豊臣埋蔵金 (多田銀山)
豊臣埋蔵金 (多田銀山)
今日は隣町の白金台に行ってきました。最初の写真は白金台のメインストリートです。
閑静な住宅街で道路はスキスキです。最初の写真です。
バブル期に造成されたこの町は大変贅が凝らされていて、交差点の陸橋もものすごく立派です。
閑静な住宅街で道路はスキスキです。最初の写真です。
バブル期に造成されたこの町は大変贅が凝らされていて、交差点の陸橋もものすごく立派です。
この白金とは当地一帯にあった多田銀山の中心地である事を示しています。
早速この銀山を簡単にご紹介してみましょう。
わが家のすぐ近くにある間歩(鉱山採掘跡)です。
江戸時代の手掘りの間歩であたりにはこの様な採掘跡が無数に在ります。
おそらく坑道は数㎞に渡り、
縦穴も随所にあり内部は滑落の危険があり探検は厳禁と思います。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大坂城が落城した時の豊臣埋蔵金の噂があり、
随分と沢山の人がこのあたりの間歩で宝探しをして、
この立坑に落ち数十m下の坑道に叩きつけられて無くなったと聞いています。
おそらく坑道は数㎞に渡り、
縦穴も随所にあり内部は滑落の危険があり探検は厳禁と思います。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で大坂城が落城した時の豊臣埋蔵金の噂があり、
随分と沢山の人がこのあたりの間歩で宝探しをして、
この立坑に落ち数十m下の坑道に叩きつけられて無くなったと聞いています。
以下は復元された間歩
その内部の坑道
以下の3枚の写真は豊臣家の財政をまかなったと言われる瓢箪間歩です。
かなり広くそして大規模な坑道でつい最近まで実際に銀や銅が採掘されていました。
かなり広くそして大規模な坑道でつい最近まで実際に銀や銅が採掘されていました。
以上、ほんの一部ですが、今日はわが家の周囲の多田銀山のご紹介でした。
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