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ギリシャ語の勧め

ギリシャ語の勧め

  「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」とは福沢諭吉が学問の勧めの冒頭に引用した合衆国独立宣言の言葉です。

  実は私がこのブロクを始めたのは皆様に「学問」ならぬ、「ギリシャ語の勧め」をする事が一つの目標でした。

 今まで、このブロクで随分と出版されている翻訳の批判や、キリスト教界の体たらくをお話ししてきました。それは皆様が翻訳に失望してギリシャ語で聖書原典の学びを始めたいという気持ちになって頂くことが目的だったのです。

  だから「もし本気で聖書を学びたいなら各種言語に翻訳された聖書や、教会や、注解や、聖職者の説教に依存する事はやめて、ギリシャ語は実に簡単ですから自分で直接聖書のギリシャ語原典から学びましょう。」と言う事なのです。

  今まで散々言ってきたので、そろそろ本論に切り込んで良いころだと思い「ギリシャ語」について記しはじめようと思うのです。

  まず最初に知って頂きたい事は「ギリシャ語が難しいと言うのは真っ赤な嘘」であると言う事です。だから「ギリシャ語は正しく学ぶならば決して難しくない」のです。

端的に言えば「ギリシャ語のアルフアベットさえ覚えればあなたも明日からギリシャ語で聖書原典が理解出来る。」といっても過言ではありません。

 今は沢山の道具があるためアルファベットさえ覚えれば、厖大なギリシャ語の変化、又単語も一切記憶することなしにギリシャ語の原典が読みこなせる時代なのです。もちろんネットやパソコンソフトも便利ではありますがそんなもののお世話にならずともたとい少々およろしくない私の様な頭であったとしても
続ければ間違いなく聖書は原典で読んで理解できるものなのです。

だから神様は世界で最も習得しやすいコイネー(共通と訳出されますが汚いという意味)ギリシャ語で記されたのです。

それはそうとして、今はギリシャ語を楽に読む為の道具には様々な物が沢山有ります。ギリシャ語の厖大な変化の意味を解説し語根を教えてくれるのがギリシャ語逆引き辞典です。アナリテイカルとも言われます。色々な国の言葉で出版されています。日本語でも販売されています。 これさえ有れば後は単語を辞書で引くだけです。

またギリシャ語の言葉の下にその言葉の意味を書いたインターリニアー聖書も英語などで沢山の種類が出版されています。もちろん、すこし高価ですが日本語のものも入手は可能です。

聖書のギリシャ語や70人訳やヘブル語の原典もキリスト教書店やアマゾンコム等で簡単に入手出来ます。もちろんネットで検索すれば簡単に原典を見る事が出来ます。パソコンに強い方にはパソコンで原典が見られ、その上CDのギリシャ語やヘブル語の辞書も有り、クリックするだけで使えますのでさらに簡単です。

  ★三つの問題。
    
  第一の問題・しかし残念な事にこれらの多くの便利なツールは一般の翻訳をデーターベースにしている為、翻訳を読んでいるのと殆ど全く同じ意味しか知ることができません。

  第二の問題・またいずれの物も揃えると英語で5万円ぐらいから、日本語ではその倍以上の出費が必要です。

  第三の問題・それに基本的なギリシャ語の文法知識は自分で習得しなければこれらを活用する事は出来ません。

  結論
  だからどうしても

●一般のツールでは無く、
●お金もかからないで、
●最低限のギリシャ語の知識だけを学ぶ

事が必要と成るのです。 


  ・その為に、川西聖書教会でギリシャ語原典を学んでいる信徒の為に直訳と言う一風変わった物を作成中なのです。もう新約聖書は終わり、旧約や70人訳のほぼ半分(創世記から列王記と小預言書)が出来ています。後2~3年で全巻の完成を予定しています。あえてミスタイプの修正をしていませんがいずれそれも行い、その後まだ命があれば70人訳を含めた聖書原典全巻からの翻訳を予定しています。

★注 2015年5月新約聖書ギリシャ語原典、70人訳ギリシャ語旧約聖書原典、旧約聖書ヘブル語原典の
全ての直訳が完了しました。

  この直訳は基本的な原典語学の知識のない方々には全く意味不明で、ただのウエブのゴミ程度にしか認識しておられないかと思います。

  この下に直訳へのリンクが記されていますので、ご覧頂くと良いかも分かりません。

聖書原典の直訳へのリンク http://bible.co.jp/bible/
注2018年4月より直訳の公開を休止しております。ご覧になりたい方はこのブログにて直接私に連絡くださるか、メールをお送りいただければその部分のリンクをお伝えします。

そして、此の直訳が原典の研究に役立っている一例をご紹介してみたいと思います。

 それは以下のトップページのアクセスカウンターを注意して見て頂くと面白い事が分かります。

    そのページはこちらです。 http://bible.ne.jp/

普段の日はアクセスが日に100件程度です。しかし、終末の金曜土曜にはアクセスがどういうわけか日に200人以上に急増するのです。

その理由がお分かりでしょうか? そう礼拝の説教をされている牧師さん達が沢山このサイトを訪れて、説教の準備に活用して下さっているのです。

  この直訳を理解するにはギリシャ語の基本的な素養が必要なのです。その素養はほんの僅かです。語学の得意な方なら30分で理解できる程度の分量なのです。

  教会に出席されている信徒の方々にギリシャ語のこの基本事項を週に一回づつ、10分程度の説明を10回に分けたギリシャ語講座を時々しています。 

  たったこれだけの知識さえ持てば、上記に紹介した道具を使ってもよいし、又この直訳を見るだけで簡単にギリシャ語の原典を読みこなす事が出来ると言う事なのです。

  実際に教会では70才のおばあちゃんから小学校低学年の子供達に至るまでが実際にギリシャ語を習得し、原典を学んでいるのです。

  だからギリシャ語は決して難しい言葉ではないのです。

 ★これからこのギリシャ語の基本を10課に分けて、一週間にほぼ一課づつのペースでこのブロクでご紹介していく事にしたいと思っています。

10年前に作成した旧版はこちらをご覧ください。

http://bible.co.jp/real/greek.htm

これをベースにしながらさらに簡単にこれをご紹介する予定です。
日に10分程の時間を割けば、3月(100日)程で原典が理解できる様になります。

 そして、信徒の方々がどんどんギリシャ語を解すれば、当然教会の牧師さん達もギリシャ語の学びに熱がはいり、また間違いだらけの翻訳も全面的に改定せざるを得なくなる事でしょう。

  明日から早速このギリシャ語の第一回の学びとしてアルファベットを一週間かけてご紹介します。

  と言うわけで今日は「ギリシヤ語の勧め」もしかしたら「ギリシャ語の押し売り」かも?..でした。

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イエスとギリシャ語

イエスとギリシャ語

  イエスキリストは聖書のなかで最も良くギリシャ語に通じていた事は案外知られていません。

  こんな事を言うと腰を抜かすほど驚く人があるかも知れません。しかし、当然のことなのです。納得出来ない方の為に説明が必要でしょう。私がそのことに気づいたのは30年ほど前でした。神学校に入り、漸く初級文法を取得し原典で新約聖書の通読をはじめた時の事でした。

  原典で読む新約聖書は日々新しい発見の連続でした。福音書から始めヤコブ書まで進んだのです。しかし、ヤコブ書はギリシャ語が大変難しくて全然進めないのです。ヤコブ書は新約聖書の中でも最も立派なギリシャ語が使われていた為でした。

  一口にギリシャ語と言っても、聖書を記した人物によって随分と相違が在るのです。 

  新約聖書の中で最も優しいギリシャ語で記されているのはヨハネの福音書です。(文法丈で内容や教会観は最も高度です。)そして、それにパウロ書簡やマタイの福音書が続きます。これに、教養の高い医師ルカの記したルカの福音書と使徒行伝が続きます。

  そして意外に難しいのがマルコの福音書やペテロの手紙なのです。マルコの福音書はペテロの語ったイエスの公生涯を記しているのです。ペテロはギリシャ語は喋れはしましたが、残念ながら自分の手で書くことは出来なかったのです。

  ペテロの語った福音を書き記したのはヨハネの親戚と言われるマルコでした。彼はあの最後の晩餐の行われた豪邸のお坊ちゃんです。彼の家の様子が聖書に一カ所だけ残されています。それはルカの福音書の22章12節で、そこにはμεγα εστρωμενον(メガ エストローメノン)と記されているのです。これは「驚くほど贅沢三昧されている。」という意味で、決して「大広間」などではありません。いずれの邦訳にも正確に訳出されていないのは本当に残念です。

  だからマルコ・ヨハネといわれる人物は大変な豪邸のお坊ちゃんで、当然高い教養を身につけていた事が推測されるのです。だからマルコは優れたギリシャ語を駆使してペテロの語った言葉を記録することが出来たのです。

  そして、マルコと同程度のギリシャ語はユダ書やヘブル書です。ユダはご存じの通り主の兄弟イエスキリストの弟で母マリヤと父ヨセフの間に産まれた四男でした。そして新約聖書で最もリッパと思われるギリシャ語を駆使しているのがヤコブ書を記したイエスの弟で次男のヤコブなのです。

  それ故に長男のイエスキリストが二人の弟以上に優れたギリシャ語を操れたのは当然というわけです。

  これだけご説明しても、きっとまだ納得出来ない方が沢山おられるかと思います。しかし、聖書をしっかりと読んでいれば誰でも認めなければならない当然のことなのです。

 一体彼らは何処でこんなすばらしいギリシャ語力を身に付けたのでしょうか?

 そう、彼らが何処で育ったかを考えれば納得できます。イエスの家族はベツレヘムの子供を殺害した当時のユダヤ王を恐れて、エジプトのアレキサンドリヤに難を避けて移住していたのです。そこは当時世界最大の都市でギリシャ文化の中心都市でした。そこでの生活費はおそらく東方の博士がささげた、黄金、乳香、没薬でまかなわれた事でしょう。

  このアレキサンドリヤの人口は100万と言われ、ユダヤ人も非常に多く住んでいました。この町でヘブル語の旧約聖書はギリシャ語に訳されたのです。それが70人訳ギリシャ語旧約聖書です。

  アレキサンドリヤは最もギリシャ文化の栄えた町で、あの有名な図書館がありました。70万を越える蔵書を有していたと言われています。この図書館はBC47年のシーザー率いるローマ軍の戦火によって消失しました。しかし、クレオパトラとアントニウスによって再建されペルガモ図書館からの寄贈で当時は既に蔵書も復元されていたのです。また、ファロス島にはあの世界七不思議の一つ高さ180mと言われるアレキサンドリヤの大灯台も健在だったのです。
 
  そこで、何不自由なく幼年期を過ごしたヨセフ一家にとって毎日が驚きの連続であったことでしょう。そして、その高い文化と教養を子供たちはなんの抵抗もなく受け入れ、感化され、そして生涯の資質として高いギリシャ語力を身につけたのです。

  だから、イエスキリストも弟のヤコブもそしてユダも生まれながらに最も洗練されたアレクサンドリヤの美しいギリシャ語を話しながら育ったと言う次第なのです。しかも、主の家族がエジプトで過ごしたのはおそらくイエスが0才のBC5年からヘロデの死とその後の権力闘争が収まり、アケラオの治世にナザレに帰還するまでです。その期間はおそらく5~10年程度で子供が言葉を最も良く吸収する時期だったのです。
 
少年期をもっとも洗練されたギリシャ文化のアレクサンドリヤで暮らしたのです。だから優れたギリシャ語力が身についていたのは自然なのです。しかも、この当時会話に用いられていた庶民の言葉のコイネーグリークその物で70人訳旧約聖書も新約聖書も記されているのです。そして毎週の安息日にユダヤ教のシナゴーグウ(会堂)で朗読される70人訳ギリシャ語聖書はほぼ暗記してしまっていたと思われます。

  一方ユダヤの国に住んでいた、当時のユダヤ人達が日常会話で使っていたのはヘブル語ではなくアラム語でした。だからエルサレムに住んでいた当時のユダヤ人たちはヘブル語の旧約聖書を直接読むことは出来なかったのです。

  その様なユダヤの国に、アレキサンドリヤで幼年時代を数年過ごしたイエスは帰国します。そして、少年イエスが12才の宮詣のお折りに、律法学者と議論をした事が聖書に記されています。(ルカ2章41節~51節)

  その時、小年イエスが律法学者以上に旧約聖書に通じていたと言うのです。おそらく当時の律法学者らはヘブル語で記された旧約聖書ではなく。有名なラビ達の記したゲマラ(アラム語で成されたヘブル語聖書の注解)を読み親しんでいたのです。おそらく彼らにとってヘブル語の旧約聖書は外国語と同様で理解が困難であったと思われます。

  そこに、エジプトのシナゴーグーで正確に翻訳された70人訳ギリシャ語を見聞きしていた少年イエスがあらわれ、彼らに議論を吹っ掛けたのです。少年イエスはゲマラを読んでいる律法学者より余程聖書に通じていたと言うわけなのです。

  70人訳の翻訳が不正確だという御批判をよく聞きます。私その様な70人訳への著名な聖書学者から幾度か聞きました。本当にお読みになったのかどうかは存じませんが、私は逆にギリシャ語70人訳は諸書や予言書を一部を除き英訳よりもはるかに正確な翻訳だと確認しています。

 それゆえに、旧約聖書の70人ギリシャ語訳がへブル語原典と相違があると思われている原因は、原典ではなく英訳などの翻訳聖書しか読めない方が、同様に翻訳された70人訳の英訳を翻訳同士で比較されてこう言われているのでは鳴いてしょうか。実際に直接両原典を読み比べると両者は本当によく整合している事に驚きます。 

  また、新約聖書に引用された聖句が70人訳からの物であることはよく知られています。従来それは「弟子たちや、翻訳者が70人訳から引用した」為と説明されていました。

  しかし、真実はイエスキリストご自身が「70人訳に親しみ、70人訳から神様の言葉を引用された」と見なした方がより真実に近いと言うことなのです。

そして、この理解が受け入れられれば、何故キリストがあの黄金律(ルカ6章31節)で70人訳ギリシャ語の申命記19章19節を引用されたかが分かります。残念な事に新約聖書の翻訳は全翻訳が誤訳になっています。

http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/611722.html

  ですから福音書や新約聖書理解にはヘブル語旧約聖書のマソラテキストと70人訳ギリシャ語旧約聖書の両者の知識が大変重要であることが分かります。

ということで今日はイエスとギリシャ語の深いつながりのご紹介でした。

動詞の変化(ヘンゲ)

動詞の変化(ヘンゲ)

  ギリシャ語は世界一やさしい言葉なのです。しかし、これが難しいと誤解される理由は唯一この動詞の活用変化に有ります。表題には「ヘンゲ」ともじって記しました。ギリシャ語の動詞は、まさしく「変化」ではなく妖怪のように「ヘンゲ」するのです。

  どれぐらい変化するかと言うと一つの動詞が

●人称

(私、あなた、彼、私たち、あなた方、彼ら、我ら双数、彼ら双数)で8ヘンゲ、

●態

その8ヘンゲがそれぞれまた能動態(自分が行動する、中態(行為の目的が自分の時)、受動態(人の行為を被る時)あり 8×3=24ヘンゲ 


●時制

そしてさらにそれらに時制が現在時制=継続動作、未完了=過去から現在の行為、完了=過去の行為の現在の結果、アオリスト=不定過去(歴史的1回限り行為)、未来=確実行為、大過去=過去の行為の結果が現在に無い、の6倍ですから24×6=144ヘンゲ、

●法

さらに法があり、直接法、命令法、接続法、希求法、不定法が加わります。これらは時制が限られているので24×6=144ヘンゲでここまで288ヘンゲと言うわけです。 

●分詞

  その他に分詞がありこれが10(人称)×3性(男女中)×7時制で変化しますので210ヘンゲとなります。以上で合計498ヘンゲと言う訳です。 
 
●問題は不規則変化

 じつはここまでなら大した問題ではないのです。変化形を500種類覚えるか、変化表を手元に置けばなんでもない事なのですから。しかし、最大の問題は上記の変化は「使用頻度の少ない動詞のみの活用」する「規則変化」なのです。

