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ピスガの崖

ピスガの崖

今日はモーセの死と埋葬を記した箇所を読みました。早速直訳です。

申命記34章1節ヘブル語原典直訳 

01 ・そして彼は上った モシエ から大草原の モアブ に 山の ネボ 頭の その ピスガ(裂け目)所は 上 顔(面)らの イエリコ そして 彼は見させた彼 ヤハウエ  を 全ての その地 を そのキレアデ まで ダン 

申命記34章1節70人訳ギリシャ語原典直訳 


01・そして彼は上に北 モーセ から アラバト モアブ 上に その山 ナバウ 上に 頂き フアスガ、する所は 彼が存在し続けている 上に 顔(面) イエリコ、 そ 彼は明示した 彼に 主は 全てらを その 地を ガラド まて ダ。

申命記34章1節ヘブル語原典翻訳

01・そして 彼はアアブの大草原から ネボ山の頂きに登った。そこは断崖絶壁で眼下にイエリコを望んでいた。そしてヤハウエは南の山地から北のダンが見渡せた。

 今死を前にしたモーセの眼下の地底深くにヨルダン川がとうとうと(冬の雨季による増水時であり、当時はかなりの流量があった。)流れその左にすんだ死海が広がりその前に立ち上がる山地が見えました。そこから対岸の山地は北に伸び遠く雪を頂いたヘルモン山の麓がダンの低地でした。

 波瀾万丈の120年のモーセの生涯の最後としては雄大で且つ、悲しみの深い記録のご紹介でした。

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モーセの辞世

モーセの辞世 申命記33章1節 

今日はモーセの最後の言葉です。早速直訳です。 

旧約聖書申命記33章1節ヘブル語原典直訳

33 01 ・ そして これ その祝福 所は彼が徹底的に祝福した モシエ 男の その神ら を 息子らの イスラエル に顔(面)らの 死彼

旧約聖書申命記33章1節70人訳ギリシャ語原典直訳 

01・そして 彼女が その祝福、する所を 彼が祝福した モーセ 人間は その 神の その 息子らを イスラエル 間かに その 完成の 彼の。

旧約聖書申命記33章1節ヘブル語原典翻訳

01・そしてこれが神の男モーセがその死を前にしてイスラエルの人々を祝福した祝福だ。

 このあとにイスラエル12部族への個別の祝福が続きます。まるで創世記49章の族長ヤコブの祝福とよく似た構成です。創世記は母毎の出生順に祝福され、申命記の方は形だけ長子のルベンが最初で次はユダとレビに加えてベニヤミンと続きます。

  明白な事はこの時から遙かな未来に向けて、将来のイスラエルの中心となる部族の順に祝福を記している

のです。昨日も見た様にイスラエルの国は滅び、やがてユダ部族が中心となり、祭司や書記を排出して国家の官僚機構の中心となるレビ人が祝福され、さらに唯一南王国に協力したベニヤミンが続くのです。そしてそのあとに後の北王国の中心となった部族が祝福されています。

 不思議に思う事はあれだけ逆らったイスラエルの人々に、死を前にして惜しみなく祝福の言葉が述べれるモーセは本当に爽やかな気持ちであったかと思います。 そしてそれを聞くイスラエルの民は相当心に重いものが沸き起こりかなりの辛さが応えたように思います。 

  と言う事で今日はモーセの辞世の句言葉の部分のご紹介でした。

霊的肥満 (国家破綻の警告)

霊的肥満 申命記32章15節

今日は申命記の32章を読みました。これはモーセがイスラエル人達が繁栄して神を捨て去り国家が破綻する事を歌にして教えた所です。早速直訳です。 

旧約聖書 申命記32章15節ヘブル語原典直訳 

15 ・ そして彼が肥えた 真っ直ぐな物(エシュロオン) そして彼は蹴った あなたが肥えた あなたはでぶった あなたは満腹した そして 彼は放置した 神 彼が作った彼 そして 彼は徹底的に分別が無いした 絶壁の 救済彼 

旧約聖書 申命記32章15節70人訳ギリシャ語原典直訳 

15・そして 彼が食べた ヤコブ そして 彼が中で満たされた、 そして 彼は離れ足蹴にした その 愛されているは、彼は太らされた(ヘブル語あなたはでぶった)、 彼は太くされた(ヘブル語=あなたは満腹した)、彼は広くされた(ヘブル語=彼は放置した)。そして 彼は中に置き去りにした 神を その 作ったを 彼を そして 彼は離れ立った から 神 救いの 彼の。

旧約聖書 申命記32章15節ヘブル語原典意訳

15・そしてイスラエルは肥え太り、彼は足蹴にした。肥え太り満腹した時、彼を作り出された神を置き去りにした。彼は馬鹿で、救いは絶望的だ。 


  国家が消滅するには様々な原因が在るかと思います。天災によって国民が死に果てるとき、戦争で国民が殺戮される時、疫病や経済的破綻で国が立ち行か無くなる時などでしょうか? 

   モーセは神様から託された最後の務めとして神様からイスラエルの国に起こる敗戦と国家の消滅を警告してその生涯を閉じようとしているのです。イスラエルが滅びる理由として記しているのがこの箇所なのです。モーセによってイスラエルの国が国家としての最初は荒野の放浪で始まり。やがてカナンの地を占領し、豊かな産物と交易によって国家が繁栄してその結果、国民も国家も、指導者達も統治組織も肥満により体も心も麻痺して、不道徳になって内部から自滅して、そこに敵国の侵略を受けて国家が滅亡すると言う事を記しているのです。 

  以前にも記しましたが紀元前721年に北王国イスラエルはアッシリヤのセナケリブの攻撃をうけ呆気なく消滅。残された南王国ユダも紀元前606年にバビロンの王ネブカデネザルによって首都エルサレムが攻め落とされて70年間国家は完全に地上から姿を消すのです。そしてその後は独立する事が出来ずペルシャ、ギリシャ、ローマの属国となり、最後にローマに独立戦争を仕掛けて再度エルサレムは陥落し(紀元70年)1948年までイスラエル(実際はユダヤとベニヤミン族の一部を含む北王国の11部族の生き残りの国家)は歴史上から消滅してしまうのです。 

  今日はモーセによってその様な国家の破綻の原因となる、「繁栄による堕落」の恐ろしさを警告したモーセの言葉のご紹介でした。

聖書の結論(批判消極思考)

聖書の結論(批判消極思考)申命記31章29節

今日はモーセが死の直前に記したイスラエルに対する批判的で消極的な言葉が記された聖書箇所を読みました。早速直訳です。  

申命記31章29節ヘブル語原典直訳 

29 ・ として 私が知った 後 死私 として 破滅に向かわさした事 あなた方は破滅に向かわさした そして あなた方は逸れた から その道 所は 私が徹底的に命じた をあなた方 そして 彼女が呼ぶ をあなた方 その 邪悪 中で後ろの その 日ら として あなた方が作る を その 邪悪 中で(両)目らの ヤハウエ に 苛立たさした事の彼 中で 実行の (両)手らあなた方 

申命記31章29節70人訳ギリシャ語原典直訳 

29 ・ 私は知った そして その 終わりを その 完成の 私の 不法に あなた方は確かに非法律する そして あなた方は確かに外に逸れる 出て その 道、 するところの 私が中で命じている あなた方に、 そして 彼が確かに共に(殺すために)合う  あなた方に その 悪 終わりを その 日らの、 それは あなた方が確かに作る その 邪悪を 面前に 主 側で怒りする事 彼を 中で その 業よに その 手らの あなた方の。

申命記31章29節ヘブル語原典意訳

29・私の死後あなた方が破滅に向かう事は自明だ。あなた方は私が命じた言葉の示す道から逸れている。邪悪に取りつかれた様に時代が進めば進むほど神の目に邪悪を成して、あなた方の両手の成す業で悉くヤハウエを苛立たせる。

 モーセの言葉もいよいよ最後の部分に入りました。興味深い事ですかモーセは後になればなるほど手厳しくイスラエルの人々を否定的に記しているのです。そして頭からイスラエルの国が神様に従い続けて、祝福され繁栄するのではなく、反対に神を怒らせ滅亡すると記しているのです。そしてそれは歴史上に二度(バビロン捕囚BC606とエルサレム陥落AD70)現実となりました。

  しかし、現実の教会ではこれと反対の事が教えられる事が多い様です。20年程前キリスト教界で積極的思考と言う物が流行しましたが、最近はすっかり下火になりました。教会成長学等と言う分野でもてはやされ一世を風靡した観がありました。一般のビジネス社会にも取り入れられ批判的であったり消極的である事が罪悪である風潮になっていました。 

 しかし、分かる事ですか聖書は何処を読んでみても世界が破滅する事を明記しています。これでお分かりの様に聖書が肯定的積極的と言うにはあまりに短絡的で事実に則していない思考である事が分かります。 論より証拠、イスラエルも神の前に堕落しました。同様にキリスト教会も時代と共に進化どころか退化して大量背教と偽教師の大量登場ですっかり堕落してうまうと聖書には明確に記して在るのです。

  それゆえに聖書は最終的に「神様は天地を滅ぼす」と言う結論に至っているのです。と言う事は人間が何をしても聖書の結論は変わらないと言う事なのです。その意味で聖書ほと程否定的で批判的で消極的な書物は無い様に思います。何故なら「全ての人間が罪人で堕落していて誰も自分の善行によって自分を救い得る人は誰も無い」と記しているのです。それゆえ「人間が生きるこの地上=現世は悪が支配し、必ず悪が勝利し、そして神様が世界を滅ぼさざるを得ないと言う聖書の結論」が正当化されるのです。

  勿論、世界を消滅さした神様は新天新地を創造され、そこに前世で自分の悪を素直に認めてキリストの贖いに預かった者は特別に入れてくだれると言う聖書の教える救いも記されています。

  そして当然その前提が聖書の基本である「堕落した世界を神様が完全に消滅させる」と言う聖書の基本が受け入れられて初めて救いが意味を持ってくるのです。 そういう訳で今日も聖書の基本に通じる聖書箇所=モーセの言葉のご紹介でした。

身近な聖書

身近な聖書 申命記30章14節

今日は申命記の30節を読みました。早速一カ所ご紹介します。

申命記30章14節 ヘブル語原典直訳 

14 ・ として 近い にあなた その 言葉(ダバール) 非常に 中で口あなた そして 中で 心あなた に彼が作る

申命記30章14節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

14 ・ 彼が存在し続けている あなたの 近くの その 言葉(レーマ) 非常に 中で その 口 あなたの そして 中で その 心 あなたの そして 中で その 手ら あなたの 彼を 行う事。

申命記30章14節 ヘブル語原典意訳

14・神様の言葉は直ぐ近く、口の中で、そして心の中で、その言葉を行う事。
  
申命記30章14節 70人訳ギリシャ語原典意訳

14・神様の喋べられた言葉はあなたの身近に何時も在る。あなたの口の中や心の中や手の中でそれを行う事。

気になるのはヘブル語のダバール(実言)が70人訳ではレーマ(喋った言葉)になっている点です。 申命記ではダバール(実言)が91回ほど使われていますが そのうち35回はロゴス(実言)になっています そし

て56回がレーマ(喋られた言葉)になっているのです。当然喋られた言葉にはムソスも含まれていて何の問題も無いのですが。一体どういう基準で70人訳の訳者はこの言葉を振り分けたのか全く不明です。 

  まあ神様が喋られた話し言葉は そのままではギリシャ語のレーマで同時にロゴスであると言うことの様です。 まあ、難しいお話はそれぐらいにして、肝心のこの聖書の箇所が言っているのは「聖書が身近に存在している。」 という事なのです。 

  そして、その目的は実行される事だと聖書が言っているのです。良く多くの方がこの点を取り違えて折られます。そう、「その事なら知っている。」と言う人が多いのです。聖書はそんなあなたが持っている聖書の知識など全く問題にしていないのです。そうどれぐらい行ったかと言う事にポイントが在るのです。

 そして結論を言っておきます。「一度として行っていな。」そして「誰も行いえないのが聖書の言葉」なのです。だからこの言葉は原典で「行え」と言う動詞の命令形にはなっていないのです。不定法になっています。そう目的なのです。言い換えると努力目標が聖書だと言う事なのです。 

  だから聖書は「守れ」「行え」と記さないで。「見守れ」「行う事」となっているのです。聖書は人間が一つとして全生涯に一度として行い得ない理想が記されていると言う事なのです。 

  そして、その目的は現実を見て、行いえない自分の愚かさを認め、キリストの代理の贖罪死に信頼を置く様に仕向けられているのです。と言う事で今日は身近に在る聖書の言葉が現実には行うにはほぼ遠い理想である事のご紹介でした。

