宝石一つをとってみても一体どれが今日のどの宝石に該当しているのか半分程度しか今の聖書語学の知識では正確に決定出来ないのです。古代の博物誌と言う書物がかなり参考になりますがやはり決定は困難です。

  一次が万事、聖書が正確に翻訳されていると口では言えても、実際には分からないことが山ほど存在しているというのが偽らざる聖書翻訳の真実=現実なのです。

  今日は、大変分かりやすい聖書に登場する宝石の特定の難しさを簡単にご紹介しました。

最古の御神輿

最古の御神輿 出エジプト記27章7節 

 今日は幕屋の庭とその備品の製造方法の箇所でした。早速気になる箇所をご紹介します。

出エジプト記27章7節ヘブル語原典直訳 

07 ・そして 彼は行かされた  を部分 中でその 印指輪 そして 彼らが存在する その 部分ら 上に 2 肋骨の その 祭壇 中で 担ぎ出す事 を彼

出エジプト記27章7節70人訳ギリシャ語原典直訳 

07・ そして 彼が確かに中へ導く その 運送らを 中へ その 指輪(環)ら そして 彼らを存在させろ その 運送らは 下に その 横梁 その 祭壇の 中で  その 持ち上げる事 彼を。

出エジプト記27章7節ヘブル語原典翻訳

07・担ぎ棒は祭壇の両端にある環に通して、祭壇を担げるようにする。

  祭壇は一辺が2m25㎝の四角で青銅が被せられた厚板の囲いで高さが1m35㎝でした。その板の厚みはおそらく7㎝5㎜と思われます。言い換えてみれば4畳程度の公衆浴場の湯船の大きさかと思います。しかし、その重さには7mの長さの電柱ぐらいの太さの担ぎ棒の2本の自重が加わりますので約1.2トンもの重さになります。

当然これを担ぐには一人が30㎏を受け持ったとしても40名は必要となる次第です。

祭壇重量の詳細 (アカシヤ材の比重1.2青銅の比重8.8として詳細に計算)
祭壇本体アカシヤ材部分の総量=300㎏
着せ金の青銅(2㎜厚として)総量=214㎏
祭壇の炉床となる青銅格子=147㎏
担ぎ棒を通す4隅の環4個=46㎏
祭壇下部の防御金網=57㎏
担ぎ棒7m×2本=300㎏
担ぎ棒の青銅着せ金2本分=76㎏
一緒に運ばれた壺、十能、鉢、三叉肉刺、火皿=約60㎏ 

総計祭壇総重量=300+214+147+46+57+300+76+60=1200㎏

 イスラエルの行進に合わせてこの祭壇も移動したわけですからそれを見ると、今日の日本の秋祭りによく見かける壇尻か大きな御神輿と言った方が正確だと思います。

  こんなお話をすると幕屋の平面構造が日本の神社の配置に類似し、しかもそのお祭りに使われる神輿が登場すると言うことになります。しかも実際のイスラエル民族の移動では、他に契約の箱、パンの机、香の祭壇、七枝の燭台もそれぞれ御神輿その物の様相で担いで運ばれたのです。そして天幕類は牛にひかれた見事な山車によって運ばれたと言うのですから京都の祇園祭を彷彿とさせると言うありさまです。

 まあ、紀元前15世紀に行われていたイスラエル民族の大移動=出エジプトの行列と千年程前から日本で行われている神社のお祭りには何らかの歴史的繋がりがあるのかも分かりません。まあこの点に関していくつかの書物が記されている様ですから此処ではこれぐらいにしておきましょう。

  と言うことで今日は世界最古の御神輿のお話でした。

以下は参考リンクです。

祭壇  http://bible.co.jp/tabernacle/alter.htm
担ぎ棒 http://bible.co.jp/tabernacle/alter1.htm