  大抵の、しかも頻繁に登場する動詞はこぞってこの変化表とは全く異なった不規則変化を取るのです。

 ★ギリシャ語の動詞の殆どの変化形は不規則変化が当たり前

 不規則ですから単語毎に変化が異なると言う事でそれぞれの不規則変化の単語については個別に変化を覚えなければならないのです。だからほとんとの動詞は不規則変化だと言うことは動詞一つ一つに別々の変化表が必要となり、一体どの表を見てよいのか初心者にはかいもく見当がつかないと言う次第ナノです。 

  だから英語で「それは私にとってギリシャ語です。=It's Greek to me! 」が「チンプンカンプンです」と言われるゆえんなのです。

★ 不規則変化の語形は3000程

特に問題なのが不規変化動詞で使用頻度の高い不規則変化する動詞の種類が約39程有ります。 それぞれに特有の100種類程の独特の変化形のどれかに当てはまります。だからこれらの100種類×人称8×態3=2400程の変化形は個別に記憶する必要が在るのです。

ですから動詞の変化形は約3000程あると言う次第なのです。しかも、このほかに変化形にはイオニアだドーリアだアッチカ等という方言まで有るのです。

  大学や神学校のギリシャ語のクラスでは待ったなしに1年間にこの3千の変化形を記憶する事が要求されるのです。おそらく余程の秀才で無い限り、このギリシャ語の初級文法をマスターする事は無理だと言う事なのです。1年365日に毎日10種類の変化を記憶し、それを1年間続けて漸くギリシャ語聖書が読める様になると言うわけなのです。

  私も、3つの神学校でこのギリシャ語を学び、それぞれのクラスの様子を見ましたが、いずれの神学校でも当時は毎年10人程の入学者を迎えていました。しかし、その中で必須である「ギリシャ語をマスターするに至る人は3年に一人いるかいないか」と言うありさまでした。そして多くの神学生はかろうじて落第を免れて卒業はします。しかし、その卒業証書と引き換えに、「もう二度とギリシャ語は見たくない」と言う結果を招いているのが神学校や大学のギリシャ語教育の偽らざる実態ナノです。

  嘘だと思われるなら、「何方の神学校の卒業生にでも、70人訳等のギリシャ語の原典のコピーをお見せし、その場で解読を依頼すると『お顔の色が青くなる』ことですぐに証明される事間違いなし。」と言う次第です。

それでも信じられない方には実行をお勧めします。以下に70人訳ギリシャ語聖書の原典がありますので優しそうな所を適当にプリントして試されると良いでしょう。このテキストは文字化けを防ぐ為に普通の原典に在るアクセントや気息符がありませんが、普通にギリシャ語が出来れば問題なく読めます。

http://spindleworks.com/septuagint/septuagint.htm
(word等にコピー&ペーストすれば拡縮してプリントできます。)

★創世記やエレミヤ等はヨハネの福音書と同じぐらい優しいギリシャ語が使われています。初歩のギリシャ語知識があれば辞書なしで読めます。

 創世記 http://spindleworks.com/septuagint/Genesis.htm
 エレミヤhttp://spindleworks.com/septuagint/Jeremiah.htm

★ちなみに難しいのは出エジプト記の25章以下や申命記の後半です。新約聖書のヤコブ書以上に難解です。こちらが辞書無しに読めればギリシャ語は上級者です。 
出エジプト http://spindleworks.com/septuagint/Exodus.htm
申命記 http://spindleworks.com/septuagint/Deuteronomy.htm

 そして、初代教会の人々は貴族から奴隷や乞食に至るまでの庶民がこれらを聞いただけで完全に理解することができたのです。 こんなに優しい言葉のコイネーギリシャ語で聖書は記されているのです。まして現代の高い教養を身につけた聖書の専門家が読んだなら「何の難しさも無く、実に分かりやすく記されている」と言う事で、その原典と現代語の翻訳がかなり相違しているのは何故だろうかと不思議に思うのです。
 
★私は善良な神学校の卒業生達に恥を書かせるつもりは毛頭ありません。しかし、本当は全く理解していないギリシャ語を「出来る」と見せかける聖職者や自称神学者がのさばっているから、こんな酷い翻訳がまかり通っていると思うのです。だからあえて真実をお話ししているのです。まさしく「裸の王さまギリシャ語版」です。

  私は、神学校入学の目的がキリシャ語とヘブル語の習得でしたから、毎日欠かさず3時間の時間をギリシャ語のために取り、1000時間を費やしてかろうじてこの目標を達成出来ました。週に24時間程度のアルバイトをしていましたので時間の捻出は大変でした。しか、体力だけは誰にも負けなかったのが幸いしたと思います。あれだけ力を入れたギリシャ語でしたが、30年以上が経過した今は、せっかく覚えた変化もすっかり忘却の彼方に行ってしまいました。

  当然ギリシャ語は読めなくなる筈です。しかし、不思議な事に何の不自由もなくギリシャ語が読めるではありませんか?

  そう、あんな厖大な動詞の活用変化表の暗記は実際の朗読には不要であったのです。そう、厖大な変化はあっても、実際の聖書原典に登場する変化形は僅かナノです。

  最も使用頻度の高いのは3人称単数。そして次が3人称複数です。 おそらくそれだけの変化を知っていれば90%近くの動詞は読めてしまうのです。 残りが2人称や1人称で、そして受動態等がそれに続きます。

  時制も一番多いのが(不定過去=アオリスト)、次が現在時制で、その次が未来形です。おそらく登場頻度の高い変化形は変化可能な3000種類の変化形のうちの1/10以下で200種類の変化にしかすぎないのです。

  この200の変化だけ覚えてしまえば、殆どの動詞の変化形は簡単に判別出来てしまう次第ナノです。

  だから、大学や神学校で教えているやり方でギリシャ語を学ぶと秀才中の秀才しか会得出来ないギリシャ語も、「実際にあきらめずに読み続けていくと誰でも簡単に物に出来る世界一やさしい言語だ」と言う事なのです。だから学問とはおよそ縁の無い漁師のペテロやヨハネ等の使徒たちでもギリシャ語は簡単に使いこなす事が出来たのです。

だから私のように30年以上も牧師をしていて、聖書のギリシャ語もろくに読めない様な人は「余程の怠け者」かあるいは、「最初に不幸なギリシャ語のと出会いを経験してトラウマになってしまった気の毒な方」かのどちらかなのです。

さて、次回はイエスキリストとキリシャ語についてお話する事に致しましょう。

ペテロ第二の手紙の2章4節


ペテロ第二の手紙の2章4節

  Marielle 様リクエストを有り難うございました。随分と難しい箇所ですが原文は上の写真に掲載しました。以下は直訳と翻訳(意訳)です。

直訳■・04 ・もし そして その 神が 御使らの 罪を犯しているらの  無い 彼が倹約する、 反対に ●鎖らに(原文は●セイロイス=意味不明) 闇の ★タルタロス(暗黒下界) の  彼が引き渡した  中へ 判決 監視さているらを 、

意訳■・04・ そして神が罪を犯している御使いを惜しまれることはありません。逆に神は彼らを闇の★暗黒下界で●鎖で縛り、刑の執行まで監視されています。 

  コメント・この箇所で2つの単語が不確定です。

  第一の●鎖と訳出した語ですがこれはギリシャ語の●セイロイスです。 これは70人訳の士師記16章13節と箴言5章22節に登場しています。 これはヘブル語では何れも●マヘルポットで「編まれた物」を意味します。 此のヘブル語●マヘルポットのギリシャ語の訳は何れも●セイロイスで弦(or輪罠=ワワナ)という意味です。要するに頑丈に拘束する意味で「●鎖」という意訳にしてみました。

 以下はこのギリシャ語●セイルロイスが使われている聖書の関連箇所(注: 冒頭の記した原典セイルロイスの後に在るセイルライスは有力な原典の異本の読み方、参考の為併記)

・参考70人訳士師記16章13節(デリラとサムソンの会話)
13・ そして 彼は言った ダリラ 方に サンプソオーン まで 今 あなたは傍で言葉した 私を そして あなたは喋った 方に 私 嘘。 あなたは上に知らせろ それだから 私に 中で 何 あなたは確かに縛られる。 そして 彼は言った 方に 彼女 もし あなたが織られた(為)(へブル語はあなたが織った) その 7 ●弦(or輪罠=●セイロイス) その 頭の 私の 共に その 通し拭うの そして あなたが中で叩いた(為) 中で その 止め釘に 中へ その 壁、 そして 私は確かに存在する 弱いの 様に 一 その 人間らの。

・上記箇所のヘブル語の原典直訳(士師記16章13節) 
13 ・ そして彼女は言った デリラ に シイムショオーン まで ここへ あなたは欺かさした 中で私 そしてあなたは徹底的に言葉した に私 嘘ら あなたは布告しろ に私 中でそのどうか そのあなたが縛られる そして彼が言った に彼女 もし あなたが織る を 7 ●編むらの(●マヘルポット) 頭私 共に その織物  

  さて、第二に問題なのは★暗黒下界途訳出したギリシャ語の★タルタロスです。最初に70人訳の意味を記し、後ろはヘブル語ですが、このヘブル語の方は特定の用語が当てはめられていません。その為これ以上の意味が確定出来ません。

ヨブ記
40章20節4つ足が中でその★タルタロン ・ヘブル語は ★そこ 
41章24節 底無しの淵の★タルタロン ・ヘブル語は ★タホーム(底無しの淵)+★シエイーブ(白髪)
箴言
30章16節 ★タルタロスと地は 無い 満たされる事 水の ・ヘブル語は ★オツエール(抑制)+★ラハム(胎)

  ★堕落天使は現在暗黒下界で「死刑の執行待ち」ということかと思います。気になるのは黙示録の20章の7節に「千年の終わりにサタンはその牢から解き放たれ..諸国の民..戦いの為に招集する」と言う言葉との関連です。 

  以上。

200語が5千語の語彙に

200語が5千語の語彙に

 ★基本語彙は約200だけ。

  前回ギリシャ語は世界一やさしい言語だと書きました。今日はその続きをお話したいと思います。

  ギリシャ語が簡単な第一の理由を今日はご紹介したいと思います。たった200の基本語彙を覚えるとそれが数十倍に活用出来ると言うことなのです。 

 これだけの単語さえ覚えてしまえば新約聖書に使われている簡単なギリシャ語の文章であればおそらく90%の単語が理解出来、辞書を引く回数が随分と節約出来ます。

  詳しく説明するとややこしくなるので簡単にご説明させて頂きます。

 ギリシャ語の一つの言葉、例えば友人を意味するφιλος(フイロス)と言う言葉を例に上げて説明してみます。ギリシャ語は大抵最初の3つの字が言葉の意味を表します。このφιλος(フイロス)の場合最初の3字φιλ(フイル)が語根で友愛を意味します。後ろのοςは語尾で男性の単数を意味します。

 これに、男性語尾がついていれば男性の友人、女性語尾がついていれば女性の友人と言うわけです。ギリシャ語には中性というものもありこれは「愛する物」という意味になります。これに動詞語尾 εωがつけばφιλεω(フイレオー)「私はあなたを愛します」と言う動詞になるのです。

  ですから大抵のギリシャ語は一つの単語の語幹の3文字の意味さえ覚えてしまえば名詞、形容詞、副詞、動詞、と言う風に、数倍に活用出来るのです。そればかりではなく日本語と同じ様に他の言葉とくっついて熟語を造ります。例えばこの愛すると言うφιλ(フイル)に金を表す、αργρια(アルグリア)が繋がると金銭愛φιλαργρια(フイルアルグリア=金銭愛)と言う単語になります。全く漢字文化の日本語と同じ感覚で沢山の造語が造れ、それで意味が通じてしまうのです。これに動詞語尾のεωがつくとφιλαργρεω(フイルアルグレオー=私は金銭を愛する)と成るのです。

  そして、もしそれに前置詞のκατα(下迄)と言う言葉がつくとκαταφιλαργρεω(カタフイルアルグレオー=私は下まで金を愛する)となり実際に使われてはいませんが日本語にすれば「私は守銭奴する」とでも訳す事になります。

  基本語の中には同様の前置詞が20個ほどふくまれており、この前置詞を組み合わせるとたった200語の基本単語がたちまち20倍に膨れ上がり4千語の語彙を理解出来てしまうのです。

  もちろんその200語が動詞、名詞、形容詞、副詞などにも使えるのですからさらに千語ほど増えてこれだけでもう5千語の単語が理解出来てしまうのです。もし5千語の語彙が有れば普通の日常会話は不自由なく出来てしまいます。そして新約聖書に登場するかなりの単語は辞書を引く手間が省けてしまうのです。 
  
  ですから、ギリシャ語は此の使用頻度の多い基本単語を先ず先に習得すれば、随分と簡単にギリシャ語を自分の物にしてしまう事が出来るのです。ただ残念な事に日本でギリャ語を学ぶには大抵英語経由の取得方法になってしまっています。

  その、英語を経由した重訳の恒として、辞書に登場るす単語の殆どが品詞毎に日本語の訳語が相違してしまっているのです。 その結果、せっかく元のギリシャ語では同じ意味の単語なのに、辞書では合成語が別々の意味の単語として説明されているため相当習熟するまで語の基本意や関連が分からず、沢山の単語を合成語毎に別の意味として記憶しなければならなくなっているのです。その為、辞書を引く回数も増えその結果ギリシャ語の習得を相当難しくしてしまっているのです。

  もし重要単語の基本意を正確に知る事が出来れば、今日ご紹介した様に暗記する基本単語量がたったの200語程度なので、新約聖書の時代の人々は誰でも簡単にギリシャ語が習得出来、無教養と言われた人々でも実に簡単に自由に使えた言うわけなのです。

 さて次回はギリシャ語の初心者を困らせている厖大な単語の活用をご紹介して見たいと思います。

創世記6章2節

創世記6章2節

Marielle様リクエストをありがとうございました。早速直訳と翻訳にしてみます。

旧約聖書 ヘブル語原典創世記 6章2節

直訳・そして 彼らは見た 息子らの その神ら を 娘らの その人 として 良い 彼女ら そして 彼らは取った に彼ら 女ら から全て 所は 彼らが選んだ

翻訳■・神の息子達は人の娘らの良い女らを見た。そして彼ら自身の為に全ての妻らを彼らは選んだ。

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 創世記 6章2節 

直訳 ・見たらは も その 息子らは その 神の その 娘らを その 人間らの それは 良いらは 彼らが存在し続けている、 彼らは取った 彼ら自身に 女らを  から 全てらの、する所らを 彼らが自分の為に外に取り上げた(選んだ)。

翻訳●・神の息子らは人間の娘らを見ていた。それは彼らが良い存在であったから。彼らは彼ら自身の為に全ての中から女達を取った。それは彼らが自分の為に選んだものであった。 


コメント・ 本当に難しい箇所ですね。ヘブル語を中心に見ていきます。

 ★第一に「神の息子ら」の意味する事が分かりません。息子は相続権者と言う意味ですから、神の相続人とは一体誰を具体的にさすのか原文からは判断出来ません。一般に神さまを信じる人々と解釈されている様ですが、確証は持てません。

 ★第二の問題点の「人の娘ら」ですが、この原文は 「娘の人ら」となっています。人は原文で「アダム」ですから当然アダムの娘達と言う事で解釈の必要はありません。

 ★第三の問題は「妻らに取った」と言う事でこれは一夫多妻を意味していると思われます。 

 ★第四の問題は彼らが選んだと言う「彼ら」は誰かと言う事です。神の息子達で良いかと思われます。 

 この箇所のポイントは「神の息子」は何を指しているか?と言う事になるかと思います。 息子は「ベン」と言う言葉で旧約聖書中に4870回程使われていますが神の息子はここと同じ6章の4節とヨブ記38章7節の3箇所です。ヨブ記では天地創造の時に神さま賛美した「神の御使いの一種」と思われます。