隠し神=無知の知

隠し神=無知の知   申命記29章28節

今日は申命記の29章です。早速直訳をご紹介します。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記29章28節 直訳 
 
28 ・ その隠されたらは にヤハウエ 神ら私たち そして その裸にされたらは に私たち そして に息子ら私たち まで 永遠 に作る事の を 全ての言葉らの その法律 その この

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典 申命記29章28節 直訳
 
28 ・ その 隠れたらは 主に その 神に 私たちの、 その も 現れたは 私たちに そして その 実子らに 私たちの 中へ その 永遠  作ること 全てら その 言葉ら その 法律の この。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記29章28節意訳

28・私たちの神は隠されている。 そして神様は私たちと子孫たちに聖書にこの全ての神様の法律を言葉にして明示してくださった。

 今日の箇所にも大切な事が記されています。それは「聖書に書かれている事は神様についてのほんの一部分である。」と言う聖書の記録です。神様ご自身は「神様についてのほんの一部分だけを聖書の中に書いて下さった」と言っているのです。 

  新約聖書の使徒パウロも全く同様の事を言っています。
新約聖書第Ⅰコリント13章9節直訳

09 ・出て 部分 そして 私たちが知り続けている そして 出て 部分 私たちが預言し続けている。

・上記を意訳してみます。

・私たち人間が知っている事は、神様のほんの一部分のさらにその一部分で、聖書に記されている事(預言)も全体の一部分のほんの僅かな事なのです。

 こうなってくると聖書を読んで全て理解して分かったとしても、その人が分かった事は「神様の全体の知識から見ると無いに等しいほどの僅かな知識である」と言う事です。聖書をしっかり読んでも「神様について分かる事よりは分からない事の方が遥に多い事」を聖書は所々で幾度も主張しているのです。

また別のパウロの一言をご紹介しましょう。 

第Ⅰコリント8章2節直訳

02 ・もし 誰かが 彼が見なし続けている 知っていた事 何か、まだ無い 彼が知った と同じような風にして 必要な 知った事。

意訳・もし誰かが何か知っていると思い込んでいたら、 彼はいまだに知るべき最低限の事も知ってはいない。

 お分かりでしょうか。今日の箇所の言っている事は「初めから神様とその関係の事柄は私たち人間の目から殆ど完全に隠れている」と言う事であり、人間が知る事が出来るのは「ほんの僅かの部分のその又一部である」と言う聖書の中に繰り返してと登場する言葉のご紹介でした。

これはこの申命記がモーセよによって書かれてから千年後に記された「ソクラテスの弁明」にもかなり影響を与えている様です。こちらもご紹介してみましょう。

モーセがこの申命記を記しかたBC1440年から千年後にプラトンが書き残した(BC380?頃) ソクラテス(BC399刑死)の弁明の「無知の知」の部分です。 早速その直訳も記しておきます。(70人訳聖書がエジプトのアレキサンドリヤで訳されたのはソクラテスの弁明が記されてから半世紀から一世紀ほど後に成ります。)

Plato,"The Apology",Loeb Classical Library 36,Harvard University Pressp,1914ed, p.82, 日本では 「ソクラテスの弁明」となっています。

「無知の知」と言われる箇所の直訳

・反対にこの人は 一方 彼は考えている 何か 知っている事、無いも 知っているは、私は も、の様に そういうわけだから  無い 私が知った、無いも 私が考えている。 

意訳
・なのにこの男ったら 何か知っていると考えている。知ってもいないのに。そして私は まあ、こんな所かなあ 私は知ってないし 考えてもいない。 

 プラトンの記したソクラテスの口調から分かる事は随分と、とぼけた言いまわしです。こんな風にはぐらかすと大抵の人(特にこの裁判の席にいたアテネの善男善女)たちは馬鹿にされたと逆上して、むきになってソクラテスに死刑判決を宣告せざるをえなかったことでしょう。プラトンの書いた物は結構簡単なギリシャ語で対話形式=会話文(文語では無いので文章解釈学には向かない)で書かれていて読んでいるとまるで観劇をしている様で中々面白いシナリオの様な構成になっています。

ホルモンの語源

ホルモンの語源 申命記28章49節 

今日は大変長い箇所でした。ご紹介したい面白い箇所が沢山在りましたが一カ所だけご紹介しましょう。

申命記28章49節 ヘブル語原典直訳

49 ・ 彼が担ぎ出した ヤハウエ 上あなた 民族 から遠い から先端の その地 として 所の 彼が早くする その 鷲 民族 所は 無い あなたが聴従する 国語彼

申命記28章49節 70人訳ギリシャ語原典直訳

49・ 彼は確かに上に導く 主は 上に あなた 異邦人  遠くを から 終わり その地の まるでの様に 驀進(ホルモンの名詞形) 鷲、異邦人、するところは 無い あなたが確かに聞く  その 音(or声) 彼の、

 今日ご紹介したいのは49節の70人訳にヘブル語=ダアー=隼(はやぶさ)のギリシャ語訳に使われているホルメーマと言う言葉のご紹介です。 この言葉の動詞形はホルモー(ορμω)で 「突進」あるいは「はずみ」と訳出されています。 

  これがごく微量で人間の感情や身体に激しい影響を与えるホルモンの語源です。 新約聖書ではキリストが悪霊に憑かれた人の霊を追い出した折り、悪霊(=レギオン=大隊)は近くで飼われていたブタの大群に乗り移り、そのブタの群れがかけ出した(ギリシャ語=ホルモー)と言う箇所にも使われています。(マタイ8章32節他)

 この他にもギリシャ語はそのままで日本語や英語やフランス語やラテン語になっているものが沢山在ります。と言う事はこの聖書がヨーロッパに紹介された時代にはギリシャ語圏が文化度がかなり高かった証拠です。またヘブル語から70人訳に訳出された時代にはギリシャ語よりもヘブル語の原典の方が語彙数が多くなっていますのでギリシャよりもヘブル人やアラブ人(当時はアラム)の方が格段に文化が進んでいたことが分かりますそれはギリシャ語の70人訳聖書よりもヘブル語の原典の聖書がより正確な言葉で詳細に記されているからです。ギリシャが栄える以前に文化の栄えていたオリエントの栄華がどれほどのものであったのかを思わされます。 ヘブル人達の方が高い文化レベルを持っていた事が分かります。

  と言う事で古代のギリシャの文化はヨーロッパよりも高く、そのヨーロッパよりも時代が遡るとヘブライの文化がより文化度が高かったことのご紹介でした。

アーメンそーめん冷やそうめん 

アーメンそーめん冷やそうめん  申命記27章26節 

今日は申命記の27章です。面白い箇所をご紹介します。早速直訳です。 

申命記27章26節ヘブル語聖書原典直訳 

26 ・呪われるは 所の 無い 彼が立たせる を 言葉らの その 法律の その これ に作る事の を彼ら そして 彼は言う 全ての その民 真実(アーメン)

申命記27章26節70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

26 ・ 上に下に言う(呪う)全て 人間は、する所は 無い 彼が確かに止める 中で 全てら その 言葉ら その 法律の この その 作る事 彼らを。そして 彼らは確かに言う 全ての その 民 彼が起きよ。

  今日の表題は私が駆け出し牧師の頃、一人の盲人の方を訪れる度に罵倒された言葉で耳に焼きついています。門から玄関に向かうと彼が居住していた二階の部屋から大声で罵られました。「アメーンそーめん冷やそうめん! 邪蘇坊主帰れ!!」

  彼が罵った冒頭の言葉が今日ご紹介する言葉なのです。ヘブル語で「アーメン」と言う言葉で本来は「柱」と言う言葉です。これはこの石の柱には重いものを載せても大丈夫と言う意味なのです。それゆえ正しく翻訳すると「信頼出来る」とか、あるいは「これは紛い物や嘘=見せかけ」は無いと言う事で「真実」と訳出されるのです。 

 興味深い事に、70人訳は此のアーメンを「彼が起きる」と訳出しているのです。言われた事が「事実で在る」と言う事を告白する意味で、「今言われた言葉が現実=事実となれ。」と言う事なのです。 

参考URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/688353.html
     http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1197041.html

  残念な事にこのような重要な意味深い言葉も、他の箇所では「真理」とか「信仰」と訳出され聖書原典が明白に示している本来の意味ではなく抽象的な心=「信仰」や頭=「真理」の問題として間違って訳出される事が多いのです。 日本語の信仰とは「事実に反する事を事実だと思い込む」と言う意味です。また真理という言葉も理屈や理想の事で現実は含まないのです。

 まあ、何故こんな風に訳出される様になったのか興味が在る所ですが、今日は前述の「アーメンそーめん冷やそうめん!邪蘇坊主帰れ!!」と言っていた方のその後をご紹介しておきたいと思います。

 彼は40才になった頃体調を崩し静岡県にあったとある老人病院に収容されました。そこは、うっかり連絡しないで行くと寝たきり老人や俳諧ぐせの在る老人がベットに縛りつけられている所で、常に糞尿の匂いがしていました。やがて彼は肺炎の併発し私は深夜東名高速を車を飛ばして駆けつけました。危篤の彼を見舞ったのは夜中の1時すぎでした。彼はもはや悪たれを言う力も無く酸素吸入を受けていたのです。私は彼の枕元に座り聖書の一カ所を読みました。そして切り込んだのです。「あなたは自分の罪の為に十字架で死なれたイエスをあなたの罪からの救い主として信じますか?」 すると彼はおとなしく「はい信じます!」と答えたのです。すかさず病床で洗礼を授け私は病院を後にしたのです。帰宅とほぼ同時に家族から「亡くなられた。」と言う連絡が入りました。

  そして、また高速を飛ばして霊安室に横たわっている彼の許を尋ねたのです。すると見取っていた家族がこう言いました。彼は「万歳! 万歳! 万歳!と笑顔で三度叫んで息を引き取りました。一体何を見たのか知りませんが確かに天国に行ったことは間違いありません。」と言われました。

  二十歳のある日突然失明し夢も希望も失い、神を恨み、人を見れば罵声を浴びせ続け、最後は精神障害者として収容され、最後は糞尿の臭いのする病床で息を引き取られました。しかし彼の生涯は万歳三唱で閉じられたのは神様が真実である事を示しているのでは無いでしょうか。今日はそんなわけで懐かしい思い出の詰まった「アーメン=真実」という言葉のご紹介でした。 

人生の目標(規定と判例)

人生の目標(規定と判例) 申命記26章16節 

今日は申命記の26章です。早速直訳のご紹介です。 

申命記26章16節 ヘブル語原典直訳 

16 ・ その日 そのこの ヤハウエ 神らあなた 徹底的に命じたあなた に作る事の を その 規定らその これら そしてを その判例ら そして あなたは見守る そして あなたは作る を 彼ら 中で全て 心あなた そして 中で全て 生活あなた 

申命記26章16節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

16 ・ 中で その 日 これらに 主は その 神 あなたの 彼が 中で命じた あなたに 作る事 全てら その 義の判決ら これら そして その 判決ら、 そして あなた方は確かに自分の為に見守る そして あなた方は確かに作る それらを 出て 全体 その 心 あなた方の そして 出て 全体 その生活 あなた方の。 

申命記26章16節 ヘブル語原典意訳

16・今日あなた方の神はあなた方に命じられた。神様の法律の規定と判例をよく見守って心の中でそして生活の中で行いなさい。

  面白いですね。神様の命令は法律の規定と判例に分かれているのです。まあ十戒か規定でそれ以外の聖書の全ての部分が判例と言う理解でよいかと思います。そして行うのも、先ず心の中で、次に実生活で行えと言うのです。 

  そしてこれらは努力目標ですから、出来ない事が当たり前と言う事なのです。聖書はこんなふうに人生の目標を記しているのです。そしてその結果はう 神様の祝福であり、健康であり、そして繁栄なのだえ と教えるのです。しかし、その祝福のありさまは努力目標の達成如何によると言う事なのです。

  そして大抵の人間は「祝福や健康や繁栄は必要だが、神様の規定や判例には全く興味が無い」と言う事なのです。とすると結論は明白です。「聖書に記されている祝福や健康や繁栄は夢のまた夢」であると言う現実なのです。何故なら全ての人は祝福された、健康だ、繁栄していると言いながら呪いの結果である死に向かっているからです。

  今日は大抵の人にはすんなりと認めたくないかも知れませんが簡単な「聖書の基本=聖書の教える人生の目標=聖書に記された規定の実行」という聖書の根幹にかかわる点のご紹介でした。
  
  余分ですが聖書はこの「聖書の規定の実行」の如何が死後に天国入国審査の基準であると教えています。このイミグレーション通過の方法は二通りで、文字通り「完璧に自分の全生涯で基準を全クリヤ」する正面通過と、聖書の基準を事前に調べて正面通過は不可能と悟った人向けの「キリストの贖い借入による下駄履き合格」という裏口通過の2種類です。残念ながら両者は「択一」で併願はできません。この天国の入国審査は事前(死亡前)申告制で事後(死亡後)の審査種別変更や判定後の再審制度はありません。そして一番大切なのは「未申請は自動的に正面通過に区分されると言う不文律」が存在している事です。

牛の轡

牛の轡 申命記25章 4節 

 今日は申命記の25章を読みました。ご紹介したいことが沢山ありますが、冒頭の箇所だけをご紹介する事にします。早速直訳です。 

  旧約聖書申命記25章4節ヘブル語原典直訳 04・無い あなたは轡する 去勢牛 中で脱穀する事彼 

 旧約聖書申命記25章4節 70人訳ギリシャ語原典直訳 04・無い あなたが確かに轡する 雄牛を 脱穀しているを。

  今日の箇所は新約聖書で使徒パウロが2度引用しています。その箇所の直訳も記します。

第Ⅰコリント9章9節 ギリシャ語原典直訳 
09・中で そして その モーセ 法律に 彼、無い あなたが確かに口籠をはめる 牛 脱穀している。無い その 牛の 彼が心配し続けている その 神に? 