イスラエルの民族の宿営と移動隊列  http://bible.co.jp/tabernacle/camp.htm

エンジ虫

エンジ虫 出エジプト記 26章36節 

今日も昨日に引き続いて幕屋の製造に必要な記録でした。沢山の詳細な記述の中から一カ所だけご紹介する事にしましょう。  

出エジプト記 26章36節 ヘブル語原典直訳 

36 ・そして あなたは作る  仕切幕 に入り口の その 天幕 そのスミレ色 そして 紫 そして 虫の緋色 そして 亜麻 縒られた 実行 多色彩

出エジプト記 26章36節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

36 ・ そして あなたは確かに作る 引き戸(?ヘブル語仕切り) 出て 青紫色(ヒュアキント) そして 濃紫染 そして 緋色の 縒られているの そして 亜麻 縒られているの、仕事を 多色の。

ヘブル語を方を翻訳します。

出エジプト記 26章36節 ヘブル語原典翻訳

36・あなたは聖所の入り口に仕切りの垂れ幕を作れ。スミレ色、紫、紅、そして亜麻の撚り糸で多色彩の織物作りにしなさい。

これは幕やの聖所の入り口に吊るされた垂れ幕の作り方を記した箇所です。今日の箇所には幕屋の天幕類の様々な作り方が記されていて大変面白い箇所なのですが、その中から一点丈をご紹介したいのです。それは26章の36節直訳の方にだけ記されている「虫の緋色」と言う言葉なのです。 

 食品添加物などに興味をお持ちの方にはピンと来るかと思います。食品添加物の中で着色料として古代から使われていきた貝殻虫の仲間のエンジ虫の乾燥粉末です。今日では一般に南米の高地に産するサボテンの寄生する貝殻虫が使われコニチールと呼ばれています。まあたいていの貝殻虫は赤い色素を持っているので聖書の時代に使われた物が何かを特定するのは大変困難です。余分ですか紫は地中海で取れる貴重な紫貝から取られる色素が使われていた様です。スミレは当然パンジーの原種がこの地方に生息していたようですから草木染と言うことになります。そして織方についても別の箇所で細かく規定されています。また、獣皮やなめし革に加えてその着色法も後に記されており、これを現在の正確な言葉に当てはめるのは至難の業と言うことになります。その30章以降に詳しく記されていますので興味のある方は以下の36章以降の該当箇所をご覧ください。

   http://bible.co.jp/bible/

今日は今から3447年前のモーセの時代の幕屋の製造に用いられた染色についての簡単な御紹介でした。

幕屋の構造


幕屋の構造 出エジプト記25章9節 

今日は30年前に書いた卒業論文で調べた聖書箇所でした。早速直訳をご紹介します。
 
出エジプト記25章9節 ヘブル語原典直訳 

09 ・ として 全て 所は 私 見さした をあなた を 構造の その幕屋 そしてを 構造の 全ての備品ら彼の そして として あなた方は作る

出エジプト記25章9節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳

・ そして あなたは確かに作る 私に 下に 全てらを、全体を 私の あなたに 私が示し続けている 中で その 山 、その 側見本 その 天幕 そして その 側見本 全てらの その 道具(器)らの 彼女の。 する所に あなたは確かに作る。

 この箇所も翻訳にする必要はないでしょう。懐かしい30年前の出来事を思い出す聖書の箇所なのですが、一点だけご紹介したい事があります。

  それは、大抵の人が幕屋と言うと、その霊的な意味ばかりを追求しているので、私は敢えてその点には触れないで徹頭徹尾「実際の幕屋の物理的構造」に注目して見たのです。 

  あれから30年立った今でも細かい寸法や構造は何時でも脳裏に浮かべることが出来て、幾度と無く聖書の幕屋の記述を読む度に思い出してしまい、この箇所は何時も一気に読んでしまうほど面白い聖書箇所です。

  この箇所を取り上げた卒業論文を仕上げた結論は単純な物でした。

この幕屋の記録は「幕屋の実物を実際に目で見た事の在る人物出なけれはばし記しえない。」ということでした。残念なことに最近(この50年程)はまともに聖書を研究する学者も、牧師もそして信徒さんもいなくなり、安易な聖書に記された真実の確認をパスして、現代の自分に関係する意味づけだけを手っとり早く知りたがる「霊的解釈」という紛い物がはびこっているように思います。