ですからこれを普通の神さまを「信じる人間」と解釈するのはすこし無理があるように思われます。それ故に、神さまが創造された人間以外の天使的存在の可能性を否定出来ないと思います。

以上

イザヤ8章20節

イザヤ8章20節

  n77ichiro 様、リクエストをありがとうございました。取り敢えず当該箇所の直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 イザヤ書 8章20節 直訳 

08・に訓令(律法) そして に 証言(繰り返す) もし 無い 彼らが喋る としてその言葉 そのこの  所は 無い に彼 夜明け

ヘブル語原典翻訳■・律法と そして 証によって 彼らがその言葉を語らないなら その様な者に 夜明けは無い。 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 原典 イザヤ書 8章20節 直訳

08・法律を そして 中へ 叫ぶ(救助) 彼が与えた、 為に 彼らが言った(為) 無い この様に その 言葉ら この、 関して する所 無い 彼が存在し続けている 賜物ら 与える事 関して 彼。

70人訳原典翻訳●・律法の中に神は救いを与えた。 彼らがこの様に言わない為だ。この言葉をその言葉らを。さもなければ 賜物は彼には存在する事は無い。

★コメントです。

  ・この箇所の文脈、イザヤの初期の預言の記録と思われます。参考箇所は列王記第二、15章から17章で、まだ北王国が健在でした。

  ・さて語句ですが、ヘブル語の「訓令」ヘブル語のトラーです。これは「モーセ五書」をさします。

  ・そして「証言」は預言者と言われるヨシュア~列王記の「預言者」と言われる旧約聖書の部分を指します。イザヤの在世当時は聖書はここまでしか啓示されていませんでした。

  ・「彼ら」とは、イザヤが活躍していた時代の南王国ユダの人々で19節の人々と思われます。これは具体的に王(ウジヤかヨタム王)や祭司や国の指導者達と見て良いかと思います。

   ・そして問題は「夜明け」です。 原文は「シャカール」でイザヤ書には3回、そして 同時代の預言者ホセアには2回登場しています。以下はその用例(全て新改定訳第二版)。 

・夜明け

  イザヤ・14章12節 「暁」の子(ベン シヤファール)
     ・47章11節 払いのける「まじない」=原典では彼女の「暁」)
     ・58章8節 として 「暁」の様に あなたの光
 
  ホセア・6章3節 に知る事のをヤハウエ として「暁」堅くされる
     ・10章15節 邪悪あなたの 中でその「暁」 やめさせられる

  となっています。70人訳はこの「暁」を「賜物」=「ドーラ」と訳出しています。 これは直接には人々が求めている国家存亡の危機=攻め寄せる北王国とアラム連合軍からの「救い」を意味しており、おそらく70人訳の翻訳者は北王国とアラムの連合軍からの「救い」を神の「賜物」=ドーラと考えたのでしょう。と言う事は、旧約聖書70人訳の翻訳者は「救い」は行いに対する報酬では無く信仰による神からの無償の「賜物」としている事が分かります。

  と言う事でこの言葉は、この直前のイザヤ書の8章19節に在る様に、「国家の基本政策を決定する時に霊媒や口寄せ等の邪悪な宗教家に相談するのではなく、聖書の言葉=律法と預言者に照らし合わせて国策を進め無ければ、神様は決してあなた方=ユダの国を敵から救わない。」と言う意味では無いかと思います。

  ★余分ですが、この言葉を現実の私たちの生活に当てはめれば、「困難に合った時に、人間や、知人友人に相談するのではなく、先ず聖書を読んで、自分の罪を知る事に集中し、神さまとの関係を改善すれば、問題は神さまが解決して暗黒は夜明けになる」と言う意味かと思います。

 以上です。

序論・ギリシャ語は世界一簡単な言葉

ギリシャ語は世界一簡単な言葉

 今日は、私の大好きなギリシャ語についてすこしご紹介しておきたいと思います。けれどもその前に誤解を解いておかなければなりません。 それは「ギリシャ語は世界一難しい言語だ。」という嘘です。 

 確かに、大学でギリシャ語を習った人は皆、ギリシャ語の難解さに打ちのめされギリシャ語嫌いになっているのは事実です。また、立派な大学を出て、その後神学校に入学された英才たちが必須科目のギリシャ語やヘブル語でさんざん苦しめられているのも良く知っています。

  私の同僚の一人の牧師は「ギリシャ語はトラウマになっていて文字を見るのも嫌だ。」と言っていました。また、この春大学に入ったばかりの私の息子は今まさに大学でギリシャ語を学んでいます。そして、最初10名いた学生が後期には5名になり、今ついて来れているのは二人しかいない。」と言うのです。 

  確かに大学や神学校で教えているギリシャ語が難解な物であるのは確かです。

  しかし、考えて見て下さい。神さまが神さまを信じる人々に与えた聖書を記すのに、世界一難しい言語を用いられるはずは絶対にありません。またそんな難解な言語が新約聖書の時代に世界共通語に成るはずも無いのです。

  ギリシャ語が難解だというのは「何かが間違っている」のです。 

  ギリシャ語は簡単だから、神さまがこの言葉を聖書の記述に用いられたのです。そして、当時の全世界でギリシャ語が世界共通語として広まった事自体が、ギリシャ語が世界で一番簡単な言葉であったと言う何よりの証拠ではないでしょうか? 

  新約聖書を記した、ペテロやヨハネを初めとする使徒の多くは無学な漁師であったのです。彼らが通訳を介して説教や書簡を記したとは到底考えられません。彼らは簡単にギリシャ語で喋れたのです。ギリシャ語が簡単だから当時の人々は誰でもこのギリシャ語が喋れたのです。勿論書簡や福音書を記した時には当時は普通に書記という記述専門の職業人に依頼して文書に記しましたので、文法や語形変化にミスがないのですが実際の口述ではかなりスラング(俗語)や慣用省略語などが存在していた思われます。

  ★だからギリシャ語は世界一簡単な言葉なのです。

  では一体何故、一世紀には「世界一簡単な言葉」であったギリシャ語が二十一世紀には「世界一難しい言語」に変化したのでしょう。

  二一世紀前の「人間が退化して頭が悪くなったのが現在人」と言う事なのでしょうか? それとも二一世紀の間にギリシャ語が進化し難解になってしまったのでしょうか。

  私は、その何方も間違っていると思うのです。 実際、ギリシャ語で聖書を毎日読んでいますが、本当に簡単なのです。

  そして、おそらく古代の人々にとって簡単であったギリシャ語が、現代人に難しくなってしまったのには一つの基本的な相違がその両者の間に存在するからなのです。

  ★その相違とは★

  それは、昔の人々にとってギリシャ語は読み書きする為の言葉ではなかったと言う事なのです。彼らは耳で聞いて口で話す話法としてギリシャ語を活用していたのです。

  ★しかし残念な事に★

  現在のギリシャ語教育は全て、ギリシャ語を読み、そして書く為に文法として学んでいると言う点に相違(問題)があると言う事なのです。

  はっきり言って、ギリシャ語聖書を理解するのに文法は全く不要です。話法であるコイネーギリシャ語には文型や語順などという古典ギリシャ語の様な複雑な文法は全く必要どころか存在すらしないのです。

新約聖書の記されたコイネーギリシャ語は初めから書かれるための言語ではなく庶民や外国人が意志を伝えるために会話のツールとして存在していたものなのです。 いやむしろ、言葉というものは基本的に話し言葉であって書き言葉は後からできたものなのです。

どこの国の言葉でもそうですが話法には文法は必要ありません。なぜなら文法は読み書きの為のものであり、話法は話法であって後からできた文法に制約されるものでは決してないと言うことなのです。

そして話法としてのギリシャ語の特質は、見た物をそのまま手当たり次第に単語に逐一変換するだけで立派に言いたいことが相手に伝わるという当たり前の事なのです。だって話法ですからね。


  前置きはこれぐらいにして置きます。次回からはここで、世界一簡単な言葉であるギリシャ語習得方法を徐々に紹介していきます。

講座の全リストはこちらです。 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/49136962.html



 参考リンク http://bible.ne.jp/greek/

聖書原典直訳リクエスト

聖書原典直訳リクエスト (一日一カ所のみ、早いもの順)

  良くあるお話です。「日本語に訳されている本を買って、読んでみてわからないので原書を取り寄せて読んでみたら随分と内容が違っていた。」そして、同じことがたまたま聖書にも当てはまったと言うことなのです。

 しかし、聖書は一般の書と同列に扱うわけには行きません。出版社にとっては収入の柱で社運がかかっています。それだけではなく翻訳者は著名な神学大学や、由緒ある大教団の推薦をうけ、自他共に認める大聖書学者です。そして、もし聖書翻訳に落ち度が露顕しては聖書の翻訳に関わった沢山の教派、教団に加えて大学やその学者が卒業し学位を授与した権威ある世界的な大大学のこけんにかかわります。これらに携わる多くの人たちの権威や面子は丸潰れです。ですから、莫大な資金を投下して聖書の版権を入手し、翻訳出版している会社や翻訳者たちの数百人の人々に対抗する気持ちは、私には毛頭ありません。

  只、聖書、特に新約聖書の中でも取り分けパウロ書簡を原典で読んで見て随分と翻訳と原文が意味する事が異なっているので、単純に聖書の原文を皆様にご紹介したいと思い立って始めたのがこのブロクなのです。

  今日2007年11月23日から何方でも良いですから聖書の一カ所を指定頂くとその箇所の直訳と翻訳とコメントを記します。

 ゲストブックの所にご希望の聖書箇所(外典や原文の無い箇所は除外します。)を1節丈お知らせください。
 
  私が帰宅し、犬の散歩を終えるのが夜の10時半頃です。それから風呂に入り投稿の有無を見て、原文を読みキーボードからタイプしてブロクにアップするのは大抵12時直前に成るかと思います。 

  では、これからご希望の聖書箇所がゲストブックに投稿されるのをお待ちしています。

 但し、聖書箇所の指定無いものや、指定が複数であったり聖書外の神学や外典などのご質問にはお答え出来ませんので宜しくお願い致します。

見せしめ 

見せしめ 

  今日は第三回捕囚の箇所を読みました。原文で読むと荘厳で悲しく、しかも大変美しい韻文の名文です。翻訳にするのは惜しいほどで、文字で理解出来るのは原文が表している事のほんの一部分に過ぎません。残念ですが意味だけを直訳にしてみます。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二25章7節 直訳 

07・そしてを 息子らの ゼデキヤフウ(ヤハウエは義) 彼らは畜殺した に目ら彼 そしてを 目らの ゼデキヤフウ(ヤハウエは義) 彼は徹底的に盲した そして彼は縛った彼 中で両青銅ら そして彼は来さした彼 バベル(神の城門)

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二25章7節 直訳 

07・そして その 息子らを ゼデキウの 彼は屠殺した 下に 目ら 彼の そして その 目らを ゼデキヤの戸と戸と戸と戸とと 彼は外に盲した そして 彼は縛った 彼を 中で  足ら そして 彼は導いた 彼を 中へ バビュローナ。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二25章7節 意訳 

07・そしてバビロン人らはゼデキヤ王の面前で彼の子供達全員を惨殺した。その直後ゼデキヤを失明させ、両足は青銅の鎖で縛った。そして彼は反逆者への見せしめとしてバビロンに引き立てられた。

  今日は、ユダヤの国の全ての人々が経験した事を象徴する、バビロン王に反逆するものへの見せしめが一体どんな物であったのかが記されている箇所でした。ここに書かれている事は現実に起きた事のほんの一部分です。聖書の他の箇所を読んでみると、驚くほど残忍な事がこの時に起きていた事が分かります。

 その一例は詩篇の137篇で8節9節にはこう記されています。

 「バビロンの娘よ。荒れ果てた者達よ。お前の私たちへの仕打ちを、お前に仕返しする人は何と幸いな事よ。 お前の子供達を捕らえ、岩に打ちつける人は、何と幸いな事よ。」

  当然女達は輪姦され、男達はなぶりものにされ裸になって綱で一列に縛られて裸足でバビロン迄の約1000㎞を歩かされたのです。おそらく百万人を越える人々が家も家族も仕事も服も剥奪されて、素っ裸で沿道の諸国民に対して、バビロンに逆らうものへの見せしめとされたのです。歩けない子供達は皆親達の面前で崖に投げ落とされて惨殺されたのです。若く逞しい者たちは奴隷に売り飛ばされたでしょう。 

  若い女達の多くはバビロンの兵士達の子を宿し、バビロンに到着してからは、在る者は妾に、そして他の者は遊女にされたのです。彼らが入植した捕囚の地は住む家さえ無く最初は野宿で酷暑と寒波の中強制労働に駆り出されたのです。帝国の治水や道路建設等の辛い土木事業や開墾に加えて牧畜や農業のきつい労働で、しかも無償労働に従事させられたのです。そこで国家を失った彼らが嘗めた辛酸を思うと、殺された子供達はまだ幸せであったかもしれません。 

  北王国イスラエルの消滅と南王国ユダの人々でアッシリヤやバビロンに移住した人々はどう見ても7~800万人です。そして、それから70年後に祖国パレスチナに無事帰還出来たのは僅か5万人(エズラ記2章64節65節)にしかすぎなかったのです。他の殆どの人々は死に果てたか、あるいは自分が何処の民族の者であるかすら教えられる機会も無く。無産の農奴として歴史に消えて言ったのです。

  今日の箇所にはあのヨシュアの子供達の複雑な家族関係も記されています。図式にしてアップしておきますが、良く見るとこの中には近親相姦や母に孕ました子が有ったりで本当に浅ましい限りです。ダビデ王以来歴代の王がこぞって、聖書が禁じていた多くの妻(申命16章17節)の禁止令を破った結果、すっかり王家内が腐り切ってしまっていたと言うのが、この様な敗北を帰した最大の理由の様に思われます。 

  と言う事で今日はイスラエルと南王国ユダが歴史から消えた旧約聖書の最後の部分のご紹介でした。

  ★明日からは皆様からのご希望の聖書の箇所「一節」を指定頂いて、その箇所の直訳とその箇所の訳をご紹介する内容で暫くこのブロクを進めたいと思います。何処でも良いですから聖書の箇所1節をゲストブックにお書き下さればその箇所の原典と翻訳と簡単なコメントをさせて頂きます。大抵、聖書の原典は皆様の期待とは違った意味であるかと思いますので、余り期待はしないでください。

バビロン捕囚

バビロン捕囚

  今日はあのカルケミシの戦いから3年後のエルサレムの第一回捕囚とさらに9年後の第二回捕囚の箇所を読みました。早速直訳です。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 24章 1節 直訳 

01・中で日ら彼 彼が上った ネブカデネザル 王の バベル(神の城門) そして彼が存在した に彼 イエホヤキム(ヤハウエが上に上げる) 奴隷 3年ら そして 彼が戻った そして彼が謀叛した 中で彼 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記 第二 24章 1節 直訳 

01・中で その 日ら 彼の 彼が上に来た ナブコドノソル 王は バビューローノス、 そして 彼が起きさせられた 彼に イオアキム 奴隷は 3 年ら。そして 彼は上に戻った そして 彼は無効にした中で 彼。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 24章 1節 意訳

01・このころバビロンの王に即位したばかりのネブカデネザルが攻め寄せてきた。もはやユダには対抗する気力も無く、降伏して莫大な臣下の貢を取られる結果となり、耐えかねて反逆した。

  ★この当時は偽預言者の花盛りで、気休めの神の守りが安売りされていました。詳細はエレミヤ書の23章の25節から40節、さらに27章を見て頂くと、当時のユダの王国の中がどうなっていたかが分かります。そう、厳しい預言をする本物の預言者達は投獄され次から次へと殺され、偽預言者が羽振りよく王や国民全てに愛され喜ばれていた様子が記されています。 

  そして、エレミヤはそのバビロン捕囚は70年以上の長期に渡ると語ったのです。(エレミヤ25章11節=ダニエル9章2節、比ゼカリヤ7章5節、イザヤ23章17節)だから、そこで家を建て畑を作る様に人々を説得したのです。(エレミヤ29章5節) しかし、偽預言者達は激しくこのエレミヤの言葉に反撃したのです。(28節) 