第Ⅰテモテ5章 18節ギリシャ語原典直訳 
18・彼が言い続けている そして その 書物が、「牛を 穀物をこなしているを 無い あなたが確かに口網を付ける。」そして 、「それだけの価値あるは その 畑労働者 その 労賃の 彼の。」

 聖書を読んでいて分からない事に沢山出くわしますが、今日の申命記の「穀物を挽いている牛に轡をかけてはならない。」箇所もその様な箇所の一つです。何が分からないかと言うとこの言葉は一体どういう訳でこのところに記されているのかと言う事なのです。 

  言葉は文脈で意味を持つものなのですが、全く繋がりが見えてこない箇所なのです。 直前には裁判で判決が確定した被告の鞭打ちの制限です。直後にはレビレート婚と言われる兄弟の嫁に子供が無いときに兄弟が死んだら、その相続地を相続する子を産む為にその死んだ人の兄弟の誰らが残された妻を妻(おそらく側室)にしろと言う命令です。

  どちらも説明すると長くなるので記しませんが、前後関係の流れが見えてこないのです。全く文脈が繋がらないのは珍しいかと思います。 まあ、以前お話した「聖書には弱者の権利の擁護」が書かれていると言う意味では確かに穀物を挽いている牛は弱者の立場で在るのは確かです。

  参考 URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/21352698.html

  この箇所を新約聖書では使徒パウロが二度引用していて、両方とも「神様は牛の事ではなく労働者の賃金を保証している」解釈しています。まあ今日はそれ以上分からないのでここまでにしておきます。と言う事で今日は聖書には大きな石臼で大量の麦を挽いている牛はこぼれてくる麦を当然食べる権利が与えられるべきだ。と言う聖書の規定のご紹介でした。  


  

三行半(モーセの離婚状)

三行半(モーセの離婚状)

今日は聖書の中で大変問題になってモーセが命じた離婚状のご紹介です。早速直訳です。

申命記24章1節 ヘブル語原典直訳 

01・として 彼が取る 男 女 そして 彼が所有者する彼女 そして彼が存在する もし 無い 彼女が見つけた ひいき 中で目らの 彼 として 彼が見つけた 中で彼女 むき出しの 言葉 そして 彼が刻んだ に彼女 公文書 (数える)の 離婚状 そして 彼が与えた 中で手彼女 そして 彼は徹底的に遣わした彼女 から家彼 

申命記24章1節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

01・ もし も 誰かが 彼が取った(為) 女を そして 彼が共に住んだ(為) 彼女に、 そして 彼が存在する もし 無い 彼が見いだした為 恵み 面前彼、それは 彼が見いだした 中で 彼女 非外形(不作法) 事柄、 そして 彼は確かに書く 彼女に 書を 離れ立つの(ヘブル語=断ち切る=離婚状)  そして 彼は確かに引き渡す 中へ その手ら 彼女の そして 彼は確かに外に離れ遣わす 彼女を 出て その 家 彼の、 

申命記24章1節 ヘブル語原典意訳。

1・もし男が女を娶って夫(原文は主人)となったのに、夫が妻に好意を抱くどころか反対に辛辣な言葉が目に余ったなら、書記を頼んで書いた離婚状を持たせて追い出しなさい。

申命記24章1節 70人約ギリシャ語原典意訳

1・誰かが、妻を娶って一緒に生活していたとする。しかし彼女に慈しみを見いだすどころか、耐えられない不作法が目につく様なら我慢していないでさっさと離縁状を書き渡して彼女を家から追い出しなさい。

 当時の女性の社会的立場を考えると、まあ致し方のない離婚規定です。これを新約聖書のマタイ5章31節でキリストが引用してます。以下はその直訳です。 

31・彼が言われた も、所は ともかく 彼が解放した その 女を 彼の、彼は与えろ 彼女に 離婚を。
32・私は も 私は言い続けている あなた方に それは 全て その 解放したは その 女を 彼の 以

外は 言葉の  売春 彼が行った 彼女を 姦淫させられる事、そして 所は もし 解放させられたを 彼が結婚した(為) 彼が姦淫させられ続けている。

 こちらも翻訳にしてみます。
31・彼が言われている。夫が彼の妻を解放するときは、彼女に離婚状を与えなさい。
32・私はあなた方にこう言います。それは全て売春をした事実のある時以外は彼女に不品行をさせる事になる。当然彼女を娶った男は姦淫させられ続けているのだ。

 こちらの新約聖書も一般の翻訳とは随分と違います。それは32節の「離婚された」は女性分詞の受動形対格ですから目的語で、当然このあとのこの女と結婚する男が不品行すると言う意味になります。

 まあ、翻訳の問題は置いておいて聖書が離婚に関して現実的に規定されている事は驚きです。「気に入らない相手と一緒に生活するよりさっさと別れろ。」というのが聖書の離婚に対する教えの様です。

  さて離婚に関して残る問題はマラキ書の2章16節です。以下に15、16節の直訳を記します。

旧約聖書マラキ書 ヘブル語原典直訳 

15・ そして 無い 一 彼は 造った そして 残余の 霊 に 彼 そして なぜ  その一 探している 子孫の 神 そして あなた方は見守られた 中で 霊 あなた方の そして 中で 女 若いあなたの無い 彼が裏切っている 
16・ それは 彼が憎んでいる 追放する事 彼は 言っている ヤハウエ 神の イスラエル そして 彼は覆う 暴力 上に 衣類彼の 彼が言っている ヤハウエ 万軍の そして あなた方は見守られている 中で 霊 あなた方の そして無い あなた方が裏切っている 

 分かる事ですがこのマラキ書の離婚の禁止という意味に一般に訳出されている箇所が本当に言っているのは翻訳とはかなり違うのです。前後の文脈から見て分かる事ですが、この箇所も詩文です。所が大抵の翻訳ではこの15節から16節を前後の文脈から切り取って離婚禁止の文言に訳出する為にここだけ散文に変更しているのです。
 と言う事は言葉は文脈で意味が決まるのですからこの前後の文脈で言っている事は男女の結婚関係ではなく、ヤハウエの神とその民を男女の結婚にたとえています。と言う事でこの箇所は男女の離婚云々では無く神を捨てる事を禁じているのです。

 と言う事で今日はモーセが記録している離婚のために正式な文書を記して保存する事を命じた記録のご紹介

でした。今日に当てはめれば協議離婚の記録と言う意味で良いかと思います。

最後にウエストミンスター信仰基準の24章6を引用しておきます。
人間の腐敗は、神が結婚において合わせられた人々を不当に離すために、論議に苦心しがちなものであるが、姦淫以外の、または教会や国家的為政者によってどうしても救治できないような故意の遺棄以外のどのような事柄も、結婚の結びを解消することの十分な理由ではない。離婚する場合には、公的な秩序正しい訴訟手続きが守られるべきで、当事者たちは自分自身の事件において、自分の意志と判断に任されてはならない。

遊女と犬の稼ぎ

遊女と犬の稼ぎ 申命記23章19節(邦訳18節)

今日は申命記も23章を原典で読みました。気になる箇所をご紹介します。早速直訳です。
 
旧約聖書申命記 23章19節(邦訳18節)ヘブル語原典直訳 

19 ・ 無い あなたが出でこさせる 売春報酬の 私通する(女) そして 価格の 犬 家の ヤハウエ 神らあなた  に全ての 誓い(祭) として 憎悪の ヤハウエ 神らあなた  さらに 2彼ら

旧約聖書申命記 23章19節(邦訳18節)70人訳ギリシャ語原典直訳  

19 ・ 無い 彼が確かに方に運ぶ 賃金を 売春の 無いも 交換(代価)を 犬の 中へ その 家 主の その 神 あなたの 方に 全ての 祈りを、 それは 嫌悪 主に その 神に あなたの 彼が存在しつづけている そして 両方

旧約聖書申命記 23章19節(邦訳18節)ヘブル語原典意訳

19・私娼婦の稼ぎや犬の稼ぎを神様への献金としたり、祈りが成就したときの感謝に献げてはならない。どちらも神様の憎まれる行為だ。

 まあ、これは「不労所得は献金するな。」と言う事で良いかと思います。気になるのは「私通」と言う言葉です。当時の売春は公娼(日本にもつい最近と言っても今から60年前迄ありました)と私娼に分かれていました。

公娼はヘブル語でカデシ=聖という言葉が使われていて神殿で行っている売春を指していました。この淫らな宗教の実体がカナンの地の住民が滅ぼされる一つの原因でした。

 面白いのは創世記の38章の21節で、ユダヤ人の父祖ヤコブの第四子ユダが、自分の死んだ息子の妻タマルが遊女の装いでいたため嫁と知らずに買春した時の事が知るされています。当然ユダにはその女が私娼である事が分かっているのに、私娼とは人前で言えずに公娼を差すカデシ=公娼と言う言葉を使って人に遊女の所在を聞いている所があります。「カデシ=遊女は何処にいるか?」と言う訳です。

  やはり、私娼を買うのは当時でもかなり問題であった様です。と言う事で今日はその様な私娼をどこかで手に入れその女が売春で儲けたその上がりを神様の宮に捧げる不届きな行為を禁じているのです。 

  そして、気になるもう一つは「犬の稼ぎ」です。我が家にいる大きなラブラドール犬は中々写真写りが良いのですが、ご近所にはもっと毛並みのよいアフガンハンズがいます。聞けば飼い主のお嬢様は「お小遣いが無くなると犬にモデルをやらせて結構な稼ぎになる」とおっしゃっておられました。しかし、やはりこれは「犬の稼ぎ」と言う事で神様に捧げる事は禁止です。勿論ドッグフードを買う分には差し支えありません。また何に使うのも献金以外ならそれは自由です。

  という事で今日は「遊女や犬の稼ぎの献金の禁止」記録のご紹介でした。

恐怖のマイホーム(粗悪品の禁止)








粗悪品の禁止 申命記22章11節 

 きょうは随分と所帯染みた聖書の記録を読みました。早速一カ所ご紹介しましょう。直訳です。

申命記22章11節 ヘブル語原典直訳 

11 ・無い あなたが着る  混合材料 羊毛 そして 亜麻 一緒に 

申命記22章11節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

11 ・無い あなたが中で纏った(為) 粗悪品(混ぜ物)、羊毛 そして 亜麻、中で その 彼らに。

今日は短いので両方とも翻訳にしてみましょう。

申命記22章11節 ヘブル語原典翻訳 

11・あなたは羊毛に亜麻を混毛したものを纏ってはならない。

申命記22章11節 70人訳ギリシャ語原典翻訳 

11・あなたは羊毛の中に亜麻を混ぜた粗悪品を身に纏ってはならない。

 面白いですね、今から3千年前のイスラエル人達に「純毛の衣服を着るのはよいが、純毛に見せかけた麻を混毛した粗悪品は着るな」と命じているのです。「何を着ようが人の勝手だ!」と反感を買う様な規定です。しかし、聖書には確かにその様に記されているのです。