  聖書の基本はその様な「意味」ではなく「真実」が大切なのであり、それはほかでも無い「事実」が一体何であったのかを問うことからスタートされなければならないのが基本なのです。

 まあ、こんなことを言っても分かる人は少ないかと思いますので、今日は以下のリンクでもご笑覧頂ければと思います。

http://bible.co.jp/tabernacle/

最初の聖書

最初の聖書 出エジプト記 24章4節7節 

今日は一番最初の聖書のご紹介です。早速直訳です。

出エジプト記 24章4節7節 ヘブル語原典直訳 

04・ そして 彼は刻んだ モシエ を 全て 言葉の ヤハウエ そして 彼らは早く起きた 中で朝 そして彼は建て上げた 祭壇(or畜殺、深い溝)下に その山 そして 2 10 柱 に 2 10  棒(同族)の イスラエル  
07・ そして彼は取った 書物の その契約 そして 彼は公表した 中で 両耳の その民 そして 彼らは言った 全て 所は 彼が徹底的に話した ヤハウエ 私たちは行う そして 私たちは聞き従う

出エジプト記 24章4節7節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

04・そして 彼は書いた モーセ 全てらを その 話された言葉らを 主の。 彼らは早く起きた モーセは その 早く 彼が家を建てた 祭壇を 下に その 山 そして 12らを 石らを 中へ その 12 部族らを その イスラエル。 
07・ そして 取ったは その 書を その 契約の 彼は読んだ 中へ その 耳ら その 民の、 そして 彼らは言った 全てらは、全体らは(orを) 彼が話した 主が、私達は確かに行う そして 私達は確かに私達のために聞く。 

出エジプト記 24章4節7節 ヘブル語原典翻訳

04・そしてモーセはヤハウエの言葉を全て刻んだ。そして 彼らはその朝早く起き、彼らは祭壇を山の麓に建設した。そしてイスラエルの12部族に12の石柱を建てた。
07・そしてモーセは記された書物を取って、その民の面前で両耳に読んで聞かせた。すると民は「ヤハウエが話されたことを私たちは行い、従います。」と言った。

  この箇所は大変重要な箇所なのです。それは、モーセによって記された最初の神の言葉だからなのです。この箇所で聖書の記された目的がはっきり分かります。そう、「神の民に読んで聞かせる」と言う点なのです。

  と言うことは、「聖書は聞けば分かる様になっている」と言う事なのです。しかし、現代では「聖書を読む」と言うことが主流になり、聖書その物も朗読されることではなく、「文章=読むもの」として販売されているのです。 
  
  一体それが同違うのかお分かりでしょうか。書物は「読むもので文章で目と頭で理解します。 」。しかし耳で聞くものは「耳で聞く話し言葉=音声で耳と心で受け取る」ものなのです。

  この両者は同じ様に思われる傾向か強いのですが、しかし全く違うものなのです。 
そして、聖書は最初から音声を耳で聞き、心に受け取るようになっている物なのです。そして聖書の原文を見ると、一つ一つの言葉は具象的な事実や出来事に対応して、あたかも「文字の無い絵本」の様な構成でテープレコーダ ーの様に話し言葉が口述筆記の形で記されているのです。

   原文で読めば解釈も理解も不要な事実をありのまま記録した簡単明瞭なものが「聖書」なのです。これを、誰がどう間違えたのか、宗教の教典として文語=書き言葉=文章として訳出され、頭で理解する真理や教理をとして読まれているのです。