  その結果が神の国ユダ王国の3度に渡る完全な敗北と消滅でした。今日ご紹介した24章の1節で、エホヤキン王の第3年にあの預言者ダニエルたちが人質としてバビロンに連れて行かれたのです。(ダニエル1章1節)彼は王族でしたが王宮で育った腹違いの兄弟たちと一緒にバビロンのイシュタル門での凱旋の行列の見せ物とする為に、引かれていったのです。これは、あのヒゼキヤ王の時代に預言者イザヤを通して語られた神さまの言葉が実現したのでした。(20章18節)彼らは主の言葉通り去勢され宦官となって生涯を独身で過ごすのです。

  そして続く第二回の捕囚14節では今度は祭司を初めとする国家の官僚や有力者が捕囚となります。その中にはあの祭司のエゼキエルが含まれていました。そして、神さまがその地で奴隷となって苦しんでいる民に彼らを用いてエルサレムへ帰還し国家を再建する望を失わない様に励ましと慰めの言葉を語られたのです。

  と言う事で今日はイスラエル(正確にはユダ)のバビロン捕囚の記された聖書箇所のご紹介でした。

ネコとハルマゲドン(イスラエル最終戦争)

ネコとハルマゲドン(イスラエル最終戦争)

今日は大変有名なハルマゲドンの戦いを読みました。早速直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記23章29節 直訳  

29 ・ 中で日ら彼 彼が上に来た フアラオ ネコ 王の エジプト 上 王の アシウル 上 激流の ペラテ そして彼は歩いた その王 イオシアフウ に呼ぶ事の彼 そして 彼は殺さした彼 中でメギド(略奪) として 見る事の彼 を彼 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記23章29節 直訳  

29 ・ 中で その 日ら 彼の 彼が上に来た フアラオ ネカオー 王は エジプトの 上に 王ら アススリオーン 上に 川 エウフラテー。 そして 彼は行かされた イオシア 中へ 離れ合う 彼の、そして 彼は死なした 彼を ネカオー 中で マゲド 中で その 見る事 彼を。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記23章29節 意訳

29・エジプト王のファラオ・ネコは対バビロン戦線で同盟しているアッシリャのサルゴン二世にの要請に応えてユーフラテス河畔のカルケミシに向かっていた。それを阻止する為にヨシュア王はメギドでファラオ・ネコを迎え撃とうとしたが、逆襲され退却途中で息絶えた。

 ★あのダビテ王朝以来約450年続いていたダビデ王朝の滅亡の瞬間です。この当時、東方にはネブカデネザル(この時は王子)率いる新バビロニヤが起こり、北方にはサルゴン二世の治める衰退途中のアッシリヤ帝国があり。さらに南方にはかっての大帝国エジプトが覇権を狙っていました。この、三大世界勢力がカルケミシで大衝突したのが今日の箇所の背景です。 勝者は新バビロンのネブカデネザル只一人でアッシリヤのサルゴン二世は戦死しアッシリヤは消滅、二大勢力の浮沈をみて漁夫の利を狙ったエジプトは大敗北を帰します。 

  この渦中に勇敢にもパロネコの北進を阻んだヨシュア王でしたが、呆気ない最後でした。あれだけの善政を行い、神さまを愛したヨシュア王の死は実質的な南王国の消滅をもたらしたのです。

  確かにこの後3人の王がユダ王国に建てられますが、主権はありません。最初はエジプトに牛耳られその後はバビロンの傀儡政権にしか過ぎませんでした。 

  このヨシュア王の戦争に関しては、聖書は随分と沢山の記録を残しています。直接にはこの列王記第二の28節から30節、歴代誌第二35章20~27節、エレミヤ書46章、です。その他にも、かなり関連しているのがナホム書やゼパニヤ書、ハバクク書、ダニエル書に加えてエゼキエル書などです。

  当然の事ですが30年程前にこのバビロンに負ける事を預言しマナセ王に鋸で引き殺された預言者イザヤの預言もこの日の事と深い繋がりが在るのです。それにエレミヤの哀歌を加えれば、聖書がどれ程ヨシア王の死の瞬間を重視しているかが分かります。

  そしてそのヨシュア王が死んだ場所がメギドと言う事なのです。この場所は士師記の時代のバラクのシセラが死闘し(士師5章19節)ソロモンが大要塞を建設し列王記第一9章15節、ヤラベアムがエジプト王シシャクと戦った場所列王記第一14章25節、そしてヤロベアム二世がここでアッシリヤの王テイグラテピレセルに敗北したのでした。

  そして今ここで、南王国ユダの王ヨシュアが戦死したのです。しかも彼はイスラエル、ユダ王朝の歴代45人の王の中で最善最良の王であったのです。(列王記第二23章25節) 

 本当に悲しい戦争の町がメギドなのです。そして新約聖書の黙示録の16章16節はこのメギドの山=ヘブル語で=ハル(山)マゲド =ハルマゲドンの戦いが成されると言われているのです。

  そこは、「神の民の敗北の記念山」ナノです。と言う事は世界最終戦争は善が悪に敗北すると言う意味になるのです。そしておそらくこの善が悪に敗北すると言う聖書の教えの基本が為政者や宗教家にとって聖書が読まれると不都合な点その物だと言えるでしょう。

何故なら「自分が悪に勝った正義だ」という王権の基盤が瓦解し「悪人である故に善人を滅ぼして王になった事」が暴露されてしまうからなのです。当然高位宗教家や企業の経営者や学問の権威者にも同様の事が言えるのです。だから、聖書が正しく翻訳されその事が露顕するのは何としても避けなければならないのです。

  と言う事で今日はヨシュアがネコに敗北したハルマゲドンの戦いのご紹介でした。

律法発見

律法発見
 
 今日はヨシャ王の時代にモーセの律法の書が発見された箇所を読みました。早速直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 22章8節 直訳 

08 ・ そして彼は言った ヒルキヤフウ(私の分け前はヤハウエ) その 祭司 その巨大 上 シャフアン(岩狸) その 書記 書の その法律 私は見つけた 中で家の ヤハウエ そして彼は与えた ヒルキヤフウ(私の分け前はヤハウエ) を その 書 に シアフアン(岩狸) そして彼は呼んだ(読)彼

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記 22章8節 直訳 

08 ・ そして 彼は言った ケルキア その 祭司 その 巨大 方に サフアン その 書記 書を その 法律の 私は見つけた 中で 家 主の。 そして 彼は与えた ケルキア その 書を 方に サフアン、 彼は上に知った(読んだ) それを。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 22章8節 意訳

08・その時大祭司ヒルキヤが書記のシャフアンに言った。モーセの律法の巻物をヤハウエの宮で見つけた。そして大祭司はその巻物を書記に渡したのでその律法の書を読んだ。

 ★何気ない言葉ですが考えてみると大変な事が書かれている事が分かります。そう、それまでモーセの律法の書が紛失していたのです。 一体何時の時代からモーセの律法の巻物が紛失していたのでしょうか。

  興味があるのは23章の22節です。そこには「士師の時代から以後一度もヨシア王がささげた様な聖書の定め通りの過越の祭りが行われた事が無かった。」と記されています。とすると預言者サムエルの時代も、ダビデソロモンの時代もそして歴代のユダの王の時代もまともに聖書が読まれる事は無かったと言う事になります。何故なら聖書が教える一番大切な祭り、あの出エジプトを記念する過越が正しく行われなかったと言うのですから。

  そして、当然こんな書物(モーセの律法=聖書の事)が読まれては為政者には不都合なので、全く見向きもされなくなり、やがて神殿の奥深くに失われてしまっていたと言うのです。 もしかしたらマナセ王など世俗の繁栄丈を求める王に見つかると律法の書が燔書になる恐れが有ったので、心ある誰かが聖書を守る為に隠さざるを得なかったのかもしれません。

  本当に考えさせられます。

  興味深いのは、マルチンルッターが宗教改革を始めた時も、ほぼ状況は旧約の列王の時代と同一でした。当時の西ローマ教会(AD497年の西ローマ帝国[=ラテン語]の滅亡以降ほぼ消滅していたが1453年の東ローマ帝国[=ギリシャ語]の滅亡により息を吹き返していた)にはヒエロニムスが紀元400年頃にローマ人の言葉であるラテン語に訳した物(ウルガタ訳、正確には改定のみ)が有りましたが、1592年まで教会ではこの翻訳は全く評価されず、またこれ自体の翻訳も余り健全でなかった為、ルッターはヘブル語とギリシャ語の原典から新しくドイツ語に訳さなければなりませんでした。 

  しかし゛不思議な事に宗教改革で原典からまともに訳出されたのはルッターのドイツ語訳とジュネーブ聖書位です。他の新教の教会も原典から聖書を翻訳した記録はみかけません。プロテスタントの教会も、この問題の多いウルガタ訳をそのまま継承し、特にウイクリフやランス(ドウエ)訳を初めとする英訳は悉くこのウルガタ訳からの重訳しか歴史に登場させませんでした。

  そしてそれさえも異端審問で燔書の憂き目を見たと言うのです。そしてこの系譜の頂点に位置する悪名高きKJVとその改定版のRSVとそこからの伝統を色濃く受けて枝分かれし、お金もそこから出してもらっている各国の聖書協会がスポンサーとなってお金を出す事によって各国語の訳文を監修し、不都合が露顕しない様に巧妙に翻訳文が調整されてしまっているのです。ですから現代の21世紀も旧約の時代と本質は何一つ変わっていないと言う事なのです。 

  やはり何時の時代も新約聖書を含めた聖書の原典は為政者や、特に宗教家には相当に都合の悪い事が記されているのだと思われます。

  そんな訳で、聖書はモーセによって記された当初から何時の時代も本気で読まれる事が望まれない書物であると言う奇妙な現象のご紹介でした。

神の水準器

神の水準器

今日は南北イスラエル王の中で最長の治世と繁栄を謳歌したマナセ王の記されている箇所を読みました。早速直訳です。直訳に興味のない方は★印にお進み下さい。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記21章 13節 直訳

13 ・ そして私が伸ばす 上 ヒェルサレーム を 量り縄の シムローン そしてを 水準器の 家の アカアブ そして私は拭い去る を ヒェルサレーム として 所の 彼が拭い去る  を その 平皿 彼が拭い去った そして彼が回転(破滅)する 上 顔ら彼女

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記21章 13節 直訳

13 ・ そして 私は確かに伸ばす 上に ヒェルサレーム その 量りを サマレイアの そして その 立たす(ヘブル語=水準器) 家の アカブ そして 私は確かに離れ拭う その ヒェルサレーム、 丁度同じように 彼が自分の為に離れ拭う その 石花石膏小箱 離れ拭われるは そして 彼が確かに下に回転(破滅)する 上に 顔 彼の、

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記21章 13節 意訳

13・そこで神である私はサマリヤを計った量り縄と、アハブの家に用いた水準器でエルサレムを厳密に測量する。その結果は自明だ、エルサレムもサマリヤ同様地上から消し去らざるを得ない。丁度、無用なお皿を地面で割り砕く様に。

 ★今日は珍しく聖書の時代の測量道具が登場しています。量り縄と水準器です。量り縄は一般に赤い色の紐で、あのヨシヤの時代にエリコの遊女ラハブの家る窓に結びつけられたのがこの赤い測量縄でした。(ヨシュア記2章18節 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1944624.html )そして、もう一つが水準器です。 

 ここで聖書が言っている事は明白です。神さまが裁かれる裁きの基本は神さまを信じる信仰の有無や、しがらみに因る物ではなく、全世界を裁かれる公正な神として、全く同じ基準、同じ原則を当てはめられる事を教えているのです。

 そして、大切なもう一つの事は神さまの基準に照らし合わされて合格する人間は一人もいないと言う事なのです。

 パウロもローマ人への手紙で3章10節から12節に詩篇の14篇1節から3節を引用してこう言っています。

直訳

10・ちょうど 書かれている それは「無い彼が正しい ないそして 1
11・無い 彼は理解している人。無い彼は徹底的に追求する人は 神を
12・全てらが曲がり出た。同時に必要のないものにされた。無い彼が行う 真っ直ぐ、無い彼があるまで一。
 
意訳 

10・同じようにこう聖書に知るさている。「正しい人は無い、一人も無い。
11・神さまを理解している人も、神さまを問い詰める人も無い。
12・全ての人間は神さまから逸れてしまい、全く神さまの役に立たない。正しい事を真っ直ぐに行う人は、一人として地上に存在しない。

 と言う事で今日は神さまが人間や国家を計られるときには全く公平、同一の基準を当てはめられると言うこ

とで、それは神さまの基準を適用されてその基準に合格出来る人間は有史以来一人もいない、全ての人が神さまの前に罪人であると言う聖書の教えのご紹介でした。

アハズの階段 (The steps of Ahaz)


アハズの階段 (The steps of Ahaz)

今日は聖書の中で最も理解の難しい箇所をご紹介します。まず直訳です。 直訳に興味のない方は★印にお進みください。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記第二 20章9節~11節 直訳

09 ・ そして彼は言った イシャアフウ これ にあなた その印 からを ヤハウエ その時 彼が作る ヤハウエ を その 言葉 所は 彼が徹底的に言葉した 彼が歩く その影 10 段ら もし 彼が戻る 10 段ら
10 ・ そして彼が言った ヒゼキヤフウ 彼が軽くされた にその影 に伸ばす事の 10 段ら 無い その時 彼が戻る その 影 後ろ 10 段ら 
11 ・ そして彼は呼んだ イシャアフウ その話す人(預言者) に ヤハウエ そして彼が戻さした を その 影 中で その 段ら 所は 彼女が下った 中で 段らの アハズ 後ろ 10 段ら

旧約聖書 70人訳 ギリシャ語原典 列王記第二 20章9節~11節 直訳

09 ・ そして 彼は言った エザイアス この事 その 印を 側で 主 それは 彼が確かに作る 主は その 言葉を、 する所を 彼が喋った。 彼が確かに来る その 影 10 段らを、 もし 彼が戻った(為) 10 段らを。
10 ・ そして 彼は言った エゼキア 軽いを その 影 曲がる事 10 段らを。決してない、反対に 彼が戻れ その 影 10 段らを 中へ その 後ろ。
11 ・ そして 彼は叫んだ エザイアス その 預言者 方に 主、 そして 彼が上に戻った その影 中で その 上に段ら 中へ その 後ろ 10 段らを。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記第二 20章9節~11節 意訳
09・イザヤはヒゼキヤ王に言った。神さまがあなたに印を作る。ヤハウエは言われたアハズの階段の影が10段進むかあるいは10段戻るか何方にするか?
10・ヒゼキヤ王は言った。「影が10段進むのは軽いから、影が10段後ろに戻る。」
11・預言者イザヤは神さまに叫んだ。すると影がアハズの階段を10段後ろに下がった。

  ★アハズの階段は最初に記した様な構造です。一体、この箇所が言っている階段の影が10段下に戻ると言う意味はどんな現象を指しているのでしょうか?