最近問題になっている蜂蜜に水飴を混ぜた純粋蜂蜜などもこの聖書の規定に照らし合わせると「そんなものを買うな、そして食べるな。」と言う意味になる訳です。 

 しかし、今日では私達の身近のあらゆる所で同様の粗悪品が横行しています。例えば、建築です。最近の住宅は確かに見かけは立派です。しかし、見えない所に使われている木材は大抵小さな木片を接合して大きくした集成材です。しかも、プレハブやSXLなどと言う人気のブランドメーカーの建物でも工事中に使用されている木材の梁や柱や合板に書かれている文字を確かめると2級品とか4級品とか書かれているのを見かけます。確かに伝統技術、匠の業、檜の家などとネーミングは素晴らしいのです。そして、建物の見える外装や内装の表面には立派なタイルやクロスになっています。しかし、見えない、その下地の材木には酷い粗悪品が使われている事が多いのです。

 まあ安普請の家にしか住めない私達の切実な経済的な現実も在るのでしょうがあのような粗悪品の集成材には様々な問題が在る様に思います。

第一の問題は材木に対する化学物質や防腐剤等の添加物です。

 第一にハウスシックの原因と言われる有機溶剤が残留する「合成接着剤」が集成材には多量に含有しています。最近はハウスシック対策が進み表面のクロスや塗装には随分と自主規制が成されました。しかし肝心の構造材には集成木材が使われている事が多いのです。集成する為に木片の接合に使用された有機接着剤は室内への検出は微量ですが長い年月の生活環境への溶出が懸念されます。それらの有機化合物である接着剤には経年による塑化により内部にピンホールや亀裂が発生し、その間隙にはしっけや細菌が進入する為にどうしても建物が雨漏りや床下の湿気に弱くなります。その湿気により黴やシロアリなどが繁殖し、元々小さな木片にすぎない集成材は木質が弱化してしまいやすいのです。それを防ぎ何とか耐用年数を保証修理期間の10年以上にする為に防蟻、防腐の必要があります。その上に防虫、難燃処理のため薬剤が注入されます。勿論これは新築の家だけでなく家具や木工品全てに共通です。その為にほぼ全ての集成材や合板や普通の無垢の木材にまで流通段階や製造段階で殺虫剤、防腐剤などの強力な薬剤が巨大な大量高圧注入装置によって木繊維の内部深くに封入されています。それらの薬剤には必然的に発癌性や肝機能、肺機能、腎機能に悪影響を引き起こす危険性があるように思います。しかもその様な薬剤に暴露される期間は相当長期にじわじわと人体に影響を与えるのです。しかし、食品ではありませんからそんな薬剤や化学物質(クレオソートや硫酸銅も含みます)に法の規制は皆無かと思います。

 実際の薬剤注入 http://www.jawic.or.jp/tech/syurui/syurui7.php 
 無垢材の安全性 http://www.shokuninkai.co.jp/kenko.htm
 人工接着材の危険 http://www2u.biglobe.ne.jp/~woodhome/zsuzuki23.html

第二の問題は天然の材木そのものに含まれている樹脂の危険性です。

また木材の産地であるロシアにブラジルを初めとする中南米、インドネシアなどの諸国では最近の環境問題(地球温暖化、洪水、生物資源保護等)による樹木の伐採規制が強化されています。それに加えて中国を初めとするアジヤの経済発展による高級木製住宅需要は増大しているのです。その結果、木材の需給の逼迫がおきています。

  需要が在り拡大しているのに供給が先細りなのです。その結果、今まで人類があまり利用して来なかった種々雑多な樹木が集成材に加工する事によって建築材料として有用になっています。しかし自然界に存在する天然木が全て安全な保証はどこにも無いのです。

樹木はそれぞれの樹木自体を周辺に存在する様々な生物(他の樹木、動植物=菌類や細菌)から守る為に天然の防腐剤であるフイトンチッドなどの様々な物質を発散させています。これを蜜蜂が集めたものがプロポリスで天然の抗生物質などと言われますが、その殺菌消毒作用にはそのままたの生物を死滅させる毒という負の側面が表裏一体となって存在しています。これらの厳しい密林に太古から生息してきた未知の木材の発散する未知の防腐作用成分に対する人間の免疫反応がどう在るかは未確認です。特に個人差が在るアレルギー反応は調べようもありません。人類が今までに全く利用して来なかった種々雑多な木材にたいする研究はこれからで「現在の住居はまさしくその人体実験の様相」を呈しているのです。それらの樹木には、伐採後もかなり長期にわたって木の脂が残留しそれらからは周囲に自前防腐剤が周囲にじわじわと発散しているのです。しかも最近の住宅はアルミサッシの高機能化により機密性が向上し、しかもエヤコンにより夏冬ともに窓がぴったりと閉じられ、しかも騒音や大気汚染が在る為、窓を開ける事に抵抗があり、その結果ますます換気が不十分に成り、人間特に在宅時間の長い主婦や老人に問題を及ぼす危険性が高いのです。

 天然物質の危険 http://www.iph.pref.hokkaido.jp/charivari/2004_06/2004_06.htm

 その様な人類が未経験の樹木の発散する化学物質に対して現在は、全く規制も調査もまた研究も皆無で野放しの状態です。もし漆やそれ以上に有害な樹木が集成材に混じっていたらどんな恐ろしい危険があるか分かりません。

第三の問題は昔は長い時間を要した乾燥や製材期間が短縮された事です。

 昔は山で切り出された丸太は山や谷川に暫く放置され、筏に組んで港に運ばれ、さらにそこで貯木場に放置され、製材所が購入しても暫くそきまま野積みにされていました。その長い期間の間に徐々に乾燥し、木の癖をとり、その結果樹脂や水分が環境と拮抗安定して加工しても変形しない優れた建築材料になるように仕向けられていたのです。山で伐採されてから10年近い歳月を経て漸く製材されていました。さらに製材した材木は木工所や工務店の倉庫に運ばれてそこで陰干しされ数年乾燥して反りやねじれを出し切って漸く建築用材とし利用されていました。しかし、最近は貯木場も製材所も殆ど見かけません。聞けば大木材会社や王手住宅産業の大工場の木材乾燥装置に入れられてあっと言う間に乾燥してすかさず製材されているそうです。従来の様な長期間をかけた製材では資本効率が下がり、経費や金利で採算は悪くなり、急な需要に間に合わずしかも径年による劣化や虫食いで歩留りが落ちて儲けが無くなってしまうからです。

 参考 http://www.homarewood.co.jp/bassaiseizo.htm#木材乾燥処理 
 行政の補助金http://www.city.noshiro.akita.jp/reiki/reiki_honbun/ar24105401.html
 人工乾燥と重油http://www.mars.dti.ne.jp/~hibari/column/column4.html 

  その結果今まで長年寝かされている間に発散していた木の脂や様々なフイトンチッドと言われる危険な物質はおそらく殆ど残ったままです。杉や檜の自然林では強力な結核菌も死滅する滅菌力が在るのです。それらが木の内部に残留したまま急速乾燥で固化して、それらを含有したままて新築住宅の建設現場に送られ、しかも、従来であったら棟上げから半年から1年をかけて建設されていた住宅は3日で立ち上がり着工から一月もしない間に新居となり入居者が越してきているのです。今まで安全であった杉、檜、松や欅等という木材が現在の工期の非常に短縮された住宅で安全であるかどうかは未確認なのです。

  参考人工乾燥  http://www.homarewood.co.jp/jinkoukansou.htm

★最も化学物質等の影響を受けるのは家庭で一番守られるべき弱者です。

 しかも、その様な化学物質には在宅時間の少ない体力の在る壮年よりも、家に長くいる老人、女性、乳幼児、妊婦などの内蔵機能の弱い人々がより長く晒される悪循環が存在しているのです。

 最近この10年間(阪神大震災以降)で私の本当に身近な周辺で新築の一戸建て住宅やマンショに入居された方や大改装(リフオーム)された方が合計で9家族ありました。その中で入居後1年から2年で癌を発症された方が5名で1名を除いて女性で、入居1年程で体調を崩され、何れもあっと言う間に死亡されました。それ以外に原因不明の病気で亡くなられた方も4名で全員女性です。たしかに全員60才以上の方でした。勿論家族構成者の数の合計は約20名ですからほぼ半数程は確かに何の問題も無く健全にしておられます。

 偶然ナノか、それとも何か原因が在るのか分かりませんが、粗悪品に気を付ける様に記している聖書の記録には考えさせられます。皆様の周辺にもその様な事例が在ればご紹介ください。

  と言う事で粗悪品を禁じる聖書の記録のご紹介でした。

弱者の権利の擁護

弱者の権利の擁護

  今日は昨日に引き続いてユダヤの法律(=旧約聖書、特にモーセ五書)の記している大切な事の続きです。早速何時もの様に直訳です。

旧約聖書 申命記21章17節 ヘブル語原典直訳 

17 ・として を その 初子 息子の その 憎まれているは 彼が見なされる に与える事 に彼 口の 2 中で 全て 所は 彼が見つけられる に彼 として 彼の 頭 精力 に彼 判例の その 初子

旧約聖書 申命記21章17節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

17 ・ 反対に その 長子を 息子を その 憎まれているの 彼が確かに上に知られる 与える事 彼 二倍ら から 全てらの、 する所らの ともかく 彼が見いだされた(為) 彼に、 それは これは 彼が確かに存在する 初め 実子らの 彼の、 そして この事 彼が適当し続けている その 長子ら。

旧約聖書 申命記21章17節 ヘブル語原典意訳

17・二人の妻の中で憎まれている方の子供が長子であっても、あなたは必ず彼に長子の相続分にあたる他の子の二倍の相続財産を与えなさい。彼があなたの精力の旺盛な初穂だから、この子に初子の判例を適用しなさい。 

 聖書の中を見てみると、大抵の場合に「嫌われている妻の長子の権利を無視して、愛されている妻の子が家督を相続」しています。聖書の規定と全く反対の事が現実には成されていることを聖書は記しているのです。これは告発の記録と言うのが健全な聖書理解と言う事になります。

聖書に見られるいくつの具体例を上げてみましょう。

アブラハムの長子イシマエルは無一文で母共々荒野に放逐されました。イシマエルの権利を頂戴した弟のイサクの家庭ではまた同様の事が起きます、イサクの第一子のエサウと弟のヤコブの間には財産争いが在り、結果的に弟のヤコブが長子として扱われました。お蔭で危なく兄エサウに殺害される所でした。聖書が教えているのは如何に聖書に登場する人々が神様の命令を間もらいなかと言う告発であることが分かります。

当然ヤコブの家も相続では揉めました。父は第10子のヨセフに長子の着る長服を着せていたのです。当然これは聖書が厳しく禁じている事でした。父ヤコブの行為は兄達全員の憎しみを買い、結果的に兄達によってヨセフは奴隷に売り飛ばされてしまったのです。皮肉な事にそのヨセフは、その後にエジプトの宰相になるのです。

あのダビデ王にしても長子のアムノンは異母姉妹のタマルを強姦しその恨みを買って、タマルの兄アブシャロムは妹を強姦して捨て去った異母兄アムノンに恨みを抱きつづけます。父ダビデは知っていても、強姦殺人の前科のある身で何のお咎めも無いありさまでした。収まらないのは犯されたタマルの同母の兄アブシャロムです。そして、アブシャロムは妹の復讐をアムノンに果たし彼を殺害します。その挙げ句に父ダビテ王にクーデターを仕掛けるのですか1年あまりで自滅して、その結果は父の強姦殺人の犠牲者である絶世の美女バテシエバの第二子のソロモンに王位と財産がすべて与えられる結果となるのです。 

 こんな人間として当たり前の事も出来ない人達が続々と聖書に登場するのです。まあこの人達をどう評価するかは置いておいて、本当に聖書の規定は少なくとも聖書中においては誰も実行できていな事を思わされます。

  さて、その事を踏まえながら、やはり神様は長子、特に複数の妻がいて、憎まれている弱い立場の妻の子が長子でがあったなら、長子の権利は相手が弱い立場=嫌われている妻の子であるからといって踏みにじってはならないと言う事を厳しく命じているのです。

  さて、前後の様々な聖書の規定を見ると、面白い事が分かります。それはよくよく見てみると、全て「弱者の権利の擁護」という原則が貫かれているのです。

  と言う事で、今日は「長子が父の家を継ぐと言う聖書に記されている優れた当たり前の原則だけれども、同じ聖書はその素晴らしい神様の基本原則そのものが聖書に登場する信仰者達によって見事に悉く踏みにじられている」と言う聖書の記録のご紹介でした。 
  
  さて、この続きにさらに詳しくこの説明を付け加えたいのですが明日の午後にでも時間が出来れはこの記事に追加したいと思います。

★以下は6月17日午後の追加部分です。
  
  さて上記の「弱者の権利の擁護」と言う事が実現するには、一つの原則が存在する必要があります。その原則とは「弱者の権利を守っても見返りが期待出来ない。」と言うもう一つの現実が存在していると言う事なのです。