  おそらく、その様な読み方を何年続けても、聖書の主張は全く認識されることは無いかと思います。

今日は「その事=聖書は耳から音声で聞くための話し言葉の記録である」という基本中の基本のご紹介でした。

小山羊の母乳煮

小山羊の母乳煮 出エジプト記23章19節 

今日読んだ聖書の箇所は全て「弱者の権利」について記されている箇所でした。その中で考えさせられる箇所を今日はご紹介します。

出エジプト記23章19節 ヘブル語原典直訳 

19 ・ 初めの 初生りの 地あなたの あなたは来させる 家の ヤハウエ 神らあなたの 無い あなたが徹底的に煮る 子山羊 中で乳 母彼 

出エジプト記23章19節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

19 ・ その 初穂を その 最上生じた物らの その 地の あなたの あなたが確かに中へ運ぶ 中へ その 家 主の その 神の あなたの。無い あなたが確かに煮る 小羊を 中で 乳 母の 彼の。

ヘブル語の方を翻訳してみます。

出エジプト記23章19節 ヘブル語原典翻訳

19・あなたの畑で季節の初物をあなたの神ヤハウエの家(宮)に運んでささげなさい。
  あなたが山羊の子をその母の乳で煮てはならない。

 農家の人が読めば実に分かりやすい言葉ですか、あまり農業にかかわりのない方にはピンとこない記録ではと思います。

  神様に献げる初物の意味する事はお分かりでしょうか? 私は大阪府箕面市の生まれなのですが、そこは当時はものすごい山村でした。育ったのは隣の豊中市で当時はまだ周囲にかなり農家が在りました。そんなわけで初物と言う表現はよく分かります。そう、一番大きく美味しいのが初物ナノです。大抵の作物は一番最初に実る初物が最高品と言うことです。神様にいらない物や残り物を献げるのではなく心のこもった最も大切な物丈を献げる様に教えているのが今日の箇所の前半です。

  そして問題なのは後半ナノです。この記述を様々に解釈しておられるのを随分と見てきました。何でもこれは「カナンの地の土着宗教の儀式である。」などと言う解釈ですがまあそうであるのかも分かりませんが、私はもっと素直に聖書を読んだ方が良いのではとかねがね思っています。

  動物を飼ってみると分かることですが、大抵の動物の母親は実に大事に赤ちゃんを育てます。温め、嘗めて清潔にし、危険から常に見守り、手間隙かけて育てます。そんな、生まれたての赤ちゃんの山羊を煮るのに、その母親が赤ちゃんを育てるための乳を利用するのはやはり、あまりに残酷です。

  確かにあまり利用価値の無い家畜ナノでしょうが、だからといって、産まれた子で美味しいシチューを作る為に母親がその子に飲ませようとするミルクを煮立ててその中に柔らかい子山羊を投げ入れて煮込むのはどうかと思います。

   人間が生きるためとはいえ動物の生命を食べているのだと言う自覚と節度を教える、この聖書の言葉は本当に味わい深いものがあると思います。

 今日は「小山羊の母乳煮」を禁じている聖書の言葉のご紹介でした。

参考URL  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1106198.html

二倍返し

二倍返し 出エジプト記 22章3節(邦訳4節)

 昨日は「目には目、歯には歯」と言う大変優れている聖書の永遠の原則でした。そして今日はその続きです。二倍返しなどと言うと何処の国のお話かと思いますが、ほかでも無い聖書の中に記された神様の定めです。

さっそくその事を記した聖書箇所の直訳です。

出エジプト記 22章3節(邦訳4節)ヘブル語原典直訳 

・ もし 見つけられた事 彼女が見つけられる 中でて彼 その 盗まれた(女) から去勢牛 又はロバ または 羊(群れの) 生きているら 2 彼は徹底的に完全にする

出エジプト記 22章3節(邦訳4節)70人訳ギリシャ語原典直訳 

・もし も 彼が下に取った(発見された)(為) そして 彼が探し出された(為) 中で 手に 彼の その 盗まれ物 から  も ロバの まで 羊 生きているを、二倍らを 彼らを 彼は確かにから伸ばす(or上に支払う) 