  一般に日時計の影が10度戻ったと訳出されています。もしその翻訳の様に日時計の影が10度(原文は段)戻ったとするとおそらくこの段は全てが20段程度と思われますので、一日の半分の昼間12時間が太陽が出ていて影が出来る期間です。と言う事は、その半分に当たる10段の影は6時間程度の地球の自転による影の移動を表します。翻訳されている印象では普通の日時計でその影が10度(段)戻ったと言う事なのです。

  当たり前の事ですが地球の自転は一日に360度ですからその1/4で「地球の自転が瞬時あるいは6時間に渡って90度逆転したと言う意味になります。赤道ではほぼ1万キロメートルを瞬時に移動したと言う意味になります。

  あるいはそうかもしれません。しかし、このアハブの階段(日時計と訳されているが原文は階段)ですからお昼頃に影が戻ると階段は全て影になった状態です。とすると日食によって影が増加して真っ暗になってもほぼ同じ様な現象(=階段が全て影になる)が生じた事になります。またお昼頃に10段影が前に進んでも全ての階段が影に成るわけで同現象で説明されます。

  もちろん突然に晴天に黒雲が現れても同様の現象が生じてアハブの日時計(原文は段)の影が戻る=影になるあるいは全ての階段が影=日が当たらない状態になると言う事にです。

  また、影が戻る前の時点の時刻が夕方だとすると、影が10段戻ると言う事は真昼の様に太陽が真上にきて影が完全に無くなって全ての階段に日が当たる状態に戻る事を意味します。 夕方になっていきなり影が無くなる程明るくなる現象はやはり地球の自転が90度戻ったと言う以外に説明は出来ないかと思います。

 いったいどれであるかはそこにいた人以外分からない現象だと思います。ですから実際に起きたこの影が10段戻ると言う現象がご紹介したどの現象に当たるのかはご自分で決めて頂くのが良いかと思います。

  以下に、今日ご紹介したヒゼキヤの印となったアハズの日時計に関して記されている記事へのリンクをご紹介しておきます。(全て英文です。)

http://www.neot-kedumim.org.il/public/english/what/newsletter/2005_ye/ahaz.htm

http://www.britam.org/Questions/QuesArchaeology.html

http://sunnyokanagan.com/joshua/index.html (下の方に当該箇所が有ります。)

http://members.aon.at/sundials/kairo-egypte.htm

細菌戦

細菌戦

  昨日はアッシリヤとエルサレムの攻防戦は情報戦である事をご紹介しましたが、今日は細菌戦のご紹介です。早速直訳です。直訳に興味のない方は★印にお進みください。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二19章35節 直訳 

35 ・ そして彼が存在した 中でその夜 その彼 そして彼が出て来た 使者の ヤハウエ そして彼が撃ち殺さした 中で野営の アシュール  百 80 5 千 そして彼らは朝早く起きさした 中でその朝 そして見よ 全部彼ら 死体ら 死んでいるらは 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二19章35節 直訳 

35 ・ そして 彼が起きた まで 因る そして 彼が外に来た 使者は 主の そして 彼は打った 中で その 試薬英 その アススリオーン 百 80 5 千らを 。 そして 彼らは早起きさした その 夜明け、 そして 見よ 全てらは 体らは 死んだらは。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二19章35節 意訳

35・その夜ヤハウエは使いをアッシリャの陣営に送られて悉くその陣営の兵士を撃ち殺された。彼らが翌朝起きてみると何と18万5千人が死体になって死んでいた。

  ★一晩で18万5千人の兵士が死んだと言うのです。この様な短い時間に大量の感染者が出て死亡するのは、飲料水を媒介する赤痢か、感染力の強いペスト=黒死病の可能性が高いと思われます。

  参考になるのは、この直後の20章でヒゼキヤ王が罹患する病気です。20章の7節に「腫物」と有ります。これは、もしかしたら腺ペストのブボ(ペスト菌の感染による鼠径等のリンパ節の腫れ)かもしれません。ヒゼキヤの罹患がアッシリヤ軍の残した死体や軍馬等の家畜を介在して、戦後処理をしたユダヤ軍にも感染が広がり、それがかなり長期に至りとうとうヒゼキヤ王までが罹患した考えるのは妥当です。

  それ故に、もしペストが原因であったとすると、このアッシリヤ軍を壊滅させた病気は感染の拡大と死亡迄の時間の少なさからみて普通の腺ペストではなく、遥に恐ろしい肺ペストが発生した可能性が高くなります。

   聖書やキリスト教の歴史に良く登場するこの「ペスト」と言う病気について、すこしご紹介してみたいと思います。

  聖書や教会の歴史には随分とこのペストが登場します。あのモーセの時代にエジプトを打った病気の一つや、預言者サムエルの時代のペリシテ人の罹患した病気(サムエル記第一5~6章)はおそらくネズミと腫物と言う記録からみて腺ペストと思われるのです。そしてこのペストが中世ヨーロッパに拡大た時、全ての罪の無い幼い子供達が悉く死んでいく中で教会は対応を迫られました。

  特に十字軍の悪行に対する神の裁きであると言う批判は教会の存続さえ脅かすほどでした。なにしろ「彼らがパレスチナからこのペストを持ち帰った」という噂は十分な説得力を持ったからです。その責任は聖戦と称して十字軍の派遣を押し進めたヨーロッパのキリスト教会に向けられました。そこで、全ての教会は生まれたばかりの幼児に洗礼を施したのです。悉く幼い子供達が死に果てても、嘆く両親に子供達の救いを幼児洗礼によって保証し慰める事が出来たのです。幼児洗礼は神の恐ろしい刑罰としてのペストに対する教会の無策無能と批判をかわす為に残された唯一の道であったのです。

  このペストと言う病気はパレスチナの風土病でした。 ペスト菌はもとはと言えば、この地方に生息するげっし類の兎やネズミの体内に生息する土着の病原菌なのです。これらの菌は滅多に人間には感染しないのです。しかし、普段は土中に生活する感染動物(熊ネズミ等)が人間の住居に入り込む(あるいは戦争等の野宿でこれらの動物の生活域に人間が入り込む)と蚤を介して人間にペスト菌を感染させてしまうのです。

  そのメカニズムはある種の蚤(ケオプスネズミ蚤)がペスト菌感染動物の血を吸うと胃の幽門付近にペスト菌のコロニー(ゼリー状の塊)を作ります。するとそのペスト菌の塊が胃の底に栓をしてしまうのです。その結果、蚤の胃で消化された血液が全く腸に行かなくなるのです。と言う事は、蚤が人や動物を刺し血を吸っても一向に飢えと渇きが収まら無いのです。すると蚤は、気が狂った様になって次から次へと手当たり次第に動物や人を刺して吸血します。しかし、血液は胃から先に全く進まないのです。胃はペスト菌と血液で一杯になってしまいますが蚤は飢えと渇きに差異手間レるのです。そして恐ろしい事に蚤が血を吸う度に、反対に蚤は体内のペスト菌を血を吸う動物や人に吐き戻しペスト菌の注射をしてしまうのです。その結果、瞬く間にペストの大量感染が引き起こ来れるのです。だから、一度人間がこの病気(腺ペストや肺ペスト)を発症すると恐ろしい伝染力をもつ疫病となるのです。

  エジプトで最新の兵法を熟知している戦争の専門家モーセは、当然この程度の医学知識は持っていたと思われます。そのモーセに対して神さまがレビ記にその対策を記す様に命じられたのです。モーセは出エジプトの後にバレスチナ入植に先立ってレビ記の11章を記しました。蹄の無い動物の食用禁止は単なる迷信と誤解され易いけれども、完璧なペスト感染予防策が記されている事が分かります。モーセはパレスチナの地では自然に死んだ動物やその側に近寄る事を禁じています。これは、ペスト菌を保菌する動物の死体から離散する蚤が人を噛む危険に伴うペスト感染のリスクから守る為に大変重要なポイントなのです。

  レビ記の11章の一件不可解な規定はこのペスト感染のリストを極力避ける意味で現在の衛生知識で見ても、非常に合理的なペストの現実的な優れた感染予防法なのです。また、食用が禁じられた鳥やその他の肉食性や雑食性の動物も捕食する獲物がペスト感染による衰弱動物の可能性が有り、それらを食用にするのは大変リスクが高い為にモーセが禁じたものと思われます。

  そして、新約の時代に福音がパレスチナから南ヨーロッパ(当時は非ペスト汚染地域=ペストを媒介する熊ネズミが生息しなかった=後に中世の1333年のエトナ火山の噴火に因る世界的飢饉の勃発で生態系が変わりヨーロッパに熊ネズミが大量に移住し南ヨーロッバは現在ペスト汚染地域となった。)に展開する直前の使徒の働きの10章で使徒ペテロに対して肉食動物の食用が解禁されているのは時宜にかなった大変合理的なものなのです。

  ペストの恐ろしさは中世ヨーロッパの人口が半減した故事からも自明です。一番多く発症する腺ペストは感染から発病を経て死亡までは体力にも因り個人差がありますが一週間程です。この腺ペストは患者が10日以上持ちこたえられれば人体の免疫反応の高進で自然治癒する事が多いと言われます。人がペストに感染しても腺ペストにとどまれば死亡率は25%から50%と言われています。ですから今日ご紹介する箇所が腺ペストでは少し説明がつかないと思われます。

  しかし、滅多に起きないのですが、ペスト菌が肺で増殖する肺ペストを発症すると状況は全く異なります。肺ペストは強力な空気感染力を持ちます。患者が側を通過しただけで、付近の人はほぼ全員が感染します。しかも感染から24時間から48時間で発症しほぼ100%の人が急死するといわれます。

この肺ペスト感染者に対する有効な治療は現在でも感染から発症までの僅かの時間に大量の抗菌薬の投与があるのみです。そして、たとい治療が出来ても致死率はかなり高いと言われます。まして、発症後の治療は完全に手遅れとなります。

  と言う事でおそらく、このアッシリヤの軍隊が一日にして壊滅したのは、「パレスチナの風土病であるペストの予防策に無知であったが故に彼らが恐ろしいペストに罹患した」と言う可能性が高いのです。神さまはヒゼキヤ王と預言者イザヤの祈りに答えて神さまを恐れず高ぶっているアッシリヤ軍に蚤を使った細菌戦を展開してユダ王国に勝利を与えられたと言うわけです。

その結果、アッシリヤ軍の陣営にまず腺ペストの患者が発生し、その患者が肺ペストを発症し、一日にしてその強力な空気感染力が陣営内の殆どの兵士に感染を引き起し、一晩で18万5千人の死者を出したと言う事なのです。

  と言う事で今日は聖書の中で神さまが高ぶって神さまを侮る人々に見せしめの為にしばしば用いられるパレスチナの風土病である恐ろしい感染力を持つペストという感染症=黒死病のご紹介でした。

民の沈黙

民の沈黙

   今日は北王国の滅亡から8年後にアッシリヤの王が全軍を率いてエルサレムに押し寄せた時の記録を読みました。早速直訳です。 直訳に興味のない方は★印にお進みください。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記18章 36節 直訳

36 ・ そして彼らは唖さした その民 そして無い 彼が答えた を彼 言葉 その時 命令の その 王 彼女 に言うことの 無い あなた方が答える彼

旧約聖書  70人訳ギリシャ語原典 列王記18章 36節 直訳

36 ・ そして 彼らは唖した そして 無い 彼らが答えさせられた 彼に 言葉を、それは 彼か命じた その 王 言っているは 無い あなた方が確かに答えさせられる 彼に。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記18章 36節 意訳

36・圧倒的な軍事力を背景にしたアッシリヤの伝令官のラブシャケの言葉を聞いても民は一言も騒がなかった。それはユダの王ヒゼキヤが「絶対に声を出すな」ときつくエルサレムの住民に命じていたからであった。
  
  ★何時の時代も、そして特に戦時は情報の判断が難しいと思います。今日の箇所から分かる事ですが、アッシリヤの攻撃は見える軍事力丈ではなく、巧みに間違った情報を宣布して民衆の恐怖を煽り、混乱に乗じて攻撃をする手法が取られていた事が分かります。

  そしてこの手法は北王国イスラエルの首都サマリヤの包囲の時にも使われたと思われます。その結果、サマリヤの城内の民衆は判断を誤り、動揺し、徹底交戦派と早期降伏派に分裂させられてしまったようです。その結果城壁の守りが手薄になり、その隙に乗じて町は攻め落とされたと思われます。

  しかし、今日の所では、エルサレムの人々はサマリヤが被った亡国の悲劇を目の当たりにしていました。アッシリヤの王の降伏を進める言葉は嘘ばかりで、降伏すれば国土と政府を失い、しかも移住させられた地は不毛の大地で、ある事を見聞きしていたのです。そう、北王国の人々の壮絶な苦悶を伝え聞いていたからです。

  そこにヒゼキヤ王の箝口令が有ったのです。それ故この時のエルサレム場内には誰一人、アッシリャの甘言に耳をかして心を迷わされる者は起きなかったと言う事なのです。

  何時の時代も、どこの世界も、人の住む所には嘘は付き物です。今日も国会で前防衛事務次官の証人喚問が成されていました。質問する側にも問題が在るでしょうが答える側は嘘の羅列の様な答弁でした。

  新聞紙面は連日産地偽装や賞味期限の改竄に加えて、耐震偽装や大火試験の偽装で賑わっています。

  何れも著名な企業で信用第一に見えていましたが、現実は何処も反対であった様です。マスコミやパンフレットの宣伝に書かれている事や言われている事に加えて映像や写真に至るまで全く信用出来ないということなのでしょう。
  
  この様な大量生産、大量消費のご時世に生きる現代人には、情報を流す側の手にはめられずに、真実を見抜く判断力が本当に必要とされている様に思います。

イスラエルの最後

イスラエルの最後

  今日は紀元前721年の北王国イスラエルの最後が記された箇所を読みました。早速気になる箇所の直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二17章6節 直訳 

06 ・ 中で年の その9 にホオシエア 彼は捕獲した 王の アシュール を シムローン そして彼は裸に(or移)した アシュールへ そして彼は仮住まいさした を イスラエル アシュールへ そして彼は仮住まいさした を彼ら 中でハラハ そして 中でハボル 流れの ゴザン そして城塞らの マダー 

旧約聖書 70人約ギリシャ語原典 列王記第二17章6節 直訳

06 ・ 中で 年 第9 オーセエ 彼は共に取った 王は アススリイオーン その サマレイアン そして 彼は虜した その イスラエル 中へ アススリイオーン そして 彼は下に住ました 彼らを 中で アラエ そして 中で アボル、 川らに ゴオーザン、 その 山 メエドオーらの。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二17章6節 意訳

06・北王国の王ホセやの第9年にアッシリヤの王はイスラエルの首都サマリヤを陥落させ、そこの全ての住民をアッシリヤ帝国の隅々にばら蒔いた。ハラハやゴサンの地方やハボル川流域や地方都市マダーに入植させられた。

 ★本当に心の痛む記録です。アブラハムの子孫でモーセに率いられてエジプトを出たイスラエル12部族のうち10部族がほぼ完全に歴史から消滅したのです。南王国ユダに財産も捨て乞食同然でいち早く難を逃れたほんの一握りの人々は生き延びはしました。しかし、大半はこの時を持ってイスラエルの国家も10部族も消えてしまったのです。彼らが何処へ行ってしまったのか未だに解明されていません。もちろん様々な風評は存在します。

  その最たる物は日本人はイスラエル12部族の末裔だと言うお話です。「神社の祭りや建物様式が旧約聖書の幕屋に似ている」とか、「三種の神器の一つヤタの鏡の裏にはダビデの星が記されている。」などと言うお話です。

  「30年程前に世界的に著名なユダヤ教のラビ・トケイヤー師が東京青山のユダヤ教のシナゴグーに赴任したのはその為の調査が目的であった。」などというお話がその顕著な例です。

  まあ、分かる事は神さまの選びの民の90%が今日記されている箇所で民族として歴史から消えたと言う事なのです。

  そして新約聖書の中で、パウロは第一コリント人への手紙の中の10章の11節に「これらの出来事は私達に起きる事と全く同様な事なのです。そしてこれらが聖書に記されたのは私たちへの警告の為です。彼らに起きた事は何時の時
代にも当てはまる事なのです。(私訳)」と記されている通りなのです。
  
  と言う事で今日は神さまが北王国イスラエルを永遠に滅ぼされたと言う聖書の記録のご紹介でした。

公私逆転

公私逆転 

  今日は預言者イザヤが活躍しはじめた頃の記録ですが気になる箇所の直訳です。直訳に興味のない方は★印にお進みください。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 16章 15節 直訳

15 ・ そして彼が徹底的に命じた その王 アハズ(取得) を ウリーヤ(私の光ヤハウエ) その祭司 に言うことの 上 その 祭壇 大きい あなたは煙させろ を  全焼犠牲の その 朝 そしてを 献げ物の その夕方 そしてを 全焼犠牲 その王 そしてを 献げ物 彼 そしてを 全焼犠牲の 全ての 民その地 そして献げ物 彼ら そして注出祭ら彼ら そして全て 血の 全焼犠牲 そして全て 血の 屠殺 上彼 あなたが撒き散らす そして祭壇の その 青銅 彼が存在する に私 に徹底的に尋ねる事の 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 16章 15節 直訳