たとえて言えば、 母親が産まれたばかりの幼子に尽くしても幼子は母親に何かをして上げる事は無理なのです。確かに笑顔で答えてくれますし、遠い将来には見返りがあるかも知れませんが、母親はそんな事など意に介さず自分の子を愛するが故に見返りなど意に介せずに幼子に尽くするです。

  同じ事が、全ての弱者の権利の擁護に当てはまるのではないでしょうか。「見返りを求めていては弱者の権利の擁護は成り立たない」のです。社会的地位や実績に加え経済力も腕力にも優れた人の権利を守る人にはきっと「見返りは顕著にある」でしょう。政治や司法やマスコミが此の範囲に限定されるとき社会は健全?に機能している様に見えます。しかし、目を弱者の視点に転じてみると問題が判明します。現実の世界では常に「社会的弱者や貧困者などの権利は、守って上げても殆どの場合場合大きな犠牲を伴うばかりで、自分の直接の利益にはならない」ので殆どの場合無視され踏みにじられているのが真実なのです。 

  聖書はこのような見返りが無いのにその人の為に与える犠牲を「愛」と言っています。この聖書が命じている「愛」にはギリシャ語「でアガペー」と言う種類の愛を表す言葉が用いられているのです。このアガペーの愛という言葉が意味しているのは「愛に対して何の見返りも期待出来ない場合にのみ使用される言葉」なのです。

 アガペーの愛の他に日本語では愛となる言葉がいくつか在ります。この「聖書の言う愛とは異質の愛」にフイレオー=「当然の如く見返りを期待する愛」があります。日本語の愛はこちら=友愛を当然のように示しているように思われます。そうしてもう一つの愛=ステルゴーという「自分の肉親にだけ摘要される益」をさす言葉もあります。これは自己愛で聖書の教える愛とは正反対の意味です。日本の教会で使われている「愛」を見てみるとどうも「自分を愛して欲しい」と言う意味の様で愛を要求しているのですからこれは「聖書の愛=アガペー」とは無関係で欲望とでも言った方が正確だと思います。


 と言う事で、弱者の権利が守られる為にはどうしてもこの見返りが期待できない時にのみに成される愛を表すアガペーの愛が必要なのです。これが聖書の教えている一番基本的な愛なのです。そのキリスト教の愛は言い換えるならば「見返りが無いが、正しいから行う」と言う意味になります。日本語としては「愛」ど訳されるよりは「義」という意味に訳出した方が誤解をされる恐れが無いかと思います。

 参考箇所を以下にリンクしておきます。 

 愛の定義  URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1559290.html
 神の愛の目的 URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/2578673.html
 神の愛 URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/652903.html 

民族の根絶命令

民族の根絶命令 申命記20章17節 

 今日は申命記の20章を原典で読みました。早速気になる箇所のご紹介です。

旧約聖書申命記20章17節 ヘブル語原典 直訳 

17 ・ として 根絶する事 あなたは根絶する彼ら その ヒテイ そして その アモリ その ケナニー そして その ペリジ その ヒビ そして その エブシィ として 所の 彼が徹底的に命じた あなた ヤハウエ 神らあなた 

旧約聖書申命記20章17節 70人訳ギリシャ語原典 直訳 

17 ・ 反対に その 上に置かれた(呪われた) あなた方は確かに上に置く=呪う 彼らを、 その  ケタイを そして アモライを そして カナナイを そして ペレザイを そして エウアイを そして エブサイを そして ゲルゲサを、する所を やり方を 彼が中で命じた あなたに 主は その 神 あなたの、

旧約聖書申命記20章17節 ヘブル語原典翻訳

17・あなた方は確かに次の民族を根絶しなさい。ヘテ人、アモリ人、ケニ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人。あなた方の神ヤハウエの命令です。

まあ、凄まじい言葉です。アウシュビッツやポルポトの例を引くまでもなく、古代にイスラエル民族によって成されたパレスチナのカナン6民族の大量殺戮の指示でこれは実際に行われたのです。おそらく数百万人の民族抹殺です。

  今日の聖書の箇所では、その民族殺戮をモーセが民に厳しく命じている箇所なのです。間違いなく「聖書はこの6民族を地上から抹殺しろ」と言明しているのです。そして、残念な事(?)にイスラエル人達はその命令に完全には従いませんでした。そしてイスラエルの人々は彼らのカナンの6民族をほぼ滅ばしましたがいくつかの町(大城塞都市)は攻め込むのが大変なのでそのまま残してしまったので。

  その結果、彼らカナンの6民族が行っていた淫らな偶像崇拝(神殿で成されていた様々な性の錯綜=同性愛に神殿男娼や売春)にイスラエル民族も染まってしまったのです。何故そうなったのかは判然としませんが、どうやら古代の通商路(アジア大陸、アフリカ大陸、未開のガリヤ=ヨーロッバ、地中海世界)等の通商路紅海、地中海、ナイル川、チグリスユーフラテス川等の隣接する地の利故に、カナン(貿易商と言う意味)の地には沢山の富や知識や覇権が集中していたらしいのです。その富と地域と不道徳がカナンの住民の特色でした。おそらく、経済的、軍事的繁栄に幻惑されてイスラエル民族はカナン人を滅ぼす途中に、カナンナイズされてしまった様です。

神様が繁栄するカナンの地の先住民を殺す様に命じられたのは此の底知れない拝金主義と快楽至上主義を打倒する為だったと思われます。神様の命令に従わず、反対にカナンの風習を取り入れたイスラエル民族の末路は自明でかた。その結果イスラエル民族はこのカナンの民族の運命=滅亡を自民族に招く事になったのです。 
  
 此の後に、神様はカナンの風習を止める様に幾たびも預言者が遣わされました。しかし、後代の北王国イスラエルもまた北王国の滅亡後に残された南王国ユダも、悉く預言者達を迫害して殆どの預言者を殺害してしまいました。その結果イスラエル民族は皮肉な事にイスラエルの神によってカナンの地から放逐れれる結果を招いたと聖書は記しているのです。(歴代誌第二・36章12節から18節参照)
   
 そのイスラエルの破局は、BC721年のアッシリヤ帝国による北王国イスラエルの滅亡、そして、BC606年から三度に渡るバビロンによるユダヤ侵略と70年間のバビロン捕囚によるユダヤ国家の消滅です。そして70年後に一部のゆだや人は帰国を果たしますが、惨憺たる植民地民族の悲哀を、それ以後連綿と経験し、やがて紀元70年のローマの支配に歯向かい、結果としてユダヤ民族は逸れ以後2千年にわたって国土と国家を神によって取り上げられてしまうのです。

そしてそのカナンの地の貿易立国の知識が今日の世界経済を堕落させているユダヤ資本のルーツナノです。

  と言う事で今日は大変厳しいけれども、聖書に記されている「神様がカナンの地の住民を悉く大量殺戮する様に命じられた記録」のご紹介でした。

目には目、歯には歯=冤罪の防止

目には目、歯には歯=冤罪の防止 申命記19章18節~21節

今日も裁判、特に偽証について記された箇所でした。早速直訳です。 

旧約聖書 申命記 ヘブル語原典直訳  19章18節~21節 

18 ・そして彼らが探す その 裁 くら 善させる事 そして 見よ 証言(繰り返す) 欺く その 証言(繰り返す) 欺く 彼が応える 中で 兄弟彼 
19 ・ そして あなた方は作る に彼 として 所の 彼が企んだ に作る事の に兄弟彼 そして あなたは徹底的に食い尽くす その 邪悪 から内臓あなた 
20 ・ そしてその 残されたらは 彼らは聴従する  そして 彼らは恐れる そして無い 彼らが加える に作る事の 繰り返す として その言葉 その邪悪 そのこの 中で内蔵あなた 
21 ・ そして 無い 彼女が哀れむ 目らあなた 生活 中で生活 目 中で 目 歯 中で歯 手 中で 手 足 中で 足 

旧約聖書 申命記 ヘブル語原典直訳  19章18節~21節 

18 ・そして 彼らは外に調べる その 裁判官らは  正確に、そして 見よ 目撃証言は 不義は 彼らが目撃証言した 不義を、 彼が対して立った 下に その 兄弟 彼の、
19 ・ そして あなた方は確かに作る 彼に する所を やり方を 彼が自分の為に邪悪した 作る事を 下に その 兄弟 彼の、そして あなたは確かに外に取る その 邪悪を 出て あなた方 彼らの。
20 ・ そして その 上に残されたらは 聞いたらは 彼らは確かに恐れさせられる そして 無い 彼らは確かに方に置く 尚 作る事 下に その 言葉を その 邪悪を この 中で あなた。
21 ・ 無い 彼が確かに自分の為に惜しむ その 目 あなたの 上に 彼。 生活を 対して 生活、 目を 対して 目、 歯を 対して 歯、手を 対して 手、 足を 対して 足。

 今日も大変有名な聖書箇所です。長いので翻訳は止めておきますが一般に「目には目、歯には歯」と言う報復の論理として紹介されている箇所です。その具体例として、よくイスラム法が引用され、「盗人への報復として手を切り落とす」などといった復讐と考えられている様です。

 確かに出エジプト記21章の十戒の解説の箇所(出21章23節~25節)では、そのように誤解されるかもしれません。しかし、そこでは犯罪者に対して正当な刑罰が記されているのであって、決して報復や復讐ではありません。
 特に今日ご紹介する申命記では、文脈をみて頂ければ分かる様に、法廷で偽証が判明した場合の偽証者への刑罰が規定されているのです。

 偽証と言う事は「無実の者を有罪にする為の証拠を作り出す事」の抑止と言う事です。もし、無実の人を有罪にする為に証拠が捏造され、無関係の人が酷い犯罪お犯人にされ厳しい刑に服すると言う事が起きた場合を考えて下さい。その人とその家族がどれほどのいわれのない不利益を被るかを考えてみて下さい。

本人は監獄、家族は地獄、出所出来ても犯罪人に対する人々の視線は冷たく仕事、知人、家族、親族だけでなく全てを失いうかも知れません。

  ですからもし、「悪意の偽証により無実の人が犯人とされない様に」、裁判官はよくよく証拠=証言を注意して取り調べる事がここで命じられているのです。もし証言や証拠を取り調べ、その証拠類が捏造や事実無根であった事が判明したなら、「その偽証者には、無実の被告が被らされようとした刑罰をそのまま、偽証者に課しなさい。」というのがこの箇所の意味する事なのです。

  決して報復ではなく、悪意による無実の被告が冤罪を被る事が無い様にする、人間の尊厳と権利の擁護がこの「目には目、歯には歯」と言う言葉の目的です。

  これは当然の事であす。しかし、現実の司法の現場では、仮に「偽証者の偽証(証拠の捏造)が発覚しても、その責任が追求されず無罪放免されている」というのが普通の様です。そんなありさまは、冤罪は後を絶ちません。

  この聖書の規定を適用して「偽証によって無実の人を告訴した警察官や検察官はその証拠の捏造、あるいは自白の強要や脅迫が発覚した時点で、被告にされていた人の被る刑を無条件で取り調べ官に執行されるようにしろ。」と聖書は教えているのです。

そのように出来ればおそらく、日本から即座に冤罪は消滅するでしょう。また、このような無実の人を犯罪人に仕立てる人の心の動機を思い見る時、その人が真犯人であったり、また無実の人を犯罪人にしたてることによって何らかの利益を得る事(=警察官の出世や上司の良い評価等が存在する事、あるいは捜査経費の削減の達成や検挙率の向上等々)は自明です。こんな「恐ろしい犯罪=無実と分かっていても犯人に仕立てる行為」がまかり通る世の中は、まさしく無法地帯です。

  当然このような優れた旧約聖書の規定を新約聖書でキリストが引用されているのは当然です。そして変更の必要はありません。しかし、残念な事に新約聖書の方は全て誤訳となっています。まあ、こんな翻訳が誤訳と見抜けない様なキリスト教界では心もとないのですが、聖書が教えている教えの卓越性には本当に敬服します。

  と言う事で今日は冤罪の防止を記した重要な聖書の教えのご紹介でした。 

余分ですが黄金律の誤訳に関しては以下をご覧ください。
URL  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/611722.html
URL  http://bible.co.jp/bible/nt/goyaku.htm