 翻訳は必要ないでしょう。物を取った人犯人が分かれば犯人は、被害者に取ったものを二倍にしてお返しすると言う大変分かりやすい聖書の規定です。

 理不尽に思われるかたがあるといけませんので、簡単に説明しておきましょう。他人の所有物を盗んだ人は単にその人の物を一つ盗んだ丈ではありません。取られた人はその人にとって必要な物が盗まれたのですから、代わりの物が手に入るまで不自由をする事になります。物によっては取り返しのつかない損失を被るでしょう。 たとえて言えば財布を盗まれた人はお金丈ではなく、財布の中に入っているお金によって行くつもりの場所に行けませんし、物を購入する機会を逸するかもしれません。ですから物を盗んだ犯人は盗んだものを返す丈ではなく、当然その犯罪によって逸失した利益をも弁済しなければならないのは当然です。

  そして、これは神様がなさることの基本原則でもあります。人間が行う本当に良い行為には報いが二倍になり、そして悪いことには刑罰が二倍になるのです。 但し、この善悪の基準は聖書の中に記された原則に基づいて成されますので、その原則を知らない人には全く理不尽な事がこの世で起きている様に見えるのです。
  
 そして、神様の二倍の報いも神様の目に良い事がお返しとなり、また神様の目に悪い事をした人には、神様から見ての呪いが二倍になってその人に与えられると言うことなのです。

  こんな事を記すと「信じられない。」と言う方が在るかと思います。その方の為にこの事を理解するヒントを提供しておきましょう。
  
 聖書の原則です。「人間の目に良いことは神の目に悪である。」とい聖書の基本原則を考慮されれば、今日の箇所の言っていることはすぐに納得出来るかと思います。

 より具体的に言っておきましょう。弱く貧しい人の無知につけ込んで暴利を貪った人には、沢山の名誉と金銭が与えられて、自分が優れた人間に思え人もそういうので、自他ともに認める善人に成りきります。その結果その人が神様の基本原則に心をとめたり、死後の裁きについて考えることが出来ないで人生を終えるのです。そして、残した財産がその人が愛した家族や子孫に争いに誘い、同時に自分は死後神の裁きの座にたたされ有罪を宣告され地獄に落ちるのです。

  と言うことで今日は「神様の基本原則、全ての善悪は二倍返しになっている」と言うお話でした。

目には目、歯には歯

目には目、歯には歯 出エジプト記21章23節24節

今日も大変有名な箇所をよみました。いろいろと考えさせられる箇所が在りましたが上記の箇所をご紹介する事にしましょう。

出エジプト記21章23節24節 ヘブル語 原典直訳 

23 ・そして もし 危害 彼が在る そして あなたは与える 生活 下に 生活
24 ・目 下に 目 歯 下に 歯 手 下に 手 足 下に 足 

出エジプト記21章23節24節 70人ギリシャ語原典直訳 

23 ・もし も  外へ可能するは(?ヘブル語は危害) 彼が存在している、 彼が確かに引き渡す 生活を 対して 生活、
24 ・ 目を 対して 目、歯を 対して 歯、手を 対して 手、足を 対して 足、

出エジプト記21章23節24節 ヘブル語 原典翻訳

もしあなたが人と争って誰かに危害を加えた時は、生命に対しては生命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足をあなたは与えなさい。

  なかなかものすごい記録です。喧嘩で人を殺した人は無条件に死刑という規定です。失明させた場合は当然失明、歯を折った場合は歯を折られ、手足を切断した場合は手足切断をする当言うことです。

  注意してください。事故ではありません。故意による殺傷事件の場合です。
これを、どう間違えた物か、事故や過失の場合の事と勘違いしている人が多いのには恐れ入ります。しかし、聖書が言っているのは、憎しみや憎悪で他人に危害を加えたら、その人が故意になした危害と全く同等の正しい裁きを行って同等の危害を自分の身に加えられることを定めているのがこの規定です。

  そう、この規定の目的は明白です。故意による危害の抑止です。

その意味でこの規定は大変素晴らしい物であることが分かります。 イエスキリストがこの言葉を引用されていますか当然それは変更される必要の無い永遠の素晴らしい規定です。