15 ・ そして 彼は中で命じた その 王 アカズ その ウウリア その 祭司に 言っているは 上に その 祭壇 その 巨大 あなたは方に運べ(献げろ) その 全焼犠牲を その 明け方を そして 生贄を その 夕方を そして その 全焼犠牲を その 王の そして その 生贄を 彼の そして その 全焼犠牲を 全ての その 民の そして その 生贄を 彼らの そして その 灌祭を 彼らの そして 全て 血 生贄の 上に 彼 あなたは上に注ぎ続ける 。そして その 祭壇 その 青銅の 彼が確かに存在する 私に 中へ その 夜明け。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 16章 15節 意訳

15・ユダ王のアハズは祭司ウリヤにきつく命じた。私がダマスコから図面を送ってお前に作らせた祭壇で、ヤハウエへの献げ物を献げろ。朝と夕の全焼犠牲やこの住民の献げ物や灌祭や全焼犠牲の血や生贄の血をこの祭壇の上に撒き散らして民を贖いなさい。古くなった青銅の祭壇は私の個人の専用にする。

 ★昨日お話しした様に、窮地に陥った南王国ユダはアッシリヤに援軍を頼みそのお蔭で北王国は壊滅寸前に落ちぶれ南王国は何とか独立を保つ事が出来ました。しかし、必然的にアッシリャの属国に成り下がってしまったのです。その象徴がこのエルサレムの宮に建設されたアッシリヤ風の祭壇でした。

 事もあろうにエルサレムの神の宮に異教の祭壇と、同時に忌まわしい異教の宗教儀式をも神の宮に導入したのです。

  そして、祭司ウリヤは一言の苦言も無く王に盲従したと聖書は記しています。本当に情けないお話です。そしてこの時活躍した預言者イザヤは繁栄する周辺諸国の滅亡を語りホセア王に神さまを信頼して独立を維持する様に預言しますが、完全無視の悲哀を嘗めるのです。そして、ホセア王は神さまの言葉に全く聞く耳を持たず行ったのが最悪の行為がこの箇所なのです。 

  特に神さまの祭壇を王個人の私用に供したと言うのです。個人の好みで作った異教の祭壇を神さまの用と国家国民に強要し、神さまの定めた祭壇を私物化してしまった無神経ぶりには茫然とします。そしてこの時代には多くの預言者が活躍しますがいくら語っても誰一人耳を貸さないと言う背教の時代を迎えるのです。そしていよいよ次章で南王国はアッシリヤの属国となり北王国はこの地上から永遠に消滅してしまうのです。

7人の王

7人の王

 今日はイスラエル王国が滅びる直前で20年あまりの間に7人も王が入れ代わる箇所でした。早速直訳です。直訳に興味のない方は★印にお進み下さい。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 15章37節 直訳

37・中でその日ら その彼ら 彼が神聖を汚さした ヤハウエ に 送る事の 中でイエフダー レツイン王の アラム そしてを ペカ(目開き) 息子の レマルヤフウ

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 15章37節 直訳

37・中で その 日らに あのらに 彼が自分の為に始めた 主は 外に遣わす事 中で ユダ その ラアスソオーン 王を スリヤの そして その フアケエ 息子を ルメリウの。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 15章37節 直訳

37・その頃から神さまはアラムの王とイスラエルの王のレマルヤの子ペカの同盟軍をユダに送り始められた。

  ★何気ない聖書の記録ですが、大変重要な出来事が記されています。この北王国とアラムの王の連合軍が南王国ユダとエルサレムの町に押しかけたことが結果的に北王国イスラエルが地上から消滅し、それがやがて南王国ユダがバビロンに敗北する引き金となるのです。

  これを、順を追って説明することに致しましょう。

  先ず北王国は昨日ご紹介した悪王のヤロベアム二世の時代に繁栄を謳歌します。しかし、繁栄の恒として国家の指導者から底辺に至るまでの道徳的堕落と頽廃をもたらします。その結果国家も経済も軍事も不安定になり、政変が連続するのです。

  実際ヤロブアム二世が死んだ726年に彼の子ゼカリヤが王位を継ぎます(1節)、しかし6ヶ月(8節)でシャルムがクーデターを起こし(10節)王になり、またその一月後に(13節)メナヘムがクーデターを起こし10年間在位します。(17節)そして彼は若死にしその子ペカフヤが王位に着きます(23節)しかし、その2年後にペカがクーデターを起こし(25節)そしてその20年後にホセアがまたクーデターを起こすのです。 

  凄まじい北王国末期の政変の連鎖です。 そしてこの政変を免れる為に為政者が取る常套手段が外国との戦争なのです。 歴史上の現実の戦争の多くは確かに国際紛争の様相を程します。しかし、本当の原因はそうでないことが多いのです。

  多くの場合国際紛争としての戦争の目的の実際は国民の眼を現政権の腐敗や失策から逸らせ、全てを外国のせいにして政権の安泰を図る目的で戦争が成され非常事態宣言を発して強権政策をする事が目的であることが多いのです。

  今日、ご紹介した北王国とアラムの連合による南王国ユダへの侵略はその様な政策に起因するものと思われます。そして問題は窮地に陥った南王国の対応なのです。

  強力な連合軍に攻め込まれ窮地に陥ってしまった小国ユダが北とアラムの連合軍に勝つには、何処かの国の援軍が必要でした。その様な援軍を要請出来る周辺の外国は限られています。必然的にアラムのさらに北のアッシリヤに援軍を要請する以外に手がなかったのです。(16章7節)

  その結果、連合軍に攻め込まれていた南王国ユダを助ける為に来たアッシリヤの援軍は先ずアラムを征服し、次いで北王国に攻め入り首都サマリヤを包囲攻撃し北王国イスラエルがこの戦いで滅亡する結果をもたらすのです。 

  元はといえば北王国のこのペカが体制を守る為に便宜上始めた戦争が結果的に自国を歴史から消滅させる皮肉な結果をもたらしたという事なのです。

罪人を用いる神

罪人を用いる神

 今日は北王国イスラエルの悪王ヤロブアム二世の治世を読みました。早速直訳です。直訳に興味の無い方は★印にお進みください。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 14章26節27節 直訳 

26・その時 彼は見た ヤハウエ を 悩みの イスラエル 喧嘩腰するは 非常に そして止めた 抑制するは そして止めた 置き去りにされたは そして無い 助けるは にイスラエル
27・そして 無い 彼が徹底的に言葉した ヤハウエ に拭い去る事の を 無いの イスラエル から 下部 その 空ら そして彼が救わさした彼ら 中で手の ヤロベアム(争い民) 息子の ヨアシ(ヤハウエは強い)

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 14章26節27節 直訳 

26・それは 彼は見た 主は  その 低いを イスラエル 苦いを 非常に そして 最も小さいらを 共に持っているらを そして 乏しくされていたらを そして 中で下に残されていたらを、そして 無い 彼が存在している その 叫ぶ(or救う)は その イスラエルに。
27・そして 無い 彼が喋った 主は 外に拭った事(ヘブル語=に拭い去る事) その 子孫を イスラエル 下に下方 その 不可視の そして 彼が救った 彼らを 通して 手 イエロボアム 息子の イオアス。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 14章26節27節 意訳

26・その時ヤハウエは イスラエルの国の窮状をみられた。国家存亡の危機に陥り、制御不能となっていた。

周辺諸国からの全ての援助を打ち切られ、まして助ける国とて皆無であった。
27・そして、ヤハウエは沈黙され、天の下からイスラエルが滅び無い様にして下さった。そしてヨアシの息子のヤロベアム王の手によってイスラエルを救われた。

  ★北王国で最長の治世となったヤロベアム二世は、神の目に最悪の王とされています。しかし、不思議なことは、こんな王さまをさえ神様が用いられて、北王国を国難から救い出されたと言うのです。

  一体どんな国難が有ったのかは記されていませんが、この直前の25節に預言者ヨナ(鳩)が登場します。

   ご存じの通りイスラエルの宿敵アッシリヤの首都ニネベに神の祝福をもたらした有名な預言者です。おそらくこのアッシリヤとの戦争で北王国が迎えていた国難と思われます。
  
  その時に、国を救う為に用いられたのがイスラエルの歴史で最悪の王の一人のヤラベアム二世であったと言うのです。

  分かることは神さまはどんな人でも、神さまの働きの為に用いることがおできになると言うことではないでしょうか?

二重の哀れみ

二重の哀れみ

今日は預言者エリシヤの最後が記された箇所でした。早速いつもの様に直訳です。直訳に関心のない方は★印にお進みください。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 13章23節直訳 

23 ・ そして彼は好意した ヤハウエ を彼ら そして彼は徹底的に柔らか(or思いやり)した彼ら そして彼は回転した に彼ら に故に 契約彼 共に アブラハム イツハク そして イアコブ そして無い 彼が同意した 破滅に向わさした事の彼ら そして無い 彼が投げさした彼ら から上 顔ら彼 まで 今

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 13章23節直訳 

23 ・ そして 彼は哀れんだ 主は 彼らを そして 彼は哀れんだ 彼らを そして 彼は上に見た 方に 彼ら 通して その 契約 彼の その 共に アブラハム そ イサク そして ヤコブ、 そして 無い 彼が願った 主は 通し腐らすこと 彼らを そして 無い 彼が離れ投げた 彼らを から その 顔 彼の。

今日は70人訳の方を意訳してみます。

23・神さまはご自身に逆らうイスラエルの人々を二重に哀れまれた。そして神は彼らの先祖アブラハムやその子のイサクと孫のヤコブとの間に交わした約束を見上げおられた。そのお蔭で神さまは御前からイスラエルの国を拭いさる事を思いとどまって来られた。

  ★本当に考えさせられる聖書の言葉です。少し言葉の説明が必要なのですが、それは「二重に哀れまれた」と言う箇所なのです。70人訳の原文では「哀れみ」を表す同義語が2回連続して記されているのです。

  前の方の哀れみは「エレオー」で「哀れみ=気の毒に思う」と言う意味です。そして後ろの方の哀れみは「オイクトリオー」で「憐れみ=同情」を意味します。よく似た言葉ですが随分と違った意味を持つ言葉です。最初に使われている「エレオー=哀れみ」は上から下に見下げた意味を持ちます。 そして後の「オイクトリオーは親身になって自分の身につまされる思い」を意味します。これは、神さまが人間の立場になって「人を対等の立場で哀れんで」おられると言うのです。

  以上はギリシャ語訳の方の説明ですが、ヘブル語原典の方は前が「ハナン」で「好意あるいは贔屓」を意味し、後ろの方が「ラカム」で本来は「柔らかい」と言う意味で「思いやり」と訳される言葉なのです。興味深いのは後者のラカムはそのまま名詞になると「母の胎」という意味なのです。まさしく親身になって弱く罪深い人間を哀れまれると言うわけです。70人訳のギリシャ語は本当に良く翻訳されていると感心します。

  そして、昨日まで繰り返して学んできた北王国イスラエルの悪王と言われるアハブ王に対する神さまの哀れみを思い返してみたいのです。

  あの悪い王さまに対する神様の態度はこの聖書の「哀れみ」と言う言葉通りでした。幾度も罪を犯したアハブ王ですが、その度に神さまは命を賭した預言者達を次から次へと送られたのです。絶対権力者のアハブ王をいさめるのは本当に命懸けの仕事でした。偉大な預言者と言われるエリヤやエリシャを初めとする多くの預言者がその為に命を賭して王の前に出向いたのです。そして厳しい言葉で幾度も彼に罪の自覚と悔い改めを迫ったのです。そして、あのナボテの一件をエリヤに咎められ他時にはアハブ王は涙し、その衣を引き裂き麻袋を肌身に来て断食して悔い改めたのでした。そして神はその罰を彼には与えず彼の愛する子孫に与える事にされたのです。(1列王22章29節)

  しかし、アハブ王はほとぼりが醒めるとまた悪事を繰り返しました。その時にも預言者ミカヤが遣わされましたが、彼はこの忠告を無視しラモテギルアデに進軍したのです。この様に神さまはアハブ王に対して忍耐の限りを尽くされましたが彼は自ら招いた神の言葉に対する反抗によって死んでしまったのです。

  これらの事から、「神さまはどんな罪人にもその罪を悔い改めるチャンスを繰り返し与え、そして刑罰を宣告しても数十年の猶予を待って、その進退を見極めて後に罰を与えられると言う事」が分かるのです。

  何故ならば、今日の聖書の箇所が記している様に、神さまは二重の哀れみを好まれる神だからなのです。最後にキリストが好んで用いられた言葉を一カ所ご紹介させて頂きます。

 マタイ9章13節=12章7節=ホセア6章6節「私(=神)は人を哀れむ事をいつも願い、屠り殺す事は決して願わない」(私訳、注:預言者ホセアは少年時代を今日の言葉が書かれている頃に北王国で育ちました。)

神殿の亀裂

神殿の亀裂  

  今日はソロモン神殿が建設されて丁度150年たった時の事が記されている箇所でした。早速直訳です。直訳に興味の無い方は★印にお進みください。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 12章 9節10節 直訳 

09・そして彼らは唯一(or合意)させられた その祭司ら に以外 取る事の 銀 からを その民 そしてに以外 徹底的に堅くする事の を 亀裂 その家 
10・そして彼は取った イエホヤダ(ヤハウエは知った) その祭司 櫃 一 そして彼は刺し通した 穴 中で貧しい(or薄い) そして彼は与えた を彼 側で連結 その祭壇 中で右 中で来る事の 男 家のヤハウエ そして彼らは与えた そこへ その 祭司ら 見守っているらの その敷居 を 全ての その銀 その来させられる 家の ヤハウエ 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 12章 9節10節 直訳 

09・そして 彼らは共に声した その 祭司らは その 無い 取る事 銀を から その 民 そして その 無い 中で力する事 その ベデク(ヘブル語=亀裂の音写) その 家の 
10・そして 彼は取った イオダエ 疎の 祭司は 櫃を 一  そして 彼が貫通した 穴を 上に その 厚板 彼女の そして 彼は与えた 彼女を 側で イアミビン(ヘブル語=右の音写) 中で  その 家 男の 家の 主の、そして 彼らは与えた その 祭司らは その 見守るらは その 入り口柱 全て その 銀を その 彼が探し出された 中で その 家 主の。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 12章 9節10節 意訳

09・そうして漸くの事で彼らは合意にこぎ着けた。それは神殿のあちこちに入っている亀裂を修復する為に別途に国民から現金の寄付を募ることであった。
10・その為に祭司のエホヤダは厚板の大箱にお金を投入する孔をあけた献金箱を作った。そして、人々に一番目につく神殿の祭壇の右側で、祭司達が見張れる場所に固定させた。宮に上る男たちから、入り口の敷居の場所で祭司達や一同の面前で現金を集める為でであった。

  ★面白い箇所ですが、考えさせられます。この時、ソロモン神殿は建築後150年が過ぎていました。当然老朽化により、そこかしこに亀裂が生じ、崩落や雨漏りが酷くなり、おそらく崩落事故が起きて犠牲者も出ていたのです。

  見すぼらしい主の宮の修繕費用の捻出は難航しました。国家財政の逼迫の最中、いったい何を切り詰めて経費を捻出するのかは祭司や王家の間に葛藤が生じ随分と揉めたのです。そして、漸くの事で神殿の通常の献げ物は聖書の規定通りに全て祭司の生活に回して、神殿の建物の修理費を捻出する為に大きな献金箱を設置して用途指定の寄付を集める事になったと言うのです。
  
  考えさせられるのはその献金箱の設置場所です。本来神様への献金や困った人々への施しは人に見せるべき物ではなく、人知られずに献げられるべきものです。(マタイ6章4節他)

  しかし、それでは思う様にお金が集まりません。だから、エルサレム神殿の献金箱は衆目の中で献金が見える様に宮の入り口の、しかも、祭壇の右と言う最も人々の注目を集める場所に設置されたのです。やがてこの献金箱の投入孔には薄い金属でできた螺旋のラッパがつけられ、お金持ちが大金を投入すると大音響で衆目を集める仕組みまでが考案されたと言います。