実言の実現

実言の実現 申命記18章22節 

今日は色々ご紹介したい事が沢山ある箇所を読みました。投稿字数の関係で一点のみご紹介させて頂きます。
 
旧約聖書申命記18章11節22節ヘブル語原典直訳 

11 ・ そして呪いするは 呪い そして 尋ねる 降霊術 そして 使いの精 そして 探すは に その 死んでいるら 
22 ・ 所は 彼が徹底的に言葉した その 預言者 中で名 ヤハウエ そして 無い 彼が存在する その 言葉 そして 無い 彼が来る 彼 その 言葉 所は 無い 彼が徹底的に言葉した 彼  ヤハウエ 中で横柄 彼が徹底的に言葉した その預言者 無い あなたが懸念する から出てきた彼

旧約聖書申命記18章11節22節ヘブル語原典直訳 

11 ・ 魔法使うは 魔法を、中で大食虚言 そして 驚異目標、尋ねるは その 死人らを。
22 ・ 全体らは もし 彼が喋った(為) その 預言者が 上に その 名 主の、そして  無い 彼が起きた(為) その 言葉 そして 無い 彼が確かに来る、 ことこと その 言葉、 銑ところは 無い 彼が喋った 主。 中で 不敬神 彼が喋った その 預言者 あの、 無い あなたが確かに自分のために離れ(受け)取る 彼の。

旧約聖書申命記18章11節22節ヘブル語原典意訳
      
11・呪術で呪ったり、死者の魂を呼び出して尋ねる降霊術をする者は追放しなさい。
22・もしその預言者がヤハウエの名を使って話しても、もしその言葉が現実にならなければ厚かましくヤハウエの名を悪用したのだ、そんなものの言葉に気にしてはならない。

今日は今から3千年昔にも随分と様々な宗教家がいた事が記されています。 11節の前には占い、神託、魔術、妖術、呪い、口寄せ、降霊術、使いの精、等々の宗教商売が随分登場します。と言う事はかなりの需要がありその必要を生活の糧にしていた多くの宗教家があった事が分かります。

  所で聖書はこの宗教家に対して面白い言葉を当てているのです。それは70人訳の11節に登場する「中で大食虚言」と言う言葉です。この言葉はヘブル語の降霊術を指しているのですが、見事なギリシャ語に変換されているのです。それはエンガスリムソスで「中で+大食+虚言」と成ります。中でとは文字通り次の大食の中でと言う意味で、その大食の中で虚言=人間が作りだしか妄想=ムソス(この言葉は良い意味では寓話=イソップ等)と言う事なのです。

 理性の発達したギリシャ人にとって「宗教家なんて言うのは大食の欲望を満たす為に無知な人に妄想を語る人」と言う意味なのでしょう。

  所で、興味在るのはヤハウエの神の預言者に対して使われている言葉です。それはヘブル語はダバールが使われています。と言う事は実言と言う意味で、事実に対応した言葉=実言と言う意味なのです。

  と言う事は聖書が言っているのは「神様の言葉と言われる聖書に書かれている事にはその記述内容に対応する事実が存在する。」と言う意味なのです。そうして、その事が意味しているのは「歴史に実際に起きた事は神様の意志=御心であると」いう結論が導き出されるのです。歴史を表す英語のhistory=His Story=彼[神]の物語」だと言われるゆえんです。余分ですがこの英語の正確な語源はギリシャ語で「ιsτορια=ヒストリア=知る為に尋ねる」と言う意味です。

「事実が神様の意志である」本当に起きた「真実=神様の御心なのだ」と言うのは簡単なのですが、そこには大きな問題があります。「誰が実際に起きた事実を認識し」、「誰が正当に記録し」、「さらに誰が公に公表するか」と言う事が大問題なのです。

歴史を見れば一目瞭然ですが、「真実=事件や戦争等で現実に起きた事」と「教科書に登場する歴史=その出来事の起きた時、又は後の時代の政権が承認した過去の記録」の両者の間には随分と相違が在るものです。その現実が曲げられる背景は、記録した政権(あるいは報道機関)の都合(次期選挙得票やコマーシャル収入)によるプレッシャーが現実を改竄して記録する事を余儀なくさせるのです。というわけでマスコミや政府によって広報されるニュースと実際に起きた事実=アレーセイヤには随分と隔たりがあるのです。

ですからこの実際に起きた事が神様の意志であると言っても現実には「何が真実かを正しく認識する事」が非常に難しい問題として存在しているのです。 
 結論ですが「聖書には人間が作り出した教えや真理が書かれているのではなく事実=ダバール=ギリシャ語アレーセイヤが記されている。」と言うことを今日の箇所から教えられるのです。

実言に関してはこちらをご覧ください。 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/746266.html 

  今日は聖書が言っている聖書の記述の意味する事のご紹介でした。 

王権人求説

王権人求説 申命記17章14節 

今日はイスラエルの民が王権を求めた場合の規定を読みました。早速直訳です。

旧約聖書ヘブル語原典直訳 申命記17章14節

14・ として あなたが来る に その地 所はヤハウエ 神らあなた 与えている にあなた そしてあなたが占領する彼女 そして あなただ仮住まいする 中で彼女 そして あなたが言う 私は置く 上私 王 として全ての その 民族ら 所は 周囲私 

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典直訳 申命記17章14節

14 ・ もし も あなたが中へ来させられた(為) 中へ その 地、主は その 神 あなたの 彼は与え続けている(為) あなたに 中で 籤、 そして あなたは籤割当地した(為) 彼女を そして あなたが下に住んだ(為) 上に 彼女 そして あなたは言った(為) 私は確かに下に立たせる 上に 私自身 司を 丁度通りに そして その 残っているら 異邦人は そのらを 周囲に 私の、

旧約聖書ヘブル語原典意訳 申命記17章14節

14・あなた方が神ヤハウエが賜る土地に来て、そこを占領して後に、その地に住んでいて「周囲の民族の様に王を私は置く」と言う時には、

  以前「王権神授説」の間違いについてご紹介しました。 ( http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1294750.html ) しかし、今日はそれによく似ているけれども少し異なった規定を記した聖書箇所のご紹介です。簡単に言うと「王権は神様が願われたものではなく人間が神様に要求したものだ。」と言う事です。ですから今日の箇所続きには王権の制限が連綿と記されています。多妻の禁止、過剰な軍備の禁止、経済発展の禁止など、おおよそ現代の国家とは全く正反対の国家建設が成されるなら、王を任命する事を許可している箇所です。 

  まあ、聖書の書いてある事は、現実は全てその反対になる事が聖書の基本原則ですからこれで良いのでしょう。 

  と言う事で今日は人間が神様の意志に反して王を求める場合の制約を記した箇所のご紹介でした。 

手ぶら禁止令

手ぶら禁止令 申命記16章16節

今日はイスラエルの成人男子に課せられた年に三度のヤハウエの例祭の箇所を読みました。早速直訳です。 

旧約聖書申命記16章16節ヘブル語原典直訳 

16 ・ 3 叩くら 中で 年 彼は見られる 全ての 男 あなた を 顔(面)らの ヤハウエ 神らあなた 中でその 場所 所は 彼が選んだ 中で 祭りの その パン種の無いパン そして 中で祭りの その 7ら そして中で祭りの その 藪(小屋)ら そして無い 彼が見られる を 顔(面)らの ヤハウエ 素手 

旧約聖書申命記16章16節70人訳ギリシャ語原典直訳 


16 ・3は(orを) 定時らを その 年の 彼が確かに見られる 全て 男を あなたの 面前に 主の その 神の あなたの 中で その 場所、する所に もし 彼が外に選んだ(為) 彼を 主は、 中で その 祭り その 非パン種 そして 中で その 祭り その 第七らの そして 中で その 祭り その 天幕平野の。無い あなたが確かに見られる(ヘブル語=彼が見られる) 面前に 主の その 神の あなたの 空虚。

旧約聖書申命記16章16節ヘブル語原典意訳

16・全ての男子は年に三度あなた方の神ヤハウエの前に顔を出しなさい。その場所はヤハウエが選ばれる。過越と7週の祭りと藪のだ、彼がヤハウエの前に手ぶらで来てはならない。

 当たり前の事ですがお世話になった方(神様)の家(宮)を訪れるのに手ぶらで行くのは了見違いなのは当然です。そしてイスラエルの国の出エジプト当時は王もなく祭司とレビ人(書記)も含むが全権を掌握していました。その為の国家の歳入が国民の自発的納税=献物だったのです。 と言う事で今日は国家の歳入が国民の自主的な任意(と言っても利得=当時は作物や家畜の1/10)と言う規定のご紹介でした。

ピアス奴隷

ピアス奴隷 申命記15章17節

今日は借金や身売りなどの切実な現実を記した聖書箇所を読みました、早速直訳です。

申命記15章17節 ヘブル語原典直訳 

17 ・そして あなたは取る を その 突き錐 そして あなたは与える 中で耳彼 そして中でその城門 そして彼が存在する にあなた 奴隷 永遠 そしてその上 に侍女あなた あなたは作る こう 

申命記15章17節 ヘブル語原典直訳 

17 ・ そして あなたは確かに取る その オペーリオン(原意不明→ヘブル語=突き錐) そして あなたは確かに貫通する その 耳を 彼の 方に その 戸、そして 彼が確かに存在する あなたに 家奴隷 中へ その 永遠。 そして その 女奴隷 あなたの あなたは確かに作る 同じように。

申命記15章17節 ヘブル語原典意訳

17・そしてあなたは孔開錐をとってそのあてがわれた妻の為に自由より奴隷で在りつづける事を申し出た男の耳を玄関の門扉に刺し通して耳タブに孔をうがつ。女奴隷であっとも同様にしなさい。

 今日は借金に関する聖書の規程でした。どんな借金でも7年で免除しろと言う規定がこの言葉の前の文脈に記されています。そして、もしその借金で切り抜けた7年で生活の再建がならない時に、彼に残されるのは自分を奴隷に身売りする事でした。奴隷に身を売っても聖書の中の自民族に対する規定ではイスラエル民族には7年で年季開けとなり開放=自由人に戻る事が義務づけられていたのです。

そして特に大抵親戚に奴隷の身売りをしていますから、待遇は人並みでした。そして奴隷の妻をあてがわれる事が多かったのです。何しろ女奴隷が産んだ子は、産まれながらの奴隷で只で入手(当然)でき、上手く育てればいつまでも奴隷として使用できました。その奴隷をしっかり教育すれば相当便利でしかも食費だけでただ働きしてくれるのですから奴隷の主人には奴隷を繁殖させるのは実に有益だったのです。

 その「7年で全ての債務を無効にする。」と言う聖書の規定は身売りした奴隷にだけ適用される規定でした。しかし、その身売りした奴隷にとっても7年で開放されるという自由の定めも少し厳しいものが在りました。自分で働いたり事業をして自活出来る能力のある人には大変良い制度に思えるのです。しかし、何らかの事情で自分の生活すらも成り立たない人にはかなり残酷な規定とな句からです。 

  考えてみれば分かる事ですが、当時(今も同じ?)は親戚ぐらいしか担保の出せない人間にお金や物を貸してくれる人はありません。その限られた親戚に借金を重ねれは直にお金を貸してくれる人はいなくなります。なにしろ7年で棒引きにされるのですから貸す方には何のメリットも無く、お金や食料をただ失うだけであったからです。すると直ぐに只で貸してくれる親戚はいなくなります。借金が出来なければ残るのは、身売りをして奴隷になる事でした。しかしその奴隷も7年で自由にさせられ、苦手な自活することが要求されていたのです。

  7年での奴隷開放の規定は奴隷に身売りしなければならない人にとっては、その後の生活の術が無い事が多く開放を単純に喜んでおれない厳しい現実があったのです。だから奴隷に止まる道を選ぶ事が規定されていたのです。その時に公衆の面前=おそらく町の公共広場で会衆の面前で奴隷の耳たぶに小さな孔をうがって終身奴隷の道が選択できる様になっていたのです。 

  その印が、男女の奴隷の耳に開けられた孔=ピアスと言う事になります。当然この孔には目立つ奴隷の印のイヤリング(ピアス)が通されていました。今日は聖書が記している古代の男女の終身奴隷の身分を証明する耳の孔ピアスのご紹介でした。 

古代の福祉税

古代の福祉税 申命記14章28節

今日は申命記の14章を原典で読みました。早速気になる箇所をご紹介します。

申命記14章28節ヘブル語原典直訳 

28・から端の 3年ら あなたは出て来させる を 全ての から 第10の 産物あなた 中でその年 その 彼 そして あなたは留めさせる 中で 門らあなた 

申命記14章28節70人訳ギリシャ語原典直訳 

28 ・ 共に 3 年 あなたは確かに外に運ぶ 全て その 上に10 その 生じたらの あなたの。 中で その 年 あのに あなたは確かに置く 彼を 中で の 町に あなたの、