  残念なことにこの規定を正しく読んでいない人々が多く、特にキリスト教会の牧師さんや学者さんに頓珍漢な解釈をしている方が多く、その為に新約聖書のキリストの言葉が誤訳になっています。非常に情けない、そして残念なことだと私は思っています。

  詳細は以下のリンクをご覧ください。

http://bible.co.jp/bible/nt/goyaku.htm

http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/611722.html

第十戒

第十戒 出エジプト記20章17節 

今日は有名な十戒の箇所です。そこでこの中で最も重要な戒めをご紹介しましょう。 

出エジプト記20章17節 ヘブル語原典直訳 

17 ・ 無い あなたが欲望する 家の 共にいるあなたの 無い あなたが欲望する 女の 共にいるあなたの そして奴隷彼 そして 侍女彼 そして 去勢牛彼 そして ロバ彼 そして全て 所の に 共にいるあなたの 

出エジプト記20章17節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

17 ・ 無い あなたが確かに欲望する その 女を その 近いの あなたの。 無い あなたが確かに欲望する その 家を その近いの あなたの 無いも その 畑を 彼の 無いも その 子供を 彼の 無いも 子供女を 彼の 無いも その 牡牛 彼の 無いも その 軛(ロバ)の 彼の 無いも 全ての 家畜らを 彼の 無いも

出エジプト記20章17節 ヘブル語原典翻訳

17・あなたの仲間の家を得ようとしてはならない。妻や奴隷や侍女に加えて牛やロバなと全てあなたの仲間の家のものを得ようとしてはならない。

 これをもし今日風に翻訳するときっとこうなるでしょう。

出エジプト記20章17節 現代語訳

  あなたは知り会いの家や妻をうらやんだり、他人の部下や使用人に加えてトラクターや車など他人の持ち物を見てから、妬みや羨ましいしさに支配されたりそれを得る為に努力を始めてはならない。

  お分かりでしょうか? この第十の戒めは人の物を見てからそれを欲しがる事の禁止なのです。ということで端的に言うと、今日のコマーシャルなどで触発されて本当に自分が必要としないものまで手に入れようと欲望する事を禁じているのです。

  人が持っていないけれども自分が自ら必要とおもうユニークな能力や資質に加えて、どんな財産、などを自分で得るのはこの戒めの関知する所ではないのです。

  そしてこの戒めの目的は明白です。人の物やコマーシャルを目で見てから欲しがるとき、もしそれが手に入れられれば自分が幸福になれるかも知れませんが、おそらくその場合殆どの物は自分には全く必要の無い物ではないでしょうか。何故なら、もし本当に自分に必要ならば人やコマーシャルを見なくとも自発的に入手しているでしょう。

   そして、おそらく人の物を見てうらやんで手に入れられないと自分が惨めに成るだけです。増してその様な場合に不正な手段を用いる誘惑に自分を晒すことになります。他の戒め=盗むな、姦淫するな等と言う戒めを犯して=犯罪者に成る代価と引き換えによって自分に不要な物を獲得するか、あるいは見えや自慢の為に無用な犠牲を払って入手する愚かな犠牲を支払うだけではないのでしょうか。

  昔、関西のM電気がカラーテレビを売る為に、全く不要なカラーアンテナに取り替え工事を行い、一人の作業員が屋根の上から大声で「カラーの映りはどうだ」といい。下の作業員が「カラーは奇麗に映る。」と言いふらしてその上にカラー着色のアンテナがある家は高価なカラーテレデがあると言う宣伝広告となり、あっと言う間にカラーテレビの売り上げを伸ばしたと言うはなしがありました。 