  本当に神殿と祭司たちが中心になって人々の神さまへの純粋な信仰を破壊して、虚栄や偽善を鼓舞する酷い信仰の堕落が起きていたと言う事なのです。(ルカ21章2節、貧しいやもめの献金)

  最初に神殿を建設しょうと思ったダビデに対して神さまが神殿建設を禁じられたお気持ちが分かる様に思います。(サムエル記第二7章6節7節、原典参照)

  神さまは見えない所におられ、人に知られない隠れた行動を喜ばれ、報いを与えられるというのが健全な信仰のあり方です。

  その様な純粋な神さまへの信仰のあり方にとって、人に見せる為の行為は堕落以外の何物でも無いと言う事なのです。神殿に生じた亀裂その物は確かに問題ですが、目に見える神殿を作りその亀裂を修理する為に衆目を集める虚栄心に訴えたなりふりかまわぬ献金集めによって損なわれた健全な信仰者のあり方はやはり問題なのです。

  そして建物修理の為の闇雲な献金集めは、見える神殿の亀裂以上により深刻な信仰心の破壊を引き起しました。不正や反社会的行為によった得た富が神の祝福と誤認され、その反対に正しく聖いが故に貧困に陥った貧しい人々の宗教心を踏みにじり無視する事が当然となってしまいました。神の祝福は富める者が独占し、貧困者が蔑視される風潮を助長したのです。遂には見えない信仰その物を尊ぶ心が人々の意識から消え果て、見える富が神の祝福の証拠ともてはやされる背教の時代を到来させたのです。

  それだけでは無く、社会や国家のあり方その物にも亀裂を生じさせ、富を得た者が神に祝福されていると言う聖書の教えに反する信仰のあり方は(ヤコブ2章1節~、1テモテ6章10節=全ての悪の根はお金を愛する事だ、私訳)は社会道徳や社会正義を根底から崩落させてしまうのです。

  その結果国家は、道徳的に社会の頂点から底辺までが堕落し、本当は神に呪われている「富める者」が「神の祝福で富んだ」と言う偽善をはびこらせる結果をもたらします。

  必然的に、宗教は世の富を得る為の手段と堕落し、神さまの利益ではなく人間の利益をご本尊とする御利益信仰を助長し、やがてよりよい御利益を求めた偶像崇拝が本格的に導入されてしまうのです。その結果神とその言葉を置き去りにし、必然的に神に見捨てられたイスラエルもユダの国家も歴史から消えていくのです。これは単に2600年前の中東の出来事ではなく、何時の時代のどの国でも心しなければならない事ではないのでしょうか? もちろん21世紀の極東でも?

気の毒な女

気の毒な女

今日は北王国のアハブの娘が南王国に嫁ぎ、女王となったアタルヤが殺された箇所でした。早速直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二11章 20節 直訳

20 ・ そして彼は喜んだ 全ての 民の その地 そしてその城塞 彼女が平静した そしてを アタルヤ(ヤハウエは高貴) 彼らが殺さした 中でその 剣 家の (その?)王

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二11章 20節 直訳

20 ・ そして 彼は喜ばされた 全て その 民 その 地の、 そして その 町 彼が静かした。 そして その ゴソリアンを 彼らが死なした 中で 幅広長剣 中で 家 その 王。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二11章 20節 意訳

20・エルサレムを始め国中の人々は漸く安心して住める様になった。それは女王アタルヤを王宮で剣にかけて殺せたからだ。

  ★聖書には度々、肝を冷やす様な驚くべき言葉が記されています。 今日ご紹介するのもその様な言葉の一つです。「南北イスラエルの歴史において紅一点の女王アタルヤ(ヤハウエは高貴)を殺したので、エルサレムを始め全国津々浦々の人々が喜んび安堵した」と言うのは余りにむごい言葉だと思います。

  こんな言葉を聖書が記しているのは、やはりそれなりの理由があっての事なのでしょう。分かる事は彼女は北王国のアハブ王とその妻イゼベルの間に生まれた娘で政略結婚で南王国ユダの先王ヨラムに嫁いだのでした。夫は近隣諸国との負け戦の挙げ句、大病を煩います。彼女はそのような不幸な夫のヨラムを見取り(2歴代21章15~20節)不幸な戦争にかろうじて生き残ったアハズヤ(エホアハズ)を夫の後継者に据えました。

しかし、息子のアハズは母の兄弟イスラエル王ヨラムの負傷を見舞いに行き、北王国のエフーのクーデターに巻き込まれあえなく殺害さてしまうのです。アタルヤはたった1年の間に愛する夫を酷い病で失い、後を継いだ一粒種の息子を失い、さらに自分が南王国に嫁いだ後ろ楯となる北王国王ヨラムと心のささえであった老いた母イゼベルを失ってしまったのです。そうして故郷の北王国には母とと一族を滅ぼしたエフー王朝が樹立されてしまったのです。

  彼女に残された道は一つでした。北王国の後ろ楯も夫も息子も無い彼女が生き続ける道は、ダビデ王家の血筋を絶ち、全ての王族を粛清し軍事力による恐怖政治を行う事でした。そして彼女は息子の死を知ると同時に全権を掌握し、片っ端から王族を殺戮し尽くしたのです。しかし、皮肉な事に彼女の孫にあたる1才になったばかりのヨアシュ王子が祭司達によって匿われ、6年後にエルサレムの神の宮の祭司達によって王に祭り上げられてお婆さんにあたる、女王アタルヤを殺害することになるのです。

  その時に記されたのが今日ご紹介した言葉なのです。 女王アタルヤはあのナボテを殺して地所を手に入れたアハブ王家の最後の生き残りでした。富と権力に物を言わせて燐国ユダの王妃となり、尊大に振る舞ったのです。 それ故に国民に一度も愛されることなく、不幸のどん底に投げ込まれ、人々を憎み殺害に明け暮れ、やがて自分が殺される時を迎えたと言う事なのです。

  ダビデは彼が犯した無実の正しい人ウリヤ殺害の罪の罰によって王家一族は呪われ、剣によって家族が互いを殺し合うという裁きが定められました。また、無実の正しい人ナボテとその一族を殺害したアハブ王家にも、神さまは一族全員に破滅をもたらされました。そして今日、アハブ王がこよなく愛した娘アタルヤが、老いて不幸のどん底に落ち孤独の女王になっている時に神さまによるナボテ殺害に対する報復の罰を報いられたと言う事なのです。

  ダビデが預言者ナタンに指摘され罪を悔い改めた時から150年、さらにアハブも預言者エリヤに糾弾され、その罪を悔いてから40年の歳月が過ぎていました。彼らの罪は赦されました、しかし、神さまの罰は免れえなかったのです。「神さまは長い時間が過ぎていても、人の罪を見過ごさず、必ず無念の死を遂げた正しい人の血の報復をされる義なる神様である」と言う事を聖書はここでも教えているのです。

参考 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/25596628.html

  先祖の罪の刑罰をその身に受け、かわいそうな生涯を閉じた女王アタルヤは本当に気の毒な女性であったと思うのです。私達も自分達の愛する物に悲しい思いをさせない為に心して正しい生活を心がける事を神さまは一人の女性アタルヤの生涯をもって教えておられるのです。

神の善と人の善

神の善と人の善 

今日も考えさせられる聖書の記録でした。早速直訳です。直訳に興味のない方は★印に進んで下さい。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記 第二 10章30節 直訳 

30・そして彼は言った ヤハウエ に イエフウ の為に 所の あなたが善さした に 作る事の その真っ直ぐ 中で目らの として全て 所の 中で心私 あなたは作った に家の アカアブ 息子らの 第四ら 彼らが仮住まいする にあなた 上 (玉)座の イスラエル

旧約聖書  70人訳ギリシャ語原典 列王記 第二 10章30節 直訳 

30・そして 彼は言った 主は 方に イウウ 対して する所の 全体は あなたが善した 作る事 その 真っ直ぐ 中で 目らの 私の そして 全てら、全体は 中で その 心 私の、 あなたは作った その 家に アカアブ、息子らは 第四らは 彼らは確かに座る あなたに 上に 座 イスラエル。

旧約聖書  ヘブル語原典 列王記 第二 10章30節 意訳 

30・ヤハウエの神はエフーに言った。「あなたは良くやった褒めてつかわす。 よくぞ私の心を知って、私の目に正しい事をあなたはアハブの息子達に実行した。ご褒美にあなたの息子は4代にわたってイスラエルの王になれるようにしてあげよう。」

  ★この言葉を読んだだけでは何の感慨も無いのですが、それまでにエフーが行った行為を見ると、普通の人間の感覚では気が滅入ってしまいます。一つ一つ説明する事にしましょう。

  昨日は、アハブ王がナボテを殺害して葡萄園を横取りした刑罰にアハブ王の息子のヨラム王と孫に当たるユダ王のアハズヤが一時にクーデターを起こしたエフーによって殺されました。直後にアハブの妻イゼベルも殺されました。そうして、サマリヤの王宮にいた70人の何の罪も無いアハブの子供達も全て殺されたのです。

  おそらく40才近い年代で妻も子も大勢いた事でしょう。そればかりではありません。アハブ王の娘アタルヤはが産んだアハズヤ王身内の者達42人も何の罪も無いのにエフーによって殺害されたのです。

  そればかりではなくサマリヤの町にいたバアルとアシタロテの信者全員を騙したエフーはバアル宮で祭りをすると見せかけて集めたバアルの預言者や祭司に加えて全ての信者を悉く殺戮したのです。おそらく数千人が殺されたのです。

  そして、驚いた事に、この皆殺しの事件が「神さまの目に善であり真っ直ぐ」だと言うのです。

  全く人間にとってはこの上ない無実の人々の殺戮で大犯罪です。しかし、これが神さまの眼には「善」であり「真っ直ぐ」だと聖書は言っているのです。

  その理由は明白です。それは実はアハブ王とその妻イゼベルが行った行為がそのまま自分と、何の罪も無い自分の子や孫にふりかかったと言う事ナノです。

  (アハブの悪行はこちら  http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/26827446.html

  特に列王記第二の9章26節にアハブ王とその妻イゼベルが「罪の無いナボテを無実の罪で殺し、その後ナボテの罪の無い子供達も殺した」と有る様に、神様はアハブとイゼベルが行ったと全く同様に、何の罪も行っていない彼らの子供や孫達も一人残らず殺されると言う報復を受けたと言う事なのです。

  (以前記したアンタアポドジン参照 http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/25877355.html )

  結論です。「多くの場合、神さまの善は人間の眼に邪悪で、人間の善は神さまの目に邪悪である事が多い。」それは、人間は事の始まりと終わりの両方を正しく認知することが出来ないで、一部分だけをみて、その限られた知識だけで善悪を判断するため、判断を誤る危険性が高いのです。今日は、神さまの善と人間の善が多くの場合正反対である事が少なくないと言う事のご紹介でした。

  明日も、神さまの報復がアハブの一族に対して、さらにしつこく徹底的になされる事をご紹介する事になります。

30年後の報復

30年後の報復 

今日は神さまがイズレエル人ナボテの復讐を始められた箇所でした。早速直訳です。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二9章 25節26節 直訳 

25・そして彼は言った に 中で 貫く (orビデカル?比較 1k4:9?)第三彼 あなたは担ぎだせ あなたは 投げろ彼 中で所領地の 野の ナボテ そのイズレエリイ その時 あなたが思い出せ 私 そしてあなた を 乗っているらは 縛られているらは 後ろの アカアブ 父彼 そしてヤハウエ 彼が担ぎだした 上彼 を その神託 そのこの
26・もし 無い を 血らの ナボテ そしてを 血らの 息子ら彼 私は見た 昨日 口に出して言う ヤハウエ そして私が徹底的に平和した にあなた 中でその所領地 そのこの 口に出して言う ヤハウエ そして今 あなたは担ぎだせ あなたが投げさせろ彼 中で その所領地 として 言葉の ヤハウエ

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二9章 25節26節 直訳 

25・そして 彼は言った イウウ 方に バデカル その 第三を 彼の あなたは投げろ 彼を 中で その 割り当て(地)野の ナアブウタイ その イエズラエリトウ。それは 私が思い起こし続けている 私が そして あなた 上に神を汚していたらは 上に 軛 後ろに アカアブ その 父 彼の、そして 主は 彼が取った 上に 彼を その 取った(or利益) この事 言っている
26・もし 無い 共に その 血らの ナアボタイ そして その 血ら その 息子らの 彼の 私が見た 昨日、彼が言い続けている 主は、そして 私は確かに対して 離れ与える(or等価報復) 彼に 中で その 割り当て(地) この、彼が言い続けている 主は。そして 今 取ったは それだから あなたは投げろ 彼を 中で その 割り当て(地) 下に その 言葉 主の。 
 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二9章 25節26節 意訳

25・アハブの子ヨラム王を殺害した直後、エフーは第三の男のヒデケルに言った。お前はヨラム王の死体をナボテの地所に投げ捨てろ。昔、彼の父アハブ王がナボテを殺して地所見に来た時、おまえと私がこの耳で聞きいた神の預言者エリヤが言った神の宣告をよもや忘れてはいないだろう。
26・「『ナボテとその息子らの無実の者達の血を私は見た。ヤハウエの言葉を聞け。私はこの地所でお前に彼の血の復讐(ヘブル語は平和)をする。』だからあなたはアハブ王の子ヨハム王の死体をヤハウエの言葉通りに、ここに投げ捨てろ。」

  ★今日の箇所はアハブ王がその妻イゼベルによってナボテとその一族を皆殺しにして手に入れたと言うあの事件から30年程が経過しています。

あの時(列王記第一21章29節)、アハブ王は預言者エリヤの裁きの宣告を素直に聞き入れ、悔い改めた為に、神さまの直接の裁きを免れました。

しかし、その裁きはその事件を皆がすっかり忘れた頃になって、神様はあの事件の実行犯である妻イゼベルの目前で最愛の息子ヨラム王を殺されたのです。そしてそれをその目で見たイゼベルも子を失った悲しみの中で殺害され、母とその最愛の息子の遺体はナボテの地所に投げ捨てられ犬に喰われると言う結末となったのです。

本当に神さまの言葉は実現するのですが、多くの人はそれが長い時間の経過後である為気がつかない事が多いのです。明日は神さまの言葉通り、アハブの血縁者全てが悉く殺戮されると言う事が記されている箇所をご紹介する事になります。

ヤハウエの謀略

ヤハウエの謀略

  今日は神さまがイスラエルの国を滅ぼす為に着々と準備されている箇所を読みました。早速直訳です。直訳に関心のない方は★印にお進みください。
 
旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 8章12節13節 直訳

12・そして 彼は言った カザエル(神の幻?) 何故 主私の 泣いているは そして彼は言った その時 私は知っている を 所の あなたが作る に息子らの イスラエル 邪悪 築城ら彼ら あなたは徹底的に送る 中でその大火災 そして青年ら彼ら 中でその剣 あなたは殺害する そして幼子ら彼ら あなたは徹底的に投げつける そして孕む(女)ら彼ら あなたは徹底的に切り裂く
13・そして彼は言った カザエル(神の幻?) その時 何故 奴隷あなた その 犬 その時 彼が作る その 言葉 その 巨大 その 事 そして彼は言った エリシヤ 彼が見さした私 ヤハウエ をあなた 王 上 アラム

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 8章12節13節 直訳

12・そして 彼は言った アザエル 何 それは その主は 彼は泣き続けている? そして 彼は言った それは 私は知っている 全体らを あなたが確かに作る その 息子らに イスラエル 悪らを。 その要塞らを 彼らの あなたは確かに外に遣わす 中で 火 そして その 選ばれたらを 彼らの 中で 幅広長剣 あなたは確かに離れ殺す そして その 喋れない(or幼子)らを 彼らの あなたは確かに中で振る そして その 中で 太鼓腹 持っているらは 彼らの あなたは確かに上に裂く。
13・そして 彼は言った アザエル 誰が 彼が存在し続けている その どれ あなたの、 その 犬 その 死んでいる、 それは 彼が確かに作る その 言葉らは この? そして 彼は言った エリサイエ彼が指し示した 私に 主は あなたは 王したを 上に スリヤ。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 8章12節13節 意訳