申命記14章28節ヘブル語原典意訳

28・あなたは3年毎にあなたの生産物の1割をあなたの町の公共広場に供出しなさい。

 今日の箇所は以前に御紹介したペスト汚染地域での食品衛生の教えをモーセが一世代後に再度記している箇所です。 (URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/16810970.html )
 そして、今回の記述には単に食品衛生の問題だけではなく、生活弱者の救済に関してが付け加えられました。続く29節に記されているのですが外国人寄留者や遺児、独居老人等の生活費の為にその町の普通の市民が負担をする事を明記しています。現実には、総収入の約1/30の負担を要求しています。

  今日に当てはめると年収700万の人で年額約24万弱で月額でほぼ2万円に成ります。これだけの負担で児童や老人に加えて滞留外国人の生活を援助したわけです。確かに古代は保険も、福祉制度も不十分であったかも知れませんが、聖書はこんな事にも詳細に規定し、貧困が治安問題に発展しない様に歯止めをかけていたのです。今日の日本の国で勝ち組み負け組みの発生に加えて外国人の犯罪の増加や貧困に起因する社会不安の増大や治安の悪化は深刻な問題では無いでしょうか。その対策に要するホームセキュリテイの経費や老後の年金等の総経費に加えて医療費や健康保険の負担の大きさを思う時に時代と共に社会(人類?)は随分と退化したと思わされます。

  今日は今から3千年前のモーセが記した福祉税のご紹介でした。

人間の品質検査(神の試験)

人間の品質検査(神の試験) 申命記13章4節(邦訳3節)

 今日は神様が人間(神様を信じる人)を試験されると言う箇所です。早速直訳です。

申命記13章4節(邦訳3節)ヘブル語原典 直訳 

04 ・ 無い あなたが聞く に 言葉らの その預言者 その彼 又は に 夢見るの その 夢 その 彼 として 徹底的に試験している ヤハウエ 神らあなた方 を あなた方 に知ることの 何故 存在するあなた方 愛するら を ヤハウエ 神らあなた方 中で全ての 心あなた方 そして 中で全ての 生活あなた方 

申命記13章4節(邦訳3節)ヘブル語原典 直訳 

04 ・ 無い あなた方が自分の為に確かに聞いた その 言葉らの その 預言者の あの それとも その  中で眠り(夢)させられるは その 中で眠り(夢) あの、それは 彼が試験しつづけている 主は その 神は あなた方の 知ること もし あなた方が確かに愛する(=しているのだから) 主を その 神を あなた方の 出て 全体 その 心の あなた方の そして 出て 全体 その 生活の あなた方の。

申命記13章4節(邦訳3節)ヘブル語原典意訳

04・あなた方はその預言者や幻を見た人の言葉に耳を傾けてはならない。これはヤハウエの神があなた方に課された試験だ。あなた方が心と生活で神様を真実に愛しているかどうかを調査するためだ。

 大変面白い箇所です。大抵は神様を信じるかどうか人間の方が神様(現実には教会や牧師さん)を品定めしているのですが、聖書は反対に神様の方が人間の品質を検査されていると言うのです。

  その試験は聖書に書かれている神様(実際に聖書が言っているのは聖書を人間に書かさせた神様)に従うなら合格です。反対に、人間が作り出した、神学や聖書に書かれていないのに「聖書に書かれている。」と言う間違った教えに翻弄されるのは不合格で粗悪な人間(信者)と言う事なのです。 

ですから、問題は「聖書に何が書かれているかと言う事実をどう認識しているか」が神様の人間の品質検査に合格する唯一の秘訣なのです。

 余分ですが、大抵の教会では「試験」や人間の品質検査と言わずに「試練」や「試み」と言う言葉をこの試験の訳語に用いています。まあ言葉を変えてもその字の意味している事もその実際の内容も、そして目的も変わらないかと思います。 

  と言う事で、今日は聖書が教えている神様の人間の品質検査のご紹介でした。 

幸せの破壊

幸せの破壊 申命記12章3節 

今日は申命記の12章です。早速何時もの様に直訳です。

申命記12章3節 ヘブル語原典 直訳

03 ・ そしてあなた方は徹底的に引き倒す を 祭壇ら彼ら そして あなた方は徹底的に砕く を 柱ら彼ら そして アシエラ(幸せ)ら彼ら あなた方は焼く 中でその大火災 そして彫像らの 神らの彼ら あなた方は徹底的に叩き切る そしてあなた方は徹底的に 消滅さす を 名彼ら から その 場所 その 彼 

申命記12章3節 70人訳ギリシャ語原典 直訳

03 ・ そして あなた方は確かに下に掘る その 壇らを 彼らの そして あなた方は確かに共に擦る その 厚板(or墓碑)らを 彼らの そして その  アルセー(ヘブル語=アシエラ)らを 彼らの あなた方は確かに外に打つ そして その 刻むらを その 神らの 彼らの あなた方は確かに下に燃やす 火に、そして 彼は確かに滅ぼすヘブル語=あなた方は徹底的に消滅する) その 名ら 彼らの 出て その 場所 かの。

今日は翻訳は特に必要ないでしょう。約束の地カナンに入ったイスラエル人達がしなければならない仕事が記された聖書箇所のご紹介です。 そう、土着先住民とその神像を破壊する事でしす。

興味深いのがその、偶像の名称「アシエラ」です。聖書の中に登場する アシエラには「山羊」を意味するものと「幸せ」を意味する物があるのですが、今日の箇所は「幸せ」を意味する言葉の方です。

あのイスラエル民族の始祖ヤコブの正妻レアの女奴隷ジルパがヤコブに産んだ第2子(ヤコブの第8子)が幸せを意味する「アシエル」でしたが、同じ言葉なのです。

と言う事で神様は土着の民族の「幸せ」を象徴するアシエラ神の具現化した像=幸せのイメージを破壊しろと言われた事になるのです。この事は、 人間が自己の幸せを神として礼拝する事を神様は拒絶されている事を示しています。

聖書が行っている幸せはあのエデンの園でアダムとエバが食した「 善悪の知識の木の実」善=ヘブル語 トーブと言う言葉は多くの場合善では無く、「幸せ」と訳出されています。

神様が人間に臨まれているあるべき姿=人間の幸せ=は善=「神の言葉を信頼し従う」と言う事が聖書の教えている人間の幸せだと言う事なのです。 今日は人間が考えている幸せは神様に取って破壊されるべき偶像であり、神様が人間に期待しておられる幸せは神の言葉=聖書を信頼し実行することであると言う、聖書の基本原則のご紹介でした。

祝福と呪いの定義

祝福と呪いの定義 申命記11章27節28節 

今日は申命記の主題の箇所です。早速直訳です。 

申命記11章27節28節 ヘブル語原典直訳 

27 ・ を その 祝福 所は あなた方が作る に 命令らの ヤハウエ 神らあなた方 所は 私が徹底的に命じている を あなた方 その 日 
28 ・ そしてその軽蔑 もし 無い 彼らが聞く に命令らの ヤハウエ 神らあなた方 そして あなた方は逸れる から その道 所は 私が 徹底的に命じている をあなた方 その日 歩くことの 後ろ 神ら後ろら 所は 無い あなた方が知っていた 

申命記11章27節28節 70人訳ギリシャ語原典直訳 

27 ・その 祝福を、もし  あなた方は聞いた(為) その 命令らを 主の その神の あなたがたの、する所らを 私が命じ続けている あなた方に 今日、
28 ・ そして その 呪いらを、もし 無い あなた方が聞いた(為) その 命令らを 主の その 神の あなた方の、全体らを 私が 私が中で命じている あなた方に 今日、 そして あなた方が迷わされた(為) から その 道、 する所の 私が中で命じた あなた方に、行かされたらは 雇われ働きする事 神らに 他らに、する所らを 無い あなた方知り続けている。

申命記11章27節28節 ヘブル語原典意訳

27・祝福とは、あなた方があなた方の神ヤハウエの命令を実行する事だ、それを今日私が命じた。
28・呪いとは、彼らが聞かないで、あなた方の神ヤハウエの命令を、そしてあなた方がその道を逸れ、あなた方が知りもしない神らの後ろを歩く事だ。

  すこしニュアンスが違いますが、原文は大体この様な意味です。これが分かると神様を信頼(信仰ではありません URL: http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/688353.html )すると言う事が分かるかと思います。 その信仰生活は祈りに現れるでしょう。

  神様に神様の命令を聞き実行できる様に祈る人には、神様がその祈りに答えてくださいます。そしてそう祈らないで、自分の願いばかりをお願いしている人は神様に要求を突きつけ、結果としてもっとポータブルで便利な神様=自分の欲望の実現に従っていくと言う事なのです。

  と言う事で今日は申命記の主題「祝福とは何か、そして呪いとは何か」を教えている聖書の箇所のご紹介でした。 

天の天の天 (第3の天)

天の天の天  申命記10章13節14節

今日は旧約聖書の目的が記された箇所です。早速直訳です。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記10章13節14節 直訳

13 ・ に見守る事の を 命令らの ヤハウエ そして を 規定ら彼 所は 私が 徹底的に命じたあなた その 日 に 善 にあなた 
14 ・ 見よ にヤハウエ 神らあなた その空ら そして 空らの その 空らの その 地 そして 全ての 所は 中で彼女

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典 申命記10章13節14節 直訳

13 ・自分のため確かに見守る その 命令らを  主の その 神 あなたの そして その 義の判決ら 彼の、 全体は 私が 私が中で命じた あなたに 今日、 為に 良い あなたに 彼が存在し続けている(為)?
14 ・ 見よ 主の その 神の あなたの その 不可視は そして その 不可視は その 不可視の、その 地 そして 全てら、 全体は 彼が存在し続けている 中で 彼女。
(注:ヘブル語のシャマイーム=空はギリシャ語のウラノスに訳出されている。ウラノス=不可視=天王星は見えない実体を表す。日本語では天国と訳出されているがそれは現在の人間の視覚では「見えない」次元を表している。)

旧約聖書ヘブル語原典 申命記10章13節14節 意訳

13・ヤハウエがしかと命じた命令や規定をよくよく見守っるのは、その日にあなた方に善をもたらす為だ。
14・あなた方の神で在るヤハウエは空のさらにその空のさらにその空にそしてその中(最初の空)に存在する全ての地上におられるのだ。

 随分と変わった言い回しの聖書箇所です。しかし、聖書がいわんとする所は単純です。「神様の命令を守れ」と言う訳ではないのです。あくまでも、「聖書の命令を見守る」(命令を実際に実行しえない事は自明だから)のであってその目的はその日に私たちが善(トーブ=幸せとも訳出する言葉)と在る為だと言うのです。この事は私達人間がその日=死ぬ日(個人的に)、あるいは聖書が教える天地が滅び(全宇宙=空の空に該当、空は大気圏)空の空の空=天国に行ける様になる=その日が私たちに取って「善」となる。という事を言っている様です。 参考の為に今日も WEBを引用しておきます。

WEB http://www.ebible.org/bible/web/Deut.htm#C10V1

10:13 to keep the commandments of Yahweh, and his statutes, which I command you this day for your good? 10:14 Behold, to Yahweh your God belongs heaven and the heaven of heavens, the earth, with all that is therein.

 と言う事で今日は聖書が記されているのは、私達が地上で善行をする為ではなく、たとい出来なくともそれを見守る事によって「自分の非=罪」が認識され、神様の救い=キリストの贖罪に預かって空の空の空(天の天の天=第三の天=新約聖書第Ⅱコリント12章2節=パウロが第一次伝道旅行の途中の南ガラテヤのルステラでユダヤ人に石打ちにされ臨死体験をした時の記録=使徒14章19節20節)に行けるようにされる事=その日が私たちに善になり、私たちがその日に漸く善になる日のご紹介でした。

  余分ですが、この日の前に人間が善になる事も、本当の善に出会う事も無いのです。 

神に喧嘩腰

神に喧嘩腰 申命記9章24節

今日は聖書らしい表現の箇所に出会いました。早速直訳です。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記9章24節 直訳

24 ・喧嘩腰さしたら あなた方は存在した 共に ヤハウエ から日の 知る事私 を あなた方 

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典 申命記9章24節 直訳

24 ・不服従しているらは 尚  あなた方は存在していた その 方に 主 から その 日ら、する所らの 彼が知られていた(ヘブル語=知っている事私 ) あなた方に。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記9章24節 意訳

24・あなた方(イスラエルの会衆)は、私(モーセ)の知る限り何時でもヤハウエに喧嘩腰していた。

喧嘩腰とは穏やかではありません。神の民が常に悪意と憎悪をむき出しにして神様に敵対していた(WEBは「反逆」と積極的に訳出、以下リンク参照)と言うのです。WEB http://www.ebible.org/bible/web/Deut.htm#C10V1

9:24 You have been rebellious against Yahweh from the day that I knew you.