   同様のやり方で今日の様々なコマーシャルに触発されて本当は自分には不要な物を必要と思い込まされて買わされているのが今日の社会や経済の仕組みで在る様におもいます。

  もしそれが正しいとすれば、今日の社会は神様の前に大変な罪深い時代だと言うことになるのではないでしょうか。

  今日は大切な第十戒めのご紹介でした。

ペンテコステ=第50日

ペンテコステ=第50日 出エジプト記19章1節 14+28+3+3=48

今日は律法授与記念日のお話です。早速直訳をご紹介します。

出エジプト記19章1節 ヘブル語原典直訳 

01 ・ 中で その 新月 その 三 に来る事 息子の イスラエル から地の エジプト 中でその日 その 彼らは来た 荒野の シナ 出エジプト記19章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

01 ・その も 月の 第三の その 出道の(エクホドス) その 息子らの イスラエル 出て 地の エジプトの その 日に そのに 彼らは来た 中へ その 荒野 その シナ。

出エジプト記19章1節 ヘブル語原典翻訳

01・イスラエルの息子達がエジプトを脱出して第三番目の新月のその日に彼らはシナイの荒野に来た。

 分かりやすいお話です。エジプトを出たのがイスラエルの暦の最初の月の14日でした。当時は月の運行に合わせた太陰暦ですから、その月は残り14日です。第二番目の月は当然28日あります。そしてその次の新月の最初の日にシナイの荒野に到着したと言うことなのです。  

満月14新月28新月と言うことでここまで来るのに要した日数は42日です。

そして到着した日が1で2節に在る様に宿泊します。次ぎに10節にあるその翌日の今日と明日で2日ですから3日が過ぎます。そして11節にある3日後と言うことで 1+2+3=6日を加えるとその日はエジプトを出て第48日目となります。これに当時は数え方が「数え」方式ですから最初の14日と最後の日が加わって48+2で第50日と言うことになります。

  何の計算かと言うと実はシナイ山でモーセが十戒で知られる律法を神様から授与された日がこの日に当たると言うことなのです。そしてこの日第五十日をギリシャ語でペンテコステと言うのです。 

  と言うことでペンテコステと言うのは第五十日目で十戒=律法授与記念日と言う意味なのです。

と言うことで今日は大変分かりやすいお話のご紹介でした。 

聖書の目的

聖書の目的 出エジプト記18章20節 

今日は聖書の中で大変重要な箇所をご紹介しましょう。何時もの様に直訳です。

出エジプト記18章20節 ヘブル語原典直訳 

20 ・ そして あなたは訓戒させる を 彼ら を その 法令ら そしてを その 指図ら そして あなたは知らさせる に 彼ら を その 道 彼らは歩く 中で彼女 そしてを  その 実行 所は 彼らが作った

出エジプト記18章20節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

20 ・ そして 彼が通し目撃証言する(為) 彼らに 指示らを その 神の そして その 法律 彼の そして あなたは神託を示す 彼らに その 道ら、 中で する所らに 彼らは確かに来る 中で 彼女ら、 そして その はたらき、 所は 彼らが確かに行う。 

出エジプト記18章20節 ヘブル語原典意訳

20・そしてあなた(モーセ)は彼らを 法令と指図で訓戒する。それによってあなたは彼らの歩く道を知らせ、彼らはそれらの中を歩けば私(神)の所に来れる。それを彼らが実行すれば。

  お分かりでしょうか? ここに記されているのはモーセが人々を教える目的なのです。そう天国に行き着く事が目標と言うことなのです。そして、その人間が歩くべき「道=生き方」が神様の法令と指図と言うことを示しているのです。  

  そして、さらに重要なのはこの人々を教える為にモーセが書き記した物の最初が続く19章から20章に連なる十戒と成るのです。それはモーセの手によって記された書かれた聖書の一番最初の部分に成ります。と言うことはここに記されていることは「聖書が書かれた目的」と言うことなのです。