12・泣き出した預言者エリシャにハザエルは尋ねた。「ご主人様何故泣かれるのですか?」 エリシャは言った。「私はあなたがイスラエルの人々に害を加えることを知っている。あなたは城壁の有る巨大な町々を次々と焼き滅ぼし、若い男達を剣で切り殺し、幼い子供達を岩に投げつけ、妊婦達の腹を切り裂くのだ。」
13・それを聞いたハザエルは言った。「あなた様の僕は犬にすぎないのに、どうしてそんな大それた事が出来ますか?」エリシャは言った。「ヤハウエがあなたの将来を私に見させたのだ。あなたが次期アラム王になる。」

  ★紀元前842年のアラムのクーデターを引き起こしたのは今日ご紹介した、この預言者エリシャの一言でした。病床にあったアラムの王ベンハダデは彼の護衛長(第三の人)ハザエルに窒息死させられ、彼が王国の全権を掌握し、対イスラエル、ユダ戦を見事に勝利し、やがて北王国は滅亡してしまうのです。

  神さまはこれに先立つて預言者エリヤにハザゼルに油を注いで王に任命する様に言われました。(列王記第一19章15節)しかし、エリヤにはそのチャンスが無くその職務は後を継いだエリシャに委ねられていたのです。その事から分かる事は、神さまは北王国イスラエルに対して否定的感情を持たれ、滅ぼす事を決意しておられた事が分かるのです。

  そして、この神さまの感情はこの時だけのものではありません。 新約聖書の時代にもエルサレムを破壊しその住民を悉く殺戮する事を表明されていました。マタイ24章15節~21節)そして、聖書の所々に神さまが世界を滅ぼすと言うこの地上と人類に対する神様の否定的感情が記録されているのです。旧約聖書の時代において北王国は人口比で神の民全体のほぼ90%で「神さまを信じていた人々の大半が神さまに喜ばれていなかった」と言うのが偽らざる現実で有ったのです。

以下に例証の為、同様の聖書の記録をすこし列挙しておきます。

  マタイ24章35節「この天地は滅びる」、コリント第一 15章24節「あらゆる支配と、権威と、権力を滅ぼす」 ペテロ第二 3章5節「いまの天と地は火で焼かれる為に取って置かれ」 黙示20章11節「神の面前には地も天も存在する場所すら無かった。(意訳)」

  お分かりでしょう。聖書は「神さまこそが全人類を滅ぼそうとされていると教えているのです。」そうして、その神の怒りから救われるには「イエスキリストの十字架の贖いにすがる以外に無い。」と教えているのです。

聖書やキリスト教について結構多くの方が思い違いをされているのを見かけます。その原因は、大抵この聖書が世界について言っている「根本原理=人類の堕落=神への反逆=人類は神の敵=世界の破滅」を甘く認識しておられる様にお見受けします。人類が堕落し、人類全体と自分の罪を認めず悔い改めず、神に自分の罪が償い得ると勘違いして道徳や善行や愛の宗教と言う誤解の源は大抵この点の無理解に有る様です。

  余分ですが神さまがイスラエルを滅ぼそうとしておられるのはイスラエルの国が神さまを裏切って他の神さまに鞍替えし、度重なる神さまの警告に耳を貸さないが故に、今日の箇所でイスラエルに最後の悔い改めの機会を提供する意味で、イスラエルの敵国アラムに残忍なハザゼルを即位させられたと言う事なのです。

  と言う事で今日は「神さまご自身が神さまの民イスラエル(神を捨てた神の民=地に属する教会、ひいては全人類)を滅ぼそうとされていると言う聖書全体の主張と一致する神さまの謀略」の記録のご紹介でした。

神さまのステレオ

神さまのステレオ

  今日はアラムに包囲されたイスラエルの首都サマリヤの解放の箇所でした。敵に包囲されて絶体絶命の都が、ある日突然に包囲していたアラムの大軍隊が兵営をそのままにして忽然と消えてしまったのです。早速気になる箇所の直訳です。直訳に興味のない方は★印に進んで下さい。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 7章6節7節 直訳 

06・そして主ら 彼が聴従さした を 野営の アラム 声の 戦車 声の 馬 声の 力 巨大 そして彼らは言った 男 に 兄弟彼 見よ 彼が賃金した 上私たち 王の イスラエル を 王らの そのヒッテイーら そしてを 王らの エジプト に来る事の 上私たち
07・そして私たちは立った そして私たちは避けた 中でその黄昏(or黎明) そして彼らは置き去りにした を 天幕ら彼ら そしてを馬ら彼ら そしてを 雄驢馬ら彼ら その野営 として所の 彼女 そして彼らは避けた に 生活ら彼ら  

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記 第二 7章6節7節 直訳 

06 ・ そして 主は 聞こえを 彼が作った その 宿営を スリヤの 声を 戦車の そして 声を 馬の そして 声を 力あるの 巨大の、そして 彼は言った 男 方に 兄弟 彼の 今 彼が自分の為に賃金した 上に 私たち 王は イスラエル その 王らを その ケタイらを そして その 王うらを エジプトの その 来ること 上に 私たち。
07 ・ そして 彼らは上に立った そして 彼らは離れ走った 中で その 闇 そして 彼らは中で下に残した その 天幕らを 彼らの そして その 馬らを 彼らの そして その 驢馬らを 彼らの 中で その 宿営 様に 彼が存在し続けている そして 彼らが逃れた 方に その 生活を 自分自身らの。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記 第二 7章6節7節 意訳 

06・そして主である神が聞かしたのです。 アラムの陣営に 戦車や馬に加えて大軍勢の時の声を。そして陣営の兵士達は言った。「あの音は何だ! きっとイスラエルの王かヒッタイトの精鋭とエジプトの大軍団を傭兵したに違いない。今私たちに攻めてきたんだ。」
07・そう思い込んだ私たちはあわてて立ち上がって明け方に、テントや馬も驢馬も置き去りにして私たちは命からがら逃げたのです。

 ★お分かりでしょうか? この部分4箇所が一人称複数で語られているのです。おかしいですね。イスラエルの人々にとって攻撃を仕掛けてきた人達はアラム人ですから三人称複数「彼らは」と記されていなければなりません。しかしヘブル語原典の記録は「一人称複数」なのです。 

  ちょっと変ですが、考えてみるとここに記されている事は当事者=逃げたアラムの兵士以外には分かりえない秘密の筈です。だから、このアラムの兵営が空っぽの段階では、イスラエルの誰にも「何故アラムの兵士が居なくなったのか」は分からない筈なのです。

  おそらくこの出来事が落ち着いて数日後に、逃げ後れたアラムの兵士の負傷者か病人の誰かを捕捉して、尋問して、彼が真相を話して初めて「この出来事の真実が判明した」のでは無いでしょうか? だらか、原文の通り「その現場に居て実際に神さまが起こした夜明けの馬、戦車、陣営の雄叫び」をその耳で聞いた人以外には分からないし証言しえない真実ナノです。

  「この音をその耳で聞いた人の証言」を聖書が記録しているのだからヘブル語原典のこの部分は「1人称複数(6、7節)」となっているのではないでしょうか? 考えてみればあたり前の事です。しかし、折角のこの原典の記述も翻訳は何れも何の断りもなく、3人称に改竄したり無視しています。確かに6節に3人称複数が一カ所だけ有り、1人称複数部分を直接話法と取ることも妥当です。しかし、それでもやはり「その音を聞いた当事者」以外の者は語りえない言葉であると言うことは変わりません。

  まあ翻訳者にそこまでの正確な翻訳を要求するのは無理な相談ナノかもしれませんネ! そして、音響装置(ステレオ)に大変興味のある私にとっては、「神さまは一体どんな仕組、また現象でこの音をアラムの兵士達に聞かせたのか」が大変気になります。陣営が夜明け前に安心して寝入っている所に「全く本物の大軍団と聞き違える突然の大音響が聞こえた」と言うのです。ですから、もしこれを今の音響装置で再現するとすると、かなりの高性能の音響装置とそれを駆動する電源が必要だと思わされます。もちろんそんな物紀元前800年の時代には存在しなかったでしょう。

 まあ、現実にはこのバレスチナの山岳地方はヨルダン地溝帯で地震の頻発地域です。ですから突然の「地鳴り」と考えるのが一番合理的かと思います。原典で聖書に登場する地名を見ると振動山なんていう奇妙な名前(ヨシュア19章13節ネア=震えなど) をいくつか見かけます。思うに、きっとその山は群発地震の起きる山だと思われます。当然地鳴りも起きたでしょう。

参考:奇跡は自然現象http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/2982415.html

そこに進軍してきた、アラムの平野に育った人々には夢想だに出来ない現象だったのでは無いでしょうか? 源平の富士川の合戦で、平氏が水鳥の音に怯えて敗走した故事を想像するのですが、まあ真実定かではありませんが、アラムの陣営の人々には、「戦線を放棄し敵前逃亡するに足る、十分な音」が聞こえたと言う事なのです。

  と言うことで今日は聖書の記述が非常に厳密な物である事を例証するけれども、一見不思議でおかしい「一人称複数」の聖書の記録のご紹介でした。

預言者の苦境

預言者の苦境

今日は、預言者エリシャの不思議な能力の発揮された箇所でした。早速気になる箇所の直訳です。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 6章1節 直訳 

01・そして彼らは言った 息子らの その預言者ら に エリシヤ(神は救い) 見よ どうか その場所 所は 私たち 仮住まいしているらは そこ に顔(面)らあなた 苦境 から出て来る私たち

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 6章1節 直訳

01・そして 彼らは言った その 息子らは その 預言者らの 方に エリサイエ 見よ それだから その 場所は、中で する所に 私たちが 私たちが自分の為に住み続けている 面前に あなた、 狭い から 私たち。 

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 6章1節 意訳

01・そして預言者の息子らはエリシャに言った。私か達が仮住まいしているこの場所では生活が成り立ちません。

  今日は北王国が繁栄している時代の預言者達の生活がどんなであったかと言う事がかいま見られる箇所でした。一昨日の箇所では取り上げませんでしたが預言者の夫が死んで妻と残された子供達の貧困の酷さが記されていました。その後には、飢饉で預言者達が食糧に事欠いている様子が記され。さらに昨日のナアマン将軍の箇所では将軍の病気の治癒のお礼を受け取らないエリシャに対して彼に使えるゲハジが嘘をついてまでして金品を入手しています。どう見ても、この悪い時代の預言者達は生活苦に苛まれていたと思われるのです。

  こんな事をご紹介したのは、今日の箇所に「苦境」という言葉が使われているからなのです。70人訳はこれを「狭い」と訳出していますが、確かにここで使われているヘブル語のツアルにはその様な意味が有ります。しかし、やはりこの語は他の多くの箇所で生活苦を表す言葉として使われていますので、ここもその様に訳出した方が良いのでは無いかと思います。 

  そうして、彼らはヨルダン川に近い農耕に適した場所に移住をするのです。彼らには木を切る斧すらも買入する余裕が無く、借り物で、自分達で家を建てあげなければならないほど生活にゆとりが無かったと思われるのです。この借り物の斧で木を切っていてそ斧をヨルダン川の深みに落とした一人の預言者はそれを弁償する事が出来なかったのです。

  困りきった預言者の一人はエリシャに泣きつき彼は不思議な方法でその斧を浮き上がらせたと聖書は記録しています。と言う事で今日は神さまを忘れてしまったイスラエルの国で生活の困難に直面していた神さまの預言者たちの生活の一端のご紹介でした。

さようなら(シャローム)

さようなら(シャローム)

今日は有名なアラムの将軍ナアマンの箇所でした。早速気になる箇所の直訳です。直訳に感心のない方は★に進んで下さい。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 5章18節19節直訳 

18・にその言葉 その此の 彼が勘弁する ヤハウエ に奴隷あなた 中で来る事の 主私 家の リィモォン(絶壁)に自分自身を平伏さす事の そこへ そして彼 担がれているは 上 手私 そして私が自分自身を平伏させる 家の りモン(絶壁)中で自分自身を平伏させた事の私 家の リモン(絶壁)そして彼が勘弁する どうか ヤハウエ に奴隷あなた 中でその言葉 その この。 
19・そして彼は言った に彼 あなたは歩け に平和 そして彼は歩いた から共に彼 離れての 地 

旧約聖書 70人訳ギリシャ語原典 列王記第二 5章18節19節直訳 

18・そして 彼が確かに自分の為に宥める 主は その 奴隷に あなたの 中で その 中へ来る事 その 主を 私の 中へ 家 レムマン 礼拝する事 彼を そして 彼が確かに時分の為に上に上方休む 上に その 手 私の そして 私が確かに礼拝する 中で 家 レムマン 中で その 礼拝する事 彼を 中で 家 レムマン そして 彼が確かに自分の為に宥める それだから 主は その 奴隷に あなたの 中で その 言葉に この事に。
19・そして 彼は言った エリサイエ ナイマン それだから 中へ 平和を。そして 彼は離れ来た から 彼 中へ デバラタ(ヘブル語=キブラテ=離れて)その 地。

旧約聖書 ヘブル語原典 列王記第二 5章18節19節 意訳

18・ただこの事だけはヤハウエにお許しを願う。私の主人、王が神の宮でリモンの像に礼拝するときに、私が王を支える役目なので私も王と一緒にリモンの宮で平伏さなければなりません。この現実だけはヤハウエの神がその奴隷である私をご容赦頂けます様に。
19・それを聞いたエリシャは「行きなさい。さようなら。」と言った。そしてナアマン将軍はその地を離れた。 

  ★今日も昨日に引き続いて「シャローム」と言う言葉のご紹介です。一体何と訳したら良いのか本当に迷います。「平安が有る様に。」と訳出すれば、エリシャは「神さま信じているナアマンが偶像礼拝する事を許容した」と言う事になります。しかし、この言葉は同時に別れの挨拶ですから「さようなら」と訳出すると、「もうあなたは神さまとは無関係ですよ」とエリヤが「ナアマン将軍を見離した」様な印象になります。どちらナノでしょうか?
  
  ナアマンはアラムの王の第三の人(注:戦場で王の戦車に搭乗し実際の作戦や指示を成すだけではなく、王の側近中の側近として護衛長の役を意味する。)でしたから、四六時中王に付き添い、神殿での礼拝中でも警護のため王に付き添わなければなりませんでした。その意味でナアマン将軍の「リモン神像礼拝」は自主的な物ではなく「職務上の上に他動的偶像礼拝」と言う事になり、是非の判断は難しいものがあるかと思います。

  しかし、モーセの十戒は明白に「偶像に平伏す事」を禁じていますので、明白に「偶像礼拝の罪」で聖書の規定によれば当然「死刑相当罪」です。しかし、当時の一般のありさまを見る事も必要です。

聖書を読めば明白ですが、この時代の歴代のイスラエルの王はもちろん、ソロモンを初めとする歴代のユダの王も「エルサレムの主の神殿にバアルやアシタロテを安置して率先してその偶像を礼拝していた」と記されています。その様な時代の事ですから、神さまも選民の堕落の酷さにはあきれ果てておられた事でしょう。ですから、その様な当時の常識を勘案すると、ナアマンのこの申し出は「特筆に値する潔癖な宗教心の模範」ということに成るかと思います。

 そうすると、エリシャは偶像礼拝に心を痛めているナアマンに「平安あれ!=そんな事、気にする必要はない」と言ったと考えるのが妥当かとおもいます。しかし、「さようなら」と訳出し、エリシャはナアマン将軍に失望し決別の意味で「シャロームと言った。」と解釈するのもこの言葉が意味している事の範疇だと言う事です。

 と言う事で今日も「シャローム」と言う言葉の持つ意味の広さのご紹介でした。余分ですが、今日でこのブログを終わりにすると言う意味では決してありません。 

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