此の「喧嘩腰」ヘブル語=マラァハ と言う言葉はサムエル記の第Ⅰの12章15節にも登場します。そうイスラエルの民が預言者サムエルを退けて王を求めた行為に対して聖書はこの喧嘩腰=反逆と言う穏やかならざる言葉を用いているのです。 また、モーセがあのメリバの水の出来事でも神様に喧嘩腰して(民数記20章10節)と記されています。

しかし、この言葉が積極的に神に喧嘩腰すると言う意味なのですが、何れの箇所も70人訳はハペイスウン=非服従と言う消極的な意味に割り引いて訳出しているのです。

そうして、このマイルドな70人訳のあり方に共感してどういう訳かかなりの翻訳は原典の言っている積極的、意図的反逆とは訳出しないように取り決めでも在るかの様に消極的な意味の「不服従」と訳しているのです。

そしてこの積極的反逆が旧約聖書だけの主張で在れば良いのですが、新約聖書も原文では新約聖書の初代教会に対して全く同様の告発をしています。勿論キリストの12弟子たちも、原典で読む限り主に逆らいぱなしなのです。

と言う事は、「今日のキリスト教会もそして全クリスチャンも神様に反逆中である。」と単純に結論して良いと言う事なのです。だから何時もキリストの十字架の贖いが必要であると言う事なのですが。

まあこんな過激な発言はここだけのナイショ話にしておいてください。というわけで今日はイスラエルの民が神様に喧嘩腰したという 聖書のラディカルな主張のご紹介でした。

心を知る訓練

心を知る訓練 旧約聖書 申命記8章5節

今日は先日紹介した有名なシエマーの最も中心となる部分です。早速直訳です。

旧約聖書ヘブル語原典 申命記8章5節 直訳

05 ・ そしてあなたが知った 共に 心あなた として として 所の 彼が徹底的に訓練する 男 を 息子彼 ヤハウエ 神らあなた 徹底的に訓練するはあなた

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典 申命記8章5節 直訳

05 ・ そして 彼が知った(為) その 心 あなたの それは 様に もし 誰か 彼が確かに子供(訓練、ヘブル語=訓練)する 人間は その 息子を 彼の、 この様に 主は その 神 あなたの 彼が確かに子供(訓練、ヘブル語=訓練)する あなたを、

旧約聖書ヘブル語原典 申命記8章5節 意訳

05・その結果あなたは自分の心を知ったのだ。その為に神様は、人が自分の跡取り息子を特別に厳しく訓練する様に、あなたに訓練をして下さったのだ。

随分と普通の翻訳とは違っていますが、この文章の主動詞は明確に「あなたが心(当然自分の)を知る 」ためだと言っているのです。 確かに70人訳は「神様が人間の心を知る為」に訓練すると訳出していますがまあこれは上記ヘブル語原典の曲解あるいは見苦しい苦肉の解釈と言うと事になり、一般の邦訳や全ての英訳はこの70人訳に従って訳出されているとしか考えられない訳文となっています。

ただし英訳の中でも、あまり評価されていない(=原文にかなり忠実)といわれるThe World English Bible(WEB)はすこし原文を参考にした訳をしています。

 http://www.ebible.org/bible/web/Deut.htm#C8V1

8:5 You shall consider in your heart that as a man chastens his son, so Yahweh your God chastens you.

  まあ、全知全能の神様が人間の心を知る為に、「人間を訓練したり、人間の言動を観察される」と言う翻訳は、神様が人間の心を知らないと言う事が前提になって始めて妥当な翻訳と言う事になります。
  
  しかし、聖書は初めから人間の心が悪である事を表明している(創世記8章21節他)のです。当然神様がそんな当たり前の事を知る為に、時間をかけたり人間を訓練する必要などあろうはずがありません。

  人間の心が悪い事を知らないのは只人間たち丈です。他人の心が悪い事を認める人は少しは居るでしょう。しかし、大抵の人間は「自分の心が如何に悪いかを知らない」というのが現実ではないでしょうか。と言う事で、それ(自分の心の邪悪さ)を人間に分からせる為に神様は人間を訓練されたと言う事が今日ご紹介している聖書箇所が主張している事なのです。

  余分ですが、私もクリスチャンとなり、さらに牧師となり長い歳月が過ぎたころ(牧師20年目)あたりになって、聖書が言っている事が「心のあり方の問題」である事に気がつく様になった次第です。しかも自分の心がかなり悪いと言う事に気付く様になりました。勿論毎日様々な聖書の訳や原典で聖書を読み込み、長い歳月がかかって、そして漸くこんな基本的な事が分かる様になった次第で、決して人さまが「こんな基本も分からないのか。」と言う気持ちは毛頭ありません。そんな事は分かりたくないし、また実際に認めたくないのが当たり前だと思っています。

  と言う事で今日は聖書が教えているのは「神雑を信じる人をも含めた人間の心の邪悪さ」であるという、誰もが認めたくないけれども疑いえない「当たり前のこと」のご紹介でした。

神の選びの基本原則

神の選びの基本原則 申命記7章7節

旧約聖書ヘブル語原典 申命記7章7節 直訳
07 ・ 無い から数が多いあなた方 から全ての その 神ら 彼が結びつけた ヤハウエ 中であなた方 そして 彼が選んだ 中であなた方 として あなた方 その 少ない から 全ての その 民ら

旧約聖書70人訳ギリシャ語原典 申命記7章7節 直訳

07 ・無い それは あなた方が多く増え続けている(?、ヘブル語=から多いあなた方 ) 傍で 全て その 異邦人ら、 彼が前に取った 主は あなた方を そして  彼が外に選んだ あなた方らを  あなた方は そして あなた方が存在し続けている 少ないらは 側で 全てら その 異邦人ら、

旧約聖書ヘブル語原典 申命記7章7節 意訳

07・神があなた方イスラエル民族に魅力を感じられれたのは、民の数が多いからでは決してない。反対にあなた方は全ての民族の中で一番民の数が少なかったからだ。

人間には理解困難な神の選びの基本原則です。人間は能力も知識も乏しいので自分とは反対に有能でお金持ちでその上健康な人に魅力を感じる様です。しかし全知全能の神にとってそんな有能で有力な人間には魅力を感じず、また何の価値も見いだせません。神様ご自身で十分事足りているからです。神様が魅力を感じられるのはご自身の偉大な力をデイスプレイする為に神の実力が発揮された事が誰の目にもはっきりと分かる為に「能力のない人こそ神にとって非常に魅力的な存在」なのです。

この「能力の無い」ということが「全智全能の神様に唯一欠如している事」なのです。だから神様は人間の中で実力や能力のない人を求めておられるのです。勿論歴史上に存在した全ての人間や強大な軍事力を誇るどこかの大帝国であったとしても、天地万物を想像された神様の目には無に等しい存在である事も事実です。
  しかし、神様がその様な「自分は有能だ」と自惚れている個人や国家には辟易し唾棄したいほどの嫌悪観を感じられているに違いありません。
  そして此の全智全能の能力在る神にとって神様の能力を発揮する為にどうしても「能力が無い」存在が必要であったのです。何故なら神御自信には能力が無い、出来ない事がある」と言う事が無いという点が「神様の唯一の欠点=枯渇している事」と言う事なのです

言いたい事がお分かりでしょうか? そう、神様が魅力を感じられるのは弱いもの、貧しいもの、小さいもの、そういった人間が価値を認めようとしないものに、神様は希少価値を見いだされると言う事なのです。

それゆえに、聖書は神様が価値を見いだされる為の基本原則は「人間が価値が無いと評価した物」と言う事を聖書は繰り返して記しているのです。その典型としてキリストは人に棄てられる事を是とされて弱いものの姿を選ばれ十字架に処刑される事を最大の栄誉とされたのです。

新約聖書をお持ちの方はコリント人への手紙1章18節から28節、またピリピ人への手紙2章6節~8節、ユカの福音書9章22節、第一ペテロ2章4節等々をゴラン頂ければ納得頂けるかと思います。

シエマー

シエマー 申命記6章7節 

今日はイスラエル人なら誰でもそらんじているシエマーの箇所を読みました。その中から一節をご紹介します。 

旧約聖書申命記6章7節 ヘブル語原典直訳  

07 ・そしてあなたが徹底的に鋭くする彼ら に息子らあなた そして あなたは徹底的に言葉する 中で彼ら 中で仮住まいする事あなた 中で 家あなた そして 中で歩いているの あなた 中でその 道 そして 中で寝ている事のあなた そして 中で立っている事のあなた 

旧約聖書申命記6章7節 70人訳ギリシャ語原典直訳  

07 ・そして あなたは確かに前に据えつける それらを その 息子らを  あなたの そして あなたは確かに喋る 中で 彼らに 座らされているは 中で 家 そして 歩かされている 中で 道 そして 寝させられているは そして 通し立たされているは。

 4節の冒頭にある「シエマー=あなたは聴従しろ」と言うヘブル語の命令形は原典では特別大きな字で記されています。と言う事はユダヤ人にとって特別重要な聖書箇所であると言う事を意味しているのです。熱心なユダヤ教徒はこの聖書箇所を記した物を文字通りに経札にしたり、それを黒い皮紐つきの小箱にいれて頭や腕に始終巻き付けて居るほどなのです。

そして今日ご紹介する7節ではこの聖書を幼い子供達に教える様に命じているのです。幼い子供にに教えた結果は顕著です。大抵のユダヤ人の子供達は小さい内にこれ(聖書の言葉)を自然にそらんじてしまっているのです。 お腹の中に居る時から此の箇所やその他の聖書の朗読を聞き、言葉が喋れる以前からすっかり聖書の言葉に耳で慣れてしまってしまっています。その中でも特に好んで読まれる当然この聖書箇所(申命記6章~15章)は身に染み込んでいるほどです。 

 まあ、ユダヤ教徒のことはこれぐらいにしておいて、今日ご紹介する7節の一点に注目したいのです。この言葉が言っている事は大変注目に値する事だと思うのです。そう、この箇所には「言葉=聖書で子供を研げ」と言う言葉が使われているのです。研ぐと言う表現は砥石で刃物を研ぐ時と同様に、同じ事を子供に繰り返し、昼も夜も寝る時も歩く時も繰り返し四六時中教え込めと言う意味なのです。

勿論この言葉は単にこの申命記の6章から15章に限定されてはいません。聖書全体(勿論ユダヤ教は旧約聖書)を指している事は明確です。一人前のユダヤ人の成人に成るにはユダヤ教の会堂に備えられている聖書の原文がフリガナ無し(子音だけのヘブル語の聖書)が正しく、間違いなく読める事が要求されます。そしてそれが出来て一人前とされているのです。ヘブル語の聖書がフリガナ無しで読むのはかなりの能力が無いと困難ですが、幼いい頃から聖書に親しんでいる子供は16才頃には当然の如く原典を(母音記号のないヘブル語の文章は漢文の白文のような物)自然に読める様になっているのです。ユダヤ人はそれを当然の如く子供に課して居るのです。 

 そして、私はこれがユダヤ民族の優秀さの秘訣だと思っています。注意したいのは、これを教え込む相手は「息子」なのです。ヘブル語には子供を表す言葉が他に沢山ありますが、息子は相続権者=跡取り息子と言う意味なのです。と言う事は「妾の子や実子であっても相続権を付与されない子供には教えるな。」と言う事が暗に命じられているのです。それらの子供は優秀になっては扱いにくいので聖書を教える事をせずにおけ。と言う事も含んでいるのです。

 その結果、ユダヤ民族は自民族の優秀性を国土も国家も失っていながら連綿と2千年間も保ってきたのです。

この聖書の子供教育方は大変優れていると思います。これをまねて、幼い子供にも聖書の正しい知識を教えると、子供は様々な社会現象を的確に認識し判断する優秀な人間に成ると思います。勿論、その為には教えるものがかなり聖書に精通している事が必要です。出来れば、原典で聖書が言っている事を認識している人が正確に教える事が理想でしょう。

 残念ながら翻訳はこの点で不十分であると言わざるを得ないのが実際です。と言う事で、今日はユダヤ人がヘブル語の原典で聖書を子供達に教え込む=研ぐ=という事を記した大変有名な聖書箇所のご紹介でした。

  聖書を用いた英才教育のやり方はこちらをご覧ください。http://bible.ne.jp/ikuji/

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