 そして、さらに重要なのは、聖書が書かれたのは「この書かれた聖書を通して人々が神様の教えをそれぞれの配下の人々に教える為であった。」と言うことなのです。

  注意してください、「聖書は聖書を学ぶ為に聖書が記されたものではなく、聖書は教える立場の人が正しく教える為に書かれた」と言う点に在るのです。

  と言うことは聖書を学んでいる人は聖書の目的を知らない人たちで間違いを犯しているのです。正しい聖書の教えは「この聖書に記されていることを人に教える為に聖書を利用すること。」なのです。

  参考の為に新約聖書のテモテ第二の手紙の3章7節の直訳を記しましょう。

07 ・どんな時でも 学び(続けている)らを そして 一度も無い 中へ 特定知識を 真実の 来た事の 内在力させられ続けているらを。

  翻訳にします。

07・彼らは何時も学んでばかりで、行おうとしないので一度として聖書から得た知識の中に実際に来る事が出来ないのです。

  お分かりですか聖書は学ぶものや学問の対象ではなく、実際に自分で行い、かつ周囲の人々に教える為に記されているのです。

  単に聖書を学んでいる人は聖書に無知であることを自ら暴露しているのです。

今日は聖書のなんたるかを端的に記した、聖書が記された目的を記述した聖書箇所のご紹介でした。

岩出水

岩出水 出エジプト記17章6節 

 今日はごくあたりまえの出来事のご紹介です。

出エジプト記17章6節ヘブル語原典直訳 

06 ・ 見よ私 立っている に顔(面)あなた 所は上 その岩 中で ホレブ そして あなたは打たす 中で 岩 そして 彼らが出て来る から彼 水ら そして彼は飲む その水 そして彼は作った として モシエ に 目らの長老らの イスラエル

出エジプト記17章6節70人訳ギリシャ語原典直訳 

06 ・ 先述の 私が 私が立っている 方に その あなた そこに 上に その 岩 中で ホレブ。そして あなたは確かに切りつける その 岩を、そして 彼が確かに外に来る 出て 彼女 水、 そして 彼は飲み続けている その 民 私の。彼は行った モーセ も この様に 面前で その 息子らの イスラエル。

ヘブル語の方を翻訳にしてみます。

出エジプト記17章6節ヘブル語原典直訳 

06・見よ、私はあなたの前でホレブの岩の上にたつている。あなたがその岩を打ったならそこから水が出てきて、民はその水を飲む。そしてモーセはその通り行った。

 良く「岩から水が出るなんて信じられない」と言う人があります。しかし、これはシナイ半島ではさほど珍しい出来事ではありません。

  そのわけをご説明してみましょう。此のシナイ半島地域には石灰岩の地層が多いのです。そして以前お話したように、アフリカプレートとアムールプレートの境界に位置する為に地殻変動が激しいのです。その結果水を含んだ石灰石の地層が隆起したり沈降したりして断層の路頭が所々に見られるのです。

  ご存じの通り石灰岩は水を多量に含み場所によっては鍾乳洞を形成していることは極当たり前のことなのです。そし此の地は大変空気が乾燥している為に石灰岩の断崖にしみ出していた水脈の水分が蒸発して石灰質が徐々に沈着肥厚して、時として断層の路頭から水分の流出を留める自然の石蓋となっている場合が在るのです。その様な状態になると、その石灰岩の地層には水が貯留し、時間と共にその貯水される水量は増加していきます。場合にってはその地層内の空洞部分にまで水が貯えられて行くのです。そしてその先端の路頭は水に含まれている石灰質が蒸発した自然の栓によって塞がれて外見は全くの断崖絶壁でしかありません。

  その様な場所に行って、棒でその路頭の石灰質の蓋をたたき割れば当然そこから大量の冷たい美味しい水=ミネラルウオーターが流れ出て来るのです。

  このシナイ半島の地域で40年も羊を放牧していたモーセが、その場所を熟知していたのは当たり前のことなのです。そして、勿論神様もその事はご存じですからモーセにそれを命じて、モーセがそれに従えば岩から水がわき出るのに何の不思議も無い当たり前の出来事なのです。

 今日はこの地方では当たり前の事を記した聖書の記録のご紹介でした。

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